わけのわからないテクストを読む──思想史と謙虚さ|入江哲朗
初出:2021年9月21日刊行『ゲンロンβ65』
アメリカ思想史家で映画批評も手がける入江哲朗さんは、「コンテクチュアズ」時代のゲンロンのメンバーでもありました。そんな入江さんは、この7月にちくま学芸文庫から『アメリカを作った思想──五〇〇年の歴史』(ジェニファー・ラトナー゠ローゼンハーゲン著)の翻訳を出版されています。思想史を学ぶことにいまどのような意味があるのか。あらためて語る文章を寄稿いただきました。(編集部)
一般に哲学書は難解である。近年には平易な日本語で書かれた哲学書もかなり増えてきたが、古典と見なされている哲学書は総じて難解である。たとえばヘーゲルの『精神現象学』(1807)の、「この無が、そこから当の無が帰結したものの無である、というしかたで規定されている」[★1]という一節をいきなり見せられて「なるほど!」と思う人はきっとほとんどいないだろう。「わけがわからない」という感想が大勢を占めるはずである。それでもなお『精神現象学』が広く読まれているのは、この哲学書が古典と見なされているからである。
ヘーゲル研究者の川瀬和也は、哲学史研究は「歴史的意義とも、哲学的意義とも異なる、解釈としての固有の意義を志向している」と論じており、「解釈の最終目標」は先哲が著したテクストの「思想内容へのアクセス」を同時代人たちに保証することにあるとも主張している[★2]。要するに、わけがわからないと思われがちな哲学的テクストに「わけがわかる」解釈を施すことが哲学史研究者の仕事だ、というわけである。「先哲の思想内容へのアクセスを可能にする」ような解釈には(たとえ「哲学的真理も歴史的事実も明らかにしないような解釈」であったとしても)価値があるということが、川瀬の議論の前提になっている。「そしてこの価値は少なくとも部分的には、研究対象となる思想が持つ権威から生じている」[★3]。いまや多くの者にわけがわからないと思われている『精神現象学』を、なぜわざわざ解釈せねばならないのか──それは、川瀬によれば、ヘーゲルに権威があるからである。
現在を生きる私たちは、何に権威があり何にないかということについてある程度合意している。このことを、私たちは権威づけの構造をある程度共有していると言い換えてみよう。私たちは、『精神現象学』であれば「わけがわからなくてもがんばって読みつづけよう」と考えるかもしれないが、SNS上でたまたまリンクを踏んだブログ記事であれば、わけがわからないと感じた瞬間にその記事を閑却してしまうだろう。わけのわからないテクストは実は巷に溢れている。しかし、私たちの人生は有限なのだから、わけのわからないテクストと出会うたびに解釈の努力を精一杯傾けるというわけにはいかない。「わけのわからないテクストを読むのなら、せめて解釈の甲斐があるテクストであってほしい」と思うのは自然なことであり、権威づけの構造があるおかげで私たちは、わけのわからないブログ記事の解釈にではなく『精神現象学』の解釈にいっそうの努力を傾けるという判断を読むまえから下すことができる。
私はアメリカ思想史(American intellectual history)という領域を専門とする研究者であるけれども、「思想史」と言うと多くの者は、過去の哲学的テクストのうちどれに権威があるのかを教えてくれるガイドのようなものを想定するかもしれない。たとえば「18-19世紀ドイツ思想史」という見出しのもとにカント、フィヒテ、ヘーゲル、シェリングといった名前が並んでいるのを目にしたあとなら、「『精神現象学』を読みおえたら次はシェリングの『人間的自由の本質』(1809)を読む」という判断をあらかじめ形成することもできるだろう。こんなふうにガイドとしての機能を担う歴史は、哲学者リチャード・ローティの言葉を借りれば「どの書き手が『死せる偉大な哲学者』なのかを同定する責任を負う」歴史である[★4]。しかしこのジャンルの歴史にローティは “Geistesgeschichte” というドイツ語──文字どおり訳すと「精神史」──をあてており、「思想史」(intellectual history)という言葉は別のジャンルのために取っておかれている。ローティ曰く、精神史が「峰から峰へのスキップというレヴェル」に属するのに対して、思想史は「そこからもろもろの哲学史が育ってゆくような土台」である[★5]。過去の人びとの思想的な営みを山脈に見たてるとすれば、精神史は山頂のレヴェルに定位しており、思想史は山裾のレヴェルに定位している。
山裾のレヴェルに定位する思想史とは、しかし、具体的にはどういうものなのか。ローティは例として、エドワード・P・トムスンの『イングランド労働者階級の形成』(1963)やノーマン・フィアリングの『17世紀ハーヴァードの道徳哲学』(1981)を挙げている。ただ私としてはやはり、ジェニファー・ラトナー゠ローゼンハーゲンの『アメリカを作った思想──五〇〇年の歴史』(2019)を例として読者にお薦めしたい。歴史家の手になる同書は、アメリカ思想史の全体を簡潔かつ包括的に論じた画期的入門書であり、拙訳が2021年7月にちくま学芸文庫より刊行された。同書が語る歴史が「峰から峰へのスキップというレヴェル」には属していないことは、たとえば序論の以下の一節から伝わるだろう。
ヘーゲル研究者の川瀬和也は、哲学史研究は「歴史的意義とも、哲学的意義とも異なる、解釈としての固有の意義を志向している」と論じており、「解釈の最終目標」は先哲が著したテクストの「思想内容へのアクセス」を同時代人たちに保証することにあるとも主張している[★2]。要するに、わけがわからないと思われがちな哲学的テクストに「わけがわかる」解釈を施すことが哲学史研究者の仕事だ、というわけである。「先哲の思想内容へのアクセスを可能にする」ような解釈には(たとえ「哲学的真理も歴史的事実も明らかにしないような解釈」であったとしても)価値があるということが、川瀬の議論の前提になっている。「そしてこの価値は少なくとも部分的には、研究対象となる思想が持つ権威から生じている」[★3]。いまや多くの者にわけがわからないと思われている『精神現象学』を、なぜわざわざ解釈せねばならないのか──それは、川瀬によれば、ヘーゲルに権威があるからである。
現在を生きる私たちは、何に権威があり何にないかということについてある程度合意している。このことを、私たちは権威づけの構造をある程度共有していると言い換えてみよう。私たちは、『精神現象学』であれば「わけがわからなくてもがんばって読みつづけよう」と考えるかもしれないが、SNS上でたまたまリンクを踏んだブログ記事であれば、わけがわからないと感じた瞬間にその記事を閑却してしまうだろう。わけのわからないテクストは実は巷に溢れている。しかし、私たちの人生は有限なのだから、わけのわからないテクストと出会うたびに解釈の努力を精一杯傾けるというわけにはいかない。「わけのわからないテクストを読むのなら、せめて解釈の甲斐があるテクストであってほしい」と思うのは自然なことであり、権威づけの構造があるおかげで私たちは、わけのわからないブログ記事の解釈にではなく『精神現象学』の解釈にいっそうの努力を傾けるという判断を読むまえから下すことができる。
私はアメリカ思想史(American intellectual history)という領域を専門とする研究者であるけれども、「思想史」と言うと多くの者は、過去の哲学的テクストのうちどれに権威があるのかを教えてくれるガイドのようなものを想定するかもしれない。たとえば「18-19世紀ドイツ思想史」という見出しのもとにカント、フィヒテ、ヘーゲル、シェリングといった名前が並んでいるのを目にしたあとなら、「『精神現象学』を読みおえたら次はシェリングの『人間的自由の本質』(1809)を読む」という判断をあらかじめ形成することもできるだろう。こんなふうにガイドとしての機能を担う歴史は、哲学者リチャード・ローティの言葉を借りれば「どの書き手が『死せる偉大な哲学者』なのかを同定する責任を負う」歴史である[★4]。しかしこのジャンルの歴史にローティは “Geistesgeschichte” というドイツ語──文字どおり訳すと「精神史」──をあてており、「思想史」(intellectual history)という言葉は別のジャンルのために取っておかれている。ローティ曰く、精神史が「峰から峰へのスキップというレヴェル」に属するのに対して、思想史は「そこからもろもろの哲学史が育ってゆくような土台」である[★5]。過去の人びとの思想的な営みを山脈に見たてるとすれば、精神史は山頂のレヴェルに定位しており、思想史は山裾のレヴェルに定位している。
山裾のレヴェルに定位する思想史とは、しかし、具体的にはどういうものなのか。ローティは例として、エドワード・P・トムスンの『イングランド労働者階級の形成』(1963)やノーマン・フィアリングの『17世紀ハーヴァードの道徳哲学』(1981)を挙げている。ただ私としてはやはり、ジェニファー・ラトナー゠ローゼンハーゲンの『アメリカを作った思想──五〇〇年の歴史』(2019)を例として読者にお薦めしたい。歴史家の手になる同書は、アメリカ思想史の全体を簡潔かつ包括的に論じた画期的入門書であり、拙訳が2021年7月にちくま学芸文庫より刊行された。同書が語る歴史が「峰から峰へのスキップというレヴェル」には属していないことは、たとえば序論の以下の一節から伝わるだろう。
本書のストーリーは、一五世紀末におけるヨーロッパの探検者たちとアメリカ先住民とのファースト・コンタクトから始まり、こんにちのアメリカの思想的生まで語られてゆく。プロフェッショナルの思想家たちや洗練された議論や思想史上の古典が本書に登場するけれども、のみならず、キリスト教の平信徒たちや過度に単純化された議論や時事的な印刷物も登場する。これらはすべて、アメリカ人たちの知性の実に多種多様な源泉および表現を反映しているがゆえに本書で扱われるのである。[★6]
「思想史」が山裾のレヴェルに定位しているからと言って「古典」が視界から遠ざけられるわけではない。ローティが分類するところの “intellectual history” ──このフレーズに「思想史」という訳語をあてる理由を私は『アメリカを作った思想』の「訳者あとがき」で説明している──に従事する者が心がけなくてはならないのは、古典をおしなべて敬遠することではなく、古典には権威があり「時事的な印刷物」には権威がないという前提をいったん疑うことである。現象学ふうに言い換えれば、思想史家には、現在共有されている権威づけの構造を括弧に入れることが求められている。
ローティ曰く、「精神史の峰から峰へのスキップというレヴェル」から「思想史の基礎的現実」へひとたび下ると、「死せる哲学者たち」のうち誰が偉大で誰が偉大ではないのかという区別はしだいに重要性を失ってゆく[★7]。精神史は「死せる偉大な哲学者」が著した正典のリストを提示するけれども、このリストは、思想史が遂行する山裾のレヴェルの探究によって修正されたり棄却されたりすることがありうる。こうした思想史の効用をローティは、「思想史は、精神史が誠実〔honest〕でありつづけられるような仕方で働く」と表現している[★8]。またこれと似たことをラトナー゠ローゼンハーゲンは、「謙虚さ」という語を使って次のように述べている。
こんにちの我々がもっとも気にかけているものを、我々の先祖はばかばかしく思うかもしれない。そして、我々の先祖が焦眉の急と感じた事柄は、我々との関わりが薄いものになってしまっているかもしれない。なぜだろうか。これこそ、思想史が解こうとする問いである。答えを探すうちに我々は、いくばくかの認識的謙虚さ〔epistemic humility〕を身につける。それはたしかに我々をへりくだらせるが、しかし不思議なことに、我々を賦活したり我々の気品を高めたりもする。[★9]
現在共有されている権威づけの構造と過去に共有されていた権威づけの構造とは必ずしも一致しないし、これらふたつの構造は、過去と現在を見とおす歴史的視野において必要とされる権威づけの構造とも異なる。このことを肝に銘じるのが「認識的謙虚さを身につける」ための第一歩である。「いかなるソースも、たとえばテクストの余白への書き込みや雑誌の広告であっても、瑣末すぎるということはない」というラトナー゠ローゼンハーゲンの言葉が意味しているのも、思想史家は自分がいま有している権威づけの構造を括弧に入れたうえで史料と向きあわねばならないということである[★10]。これを身も蓋もなく言い換えるとこうなる──思想史家は、わけのわからないテクストを大量に、そこに解釈の甲斐があるのか否かがわからない状態のまま読みつづけなければならない。
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私は2020年1月に、『火星の旅人──パーシヴァル・ローエルと世紀転換期アメリカ思想史』という著書を青土社より上梓した。1855年にボストンの名家に生まれ、日本を旅して東アジア論を著したあと、天文学者へ転身し「火星には運河が存在する」と主張した──そんなパーシヴァル・ローエルの数奇な生涯を、拙著はアメリカ思想史という背景に照らしつつ論じている。ローエルがアリゾナのフラグスタッフに建てたローエル天文台はいまも現役の科学機関であり、そこにはローエルに関する史料が保管されているため、私は2018年4月末から5月初めまで同地で史料調査をおこなった。そのときに読んだ大量の草稿や書簡のなかには、わけがわからないとしか思えない文章もたくさん含まれていた。
私がアリゾナ州フラグスタッフまで行って読んだわけのわからないテクストのうちいくらかは、『火星の旅人』を完成させるまでの過程で「わけがわかる」ものになった。またいくらかは、現在においてもわけがわからないままである。しかしこうした判断は、『火星の旅人』を書き上げたあと(より正確に言えば、ローエルの生涯を思想史的に論じるうえで必要とされる権威づけの構造をひとまず組み立てたあと)でないと下せない。言い換えれば、ローエル天文台でどういうわけのわからなさと出会うのかを、そこへ行くまえから予測することはできない。可能性としては、ローエル天文台で待ちうけているわけのわからないテクストに、解釈の甲斐があるテクストがほとんど含まれていないという結果もありうる。
しかしだからと言って、ローエル研究に着手するか否かをローエル天文台に行ったあとで決めるというのは研究の現実的な進め方ではない。なぜなら、そもそもそこへ行くために金銭および時間を投資しなければならないからである。かくして私は、ローエル天文台でわけのわからないテクストを読んだり事前の想定を裏切る内容の史料を見つけたりするたびに、「俺はいま試されているぞ」と感じて身震いした。たくさん読んだわけのわからないテクストのうちなるべく多くを「わけがわかる」ものにするような解釈の枠組みを、いまはまだ築けていないけれども、未来の自分がきっと築いてくれるだろう──そんなふうに自分を信じられるかどうかを試されている気がしてスリルを覚えた、ということである。
こうした思想史的研究のスリルの一端を読者にも味わっていただくために、私は当初、ローエル天文台で出会ったわけのわからないテクストの実例をここで引用しようかと考えていた。しかし、文脈を長々と説明せずとも重要性が伝わる例がなかなか見あたらなかったため、いまはかわりに、私が最近読んだ広田照幸『陸軍将校の教育社会史──立身出世と天皇制』(1997)で引かれていた興味深い史料を紹介しておこう。
同書の狙いは、日本の戦前期の教育は天皇制イデオロギーを「内面化」させるものであったとか、かかる教育のゆえに戦時体制の担い手たちは「滅私奉公」の価値観を自らの意識の中核に据えていたといった従来の仮説を反証することにある。同書の主たる研究対象は陸軍将校であり、いま注目したい第Ⅱ部第四章第二節は、「一九二四(大正一三)年四月に東京陸軍幼年学校へ入校し、五〇名中一番の成績で卒業した、杉坂共之の日記をたどることで、三年間の陸幼教育の間に彼がどう変わっていったのかを検討」している[★11]。そして結果を先取りしてしまうと、このプライヴェートな日記をはじめとする将校生徒たちの文章の綿密な調査により、陸軍士官学校および陸軍幼年学校の教育のなかで「勉強の動機づけが、立身出世の野心に代わって『無私の奉公』になったわけではなく、献身イデオロギーの教え込みにもかかわらず、依然として個人的栄達・立身出世は彼らの勉強の目的であり続けた」ことが明らかになる。ここから、戦時体制の担い手たちの心情は「滅私奉公」ではなく「活私奉公」だった、という結論が導かれてゆく[★12]。
広田のこうした堅実かつ明晰な行論は実に見事なのだが、ともあれ、私が紹介したい史料は杉坂共之の1924年9月21日の日記である。広田によれば、15歳の杉坂はこの日、両親を訪問する予定を「雨具を持って出なかった」という理由で取りやめてしまい、両親に心配をかけてしまった。これは私たちからすれば「ごく些細なこと」に思われるけれども、杉坂少年からすれば奮然たる決意の契機であったことが、広田が引く日記の記述からわかる[★13]。
東幼会が所蔵する杉坂の日記の稿本をひととおり読んだはずの広田がこの箇所を引用したのは、第一に、ここに記録されている杉坂の決意が、陸軍幼年学校の3年間をとおして彼が経験した変化の初期の転換点だからである。また第二に、その変化が「個人(立身出世)-家(孝行)-国・天皇(奉公)の予定調和的な連関構造」[★15]に収まることを、杉坂の決意が示唆しているからである。そこまでは広田の議論から伝わるのだが、それでもやはり、「自分は今、野にはなたれたのだ。今より羽をのばして大空と戦うのだ」に関しては、正直なところわけがわからないと感じざるをえない。じじつ広田も、引用の直後に「若干意味が不明で、彼の心の中でどういう動きがあったのかわからないが、ともかく、彼は一生懸命勉強や運動に励んでゆく」と記している[★16]。
『陸軍将校の教育社会史』は1997年のサントリー学芸賞受賞作であり、2021年7月にちくま学芸文庫より再刊された(私が同書を読んだきっかけは、同書と『アメリカを作った思想』がちくま学芸文庫の2021年7月のラインナップに並んだことにあった)。「文庫版のためのまえがき」のなかで広田は、「ひたすら軍隊関係の史料を渉猟していた頃のことを思い出」しながらこう述べている。「私がやろうとしていた教育史や社会史では、当たり前に見える日常の些細な出来事や経験こそが重要になる。その観点からは、ごく平凡な史料の中に書かれた何げない記述や些細なエピソードが、何よりも重要になる」[★17]。この言葉は、さきほど引いたラトナー゠ローゼンハーゲンの「いかなるソースも〔…〕瑣末すぎるということはない」という言葉と響きあう。つまり私の考えでは、『陸軍将校の教育社会史』における広田の、「些細」とか「平凡」とかわけがわからないとか思われてしまいがちな史料を(現在の権威づけの構造によって退けるのではなく)より大きな枠組みに位置づけなおしてゆくという営みは、ラトナー゠ローゼンハーゲンが従事するところの(あるいはローティが分類するところの)「思想史」に包摂されうる。
いまいちど強調しておきたいのは、かかる思想史的研究が、わけのわからないテクストを大量に読むという作業をほぼ必ず伴うことである。杉坂少年の「自分は今、野にはなたれたのだ」は、おそらく広田が史料調査の過程で接したわけのわからなさのほんの一例にすぎず、『陸軍将校の教育社会史』に引用されることのなかったわけのわからないテクストを広田はきっとたくさん読んだのだろうと私は推測する。杉坂の日記の稿本を一頁ずつめくり、1924年9月21日の記述を読んで「わけがわからないけどどうやら重要そうだ」と感じつつ、この記述を適切に位置づけられるような解釈の枠組みを築くという期待を未来の自分に託す──こうした私の空想が広田の経験とどれほど合致するかはわからないが、少なくとも私は、これに類する経験をローエル天文台で得た。そのときに覚えた、自分がいま有している権威づけの構造を絶対視しないという「認識的謙虚さ」と表裏一体のスリルは、私にとっては思想史的研究の醍醐味である。
とりわけアメリカ思想史という領域はここ半世紀のあいだ(言うなれば)スリリングな謙虚さを志向しつづけているのだが、残念ながらこのことは日本であまり知られていない[★18]。おそらく、「思想史」という日本語を山頂のレヴェルに定位する精神史と同一視する傾向がいまだに強いためであろう。私としては、アメリカ思想史の最新の入門書であるラトナー゠ローゼンハーゲン『アメリカを作った思想』が日本で広く読まれ、「我々を賦活したり我々の気品を高めたりもする」ような「認識的謙虚さ」をもたらすというアメリカ思想史の効用をひとりでも多くの方に実感していただくことを心より願っている。
自分の心掛と注意が行きとゞかなかった為めに父母に迄心配をかけ実にすまないと悔いた。自分はこれから奮闘する。今日を忘れずに身を粉にくだいても立派な者になると決心した。男の決心は堅くなくてはならない。自分が成人して此の日記を見て微笑おもらす時が必ずあるであらうと期待する。大変今日は心をいためた。自分は今、野にはなたれたのだ。今より羽をのばして大空と戦うのだ。[★14]
東幼会が所蔵する杉坂の日記の稿本をひととおり読んだはずの広田がこの箇所を引用したのは、第一に、ここに記録されている杉坂の決意が、陸軍幼年学校の3年間をとおして彼が経験した変化の初期の転換点だからである。また第二に、その変化が「個人(立身出世)-家(孝行)-国・天皇(奉公)の予定調和的な連関構造」[★15]に収まることを、杉坂の決意が示唆しているからである。そこまでは広田の議論から伝わるのだが、それでもやはり、「自分は今、野にはなたれたのだ。今より羽をのばして大空と戦うのだ」に関しては、正直なところわけがわからないと感じざるをえない。じじつ広田も、引用の直後に「若干意味が不明で、彼の心の中でどういう動きがあったのかわからないが、ともかく、彼は一生懸命勉強や運動に励んでゆく」と記している[★16]。
『陸軍将校の教育社会史』は1997年のサントリー学芸賞受賞作であり、2021年7月にちくま学芸文庫より再刊された(私が同書を読んだきっかけは、同書と『アメリカを作った思想』がちくま学芸文庫の2021年7月のラインナップに並んだことにあった)。「文庫版のためのまえがき」のなかで広田は、「ひたすら軍隊関係の史料を渉猟していた頃のことを思い出」しながらこう述べている。「私がやろうとしていた教育史や社会史では、当たり前に見える日常の些細な出来事や経験こそが重要になる。その観点からは、ごく平凡な史料の中に書かれた何げない記述や些細なエピソードが、何よりも重要になる」[★17]。この言葉は、さきほど引いたラトナー゠ローゼンハーゲンの「いかなるソースも〔…〕瑣末すぎるということはない」という言葉と響きあう。つまり私の考えでは、『陸軍将校の教育社会史』における広田の、「些細」とか「平凡」とかわけがわからないとか思われてしまいがちな史料を(現在の権威づけの構造によって退けるのではなく)より大きな枠組みに位置づけなおしてゆくという営みは、ラトナー゠ローゼンハーゲンが従事するところの(あるいはローティが分類するところの)「思想史」に包摂されうる。
いまいちど強調しておきたいのは、かかる思想史的研究が、わけのわからないテクストを大量に読むという作業をほぼ必ず伴うことである。杉坂少年の「自分は今、野にはなたれたのだ」は、おそらく広田が史料調査の過程で接したわけのわからなさのほんの一例にすぎず、『陸軍将校の教育社会史』に引用されることのなかったわけのわからないテクストを広田はきっとたくさん読んだのだろうと私は推測する。杉坂の日記の稿本を一頁ずつめくり、1924年9月21日の記述を読んで「わけがわからないけどどうやら重要そうだ」と感じつつ、この記述を適切に位置づけられるような解釈の枠組みを築くという期待を未来の自分に託す──こうした私の空想が広田の経験とどれほど合致するかはわからないが、少なくとも私は、これに類する経験をローエル天文台で得た。そのときに覚えた、自分がいま有している権威づけの構造を絶対視しないという「認識的謙虚さ」と表裏一体のスリルは、私にとっては思想史的研究の醍醐味である。
とりわけアメリカ思想史という領域はここ半世紀のあいだ(言うなれば)スリリングな謙虚さを志向しつづけているのだが、残念ながらこのことは日本であまり知られていない[★18]。おそらく、「思想史」という日本語を山頂のレヴェルに定位する精神史と同一視する傾向がいまだに強いためであろう。私としては、アメリカ思想史の最新の入門書であるラトナー゠ローゼンハーゲン『アメリカを作った思想』が日本で広く読まれ、「我々を賦活したり我々の気品を高めたりもする」ような「認識的謙虚さ」をもたらすというアメリカ思想史の効用をひとりでも多くの方に実感していただくことを心より願っている。
★1 G・W・F・ヘーゲル『精神現象学』上巻、熊野純彦訳、ちくま学芸文庫、2018年、140頁。原文の強調は引用において再現しなかった。
★2 川瀬和也「哲学史研究は哲学研究でも歴史研究でもない」、『フィルカル』第5巻第3号、ミュー、2020年12月、199、209頁。
★3 同論文、209頁。
★4 Richard Rorty, “The Historiography of Philosophy: Four Genres,” in Truth and Progress: Philosophical Papers, Volume 3 (Cambridge: Cambridge University Press, 1998), 260; 邦訳「哲学史の記述法──四つのジャンル」、冨田恭彦訳『連帯と自由の哲学──二元論の幻想を超えて』所収、岩波書店、1999年、129頁。引用は既訳から変更させていただいた。以下同様。
★5 Ibid., 269-70; 邦訳、147、149頁。
★6 ジェニファー・ラトナー゠ローゼンハーゲン『アメリカを作った思想──五〇〇年の歴史』、入江哲朗訳、ちくま学芸文庫、2021年、22-23頁。
★7 Rorty, “Historiography of Philosophy,” 269; 邦訳、147頁。 ★8 Ibid., 270; 邦訳、150頁。亀甲括弧〔 〕内の補足は引用者によるものである。以下同様。 ★9 『アメリカを作った思想──五〇〇年の歴史』、27頁。 ★10 同書、21頁。 ★11 広田照幸『陸軍将校の教育社会史──立身出世と天皇制』下巻、ちくま学芸文庫、2021年、56頁。 ★12 同書、244-245頁。 ★13 同書、60頁。 ★14 同前より再引用。 ★15 同書、237頁。 ★16 同書、60頁。 ★17 『陸軍将校の教育社会史──立身出世と天皇制』上巻、3-5頁。 ★18 アメリカ思想史という領域がここ半世紀のあいだに辿った歴史に関しては、以下の拙稿を参照のこと。入江哲朗「訳者解説 アメリカ思想史の一分野としてのアメリカ哲学史」、ブルース・ククリック著、大厩諒ほか訳『アメリカ哲学史──一七二〇年から二〇〇〇年まで』所収、勁草書房、2020年、411-427頁。
入江哲朗
1988年生まれ。アメリカ思想史、映画批評。東京大学大学院博士後期課程修了。博士(学術)。日本学術振興会特別研究員PD。著書に『火星の旅人――パーシヴァル・ローエルと世紀転換期アメリカ思想史』(青土社、2020年)、『オーバー・ザ・シネマ 映画「超」討議』(共著、石岡良治+三浦哲哉編、フィルムアート社、2018年)など、訳書にブルース・ククリック著『アメリカ哲学史――一七二〇年から二〇〇〇年まで』(大厩諒+入江哲朗+岩下弘史+岸本智典訳、勁草書房、2020年)など。