イスラエルの日常、ときどき非日常(3) 共通体験としての兵役(2)|山森みか

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初出:2021年12月24日刊行『ゲンロンβ68』
 これまで、現在のイスラエルに住んでいる人々には様々な集団が存在することを紹介してきた。マジョリティであるユダヤ人以外に、アラブ人(キリスト教徒、イスラム教徒)、ベドウィンやドゥルーズ教徒といった属性の人たちがいる。またユダヤ人といっても超正統派、保守派、世俗派等のグループに分かれており、それぞれ考え方や生活様式が異なっている。世俗派ユダヤ人のグループ内で生きていても、父親がユダヤ人で母親が非ユダヤ人の場合はユダヤ人とは認められない。

 これらの細分化されたグループに属する人々を一つの共同体として結び付けるものに、男女共に課された徴兵制がある(男性約3年、女性約2年)。もっとも、国民皆兵とは言いながら、アラブ人やユダヤ教超正統派は、原則として兵役には就かない。このような状況にあるイスラエル社会においては、たとえユダヤ人であっても兵役に就いていない場合は自分たちの仲間とは見なされにくいし、非ユダヤ人であっても兵役経験者は共同体の完全な一員と見なされる側面がある。イスラエルにおいて、兵役は共同体を維持するための要の一つであると言っていい。

 



 では具体的に、イスラエルで徴兵され兵役に就くとはどういうことなのか。私の息子は1988年生まれ、娘は1994年生まれである。息子が生まれた時「この子が大きくなる頃には徴兵制がなくなっているといいね」と言う人たちがいた。だが、1958年生まれの夫によれば「自分が生まれた時にもそう言われていたらしい」とのことである。これはこの地に生きる人々が長年抱いている希望なのだろう。

 その一方で、イスラエルの人口の多くを構成するユダヤ人にとって、自分たちの軍隊を持つことは積年の望みであった。1945年の敗戦を経た日本においては、軍国主義であった過去を反省し、軍備を持たず戦争を放棄することが、平穏な生活を取り戻し、平和を維持するために不可欠な道だと考えられた。それに対してユダヤ人は、自分たちは抵抗するための武力を持っていなかったが故にホロコーストで殺されたという認識なので、自前の軍隊と国家を持つことが悲願だったのである。戦没者記念日などのメディアには、強制収容所で衣服を脱がされたり、着衣であっても俯いたりしているホロコースト時代のユダヤ人女性の姿と、完全軍装で胸を張って闊歩するイスラエル国防軍女性兵士を対比する写真がしばしば掲載される。戦後日本において、女性の裸体像に平和と生命の象徴というイメージが付与されていったのとは対照的に、現代イスラエルでは完全武装の女性兵士の姿こそが、力強い生の象徴と受け止められているのである。

 日本とのこの感覚の懸隔はなかなか埋めがたい。また徴兵制による軍隊というと、日本ではどうしても旧日本軍のイメージで捉えられてしまう。もちろん軍隊である以上、旧日本軍と共通する点も多々あるだろうが、とはいえイスラエルの軍隊にはなかなかユニークな面もある。

 前回も述べたとおり、私自身は兵役に就いたことがない。だが一家4人のうち私を除く3人が兵役に就いていたので、その経験から得た私の考えをこの機会に述べてみたい。ただ兵役については様々なケースがあり、人によって全く異なる経験や受け止め方があるので、あくまで個別の例として理解していただきたい。
 
【図1】駅プラットフォームで歓談する男女の兵士たち(2021年)

高校時代まで


 徴兵年齢は男女共に18歳なのだが、16歳半ばになると、軍でどの部署に行くのかの適性選抜が始まる。ただし彼らの人生にいきなり徴兵制が現れてくるわけではなく、兵役を視野に入れた、ある種のナショナリズムの涵養に通じる教育は、それ以前の義務教育期間から始まっている。私が知っているのは主として世俗派ユダヤ人が住んでいる地域の公立世俗派学校のケースだが、それはイスラエルでは多数派に属する人が通う性格の学校である★1

 そこでの歴史教育は、日本のように「日本史」と「世界史」が分かれているわけではなく、「歴史」という一つの科目の中で自国を含めた世界の歴史を学んでいく。一貫しているのは、古代イスラエルから始まり、古代イスラエルが滅んでからは離散したユダヤ人の歴史、そして現代イスラエル国ができる過程と現在、という視点である。バランスが取れているかと問われれば、首を傾げざるを得ない側面はある。だがしかし、バランスが取れた中立的な歴史教育というものが果たして存在し得るのかという疑問もある。

 イスラエル人は、世界の主流である西欧的視点に対する懐疑を常に持っている。たとえば邦訳も出ているイスラエルの古典的な歴史教科書の「ルネサンス」の項では、ミケランジェロのモーセ像の写真と共に「下の写真は、ルネサンス期の彫刻家ミケランジェロの作品、ユダヤ人のラビ=モーセ像である。あなたがモーセ像を想像する場合、このような姿を想像するか」という問いが立てられ、西欧キリスト教文化がいかに古代ユダヤ史やユダヤ人を西欧的イメージ及び視点で解釈してきたかが示される★2

 この地において人々は「私たちの視点から見ればこうだ」と、独自の立場に立っていることを隠さない。それは偏った視点であることは間違いなかろう。だがそうすることで、自分たちの視点も、自分たち以外の視点も、ある意味で相対化しているとも言える。万人が受け入れられる中立的な視点というものがない以上、自分たちと同様、他者もまた彼ら自身の視点に立っている、というかたちでしか、他者の立場の正当性についての理解はできないのではないかとも思えるからである。

「歴史」の科目が始まるのは小学校の中学年だが、子どもたちは既に小学2年生から「聖書」の授業で創世記からモーセ五書を読み始めている。モーセ五書とはトーラー(律法)とも呼ばれ、ヘブライ語聖書の冒頭に置かれた創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の五つの書で、モーセが書いたという伝承がある。天地創造、ノアの洪水、アブラハムに始まる族長物語、出エジプトと荒野放浪など、現代においてはそのまま史実とは受け取りがたい内容が含まれている。もちろん「聖書」の授業においても聖書の記述がそのまま史実として捉えられているわけではない。だがすべてが虚構だとされているわけでもなく、その辺りは曖昧なまま、担当教員と受け取る子どもたち個人の判断に任されているという印象を受けた。授業にかなり教員の個性が反映されるのは、資料に基づいた史実を教える「歴史」でも同様である。イスラエルでは、起きた出来事を通時的に追うという年表暗記方式ではなく、あるテーマを徹底的に様々な角度から掘り下げるという姿勢で教えられることが多い。だからテーマの設定方法に、教員の個性が色濃く出るのだった。

 もう一つイスラエルの教育課程で特筆すべきなのは、高校2年生の時のポーランド研修旅行である。参加はあくまで任意だが、学校単位で編成されたグループが10日ぐらいの日程でアウシュビッツ等を訪れ、ホロコーストについて学ぶ。実際に旅行に出るまでの数か月、生徒たちはホロコーストについて予習して入念な準備をする。私が住む地域では、この旅行に参加する条件として地域社会でのボランティア活動が一定時間課せられた。

山森みか

大阪府生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。著書『古代イスラエルにおけるレビびと像』、『「乳と蜜の流れる地」から――非日常の国イスラエルにおける日常生活』、『ヘブライ語のかたち』等。テルアビブ大学東アジア学科日本語主任。
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