自然発生的な祭壇と震災モニュメント──東日本大震災後の公共空間における「宗教的な形」の役割|君島彩子

初出:2022年3月28日刊行『ゲンロンβ71』

 2022年3月11日で東日本大震災から11年が経った。毎年この時期は震災に関する報道が増え、未曾有と言われた災害の記憶が思い出される。しかし東日本大震災から10年を待たずして新型コロナウィルス感染症が流行、2年が経過した現在も終息が見えない状況が続いている。「復興五輪」となる予定だったオリンピック・パラリンピックも被災地に注目が集まることなく終了した。そしてウクライナにおける戦争のニュースとともに迎えた11年目の震災の日には、震災による犠牲者の冥福だけでなく世界平和が祈られたとの報道も見られた。

 振り返ってみると、わずか11年のあいだに多くの出来事があった。熊本の震災や御岳山の噴火、さらには豪雨など毎年のように自然災害によって多く人々の命が奪われている。次々と起こる災害や事件のニュースを見ていると、東日本大震災の記憶は風化してしまうのではないだろうかと感じることもある。だが津波の被害が激しかった海岸線には新たに防潮堤や防災緑地が作られるとともに、震災の記憶を継承するための施設、そして慰霊碑や彫刻などのモニュメントが建設されている。

 時間経過とともに記憶は忘却され続ける。だからこそ重大な出来事を後世へ伝えるため、何らかの形で記憶を残そうとモニュメントが建立されるのだ。震災後、100年以上前の津波到達の碑が各地に残されていることが注目された。津波到達の碑のように震災に関するモニュメントのなかには100年後の人々に津波や震災について伝えるものがあるかもしれない。

 モニュメントとは?

 筆者は2021年、『観音像とは何か──平和モニュメントの近・現代』という博士論文をもとにした書籍を出版した。仏像は古いものという印象が強いが、同書では、近代以降に西洋から導入された彫刻やモニュメント概念と結びつくことで、観音像が「平和モニュメント」として新たな役割を担ったことを明らかにしている。大学院に進学した直後に東日本大震災を経験した筆者にとって、被災地における調査の経験がモニュメント研究の原点となった。特に福島県いわき市では継続して調査をおこなうことで、震災後、モニュメントが建立されるまでの状況を知ることができた★1。震災から11年がたった今、自身のモニュメント研究の原点でもある、いわき市の震災モニュメントの調査を振り返りつつ、モニュメントが形成される過程、そしてモニュメントにおける宗教的イメージについて考えてみたいと思う。

 モニュメント(Monument)は原義的に「思い出されるもの」を意味し、様々な出来事を歴史的・社会的に永久に記録するために建立される建造物である。モニュメントは文献資料のように詳細に歴史的記録を伝えるものではないいが、多数の人々の目に触れることで特定の集団における記憶と結びつき、「集合的記憶」を構成するものとなる★2。さらに日本では、モニュメントの役割として死者の慰霊が重視され、社会的機能においても宗教性をもつものと認識されてきた★3。戦争や自然災害などの甚大な被害があった際に、その事実が忘れられることがないように、そして犠牲者を慰霊するために、モニュメントが建立されてきた。

 モニュメントの素材には石やブロンズが使用されることが多く、その強固な物質性からも恒久性が期待されていることがわかるだろう。だが実際に個別のモニュメントを追ってみると、短期間に移動したり碑文が改変されたりすることで意味が変っているものも存在している。さらにアジア太平洋戦争関連の慰霊碑などでもすでに消滅しているものもあり、モニュメントの恒久性は過信するべきではないだろう。

 また、大規模な戦災や自然災害では復興事業が優先されることもあり、モニュメントの建立が数年から数十年の時間が経ってからになることも多い。モニュメントの建立理由という一過性の側面だけでなく、それが形成されるまでの過程、そして完成後の変化についても調査することで、なぜ人はモニュメントを必要としているのか、そしてモニュメントに願われた祈りの一端が明らかになるではないだろうか。

 いわき市の海岸線上では、石やブロンズによる恒久的なモニュメントが建立される前に仮設の祭壇が存在していたため、これらの祭壇についてもモニュメントの前段階として検討の対象とする。特に、日本ではモニュメントが宗教性をもつと認識されるとされているため、モニュメントと「宗教」がどのように関わるのか検討してみたい。

 久之浜と薄磯における自然発生的な祭壇

 誰かが不慮の死を遂げた現場を示すために、人々が感情に衝き動かされて設けた一時的な記念建造物を、ジャック・サンティーノは「自然発生的な祭壇」(Spontaneous Shrines)と名付けている★4。通常、自然発生的な祭壇は、宗教的な像、花やロウソク、個人的な思い出の品やメッセージからなるとされ、交通事故やテロなど様々な事件のなかで死者を追悼するために作られる。日本においても、2019年の京都アニメーションの放火事件現場に多くの花やメッセージが置かれていたことは比較的記憶に新しいだろう。死者に対する追悼において、「自発的な意志の表現」が集まることで祭壇のような空間が作られる。多くの場合、祭壇が作られる場所は故人が最後に生きていた場所であり、祭壇に残されたメッセージは死者とのコミュニケーションともなり得る。

 自然発生的な祭壇は仮設的であるがゆえに長く存在するものではない。手向けられた花束も数日経てば枯れてしまい、紙に書かれたメッセージや折り鶴なども雨風に晒されれば現状を保つことができない。ところが東日本大震災後の海岸線においては、卒塔婆を中心に、花束や紙に比べれば耐久性の高いものが置かれることで、自然発生的な祭壇が1年以上の長期間にわたり存続していた。津波によって大きな被害を受けたいわき市の久之浜地区と薄磯地区の海岸線沿いでは、自然発生的な祭壇が形成され、維持されていた。久之浜でも薄磯でも、震災後、大規模な護岸工事がおこなわれ、現在は完了している。共に、この工事の開始される前、そして工事中に祭壇が作られていた。断片的ではあるが、2つの場所の祭壇の変化を追ってみたい。

 まず、久之浜の祭壇を紹介しよう。久ノ浜では護岸工事に伴い、祭壇が海岸付近で数回移動し、その規模も変化している。2011年7月頃にはすでに、久之浜の防波堤に沿うように卒塔婆や花束などが集中的に置かれ、自然発生的な祭壇となる場所が形成されていた。そのなかには「南妙法蓮華経」と題目の書かれた小さな石も供えられていた。聞き取りによってこの石を置いたのは近隣の日蓮宗寺院の信徒と分かっている。

 2012年3月には、場所を少し横に移動し、夏頃には防波堤の段差部分を利用して、花を植えたプランターが設置され祭壇は大型化した【写真1】。聞き取りによるとプランターを設置したのはキリスト教関係者であり、花が植えられるだけでなく、プランター内には小さな天使の像も置かれていた。また卒塔婆や線香を手向ける香炉が置かれるほか、千羽鶴や飲み物、花束なども供えられている。卒塔婆の宗派も複数であり、題目の書かれた石や天使の像が置かれていることから、異なる宗教・宗派の人々がこの祭壇を祈りの場としていたと理解できる。

写真1
 

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1980年、東京都生まれ。総合研究大学院大学文化科学研究科博士後期課程修了。博士(学術)。現在、日本学術振興会特別研究員。物質宗教論、宗教美術史を専門とする。
学位論文「平和祈念信仰における観音像の研究」が第15回国際宗教研究所賞・奨励賞受賞。論文に「大阪万博の平和観音――共生運動の超宗派的展開」(『近代仏教』22号)、「平和モニュメントと観音像――長崎市平和公園内の彫像における信仰と形象」(『宗教と社会』第24号)、「現代のマリア観音と戦争死者慰霊」(中外日報社、第15回涙骨賞)、共著に『万博学――万国博覧会という、世界を把握する方法』(思文閣出版)など。

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