当事者から共事者へ(11) 観光と共事|小松理虔

初出:2021年5月21日刊行『ゲンロンβ61』

 5時間ほどのツアーを終えて宿に戻り、さっき買ったばかりのタチウオとカンパチを皿に載せ、これでもかと氷を入れたロックグラスに球磨焼酎を並々と注いで、夕方4時、まだ陽の沈まぬうちから酒と刺身を食らっている。今朝水揚げされたばかりだというタチウオの身は歯を跳ね返すような弾力があり、しかし噛むほどに旨味が染み出してくる。口に入れた瞬間こそ醤油の甘味が先に感じられるが、その醤油の味が数秒後にはタチウオの脂の甘味にすっと切り替わり、噛むほどに旨味が出てくる。一方、カンパチの脂のノリは測ったように完璧だ。口に運ぶと舌の上で脂がシュッと溶け出し、舌の中央から奥の方に旨味が広がっていく。溶け出した脂に誘われるように歯を動かし、身を噛む。この小気味いい硬さこそ鮮度の証だ。噛むほどに、舌が柔らかな甘味を感知していく。体の疲れが一瞬にして消えていくような、そんな旨味だ。切り身で買ったので刺身の厚みを自分で調整できたのがよかった。厚みは9ミリほどだろうか。飲食店で出されるカンパチ刺しの倍はある。刺身を満喫するには「厚み」や「量」も必要なのだ。

 魚のお供は、人吉市に蔵を構える繊月酒造の熟成酒「たる繊月」である。ぼくは基本的には日本酒を愛飲する。日本酒が好きすぎて正直これまでは「焼酎なんて」と思わないでもなかった(焼酎愛好者の方すみません)。けれどこの焼酎は、ぼくの米焼酎体験でトラウマになっていた米焼酎くささが一切なく、むしろ口に入れ舌で転がしてからの風味の膨らみがまろやかで、熟成酒ならでは余韻がある。しかも、これが甘味の強い九州醤油と抜群に相性がいい。焼酎が、パンチのきいた魚の脂身、濃厚な醤油の旨味を包み込むようにして喉から胃へと送り届けてくれるのだ。これはぼくの確信だが、その土地の酒は、その土地の食い物や風土と合うようにできている。地元のものを適当に合わせておけばまず間違いはないのだ。いやあ、夕方から、なんという贅沢。

 

 いまぼくは、熊本県水俣市にある「水俣病センター相思社」の宿泊者用の台所で刺身を食べ、この文章を書いている。この味の感動を忘れたくない、早く記録しておきたいと思ったからだ。だが、これ以上飲んでしまうと書く気力が失せる気がする。本当は焼酎をもっと飲みたいのだが、酔い潰れないうちに、先に筆を走らせておこう。
 

最高にうまかった刺身と球磨焼酎

 なぜこんなに刺身がうまいと感じるのだろう。それはおそらく、これを食べる前に、水俣市を巡る5時間あまりのツアーに参加したからだ。相思社のガイドが水俣病にまつわる場所を案内してくれるツアーで、朝9時から市内の複数の箇所を巡り、昼食を挟んで、相思社の敷地内にある「水俣病歴史考証館」の展示を解説付きでじっくりと鑑賞する、というものだった。

 もうずっと前から、水俣には行かねばと思っていた。「公害の原点」を学びたいとも思っていたし、水俣がいまどういう状況になっているのか、福島やいわきとの接点が本当にあるのかを知りたくもあった。そこで、まだ今年度の仕事が確定しない、比較的自由のきく4月の、たまたま仕事が入っていない週を見つけて、唐突に、よし、水俣に行こうと決めた。妻に趣旨を説明したところ気前よく4日間も日程を確保することができた。周囲の何人かに水俣行きを相談してみると、複数の人たちから「相思社には行っておけ」とアドバイスされたこともあり、このツアーを予約していたのであった。

 

 ものすごいツアーだった。そこで目の当たりにしたものは、到底、言語化することなどできないとも思えた。かつて猛毒のヘドロが溜まっていたという水俣の海を見た。その膨大なヘドロを集め、7メートルもの土で覆いかぶせて作った埋立地の、環境のシンボルとなるべく植えられた木々の間を歩いた。多くの犠牲者を出した漁村を巡った。大きな犠牲を出しながら、いまなお稼働し続ける「チッソ」の工場を間近に見た。そのあちこちに、いや、訪ね歩いたほとんどすべての場所で、不条理、悲しみや怒り、諦念の痕跡のようなものを感じた。そしてその痕跡は、ぼくの地元である小名浜、あるいは常磐とも浜通りともつながった。奇妙な「符合」を見つけるたびに何度もため息をついた。天を仰ぎ、海を凝視し、踏みしめた大地を見下ろし、考えるだけのことを目一杯考えた。ツアーを終えたぼくは、正直なところもう「お腹いっぱい」の状態だった。食欲がそんなにあったわけではない。うまそうな魚の力を借りて、その胸のつかえを飲み込んでしまいたかった。ところが、うまい魚たちを食べるほど、先ほど見た光景を、そこで語られた言葉を、そこで考えたことを、どうしても思い出してしまう。

チッソの城下町

 一カ所目として回ったのは、市内を見下ろすことのできる丘の上の、小さな祠。30段ほどの階段を上がると神様を祀った祠があり、そこから後ろを振り返ると、美しい不知火海と水俣市の街並みが見える。驚かされたのはチッソの異様なほどの威容である。あまりにも工場の敷地面積が大きい。チッソが存続していることは情報としては知っていたけれど、これほどまでの面積を占めているとは思わなかった。「チッソ」については少し説明が必要だろう。水俣病を引き起こした責任企業であるチッソは、2011年1月、分社化のために「JNC株式会社」という会社をつくり子会社化した。そしてその2カ月後の3月、JNCがメインの事業を引き継いだ。親会社であるチッソは水俣病の補償などを引き受ける親会社として存続している。だから厳密に言えば、目の前の大工場はこのJNCのものということになる。だが本稿では、名を変えたとしても事実上「チッソ」の工場であるということが重要だと考え、JNCもチッソもすべて「チッソ」という名称を使うこととする(こうした混同を敢えてつくるために分社化したと邪推してしまう)。

 目の前の光景にしばし言葉を失っていると、ガイドをしてくれた相思社の葛西伸夫さんに「今度は山側を見て欲しい」と促された。目を移すと、こんもりとした山の緑がヴィヴィッドに広がり、その緑のなかに、ギュッと詰まったように家々が立ち並んでいた。葛西さんによれば、こちらの山側にはかつて「水俣城」と呼ばれる城があり、この地域を統治する武将が居を構えたそうだ。古くはそちら側が水俣の中心地だったそうだ。Google マップで検索すると、たしかに現在も「水俣市古城」という地名が残っている。周囲に水俣川が流れており、城を築くには好適地のように見える。

 葛西さんによると、このエリアにチッソの幹部がいまも住居を構えているそうだ。そこから少し離れた海側、水俣川の南側へと労働者の長屋や住居が続き、さらにその外側に漁民の暮らすエリアが広がっていたという。つまり、町の中心部にチッソ幹部が、その外側に労働者が、そしてさらにその周縁に漁民がというように、地域内の社会階層がそのまま居住地域に現れていたということだ。漁民の多くは、明治時代以降、水俣市の海の豊かさにあやかろうと他所の地域から移り住んできた。とりわけチッソが開業してからは、水俣市の人口が増え、そこに旺盛な需要もあったのだろう。ただ、中心部には空いた土地がなく、移住者は自然と漁村エリアに移り住むことになる。水俣病は、まさにこの地域で重篤化した。魚食を主とする暮らしを営んでいるわけだから当然だろう。このため初期の時点では、水俣病は「漁民たちが持ち込んだ流行り病」と考えられたそうだ。差別の構造は、公害が発生する前からすでに存在していたのだろう。
 

丘の上の祠から見下ろす水俣市。チッソの関連工場があちこちに見える
かつて水俣城という城が築かれていた古城地区。チッソの幹部がいまも居を構えているという

 一等地に幹部が暮らし、同心円を描くようにして外側に向かって階層が分けられていく。この話は常磐炭田の炭鉱にも共通するように思う。常磐でも、丘の上などの一等地に幹部の一戸建て住宅が作られ、その外側に労働者の長屋がずらりと並んだ。いやそれ以前に、そもそも炭鉱の坑口は市街地からは離れた山間部にあり、そこに突如として仮設的に炭鉱町が形作られていく。石炭を掘り尽くしてしまえば、その町自体がお役御免になるわけだ。もっとも早く開発された地域から衰退が始まり、そして過疎化していく。後になって開発された町や、炭鉱開発以前から発展していた町から見れば、古い炭鉱町はまさに周縁に見えるだろう。同じ地域、同じ自治体に暮らす住民同士であるはずなのに、中心地から離れた地域に対する「蔑視」が生まれてしまうという構図は、やはり他人事とは思えなかった。そこではおそらく、本社社員と下請け会社社員、正社員と契約社員、というような雇用体系から生じる格差や差別意識、経営陣と組合の間の対立などもあったのだろう。全国の企業城下町でもよくあることかもしれない。

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1979年いわき市小名浜生まれ。ローカルアクティビスト。いわき市小名浜でオルタナティブスペース「UDOK.」を主宰しつつ、フリーランスの立場で地域の食や医療、福祉など、さまざまな分野の企画や情報発信に携わる。2018年、『新復興論』(ゲンロン)で大佛次郎論壇賞を受賞。著書に『地方を生きる』(ちくまプリマー新書)、共著に『ただ、そこにいる人たち』(現代書館)、『常磐線中心主義 ジョーバンセントリズム』(河出書房新社)、『ローカルメディアの仕事術』(学芸出版社)など。2021年3月に『新復興論 増補版』をゲンロンより刊行。 撮影:鈴木禎司

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