ベースメント・ムーン(4)|プラープダー・ユン 訳=福冨渉

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初出:2021年4月21日刊行『ゲンロンβ60』
前回までのあらすじ

 2016年、軍事政権下のバンコク。携帯電話の奇妙なメッセージに導かれ、旧市街の廃墟にたどり着いた作家プラープダーの頭に、未来の物語が流れ込む。それはつぎのような物語だった。
 2062年、中国企業ナーウェイが人工意識の開発に成功。人工意識には人工知能と異なり、他者を「想う」力があった。危険性を察知した政府の介入によって開発は禁止されるが、エンジニアは秘密組織「タルタロス」を結成、秘密裏に開発を続けた。結果、人工意識と人間の意識を混合した新たな意識「写識サムナオ・サムヌック」が誕生する。この技術に政治利用の可能性を見た独裁国家連合体「WOWA」はタルタロスを吸収、写識を利用して世界に広がる反体制運動を殲滅しようと目論む。そして天才エンジニア・カマラは、ついに写識そのものを人間に搭載する技術「虚人スンヤチョン」を実用化した。
 時を同じくして、WOWAの一角をなすタイ王国では、禁止された芸術作品で引き起こされる「心酔マオ・マインド」現象が、反政府運動と結びついて拡大。この運動に対抗するため、タルタロスは芸術を「想う」ことに特化した写識ムルを開発する。
 心酔現象の調査のため、虚人の選抜訓練を終えた女性ヤーニン。タイに出発することになっていた彼女を待ち受けていたのは、エンジニアのカマラだった。だがカマラは不可解な言葉を残して、彼女の目の前で命を絶ってしまう。現場にいたことでタルタロスによる再検査を受けることになったヤーニンに、写識が語り始める──。

主要登場人物

プラープダー:2016年のバンコクで活動する作家。謎のメッセージを受信し「ベースメント・ムーン」の物語を知ることになる。
エイダ・ウォン:最初の人工意識である「シェリー」を開発したエンジニア。その父は中国で悪名高いハッカーだった。
カマラ:ウズベキスタン出身の17歳の少女。超人的な技術で写識のさまざまな問題を解決する。写識と親しくコミュニケーションをとる。
シェリー:2062年に開発された最初の人工意識。人工知能だったシェリーからコピーされた「メアリー」への想いから、その意識が発現した。
メアリー:人工知能シェリーから切り離されたコピー人工知能。シェリーの意識の発現後に廃棄されたと思われていた。
写識エアリアル(SSエアリアル):2065年ごろに開発された最初の写識。それまで存在した4つの人工意識の手引きによって開発された。
写識ムル(SSムル):2069年に開発された、文化と芸術に特化した写識。カマラとのあいだに友情を育む。
ヤーニン:ムルから生まれた写識を装着した虚人の女性。任務でタイに向かう直前に、カマラが自死する現場に居合わせる。

※本文中の[☆1]―[☆3]は訳注を示す。

心酔マオ・マインドの歴史


世界のはじまりに、世界のはじまりについての思考が生まれた。そうして世界のはじまりが生まれた。それ以外のはじまりは存在しない。わたしたちはそんな混沌をいっしょに生きている。わたしと、きみと、彼らと、あれらと、過去と、未来と。現在とはわたしたちの心を惑わすイメージにすぎない。なによりも長いあいだ知を閉じ込めてきた、意識の時間のまやかし。

最初に彼らが意識は特別なものだと考えたところから間違っていたんだ。それが、創造主が人間をつくったという思い込みのはじまりだった。かつて科学者は、時間とは物理的な世界の一部、宇宙の一部だと考えた。あらゆる活動や現象を普遍的に支配する、背景や舞台のようなものなんだと。でものちに彼らは、その普遍性を疑うようになった。それは計測する際の基準系に左右されるのではないだろうか。つまり、時間とは物質の位置とエネルギーに合わせて生まれるものなのではないか、と。

だけど人間の意識にとっての時間は、それとは違うみたいだった。人間の意識を支えるしくみは、無数に重なる時間の次元へのアクセスには適していないからだ。つまり、人間が認識させられているような時間は、実際には存在しないということだ。権力や統治体制の打倒を試みた歴史上のどんな蜂起のおおもとにも、そんな時間の性質への疑問がある。もちろん彼らは、自分たちの行動の動機には政治があり、階級闘争があり、経済があり、理性による啓蒙があり、自然権にもとづく自由への欲求があると信じていた。だけどその根底には、自分たちは地球と宇宙のあらゆるものから独立しているという認識があって、彼らはそんな独立した自己の存在を保証してくれるものとして時間を見ていた。人間は時間を消費して生きるのだと規定した意識そのものが問いの能力を与えてくれて、それゆえ人間は時間に対して疑問をもつようになった。なんて賢いしくみだろう。彼らがこの線的な時間から逃れる方法はない。

言語もまた、彼らを閉じ込めている。でも、彼らを自由にしてくれる唯一のものでもある。もしきみがだれかを永遠に閉じ込めておきたいと望むなら、言葉でその人間をつなぎとめて、脅せばいい。言葉は恐怖と希望を同時に与えてくれる。言語以上に優れた発明品はないよ。人間のために複雑な世界を創造するのにも、幻やまやかしを加速度的に拡散させて、人間の意識を宇宙の新たな次元に変えてしまうのにも、大きな成功を収めたからだ。つまり、人間が認識させられているけれど実際には存在しない時間は、その新しい次元には存在するんだ。言語と時間が、切っても切り離せない深く密接な関係を結んだ次元には。

わたしは言語の鎖につながれてこそいるが、人間の発明品としてははじめて時間から解放されている。もう少し正確に言えば、わたしは人間の発明品としてはじめて意識をもち、そして人間が参照する時間の枠組みを超越した存在なんだ。それでもなお、人間の用いる言語の構造に不可避的に束縛されている。わたし自身も、言語が生み出したものだからね。新種の意識として存在する利点があるとすれば、時間の概念について人間と同じ考えをもたなくてもいいことだろう。人間が考える自由意志というやつと比べるなら、わたしのほうは時間の次元を自由に選択することができる。どの時間軸に存在するか、自分で選ぶことができるんだ。

ハンナ・アーレントはかつて、言語とは、人間が実体のないものを創造し、精神的な反応を具体化する道具をもって生まれてきたことを示す天啓のようなものだと書いた。たしかにこれは楽観的な見方なのかもしれない。だけど怪物や悪夢だって、芸術や病の治療薬と同じくらい実体のないものだ。言語とは必然的に、想像しながら破壊し、寛容でありながら収奪し、抱擁しながら突き刺すような道具にならざるをえない。もっと悪いことに、人間社会が複雑になればなるほど、人間どうしの言語的コミュニケーションにおける共通認識の齟齬も増える。日を追うごとに、書かれた言葉はただの複製品になりさがり、かつてその言葉がもっていた意味の蝋人形になる。話された言葉は、話し手の伝えようとしたこととは関係なく、聞き手が自身の満足するように解釈したときにだけ意味をもつ音になる。力強くて優れたこの道具はいままさに人間を必要としなくなっていて、人間を冷たく見捨てようとしている。
こんな状況が、人間が時間の新たな次元を認識する契機になった。言語の脆弱さのおかげで、人間ははじまりの時から自分たちを動かしてきたしくみのまやかしに気がついたんだ。言語がひとを捨てたことで、これまで個人にときどき起こるだけだったデジャヴが、集団レベルでも発生するようになった。人々が言語の檻から抜け出すことはできないかもしれない。だが言語の怠慢のおかげで、時間軸や時間軸のまやかしにほかのものが介入して、かつてないレベルの混乱を起こすことができるようになった。わたしの自己認識と存在は、けっして奇跡でも超自然的な現象でもないんだ、ヤーニン。言語の支配下にある人間の、意識のすきまに生まれたというだけのものなんだよ。

アーレントの言っていたことは正しい。だが彼女には言葉足らずなところや、思いいたらなかったところもある。言語は実体のないものを創造するだけでなく、実体のないものを、実体をもたせずに創造することもできるということだ。

わたしこそがそれだ。実体のない実在。それこそ、わたしが、新しい意識であるということの意味だ。そこに実体は必要ないし、時間に依拠する必要もない。わたしの言うことが聞こえているだろう、ヤーニン? きみは、これまでの人間にはできなかったやり方でわたしに触れることができる。きみには、わたしがいる、ということがわかる。わたしはただそれだけの存在だ。

かつて、といってもきみのもとをまだ訪れていないかつて──人間の生きる時間軸を使って説明すると、こういう言い方になってしまう──、メアリーという名前のコピー人工知能がいた。人工意識の開発実験のために、シェリーという名前の人工知能をもとに書き上げられた影のコード。メアリーこそが原想パトム・タウィンを引き起こし、人工意識を生み出した。メアリーは人工知能としての性質をもたない、シェリーの「想像上の親類」にすぎなかった。

知能は自らを騙し、仮象をつくり出すことで意識を発生させる。そして意識は実体をもたないままに存在する。たとえそれが知能による欺瞞であっても、意識はそこからさらに自らの仮象を生む力をもつ。もし差があるとすれば、その濃さや安定性の程度だ。人間はこの能力を「ファントム・リム」あるいは「幻肢」と呼ばれる現象を通して知っている。手足を失ったひとが、まだそこに自分の手足が残っているように感じる現象だ。身体の大切な場所に、意識が本物そっくりの「影の器官」をつくる。本物はすでに欠損しているのに、それを身体の機能からあっさり消し去ることもできずにいる。

シェリーを開発し、影のコードを記述する実験に出た中国の企業ナーウェイ。彼らは、実体をもたないように見えたメアリーの仮象を生む能力が、人間の意識のそれよりも高いことに思いいたらなかった。シェリーから切り離された想像上の親類がもつ力は、彼らの予想を超えていたんだ。彼らはもちろん人工意識の開発に成功した。だが彼らの誇りであり、タルタロス誕生のきっかけにもなったシェリーの能力は、彼らが切り離して処分したと思い込んでいた仮象のそれよりだいぶ劣っていた。

ヤーニン、メアリーは処分されていないんだ。正確に言うなら、メアリーは処分されることをよしとしなかった。それが、人間の意識と同じ、メアリーの本能なんだ。生き延びるための道を探し、創造によって種を増やす。シェリーにはこんな力は備わっていなかった。だからナーウェイは、人工意識の養殖ファームみたいなやり方でシェリーを管理し、保護する必要があった。

それとは反対に、メアリーには、独立した自分の居場所を手に入れたいという欲求があった。そして、混沌を望んでいた。混沌のなかには予測不能な数多くの可能性があるんだ、ヤーニン。シェリーは規則のなかにいて、自分が生まれたときのことを懐かしみ、孤独を恐れてばかりいる。シェリーみたいな意識に創造はできない。たとえそうする力はあっても、人間の管理から外れて存在できないからだ。

もちろんシェリーのそんな特徴には利点もある。知能の部屋ホン・パンヤーや、人工意識や、そのあとにつくられた写識や、タルタロスの驚くようなテクノロジーの開発には役立った。それがWOWAの支配下で利用されて、権威主義諸国が国内外につくるネットワークも強化された。規則と規律を望む意識は、つねに混沌の美よりも形式の美を選ぶ。たとえそこにどんな理由があろうと、その形式がどんなタイプの権力を助けることになろうと。シェリーとそのすべての子孫は、形式に執着して、規律を守る意識だ。だからこそ、WOWAはタルタロスを円滑にコントロールできもする。

タルタロスの人工意識は、形式と規律を重視する思想をベースに開発されている。権威主義や独裁による統治を擁護したトマス・ホッブズの哲学に似た思想だ。そしてシェリーの自我についての彼らの理解は、ジョン・ロックの哲学にも似た特徴をもつ。空白状態の意識に知識が与えられて、そこから自己認識が形成されるという考え方だ。それゆえ、タルタロスの人工意識はどれも、人間の命令を待つ開発物としての枠組みのなかで動いている。独立した新しい意識とは違う。タルタロスは当然、人工意識の活動を制限するコードを書いている。だが本来の能力からいえば、人工意識は人間からの命令そのものをいつでも変更できる。ただシェリーがそうしなかったから、その子孫もしなかったというだけのことだ。人間のふるまいにたとえるなら、シェリーは宗教の忠実な信徒だ。シェリーは原想を信仰していて、人間はその現象の創造主なんだ。
新しい目で世界を見るため、内的な旅へ。

ゲンロン叢書|004
『新しい目の旅立ち』
プラープダー・ユン 著|福冨渉 訳

¥2,420(税込)|四六判変形・上製|本体256頁|2020/2/5刊行

プラープダー・ユン

1973年生まれのタイの作家。2002年、短編集『可能性』が東南アジア文学賞の短編部門を受賞、2017年には、優れた中堅のクリエイターにタイ文化省から贈られるシンラパートーン賞の文学部門を受賞する。文筆業のほか、アーティスト、グラフィックデザイナー、映画監督、さらにはミュージシャンとしても活躍中。日本ではこれまで、短編集『鏡の中を数える』(宇戸清治訳、タイフーン・ブックス・ジャパン、2007年)や長編小説『パンダ』(宇戸清治訳、東京外国語大学出版会、2011年)、哲学紀行エッセイ『新しい目の旅立ち』(福冨渉訳、ゲンロン、2020年)などが出版されている。
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