都市へ行きて、郷村に帰りし──エコロジカルでエシカルな中国現代建築の現在地|市川紘司

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初出:2021年6月25日刊行『ゲンロンβ62』
 現代中国の「郷村」建築にかんする市川紘司さんの論考を掲載します。市川さんには昨年、「ゲンロンα」に論考「中国における団地──共産主義から監視社会へ」をご寄稿いただきました(https://webgenron.com/articles/article20201229_01/)。好評を博したこの論考では、ゲーテッド・コミュニティと化した中国の団地が、農村から都市への流動化が進む社会のなかで人々を「囲い」、安心を与えたことが指摘されています。
 今回紹介されるのは、そういった都市から人々がふたたび地方の郷村に戻って生み出された建築です。住人を閉じ込めるのではなく、むしろコミュニティのデザインにまで拡張していくそのあり方は、現代日本の地方振興プロジェクトとも呼応します。
 2022年から『ゲンロンβ』で市川さんの連載が始まります。本稿はその序説ともいえるものです。「エシカル」や「エコ」がひとつの規範となりつつあるいま、広く読まれてほしいエッセイです。(編集部)

もうひとつの「変異」


 楽しみにしていたものの、コロナ禍によって無念にも行くことができなかった展覧会のひとつに、ニューヨークのグッゲンハイム美術館で開催された〝Countryside, The Future〟展があった。

 タイトルが示すとおり、カントリーサイドすなわち「田舎」を主題とした展覧会である。世界各地の田舎で起こっている興味深くも奇妙な事態──たとえば最先端のテクノロジーの導入された機械化農業、私企業による大規模な自然保護活動、都市移住を望むことなく田舎で自足する新たなライフスタイル、広大な敷地のロボットテストフィールド(これは日本の福島の事例だ)などを紹介する、リサーチ・ベースの内容だった。リサーチと展覧会を指揮したのは、建築家のレム・コールハースである。現代建築史を学ぶ人間にとっては、コールハースが田舎に注目したという、そのこと自体が興味深い。ニューヨークという世界的メトロポリスの形成原理を叙述した『錯乱のニューヨーク』(1978年)でデビューし、「大都市建築のためのオフィス」を意味する建築設計組織OMA(Office for Metropolitan Architecture)を率いるコールハースは、誰よりも、グローバル資本主義のもとでダイナミックに変容する都市にこそ注目する建築家だったからだ。

 コールハースは2000年には "MUTATIONS" という展覧会を手がけたことがある。中国の深センやナイジェリアのラゴスといった、新興国で急速に進展する都市化現象が、西洋的な都市とは奇妙にも異なる姿を生み出しつつあることを生々しくレポートする内容の展覧会だった。それから20年を経て開催されたカントリーサイド展では、コールハースは都市ではなく、その外側に広がる田舎の「ミューテーション=変異」へと関心を向けたわけである。

中国郷村旅行記


 カントリーサイド展はかねてより中国建築界からも注目されていた。中国の田舎が、展示コンテンツのなかで重要な位置を占めることが分かっていたからだ。
 コールハースは2017年より北京の中央美術学院で中国の田舎をターゲットにしたリサーチ・スタジオを進めており、その成果は実際に、ハーバード大学デザイン大学院(GSD)でのリサーチと合わせて、今回の展覧会の柱となったようだ。こうした背景もあり、中国の大手建築メディアである『時代建築』には力の入った展評が掲載されている。この展評は、展覧会全体に対しては、都市からの視点を抜け出ていないこと、それゆえ田舎で生じる諸々の事象に対して「問い」を発することに終始している点に批判的に言及している。しかし他方で、中国パートに関しては、古代思想から近現代の政策までを多面的に取り上げることで、中国的田舎を農業生産や戸籍制度に紐づく「農村」としてではなく、都市以外の領域を意味するより広義な概念である「郷村」として提示し得ていると評価した★1

『Countryside, A Report』(2020年)は、展覧会に合わせて出版された文庫本サイズのカタログである。多彩なラインナップによる各地の田舎をめぐるエッセイが収録されているのだが、中国に関しては、OMA/AMOスタッフとしてリサーチを主導したステファン・ピーターマンが旅行記風エッセイを寄稿している。なお、AMOは設計組織であるOMAに併設されたリサーチ・シンクタンクである。

 ピーターマンは中国で実際に訪れた四つの郷村を軽妙な筆致で紹介している。廉価な家具を製造し、ITツールを用いて中国Eコマースの最大手「タオバオ(淘宝網)」で直接販売することを生業とする江蘇省東風ドンフォン、鄧小平による「改革開放」以降の中国においては建前に過ぎない社会主義イデオロギーを塀に囲われた閉鎖空間のなかで貫徹する河南省劉庄リュウジュワン、メガスケールの温室が地平線まで延々と続く一大農業地としての山東省寿光ショウグワン、そして流行する郷村観光(ルーラル・ツーリズム)の観光地として半ばフィクショナルに「伝統民族的なもの」が押し出された少数民族の集落である貴州省板万バンワン……。

 興味深いのは、ピーターマンが訪れた村々がいずれも経済的に潤っていることだ。資本主義的自由経済が旺盛な「タオバオ村」も、ゲーテッドな社会主義コミューンの村も。山奥の少数民族の集落でさえ、村民の手には一様に「最新のアイフォンXR」がある。改革開放以降の高度経済成長のなかで、郷村はそれを下支えする安価な労働力の供給源であり、えてして格差や貧困の代名詞であったが、そのような社会的弱者としての郷村像がここにはない。中国郷村では「変異」が起こっているのと同時に、たしかな経済発展も生じていることがうかがえる。

 ピーターマンのエッセイが「中国の特色ある村(Villages with Chinese Characteristics)」と題されていることに注目したい。言うまでもなくこれは、中国共産党が、革命路線を突き進んだ毛沢東時代を反省した鄧小平時代より提唱する「中国の特色ある社会主義(Socialism with Chinese Characteristics)」のパロディだ。「中国の特色ある社会主義」とは要するに、社会主義という看板を下ろすことなく、市場経済を取り入れることで国力増強を優先するというプラクティカルな二枚舌的態度のことである。ピーターマンのレポートする中国郷村の多面的な姿は、このような態度をまさに表象したものと言えるだろう。

郷村と都市の関係を再構築する──新型都市化政策


 コールハースが注目する中国カントリーサイドの「変異」。しかしそれは理由の不確かな突然変異ではない。21世紀に入ってから中国政府が推進してきた郷村振興政策が背景にある。

 前世紀末より急速な経済成長を遂げる中国にあって、郷村エリアの発展が遅れてきたことは日本でもよく知られていよう。都市住民と農村住民は戸籍が明確に分けられ、社会保障などの格差が埋め込まれていた。

 しかし、21世紀初頭になると、こうした農村・農業・農民が直面する苦境が「三農問題」として社会問題化されることになる。以降、中国政府はさまざまな振興政策を進めていく。胡錦濤が2004年に用いた「反哺」なる言葉が時代を象徴するキイワードである。すなわち、毛沢東時代から改革開放時代までの経済発展を下支えしてきた郷村に対して、十分な発展を迎えつつある都市はいまこそ「反哺=恩返し」せねばならない、というわけだ。

 都市から農村(郷村)への反哺。それは胡錦濤政権においては「社会主義新農村建設」、続く習近平政権においては「美麗郷村建設」や「郷村振興戦略」といった政策スローガンのもとで具体的に取り組まれてきた。とくに現政権にとっての郷村振興は、大都市と地方都市、そして都市と郷村が調和した発展を目指す「新型都市化計画(2014-2020年)」と連動する政策として位置づけられている点が重要である。つまり、さらなる経済成長と都市化を適切に推進するという大きな目的のためにこそ郷村は振興されるのであって、郷村それ自体が独自に発展し、不可思議な変異を引き起こすわけではないのだ。

 こうした国家全体の流れのなかで、郷村では道路や上下水道などのインフラ整備や、税金優遇措置等々の施策が図られてきた。農業に代わる新規産業としての観光業も振興された。中国の郷村観光は、過密や大気汚染を嫌った都市住民の田園趣味も高まっていたこともあり、この15年で膨張の一途を辿っている★2。2020年に発生したコロナ禍はこの郷村観光産業の急成長を一時停止させることになったが、パンデミック収束後にも「密」に対する心理的な抵抗感は一定程度残ることが予想される以上、状況が落ち着けばまた回復するだろう。

 コールハースの展覧会、そしてピーターマンのエッセイがレポートしたのは、中国が国を挙げて進めてきた郷村振興政策の結果(の一端)と言ってよい。個別のエピソードはたしかにユニークである。しかしあえて批判的に言えば、原因(=国家レベルの政策)と結果(=現場の多様な変容)の因果関係は自明のため、取り立てて驚くべきものでもない。

市川紘司

1985年東京都生まれ。東北大学大学院工学研究科助教。桑沢デザイン研究所非常勤講師。専門はアジアの建築都市史。博士(工学)。東京藝術大学美術学部建築科教育研究助手、明治大学理工学部建築学科助教を経て現職。2013〜2015年に清華大学建築学院に中国政府奨学金留学生(高級進修生)として留学。著作に『天安門広場──中国国民広場の空間史』(筑摩書房)など。論文「20世紀初頭における天安門広場の開放と新たな用途に関する研究」で2019年日本建築学会奨励賞を受賞。
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