わけのわからないテクストを読む──思想史と謙虚さ|入江哲朗

初出:2021年9月21日刊行『ゲンロンβ65』
 アメリカ思想史家で映画批評も手がける入江哲朗さんは、「コンテクチュアズ」時代のゲンロンのメンバーでもありました。そんな入江さんは、この7月にちくま学芸文庫から『アメリカを作った思想──五〇〇年の歴史』(ジェニファー・ラトナー゠ローゼンハーゲン著)の翻訳を出版されています。思想史を学ぶことにいまどのような意味があるのか。あらためて語る文章を寄稿いただきました。(編集部)

 

 一般に哲学書は難解である。近年には平易な日本語で書かれた哲学書もかなり増えてきたが、古典と見なされている哲学書は総じて難解である。たとえばヘーゲルの『精神現象学』(1807)の、「この無が、そこから当の無が帰結したものの無である、というしかたで規定されている」★1という一節をいきなり見せられて「なるほど!」と思う人はきっとほとんどいないだろう。「わけがわからない」という感想が大勢を占めるはずである。それでもなお『精神現象学』が広く読まれているのは、この哲学書が古典と見なされているからである。

 ヘーゲル研究者の川瀬和也は、哲学史研究は「歴史的意義とも、哲学的意義とも異なる、解釈としての固有の意義を志向している」と論じており、「解釈の最終目標」は先哲が著したテクストの「思想内容へのアクセス」を同時代人たちに保証することにあるとも主張している★2。要するに、わけがわからないと思われがちな哲学的テクストに「わけがわかる」解釈を施すことが哲学史研究者の仕事だ、というわけである。「先哲の思想内容へのアクセスを可能にする」ような解釈には(たとえ「哲学的真理も歴史的事実も明らかにしないような解釈」であったとしても)価値があるということが、川瀬の議論の前提になっている。「そしてこの価値は少なくとも部分的には、研究対象となる思想が持つ権威から生じている」★3。いまや多くの者にわけがわからないと思われている『精神現象学』を、なぜわざわざ解釈せねばならないのか──それは、川瀬によれば、ヘーゲルに権威があるからである。

 現在を生きる私たちは、何に権威があり何にないかということについてある程度合意している。このことを、私たちは権威づけの構造をある程度共有していると言い換えてみよう。私たちは、『精神現象学』であれば「わけがわからなくてもがんばって読みつづけよう」と考えるかもしれないが、SNS上でたまたまリンクを踏んだブログ記事であれば、わけがわからないと感じた瞬間にその記事を閑却してしまうだろう。わけのわからないテクストは実は巷に溢れている。しかし、私たちの人生は有限なのだから、わけのわからないテクストと出会うたびに解釈の努力を精一杯傾けるというわけにはいかない。「わけのわからないテクストを読むのなら、せめて解釈の甲斐があるテクストであってほしい」と思うのは自然なことであり、権威づけの構造があるおかげで私たちは、わけのわからないブログ記事の解釈にではなく『精神現象学』の解釈にいっそうの努力を傾けるという判断を読むまえから下すことができる。

 私はアメリカ思想史(American intellectual history)という領域を専門とする研究者であるけれども、「思想史」と言うと多くの者は、過去の哲学的テクストのうちどれに権威があるのかを教えてくれるガイドのようなものを想定するかもしれない。たとえば「18-19世紀ドイツ思想史」という見出しのもとにカント、フィヒテ、ヘーゲル、シェリングといった名前が並んでいるのを目にしたあとなら、「『精神現象学』を読みおえたら次はシェリングの『人間的自由の本質』(1809)を読む」という判断をあらかじめ形成することもできるだろう。こんなふうにガイドとしての機能を担う歴史は、哲学者リチャード・ローティの言葉を借りれば「どの書き手が『死せる偉大な哲学者』なのかを同定する責任を負う」歴史である★4。しかしこのジャンルの歴史にローティは “Geistesgeschichte” というドイツ語──文字どおり訳すと「精神史」──をあてており、「思想史」(intellectual history)という言葉は別のジャンルのために取っておかれている。ローティ曰く、精神史が「峰から峰へのスキップというレヴェル」に属するのに対して、思想史は「そこからもろもろの哲学史が育ってゆくような土台」である★5。過去の人びとの思想的な営みを山脈に見たてるとすれば、精神史は山頂のレヴェルに定位しており、思想史は山裾のレヴェルに定位している。

 山裾のレヴェルに定位する思想史とは、しかし、具体的にはどういうものなのか。ローティは例として、エドワード・P・トムスンの『イングランド労働者階級の形成』(1963)やノーマン・フィアリングの『17世紀ハーヴァードの道徳哲学』(1981)を挙げている。ただ私としてはやはり、ジェニファー・ラトナー゠ローゼンハーゲンの『アメリカを作った思想──五〇〇年の歴史』(2019)を例として読者にお薦めしたい。歴史家の手になる同書は、アメリカ思想史の全体を簡潔かつ包括的に論じた画期的入門書であり、拙訳が2021年7月にちくま学芸文庫より刊行された。同書が語る歴史が「峰から峰へのスキップというレヴェル」には属していないことは、たとえば序論の以下の一節から伝わるだろう。

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1988年生まれ。アメリカ思想史、映画批評。東京大学大学院博士後期課程修了。博士(学術)。日本学術振興会特別研究員PD。著書に『火星の旅人――パーシヴァル・ローエルと世紀転換期アメリカ思想史』(青土社、2020年)、『オーバー・ザ・シネマ 映画「超」討議』(共著、石岡良治+三浦哲哉編、フィルムアート社、2018年)など、訳書にブルース・ククリック著『アメリカ哲学史――一七二〇年から二〇〇〇年まで』(大厩諒+入江哲朗+岩下弘史+岸本智典訳、勁草書房、2020年)など。

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