文化歴史のループから抜け出せる...

歴史のループから抜け出せるか──「ホー・ツーニェン 百鬼夜行」展後記|能勢陽子

初出:2022年5月30日刊行『ゲンロンβ73』

 前回、「妖怪と戦争──『ホー・ツーニェン 百鬼夜行』展開催に寄せて」と題してここに原稿を執筆したのは、展覧会の準備が佳境を迎えていた開幕1ヶ月前、今からおよそ半年前だった。

 ふつう展覧会の1ヶ月前というと、アトリエで制作を行う作家やすでに鬼籍に入っている作家の場合は、出品リストができあがっていて、作品の借用に回っている頃である。しかし、全展示室が一つの大掛かりな新作となるホー・ツーニェンの個展は、2年前から作家とともに調査を始め、半年前から本格的な制作に入っていたとはいえ、オープン1ヶ月前でもまだ映像の細部までは見えていなかった。コロナ感染症のために渡航制限があるなかで来日してくれた作家が、10日にわたる隔離期間中のホテルで、そして設営中の展示室でも制作を続けて、なんとか展覧会をオープンすることができたのである。

 作品がすべて新作の場合は、賭けのような不安はあるものの、作品が立ち上がる場を作家と共有できることは、何よりの醍醐味である。あいちトリエンナーレ2019の豊田市内の旧旅館で展開した「旅館アポリア」、そして2021年春に山口情報芸術センターで開催した「ヴォイス・オブ・ヴォイド──虚無の声」に続き、シンガポール出身の作家が、第二次世界大戦中の日本についての詳細なリサーチを経て、3年間にわたり新作を制作し続けたことは、意義のあることだったのではないかと改めて思う。展覧会が終了して3ヶ月が経とうとする今、前回の執筆時には見えていなかったことや、会期中に見聞きした反応なども踏まえ、あれこれと考えたことについて書いておきたい。

「加害」と「被害」

 展覧会会期中、ホー・ツーニェンともう一人のアジア人作家についての、ある小さなオンライン勉強会に参加していた。その会には、研究者や批評家、キュレーター、美術作家等が加わっていた。非公開ということもあり、気楽に発言することのできる、風通しの良い場であった。

 その初回のこと。私が、「この展覧会では加害と被害という枠組みを超えて考えたい」と話したとき、ある参加者から、「日本人であるキュレーターがそんなふうに言ってはいけないのではないか」と問われた。その声には、幾分怒りも混じっているようであった。おそらく同様の反応は、どこでも起こりうるだろう。

 戦後77年が過ぎた今でも、公立美術館が大戦期の日本の問題を扱うのは難しい。それは、アジア、特に東アジアにおいて未だ解決しておらず、これからも容易に解決されそうもない「加害」と「被害」の問題が、常に伴うからである。特に日本により植民地にされたシンガポールの作家が大戦期の日本を扱うとなると、この問題は避けられないし、当然作品にも含まれてくる。

 しかし、ともに制作を進めるなかで作家から受け取ったのは、過去の日本の帝国主義を批判したいということではなかった。作品には、誤解を招きかねない、意味を宙づりにするかのような表現も敢えて含まれていた。会期中、鑑賞者の多くは、過去の日本の罪を突きつけられていると感じ、内省するようであった。しかしそれとは逆に、「大東亜共栄圏」というものを正当化することになるのではないかと、訝しがる鑑賞者もわずかながらいた。

 ホーの作品は、強烈な映像や音響を伴い、観る者の情動を強く揺さぶる。鑑賞者は、まるで映画や演劇を見ているように、戦争の時代を生きた人々の物語に没入する。しかし私たちは、物語に喚起される感情に身を委ねすぎてはいけないのではないか。ホーの作品は、展示室ごとにスクリーンの立て方や投影法が異なる構造のなかで展開していく。それぞれの物語は、その構造のなかで特定の輪郭に留まることなく、重なり揺らぎ続ける。映像は、アニメーションならではのどんな想像や創造も可能にする変幻自在さで、本来は目に見えないはずのものの不気味で滑稽な姿を見せるのだ。

 ホーの作品では、登場人物たちの物語と、人を超えて駆動するかのような世界の構造の間から、捉えがたい戦争の姿が朧げに浮かび上がってくる。戦争は、国の政治や政策、覇権の推移、世界と自国の経済の均衡や、国のアイデンティティを規定する歴史が複雑に絡み合う構造のなかから生じるものだからだ。

妖怪と日本・近代・戦争

 ホー・ツーニェン版百鬼夜行は、日本人の夢により紡がれる。手前のスクリーンに映し出される過去から未来までの眠る日本人の姿を透かして、妖怪たちの百鬼夜行が展開する。そこは夢の世界だから、戦争というものが、人間に似ながら醜悪さや残忍さ、滑稽さが際立つ妖怪の姿になって現れる【図1】。

 妖怪は現在、アニメやマンガの分野で跳梁跋扈しており、今や日本文化の象徴として海外でも広く受容されている。それでも、ホーから妖怪たちの百鬼夜行を扱いたいと聞いたときには驚いた。

 しかし調べてみると、妖怪は日本というネイションの成立やその後の歴史を、現在にいたるまで極めてよく体現する存在であることがわかった。民俗学者のマイケル・ディラン・フォスターは、日本というネイションを妖怪を通して考察した『日本妖怪考』のなかで、「どの時代においても妖怪はネイションに取り憑く亡霊であり、より広い国民ナショナル=文化的パラダイムを捉えるための、驚くほど鮮烈なメタファー」であると語る★1。妖怪は、政治的・文化的な大転換期であった近代日本の複雑さを、殊に鮮明に映し出す。
 

図1
 

 近代の妖怪と聞いてまず思い出すのは、哲学者であり「妖怪博士」とも呼ばれた井上円了(1858-1919年)★2と、民俗学者の柳田國男(1875-1962年)だろう。円了は、日本が西洋に比肩しうる近代国家になるためには、迷信を合理的に解明しなければいけないとの理由から、妖怪を徹底的に研究したあと、これを排除した。対して柳田は、今にも失われようとしている「日本的なるもの」を留めるノスタルジックな形象として、妖怪を記録に残すことに務めた。妖怪は、合理化のために排除されると同時に、それ以前を留めるものとして保存されたのであった。それは正反対のことのようで、どちらも日本人の集合的同一性の形成に結びついていた。

 妖怪に深く関わったこの二人の人物そのものからも、日本の近代が透けて見えてくる。円了が、西洋の科学知識によって妖怪を退けようとしたのは、国家主義的立場からの啓蒙活動のためであった。円了は、海外渡航が容易ではなかった明治期に3度にわたる世界視察を敢行しており、1902年には中国経由でシンガポールにも寄港している。それらの旅の目的は、世界のなかの日本の行く末を見定めることにあった。

 他方、柳田が戦中に「大東亜民俗学」なるものを構想していたことは、今でも議論になるところである。しかし円了と違い、戦中、戦後も生きた柳田からは、より複雑な姿が見えてくる。「文明社会の民間に残存してゐる原始的文化の研究」を目的としていたはずの民俗学は、戦中には「民族精神」の根幹をなす「日本的なもの」の把握を目指さなければならなくなった。柳田は、「大東亜共栄圏の諸民族の間に何か共通した題目はないかといふことを見附け出すのに苦心してきた」と語るが、その柳田の目指す「大東亜民俗学」は、各国に固有の民俗学を探る一国民俗学、比較民俗学であり、それにより文化圏の統一を図ろうとするものではなかった★3。しかし、アジア圏の文化的な共通性は、「汎アジア民族主義」に繋がるものであった。戦後柳田は、特に社会科と国語の教育政策に取り組み、民衆の判断力を養成するための教育の重要性を説いた★4

 その柳田は、『幽冥談』のなかで、「戦乱がある間際になると非常に天狗が暴れる」と記している★5

人ならざるものへ

 ホーが作り出した新しい百鬼夜行では、妖怪たちは闇から現れ、山から陸を通って川や海を渡り、古めかしい民家を過ぎると街並みが見えてきて、やがて高層ビルが立ち並ぶ光景にいたる。その時空間は、絵巻物のように過去から未来へと展開していくが、妖怪たちの行列はそれに囚われないかのように左から右へと逆行し、夜明けとともに消滅する。

 行列は、闇に網を投げかける土蜘蛛から始まっている【図2】。土蜘蛛は、大和朝廷に抗した地方の豪族に対する蔑称であったが、時を経るにつれて妖怪として知られるようになった。だいだらぼっちは、山や湖を造ったとされる国造りの巨人である。白澤はくたくや鳳凰、九尾の狐【図3】、雲外鏡といった妖怪たちは、中国から伝わったものだ。そして西洋文化が流入する頃には、ドラキュラが空を舞い始める。つまりこの行列は、日本というネイションの成立とその歴史的、文化的展開を、時系列に沿って描き出しているのだ。

 

図2
 
図3
 

 登場するのは、妖怪やモンスターだけではない。近代が近づいてくると、人の姿も混じるようになる。

 地域の神社を統合し、中央集権を確立しようとした神社合祀令に抗して反対運動を起こした博物学者・民俗学者の南方熊楠(1867-1941年)★6は、自らが研究していた粘菌になる。先述の井上円了は、迷信をはびこらせて国家の近代化を妨げるとして戒めた「迷信の細菌」に、自ら変貌する。

 ほかにも、京都学派の祖・西田幾多郎(1870-1945年)と親しく、同じく戦中の軍国主義との関わりが議論される鈴木大拙(1870-1966年)★7は、妖怪の総大将と目されるが捉えどころのない、ぬらりひょんとして現れる【図4】。戦中の日本とシンガポールで「マラヤの虎」と呼ばれた山下奉文ともゆき大将(1885-1946年)と、60年代の人気ヒーロー番組「怪傑ハリマオ」のモデルになった谷豊(1911-1942年)は、人虎になる【図5】。そして、二人の周囲で暗躍したスパイたちは、あらゆる武術に秀で、人をそそのかすといわれた天狗になるのである。

 現代に近づいてくると、作家の創作による妖怪たちが登場する。多民族が結合して一体になった「ミスター・ワールド」や、マイケル・ジャクソンをモデルにした「マン・イン・ザ・ミラー」、また東南アジアに進出した80年代の日本の経済発展を象徴する「ミスター・ウォークマン」【図6】など、ふつう妖怪とは見做されないようなものたちがそぞろ歩く。そして、鉄鼠てっそは資料を食べて歴史の忘却を引き起こし、塗壁ぬりかべは過去への見えない障害物になる。

 
図4
 
図5
 
図6
 

 最後に登場するのは、特撮映画「宇宙人東京に現わる」(1956年)で岡本太郎がデザインしたパイラ星人と、「新世紀エヴァンゲリオン」に登場する第10使徒サハクィエルを思わせる「目と星」である。パイラ星人は地球の核開発を止めるために来訪した宇宙人であり、サハクィエルは旧約聖書では七大天使のひとりであり、「神の創意」を意味する。高度に発達した未来都市を背景にこの最後の妖怪が現れると、世界は粉々に砕け始める。そしてしばらくするとまた、闇のなかから妖怪が現れるのである。

 ホーの百鬼夜行の行列のなかでは、人は妖怪へ、また動物へ、人ならざるものへと変容する。

 神話の世界では、人がなにか別のものに変身するとき、人を超えた異能を得る代わりに、しばしば人の心を忘れてしまう。ホーはその神話的構図にユーモラスな引用や置き換えを施して、百鬼夜行の行列を流動性や不確定性が生まれる場に変える。小さな紗幕に映し出される眠る日本人の過去から未来までの姿と、それを透かして大きなスクリーンに展開する百鬼夜行は、2層の像の組み合わせにより、いくらでも多様な歴史が紡ぎ出されそうである。

 つぎの展示室では、百鬼夜行に登場した36の妖怪と戦中の人物についての具体的な物語が展開する。提灯お化けの灯りが消えた後に現れるのは、先ほどまで妖怪たちを見ていたはずの人々の姿である。鏡のスクリーンは、そこに映し出されていた妖怪たちが、実は私たち日本人の精神の反映であったことを知らせる【図7】。
 

図7

空の器としてのスパイ

 さらに進んだ展示室では、第二次世界大戦下のシンガポールで、山下奉文大将と怪傑ハリマオの周囲で暗躍したスパイたちの物語が、まるで映画のように展開することになる。

 これまでにもホーの作品には、東南アジアで活躍したスパイが登場してきた。スパイは、頭(宗主国)を挿げ替えられ身体(領土)を乗っ取られた、東南アジアの歴史にも重なる存在であった★8。本展でも、多くの日本人スパイたちが現れる。

 マレー育ちの盗賊の谷豊は、土地勘を活かしてイギリス軍を後方で撹乱する諜報員であった。その谷を軍に引き入れたのは特務機関F機関であり、「F」は機関長の藤原、アジアの民の「フリーダム」、そしてアジアの民との「フレンドシップ」 の頭文字から採られていた。

 さらにF機関には、戦中に諜報員養成のため設立された陸軍中野学校の出身者が配属されていた。その中野学校のモットーは、「諜報は誠なり」である。列強に比べてスパイの育成が遅れていた日本では、目的のために手段を選ばない外国流の謀略ではなく、アジアの人々のために活躍する、道義ある秘密戦士の育成が謳われていた。

 本展では、先行するホーの日本を扱った2作品に登場してきた京都学派の哲学者たちが、F機関や中野学校出身のスパイたちに変わっている。竹内好の語る、「大東亜戦争は、植民地侵略戦争であると同時に、対帝国主義の戦争だった」★9という京都学派のアポリアは、F機関や中野学校が掲げる理念にも通じていた。それは、高邁な理想と植民地の現実が乖離した、複雑に絡んで解きほぐすことのできない矛盾そのものであったのだ。

 作中のスパイたちは、みな顔のない「のっぺらぼう」として登場し、百鬼夜行の行列にもスーツを着た「のっぺらぼう」の集団として参列している【図8】。スパイたちは、まるでアバターのように、時や状況に合わせていくらでも中身を入れ替えることができそうである。
 

図8

「絶対悪」と「絶対善」

 ところでそこには、「絶対悪」と呼ばれた悪名高き軍人の辻政信(1902-1961年以降消息不明)★10が現れ、小説「ビルマの竪琴」の水島上等兵にシームレスに移り変わる場面がある【図9-1】【図9-2】。これは前回の原稿にも書いた。

 辻は戦争犯罪の追求から逃れるため、水島は収容所に戻らず日本兵を弔い続けるために、偽の僧侶に化けて逃走した。辻はその後秘密裏に帰国するまで、中国に潜入して蒋介石の国民党政権の軍事戦略に携わるスパイになった。

 辻は、1942年にシンガポールで起きた「華僑粛清事件」★11の先導者であった。同地出身の作家にとっては、肯定的に描くのは難しい人物のはずである。その辻が、作品では黄色の僧衣に身を包み、肩に青いオウムを載せた水島上等兵になって、竪琴を奏でながら涙を流している。竪琴のきれいな音色も手伝って、そのシーンにはやさしい情感さえ溢れている。
 

図9-1
 
図9-2
 

 前回の原稿で、私は「それはまさに善悪が絡み合う、人間が持つ複雑さそのものである。戦場では、ごくごく普通の人でも、やがて悪に変容してしまう」と書いた。しかしこのイメージは、その後もしばらく収まりがつかないまま、私のなかで宙ぶらりんになっていた。この場面も、水島上等兵の存在も、フィクションであることはわかっている。それでもこのイメージは、どこかで引っかかり続けていた。そこにシンガポールの作家の「許し」を読み取るのも、おそらく違うだろう。作家は作品全般にわたって、そうした主観的な判断を与えるのを避けているからである。

 そこで私は、小学校の高学年以来久しぶりに、小説『ビルマの竪琴』を読んでみることにした。それは確かに、日本が近代化とともに陥った戦争への過ちが綴られた、反戦文学であった。水島上等兵が戦友たちと別れる場面に、再び感動を覚えもした。

 しかし、その水島上等兵がビルマやその地の人々について語る場面に、個別性を無視した、類型化されたエキゾチシズムがあることに気がついた。

ビルマは平和な国です。弱くまずしいけれども、ここにあるのは、花と、音楽と、あきらめと、日光と、仏様と、微笑と……。★12

 どうやら水島は日本兵しか埋葬していないようだし、現地の人々の暮らしにもリアルな眼差しを向けてはいない。水島を慕って付き随う現地の少年も、まるでオウムと同じ、飾りのようである。児童文学とはいえ、そこには同じアジアの人々という視線が欠如した、ある偽善があった。

 しばしば物語は、そうした偽善により現実を覆い隠してしまう。それは、実際の戦争を語る際にも同じように作用して、現実を見誤らせることがある。私の子ども心に「絶対善」としてのイメージを強く刻み込んだ水島上等兵が、「絶対悪」であるはずの辻政信に変わることに、私は無意識的に抵抗していたのではなかったか。

 しかしどんなときにも、視点が違えば、異なる現実は複数ある。水島と辻の間にさえ、完全に二分できない、互いに変容しうるグラデーションがあるのである。「善」と「悪」を孕んだ僧のイメージは、中国との戦争を道徳的な行為であるとした、ぬらりひょんとしての鈴木大拙とも重なり、「不殺生戒」を唱える仏教が戦争を支える矛盾に思いを至らせる。

 作中に登場するすべての顔のないスパイたちは、戦争のような特殊な状況のなかで、超越的に安定した個人の同一性などあり得るのだろうかという問いを投げかける。環境条件の変化によって、「私」は移り変わる。本展では、時代的な限界を汲み取って当時の文脈に寄り添うのでも、断罪するのか免罪するのかと現代の地平から裁くのでもない。ある時代、ある人間の身体に表れた矛盾そのものを、まずは自身に重ねてみることを促す。

 このスパイの章では、展示室の中央に吊られたスクリーンの裏面から実写映像が、表面からアニメーションが投影され、それらが重なりずれて揺れ続ける。スクリーンはスパイの身体そのもののように、虚実が入り混じる媒体になる。

エージェンシーとしてのスパイ

 それでは、スパイたちはただ受動的なだけの虚しい存在なのだろうか。スパイの物語の最後には、その応答とも取れるような二人の人物が登場する。

 一人は陸軍中野学校でゲリラ戦を学び、フィリピンで山下大将の軍情報部付きとなった小野田寛郎である★13。小野田は、敗戦後29年もの間ジャングルで潜伏生活をして、独り諜報活動を続けた。

 もう一人は、シンガポール攻略直前のジャングルで山下の護衛兵を務めた佐々木賢一である★14。佐々木は収容所に入る命令に背き、終戦後もマラヤ共産党とともに山に篭って、マレー独立のためにイギリス軍と戦った【図10】。

「軍国主義の亡霊」と呼ばれた小野田は、1974年にかつての上官がフィリピンに赴き、山下大将の名で任務解除命令を下すまで、投降しようとはしなかった。対して、生涯ほぼ無名であった佐々木は、あくまでアジアの国を植民地から解放するため、国に背いて自ら戦う道を選んだ。
 

図10
 

 終戦時、佐々木のように現地に残って戦った者がいたが、彼らを英雄視しようというのではない。しかしこの二人の人物は、興味深い対比を見せる。小野田が「できる限り生きて任務を遂行するのが中野魂である」との教えを胸に、どこまでも国や機関の命令に従ったのに対して、佐々木は自ら決断し、マレー独立後も1960年にシンガポールに日本領事館ができるまで素性を隠して東南アジアを転々とし、その後もシンガポールで暮らした。

 スパイのなかには、出自である共同体に従いつつ、異なる文化や環境に順応していくうちに、自ずと多元的、複合的な存在になる者も出てくる。そして、国や機関に完全に属した無私の存在であったはずの者が、いつしか「私」を獲得して共同体から逃れ、自らの道を歩み始める。スパイ(=エージェント)は、国と国の狭間や民族的・文化的他者との関わりのなかで、流動的に変容して密かに世界に作用する「エージェンシー(行為主体)」になる可能性を秘めているのである。★15

歴史のループからいかに逃れるか

 最後の展示室では、山下奉文大将と怪傑ハリマオこと谷豊の二人の「マレーの虎」を軸にした虎の物語が展開することになる。

 アジアの広域にわたって生息した虎は、しばしばアジアの象徴として扱われるが、日本には古来より虎は生存していなかった。そのため日本における虎は、まるで妖怪のように、アジアから伝播するイメージと空想の混淆により独自に変遷してきた。本展では、13世紀の牧谿から19世紀半ばの北斎の、室町から本物の虎が連れてこられる江戸中期までの絵画における虎が、マレーシアの影絵芝居のような動きで変容していく【図11】。戦争の時代になると、日本統治下のシンガポールで最高軍政顧問となった「虎狩りの殿様」こと徳川義親や、2人の「マレーの虎」が登場し、虎は強さの象徴になる。日本が武力でなく経済力でアジアに進出した戦後には、現代のアニメやマンガのなかの虎が登場し、消費の欲望のなかで変身する、空想と混沌が入り混じった姿を見せている【図12】。ファンタジーとしての現代の虎は、戦争に対する日本の精神的・時間的な距離が遠くなったことを示しているが、そこには繰り返しつぎの言葉が流れる──「虎は蘇る」。
 

図11
 
図12
 

 ホー・ツーニェンの「百鬼夜行」では、過去から未来へと絵巻物のように流れる歴史的な時空間に、妖怪=魔が侵入して逆行し、終わらない循環を描く。そこには、古代の先住民である土蜘蛛、居眠りする高校生、宙に静止する未来の少女、そして終極の妖怪「目と星」が、何度も繰り返し現れる。その行列は、過去のものでも、現在のものでも、さらには未来のものでもある。作品は、現実と虚構の間で揺れながら未来に向けて投げかけられ、いくつものあり得た可能性を想起させながら、過去に向けて遡行するのだ。

 妖怪たちは、時代とともに異種混交を繰り返しながら、ネイションに取り憑く亡霊である。「日本的なもの」を核に秘めた、気味悪く、しかしどこか懐かしい妖怪たちが、恐ろしくて目に見えないはずの戦争の姿を顕わにする。それは確かに、日本の歴史に基づいた、私たち日本人に向けて投げかけられた問いである。

 しかしホーの百鬼夜行は、また21世紀になった今も戦争が起こる状況に対し、日本の歴史というのに留まらない構造を垣間見せるものにもなっている。

 グローバリズムの到来により、私たちはこれからますます加速度的に世界が均質になっていくと考えていた。ところが、その時代の波に逆らうように、均質化に抗う力が現れてくる。それはまるで大きな物語が復活して、再び20世紀前半に戻ってしまったかのような錯覚を抱かせる。

 2022年現在のロシアとウクライナ間の戦争に対し、幾人かの識者が第二次世界大戦時の日本の状況に準えて語っている。近代に遅れて参入し、その超克を目指した20世紀の日本と21世紀のロシアには、構造的に似ているところがあるという。乗松亨平氏は、早くも2017年の「敗者の(ポスト)モダン」(『ゲンロン6』)で、こう述べる。

ロシアの全人類がいかに唯一無二のものか、ドストエフスキーが執拗に強調するにもかかわらず、西欧近代へのアンチテーゼであるほかないがゆえに、敗北を勝利へ反転させようとする敗者たちの論理は似通ってしまう。全一的帝国のイメージは、京都学派の大東亜共栄圏構想、たとえば三木清の東亜共同体の哲学を、容易に連想させるだろう。★16

 ホーは本作品に先立つ2作、特に「ヴォイス・オブ・ヴォイド」において、京都学派と三木清について詳細に扱っていた。「百鬼夜行」には、京都学派の哲学者たちは登場しないものの、陸軍中野学校やF機関のスパイたち、また鈴木大拙等が、同じ精神構造を示している。京都学派は、西欧の近代主義や資本主義に対して、東洋ならではの人間のあり方や価値規範を打ち出そうとした。しかし結局、反植民地主義的道徳に基づいていたはずの思想は、その反対に戦争を支えることに繋がってしまった。この京都学派の思想が、現在のロシアのユーラシア主義に重なるところがあるというのである。

 日本の歴史を映し出す百鬼夜行の妖怪たちが生むループを眺めるとき、歴史の反復が脳裏に浮かぶ。過去の植民地支配のアンチとしての汎民族主義はありえるのだろうか。非西欧圏の諸民族の連帯が、多様で広大な空間を繋ぐことはできるのだろうか。それともそれは反欧米化に繋がり、先鋭化を招いてしまうのだろうか。伝統や文化の独自性を守ることは重要である。しかしその固辞は、閉鎖性を生むのだろうか。

 闇を練り歩く妖怪たちは、国や国民、伝統といったアイデンティティのよりしろであり、また戦争の元凶となる魔でもある。私たちは、歴史のループを抜けて、先に進むことはできるのだろうか。

 史実を扱いながら、引用や置き換えによりちぐはぐでユーモラスな感じを生み出すホー・ツーニェンの百鬼夜行は、古いものや伝統を愛でつつも、フェイク的な虚構性によりそれを軽やかに無化する。この「百鬼夜行」を、過去のある地点の日本のこととしてだけでなく、世界におけるいくつものローカルの型として眺めることもできるのではないだろうか。

 

図版=「ホー・ツーニェン 百鬼夜行」展(2021年)より。豊田市美術館提供
撮影=ToLoLo Studio(図1、2、3、4、7、9-2、10、11、12)

 

★1 マイケル・ディラン・フォスター『日本妖怪考──百鬼夜行から水木しげるまで』、廣田龍平訳、森話社、2017年、53頁。
★2 井上円了(1858-1919年)は仏教哲学者、啓蒙主義者。哲学館(現東洋大学)を設立したことで知られる。
★3 坂野徹「第七章 大東亜共栄圏と人類学者」、『帝国日本と人類学者一八八四-一九五二年』、勁草書房、2005年。
★4 同書「第八章 エピローグ」。
★5 柳田國男『幽冥談──文豪怪談傑作集』、筑摩書房、2007年。
★6 南方熊楠(1867-1941年)は生物学者、博物学者、自然保護運動家、民俗学者。特に粘菌の研究で世界的に知られている。
★7 鈴木大拙(1870-1966年)は、仏教学者、禅者。日本語で書くときは鈴木大拙、英語で書くときはD.T.Suzukiの名で、日本さらには東洋文化の可能性を禅に集約して、国内および米国を中心に広めた。ジョン・ケージら実験音楽家や現代美術家にも影響を与えたが、日本の軍国主義との関係については批判もある。
★8 ホー・ツーニェンの映像作品《名の無い人》(2015年)および演劇作品《神秘のライ・テク》(2019年)は、戦前、戦中期にマラヤ共産党の書記長を務めながら、フランス、イギリス、日本の三重スパイであったライ・テク(1901-1947年)を主題にしている。
★9 河上徹太郎、竹内好『近代の超克』、富山房、1979年、306頁。
★10 終戦時、辻政信はタイのバンコクから逃亡して中国の重慶で国民党政権に匿われ、1948年に密かに帰国し、国内に潜伏する。1950年に戦犯指定が解かれ、逃走中のことを記した『潜行三千里』がベストセラーになる。その後1952年に衆議院選挙に出馬し、当選する。1961年に東南アジアの視察に出掛けたまま消息を絶った。
★11 1942年2月から3月にかけて、日本軍が占領統治を行っていたシンガポールで、現地の中国系住民を多数殺害した事件。辻政信は、このほかにもノモンハン事件(1939年)やバターン死の行進(1942年)の責任者であるとされる。
★12 竹山道雄『ビルマの竪琴』、新潮社、1959年。
★13 小野田寛郎(1922-2014年)は、陸軍軍人、実業家。小野田は、いよいよ本土決戦を視野に入れなければならなくなった1944年に、軍が本土で敵軍を迎え撃つためのゲリラ部隊の養成を中野学校に指示した時期の卒業生であった。
★14 佐々木健一(1919-2000年)は、陸軍軍人、元暗号解読者、実業家。英領マレーの独立後、東南アジアを転々とし、夫人の姓を名乗って中国人として暮らした。1960年にシンガポールに日本領事館が再置された際に素性を明かし、15年の隠密生活を終えた。その後はシンガポールで戦跡を訪れる戦友会のために旅行会社を経営した。
★15 哲学者・人類学者・社会学者のブリュノ・ラトゥールらが提唱した人間と人間以外のものを含むあらゆる連関を網の目のように包括するアクターネットワーク理論において、「エージェンシー」は「行為者性」を意味する。
★16 乗松亨平「敗者の(ポスト)モダン」、『ゲンロン6』、ゲンロン、2017年、63頁。
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豊田市美術館学芸員、あいちトリエンナーレ2019キュレーター。岡山生まれ。同志社大学文学部文化学科美学及び芸術学修士課程修了。これまで企画したおもな展覧会に、「テーマ展 中原浩大」(豊田市美術館、2001年)、「ガーデンズ」(豊田市美術館、2006年)、「Blooming:日本-ブラジル きみのいるところ」(豊田市美術館、2008年)、「Twist and Shout Contemporary Art from Japan」(バンコク・アート&カルチャーセンター、2009年、国際交流基金主催・共同企画)、「石上純也-建築の新しい大きさ」展(豊田市美術館、2010年)、「反重力」展(豊田市美術館、2013年)、「杉戸洋-こっぱとあまつぶ」展(豊田市美術館、2016年)、「ビルディング・ロマンス」(豊田市美術館、2018年)、あいちトリエンナーレ2019(豊田市・名古屋市、2019年)。美術手帖、WEBマガジンartscape等にも多数執筆。

1コメント

  1. ゲンロンカフェの「アジアにおいて芸術と哲学とはなにか」はすごく良かったです。そのイベント内容を補うようになっている本記事は大変参考になりました。井上円了が妖怪博士と言われていたのは知っていましたが、日本の近代化のために妖怪を排除の対象としてみていたことは知りませんでした。柳田國男が「大東亜民俗学」なるものを考えていたことも驚きです。
    戦前日本の登場人物たちを、単純に断罪したり肯定したりせずに、単純な人物像に回収されることなく、理解をしていくということは、難しい事ですが、必要な事かと思われます。記事の中に触れているロシアだけでなく、ウクライナについても同様の事がいえるのではないでしょうか。

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