「便乗」商法がプロパガンダをつくる?──『新プロパガンダ論』第1章冒頭部分|辻田真佐憲+西田亮介

初出:2020年12月25日刊行『ゲンロンβ56』
 近現代史家の辻田真佐憲さんと社会学者の西田亮介さんによるゲンロン叢書008『新プロパガンダ論』が、2021年1月28日に刊行されます。以下に掲載するのは、第1章「プロパガンダとはなにか」の冒頭部分です(2018年4月11日収録)。戦前と現代の情報戦略の連続性、マーケットやエンターテインメントとの深いかかわりを分析し、プロパガンダへの「ワクチン」とすべく交わされた対話をお届けします。
『新プロパガンダ論』は以下のURLで予約受付中です。また、1月29日の19時より、ゲンロンカフェで辻田さんと西田さんによる刊行記念イベントが開催されます。こちらもぜひご視聴ください。(編集部)
 

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・辻田真佐憲×西田亮介「嘘と宣伝の政治はコロナ時代にどこへ行くのか?――『新プロパガンダ論』刊行記念&増補対談」 :https://genron-cafe.jp/event/20210129/

 

プロパガンダとはなにか

西田亮介 日本の政治とメディアをめぐって、辻田真佐憲さんとお話ししていきます。テーマは「プロパガンダ」です。ぼくも辻田さんも、日本政治を扱う仕事をしています。しかし一口に政治と言っても、ぼくは現代が、辻田さんは戦前戦中が得意分野です。まずは両者のギャップを確認し、それからそのあいだを埋めていく対話ができたらと思います。

辻田真佐憲 わたしからは戦前の日本で行われたプロパガンダの事例を紹介していきます。一般的にプロパガンダというと、軍歌でもなんでも、退屈なものを政府に無理矢理押し付けられるイメージがあるのではないでしょうか。しかし実態はそうではありません。むしろ知らずしらずのうちに人々に思想を浸透させていくのがプロパガンダの王道です。そのためにいろいろな手法が開発されてきました。当時の手法を知ると、いまの政府がプロパガンダを仕掛けてきたときにも、それを相対化することができるはずです。過去の事例をワクチンにして免疫力を高めることができるわけです。

西田 ワクチンというのは言い得て妙ですね。ぼくが研究している現代の政党広報も、読み解き方を知れば、送り手の意図がだんだんと理解できるようになります。そうすれば自然と予防線を張れる。これからの対話が、プロパガンダ的なものへの免疫力を高める機会になるといいと思います。

辻田 最初に、プロパガンダという言葉をわたしなりに定義しておきます。「プロパガンダとは、政治的な意図にもとづき、相手の思考や行動に、しばしば相手の意向を尊重せずに影響を与えようとする、組織的な宣伝活動である」。これがわたしのプロパガンダの定義です。重要なのは、「政治的」と「組織的」という部分です。政治的とは、企業のCMのように経済的なプロモーションではない、ということです。そして組織的とは、インディペンデントなアーティストが、自分の思想信条を訴えることとは異なるという意味です。

西田 オーソドックスで、いい定義だと思います。現代の情報戦略とのちがいもわかりやすいです。現代の政党広報は、もちろん政治的な意図で行われてはいるものの、マーケットと不可分です。言い換えると、存在(感)を強調することが重要視され、内容が軽視されがちです。思想信条が軽視されているとも言えます。ぼくの『メディアと自民党』(2015年)でも書いたとおり、ネット選挙が解禁された2013年に自民党の情報戦略を担当したトゥルース・チーム(T2)は、実態として関係者の経済的な意図で動いていました★1。このプロジェクトはもともと電通が提案したと言われます。電通の役員級のひとたちが、ネットを活かした選挙運動でオバマ大統領が再選した2012年のアメリカ大統領選挙を見て、日本でもデータを使った選挙が主流になると考えたようです。関係企業は、「無償で最大限のサービスを提供した」という評判です。どういうことかというと、このプロジェクトで電通や自民党に貸しをつくり、将来的に大きな仕事を回してもらおうという、経済的な意図があったみたいですね。でもその思惑はうまく行かなかった。

辻田 現代において情報戦略が展開していくときには、政治的な力学よりもむしろ、ビジネス上の理屈がある、と。ピラミッド型の命令系統があったわけではなく、各業者の忖度というかたちでプロジェクトが進んでいった点も興味深いです。さきほどの定義は、「これ買って!」という企業の純粋な販促は除くという意味で、このような現象はもちろん、戦前戦中にも見られました。詳しくはこのあと具体例を通じて見ていきましょう。

 ちなみに「プロパガンダ」の語源は、動植物を繁殖させるという意味のラテン語「プロパーゴー propāgō」にあります。そこから転じて、カトリック教会の布教活動を意味する言葉として広がりました。つまり、フランシスコ・ザビエルは日本にプロパガンダに来ていた。現在のように、政治的な情報宣伝というニュアンスで広く使われるようになったのは、第1次世界大戦のときです。

西田 第1次世界大戦は世界史上はじめて行われた総力戦です。それまでの戦争は専制君主同士が領土をめぐって争う限定的なものでした。しかし第1次世界大戦は互いの資源をすべて動員した。この時期にプロパガンダが盛んになったのは、国民の自発的な参加を促すためですね。

辻田 戦前戦中の日本では、プロパガンダのことをおもに「思想戦」と呼んでいました。思想戦の必要性が真剣に言われるようになったのは、ご指摘のように、第1次世界大戦のあとのことです。日本にとって近代化のモデルであったドイツが、前線では勝っていたにもかかわらず、国内で革命が起きたために敗北してしまった。実際はそう単純ではなかったのですが、当時はそのように理解されました。ロシアの場合も大同小異です。これは日本の軍人たちにとって、なにより衝撃でした。彼らはその結果を受けて、戦争の勝敗は前線だけで決まるのではなく、後方のプロパガンダ戦によっても決まると考えたのです。

 その分析から、国民に革命を起こさせるのではなく、逆に戦意を高揚させるにはどうすればいいかが検討されるようになります。とりわけ思想戦研究に熱心だったのは陸軍です。日本の陸軍は徴兵制に兵力を依存していたため、たとえば国民のあいだに共産主義思想が広がれば、すぐ影響を受けてしまいます。その歯止めをかけるためにも、陸軍は思想戦に意欲的だったのです。

エノケンもゆずも便乗した

辻田 実際に日本の陸軍がどのように思想戦を考えていたのかを見ていきましょう。大本営陸軍報道部員の清水盛明中佐は、日中戦争(支那事変)開戦の翌年にあたる1938年の講演で「由来宣伝は強制的ではいけないのでありまして、楽しみながら不知しらず不識しらずの裡に自然に環境の中に浸つて啓発教化されて行くといふことにならなければいけない」と語っています★2

西田 含蓄ある言葉ですね(笑)。

辻田 彼はプロパガンダに使える具体的な手法も列挙しています。座談会や講演会、インタビュー、デモンストレーション、カタログ、プログラム、スタンプ、切手、マネキン、ちんどん屋、観光案内、アドバルーン…… ありとあらゆるものが宣伝に使えると説明しています。これまでの思想戦研究の成果を踏まえると、上から押し付けても人々は言うことを聞かない。だからありとあらゆるエンターテインメントを利用するべきだと言っているわけです。こうして、退屈なビラや講演だけではなく、映画や大衆音楽を利用した宣伝が考案されていきます。

西田 具体的にはどのようなアプローチがあったのですか。

辻田 清水は当時の有名なコメディアンであった古川ロッパを活用した事例を紹介し★3、つぎのように述べています。「事変勃発と共に当部では古川氏と相談致しまして時局宣伝を加味して貰ふこととなり、二時間ばかりの喜劇の中に五分ばかり支那事変の解説をやつたのでありますが、民衆は笑ひながら見て居る間に不知不識の中に支那事変の意義を教へ込まれることになるのであります。これが初めから終りまで支那事変の説明をやられましたら誰も入らぬと思ひますが、緑波々々で面白がつて見て居る中に五分ばかり支那事変の真意義を聞かされて帰る。これが本当の宣伝のやり方ではないかと考へるのであります」★4。要するに、プロパガンダは自分たちですべてをつくるのではなく、コメディアンなどに興行をさせ、そのなかに5分間だけ政治の宣伝を入れるのが効果的だということです。無骨だと思われがちな陸軍の軍人がこんなことを言っていたのです。

西田 そうしたエンターテインメントを利用したプロパガンダを、実際に人々はどのくらい真に受けていたのでしょうか。先日、公会堂の歴史を研究している方から話を聞く機会があったのですが、当時の聴衆たちは政治の話になると、ぞろぞろ退席したと言っていました。プロパガンダのもとでも、人々は意外と自律した行動をし、主催者側の思惑どおりにならなかったと取れる話でした。それほどベタに受け取っていなかった可能性はないですか。

辻田 そこを正確に検証するのはむずかしいでしょうね。1940年公開の『燃ゆる大空』という映画が、少年飛行兵の募集に影響を及ぼしたとする陸軍の調査もありますが★5、これは陸軍が制作に全面協力している映画なので、手前味噌な分析になっている可能性も否定できません。仕掛けた側は、効果を高く見積もりがちですから。

 ただ、ここで重要なのは、少なくとも軍人たちは効果があると信じていたことだと思います。当時の人々は、大正デモクラシーの時代を知っていますし、すこしまえのエロ・グロ・ナンセンスの記憶もあります。ですから、退屈なエンターテインメントにはNOを突きつけ、反抗してくるかもしれない。そんな恐れを抱いていたので、どうすれば政治的なものを自然に受け入れてくれるのか、当局の側も腐心していたのでしょう。

 これは、企業の側も同じことです。今度は、ロッパに並ぶ有名なコメディアン、榎本健一(エノケン)によるレコード「もしも忍術使へたら」の歌詞を紹介しましょう★6。1番はサラリーマンがボーナスをお酒で使い果たしてしまい、もし忍術が使えたら女房を煙に巻くと歌っています。3番は女性が主人公で、もしも忍術が使えたら好きな彼氏のアパートに飛んでいきたいと歌っています。どちらもふつうの歌詞です。しかし2番だけは、もしも忍術が使えたら、南京どころか重慶にも攻め込みたいという歌詞になっているのです。日本軍はすでに南京を占領していたので、さらに蔣介石がいる重慶にも攻め込むぞと言っているのですね。あまりにも露骨な内容です。使われている単語もクリークにトーチカ、迫撃砲とたいへん物騒。それが日常的な内容でサンドイッチされています。

 おもしろい工夫ですが、これは上から言われてつくったものではありません。ここが大切です。民間の出版社やレコード会社、コメディアンが下から愛国ビジネスをやるなかで、このように結果的にプロパガンダを担ってしまった例は数多くあります。つまり、愛国ビジネスがすべてプロパガンダになったわけではないものの、プロパガンダを見るうえでは「下からの便乗」にも注目しなければならないわけです。もちろん、この動きを踏まえて、政府や軍部の側が民間を誘導して、いわば「空気を読ませて」、プロパガンダに協力させるような動きもありました。

西田 非常におもしろいですね。

辻田 ほかにも琵琶業界は、日中戦争を機にプロパガンダを積極的に担おうとしました。その背景には、人気低迷の危機感もありました。1932年に日本放送協会によって行われたアンケートを見ると、浪花節や落語・漫談と並び、琵琶も聴取者に受けていたものの、最盛期だった日清・日露戦争のころの勢いはこれどころではなかったのです。

 業界紙『琵琶新聞』の1937年の記事を見ると、「この好機先づ起つべきものは琵琶人だ。忠君愛国を強調してゐる琵琶人が、この時奮起一番敢然第一線に躍り出て、大𠮟咤国民に呼びかけねばなるまい」「再び琵琶全盛時代を招来する秋は今です」★7と、なんとも鼻息が荒い。戦争にともなう愛国心の高まりに乗じて、琵琶を盛り上げていこうというわけです。

西田 政治的な目的だけではなく、マーケットとの関係でプロパガンダが民間を巻き込み自律的に加速するという点で、さきほど話した自民党と電通の情報戦略とも似たところがあります。歴史はかたちを変えながらも、繰り返すというのを感じられますね。

辻田 20世紀のプロパガンダと21世紀の情報戦略に連続している面があることは、わたしも感じています。わたしは戦時の日本のプロパガンダには「Win-Win-Winの関係」があったと言っています。政府や軍部にとっては効果的な宣伝ができ、企業や業界にとっては便乗して儲かるチャンスになり、民衆にとってはおもしろいエンターテインメントを享受できて、生活の癒やしになる。三者がみな得をする関係になっていたというわけです。だからだれも止められないし、暴走すると怖い。

西田 それは他国とはちがった、日本独自のプロパガンダのあり方かもしれません。近年の事例では、ミュージシャンのゆずが「ポップミュージックに乗せればなんでも表現できる」と言ったことと似ています★8

辻田 『音楽と人』という雑誌で、愛国ソングとして話題になった「ガイコクジンノトモダチ」について語られていた件ですね。その曲を聞くと、外国人の友達ができ、彼らから「わたしは日本が好きだけど、あなたは日本のどこが好きなの?」と聞かれて、国民意識に目覚めるという内容です。そこから突然、国歌や国旗、靖国神社の桜の話になり、このグループはオリンピックの仕事がしたいのかと勘ぐりたくなる内容になっていきます。それまで政治的な発言もなく、恋愛のことを歌っていたひとたちだったために、驚いたひとが多かったようです。

西田 しかしゆずは過去に、NHKのオリンピックテーマソングをやったことがありますね★9。日本の現代のミュージシャンは政治に対して、無防備なのか、それとも意欲的なのかよくわかりません。マーケットの論理しか興味がないのかな、とも思ってしまいます。事務所の意向が強いからでしょうかね。

辻田 政府からの要請でやっているかんじがしないという点でも、これも「下からの便乗」の事例だと思います。(『新プロパガンダ論』へつづく)
 

政治の戦場はいまや噓と宣伝のなかにある

ゲンロン叢書|008
『新プロパガンダ論』

辻田真佐憲+西田亮介 著

¥1,800+税|四六判・並製|本体256頁|2021/1/28刊行

★1 トゥルース・チーム(T2)は自民党が国内IT企業、広告代理店などの協力のもと発足させたネット選挙分析チーム。ソーシャルリスニング(ネット世論の収集・分析)を第1の目的とし、分析結果をとりまとめて候補者に配信したほか、ネット炎上の監視、対策も行なった。西田はT2の活動を分析し、その特徴として「内製化」「戦略性」「『忖度の連鎖』による自民党へのメディア企業等の一極集中の構図」を挙げている。『メディアと自民党』、角川新書、2015年、161-175頁。
★2 清水盛明「戦争と宣伝」、『思想戦講習会講義速記 第二集』、内閣情報部、1938年、64頁。なお「環境」は誤植と思われ、清水盛明『戦ひはどうなるか』(実業之日本社、1939年)に一部修正のうえ再録されたときは「感興」となっている。
★3 古川ロッパは1903年生まれの喜劇俳優。加藤照麿男爵の家に生まれる。浅草で喜劇団「笑の王国」を立ち上げたのち、東宝の傘下に入り「ロッパ一座」を結成、舞台と映画で活躍し人気を博した。声帯模写という語をはじめて用いたことでも知られる。古川緑波とも。
★4 清水盛明、前掲書、81-82頁。
★5 「校外映画引率観覧問題座談会」、『映画教育』、1942年11月号、15頁。
★6 榎本健一は1904年生まれの喜劇俳優。劇団「カジノ・フォーリー」などを立ち上げたのち、松竹と専属契約を結び「エノケン一座」で人気を博した(のち東宝に移籍)。「もしも忍術使へたら」は映画『エノケンの猿飛佐助』(岡田一敬監督、1937-38年)の主題歌で、作詞は山本嘉次郎。本文で言及される歌詞の「クリーク」は中国の平野部などで見られる小運河のこと。当時の戦場を代表する地形であり、ほかの軍歌の歌詞にも登場する。
★7 佐藤菊南「琵琶復興の波」、『琵琶新聞』1937年9月12日。
★8 ゆずが2018年4月にリリースしたアルバム『BIG YELL』に収録された「ガイコクジンノトモダチ」をめぐる発言。この曲の歌詞が、国歌や靖国神社について言及した「かなり際どい内容」であることについて、作詞・作曲を行なったゆずの北川悠仁は「文章にして読み上げるとかなり危険そうな内容も、ポップソングにしちゃえば、何だって歌にできるな、と思って書いた」と述べている。『音楽と人』、2018年、音楽と人、9頁。
なお辻田はこの歌詞とインタビューについて、以下の記事で論じている。辻田真佐憲「ゆず新曲に『靖国・君が代』がいきなり登場、どう受け止めるべきか──政治と流行歌の密接な関係」、『現代ビジネス』、2018年4月14日。
URL= https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55216
★9 2004年7月にゆずがリリースし、同年のNHKアテネオリンピック放送テーマソングとなった『栄光の架橋』を指す。この曲名をもとにした体操男子団体決勝での実況「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」は流行語大賞にもノミネートされた。
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1984年大阪府生まれ。文筆家、近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科中退。著書に『日本の軍歌』、『ふしぎな君が代』、『大本営発表』、『天皇のお言葉』(以上、幻冬舎新書)、『文部省の研究』、『古関裕而の昭和史』(以上、文春新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)など。

+ その他の記事

1983年京都生まれ。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。博士(政策・メディア)。専門は情報社会論と公共政策。著書に『ネット選挙 解禁がもたらす日本社会の変容』(東洋経済新報社)、『ネット選挙とデジタル・デモクラシー』(NHK出版)、『メディアと自民党』(角川新書)、工藤啓との共著『無業社会 働くことができない若者たちの未来』(朝日新書)など。

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