ひろがりアジア(10) ベニガオザルの社会から考える「平和」|豊田有

初出:2022年6月24日刊行『ゲンロンβ74』

 私は2015年からタイ王国で野生のベニガオザルの研究をしています。ベニガオザルは、日本人に馴染み深いニホンザルと同じ分類群であるオナガザル科マカク属に分類されるサルです。西はインド北東部、北は中国南西部、東はベトナム、南はマレーシア北部まで、生息域自体はアジア全域に広く分布していますが、近年は森林伐採や土地開拓によって数少ない生息域が消滅・分断化されてしまい、一部地域では絶滅の危機に瀕しています。日本の動物園ではほとんど飼育されていないので、その実物を見たことがある、あるいはその存在を知っている人は非常に少ないことでしょう。

 真っ赤な顔に黒い斑点模様があるその風貌から、何やら恐ろしいサルであるという印象を持つかもしれません。しかしながら、おどろおどろしい見た目に反して性格は非常に温和で、社会的知性に富んだ暮らしをしています。本稿では、ベニガオザルの暮らしぶりから学ぶべき「平和」について、考えてみたいと思います。

 

【写真1】ベニガオザルのオス

「平和」探求のための「攻撃性」研究

「平和」をテーマに原稿を書くことになっていろいろと考えた時に、ふと気がついたことがあります。それは、我々は「平和」という言葉を聞くと、真っ先に「戦争や紛争がない状態」のことを思い浮かべる、ということです。

 しかし改めて考えると、「平和」とは極めて抽象的な概念です。この状態は、客観的な指標によって定義づけることができません。一般的なイメージであるところの戦争や紛争がないという条件は、その構成要件に不可欠かもしれませんが、仮に戦争がなかったとしても、人々がどういう状態の時に世の中が「平和」であると感じるかどうかには大きな振れ幅があります。本稿で平和がすべて括弧付きで表記されているのはそのためです。また、特に近代戦争について考える時には、国家間の政治的要素を抜きにして、人類生態学的に考察することは不可能です。よって、学問的に「平和」について考える場合、その対極的な状態、つまり「平和」ならざる状態を引き起こす根源たる “攻撃性” の起源に主な関心が向けられる傾向があります。

 霊長類学的な観点から考えると、 “攻撃性の起源” の探求に関する研究にはいくつものアプローチがあり、初期人類における武器使用と暴力性を考察する人類学的研究から、その進化的基盤を明らかにするために霊長類の攻撃行動を調べる動物行動学的研究に至るまで、多岐に渡ります。ヒトはなぜ他者を傷つけるのか、攻撃的な衝動はなぜ生じるのか、異なる共同体同士はなぜ争うのか……攻撃性の起源とメカニズムを知ることができれば、それを排除することもできるかもしれないと願うのは、自然なことです。

 

【写真2】ベニガオザルのオスの犬歯。犬歯は動物にとって重要な武器のひとつ
 

 しかしながら、そして残念なことに、どれだけ攻撃性に関する生物学的知見が蓄積されたとしても、人類から “攻撃性” を取り除くことは不可能でしょう。あらゆる生物は、生活空間や食物、繁殖相手など、様々な有限なる資源を巡って競争しています。その競争において常に相手より劣位であれば、生き残ることは難しいからです。本能としての攻撃性は、個体ないし集団が、資源を巡って競合他者に対し優位に立とうとする傾向を意味します。攻撃性はヒトに限らずあらゆる動物に備わっており、それは個体が自然環境の中で生存するために不可欠な防衛能力のひとつです。本来、攻撃性そのものには、善と悪の区別はありません。

霊長類の和解行動

 ここで、もうひとつ重要な視点があります。それは、攻撃性を取り除く方法を考えるのではなく、それを制御する方法を考えればよい、という視点です。霊長類学の世界的権威であるフランス・ドゥ・ヴァール(Frans de Waal)は、著書 Peacemaking among Primates(邦題は『仲直り戦術』)★1において、平和共存の原理を探る目的から一貫してこの視点を中心に据え、霊長類の行動を記載しています。

 この本の中で焦点が当てられているのは、「和解行動」と呼ばれる行動です。多くの個体が集団を形成して暮らしている霊長類において、食物資源や繁殖資源を巡る仲間との競合は避けては通れません。和解行動は、その競合の結果として生じる攻撃的交渉(ケンカなど)が起きたあとで、自分なり他者なりが受けたダメージを修復し、事態のさらなるエスカレーションを阻止するための行動です。

 霊長類で見られる和解行動は、攻撃的交渉によって生じた社会的・生理的ストレスの即時緩和が主な機能です。その結果として起こるのは、ヒトで見られるような謝罪と赦しによって成立する長期的な関係の修復ではなく、もう少し短期的な視座に立った個体間関係の修復ですが、それでも集団全体が安定的な社会を運用する上で不可欠な行動であることは間違いありません。

 和解行動に関する研究の始まりは、アフリカ大型類人猿のチンパンジーの観察からでした。チンパンジーは系統分類上、我々ヒトに最も近縁な動物であるために、ヒトの進化的起源の探求を命題に掲げる霊長類学においては中心的な研究対象です。

 チンパンジーは、近縁種のボノボと比較して、その攻撃的な側面に焦点が当たることがあります。チンパンジーにおける長年に渡る研究の中で、オス同士が社会的な地位を巡って高度な政治的駆け引きをし、その過程でまれに仲間を殺害する事例が報告されています。また集団間の関係は敵対的であることが多く、縄張りを巡る争いが相手集団の個体の殺害にまで発展することもあります。こうした同種他個体の殺害というのは、よほどの理由がない限り進化しにくい行動です(例外的に「子殺し行動」など、生態学的に合理性が説明可能な同種他個体殺しはありますが★2)。チンパンジーで見られるこのような苛烈な攻撃行動は、 “攻撃性を制御する能力を欠いている” 存在たるヒト★3が示す殺人やジェノサイドといった攻撃行動と類似していることから、ヒトの攻撃性の起源を語る際にはしばしば、個々の事例にまつわる逸話が引き合いに出されることがあります。

 一方で、チンパンジーは常に攻撃的な態度を示すわけではないことも事実です。ドゥ・ヴァールは1975年の冬に、オランダのアーネム動物園で飼育されているチンパンジー集団の中で、激しいケンカで争ったオスとメスの2頭が、直後にお互いにキスをし、抱き合う行動を観察しました。これが、霊長類における和解行動の研究の着想に至ったきっかけであったと記しています★4。こうした行動は、攻撃的行動の発現に関わる要因(例えば脳内の神経基盤や内分泌的要因、環境や社会的要因など)を探る研究が主流であった中で、見過ごされてきたものでした。

専制主義のサルと平等主義のサル──それぞれの和解行動

 そろそろ本題へ移ります。ドゥ・ヴァールは先出の著書の中で、2種の大型類人猿、比較対象としての2種のマカク属サル、そしてヒトの5種における和解行動をまとめました。そのマカク属サルの例として登場しているのが、アカゲザルとベニガオザルです。

 マカク属サルの社会性は、社会的順位関係の厳しさを指標に分類すると2つのタイプに分けることができます。順位関係が非常に厳格な専制主義的社会と、順位関係が曖昧な平等主義的社会です★5。アカゲザルは専制主義的社会の、そしてベニガオザルは平等主義的社会の典型種です。マカク属サルの例としてアカゲザルとベニガオザルが挙げられた理由はここにあります。順位関係の認識が全く異なる2種において、観察される和解行動の特徴を比較できるからです。

 社会性が異なるということは、攻撃的交渉の発現の仕方、ひいては和解のあり方に大きな影響を与えます。アカゲザルのように順位関係が非常に厳格な専制主義的社会では、個体間の順位関係は家系単位で明確に定められています。集団全体の中で、自分(あるいは自分の家系)の順位が何番目なのかがはっきりしているのです。この明確な優劣関係は、階級社会のような狭苦しい制度にも見えますが、実は無用な争いを避ける社会的機構として機能しています。

 というのも、体格が大きいかどうかという身体的強弱に関わらず、社会的順位によって優劣が決まっているために、優位者に威嚇されたら劣位者側は速やかにその場を離れることが最善策となります。劣位者が優位者に対して「敵意がない」という服従の意思を示す特有の表情まで発達させていたりします。ひとたび劣位者が優位者に反撃を企てようものなら、徹底的に打ちのめされます。つまり、ほとんどの場合、ケンカは始まる前からすでに勝敗が決しているのです。

 こうした専制主義的な社会性をもつ種では、当然ながら和解行動は極めてわかりにくい形で起こります。それは例えば、ついさっきケンカをしたばかりの優位な者と劣位な者が再び鉢合わせた時、優位な者がそれ以上威嚇も攻撃もせずに通り過ぎる、あるいは何事もなかったかのように隣に座る、という形で現れます★6。和解行動というよりは、むしろ宥和行動と表現するほうが正確かもしれません。

 

【写真3】アカゲザルと同様の専制主義的社会をもつカニクイザルで見られる、服従の意思を示す表情「グリメイス」
 

 他方のベニガオザルは、社会的順位関係が非常に曖昧な、平等主義的社会をもっています。「平等主義」と聞くと、それは平和的で良いことであるかのように思えるかもしれません。しかしながらそこでは、専制主義的な社会のように、社会的順位の明確化による無用な争いの抑止が機能しません。ベニガオザルは、相手が自分より優位であるか否かに基づく個体間関係を構築していないので、当然ながら相手に威嚇されたら威嚇し返します。叩かれたら叩き返すし、噛まれたら噛み返します。先出のアカゲザルと違って、攻撃的交渉の場面において、被攻撃者からの反撃行動が見られるのです。よって、ケンカが頻発します。平等主義という言葉が連想させる平和的な社会とは正反対の、 “やられたらやり返す” 社会です。

 そういう社会で暮らしているからこそ、ベニガオザルには明示的な和解行動が発達しています。ケンカが起きてしまった際、それが激しい攻撃行動にエスカレートする前に、なんとか事を収めようとしているのです。そして興味深いことに、ベニガオザルで見られる和解行動は、他の平等主義的社会をもつ近縁種よりも遥かに多様性に富んでいるのです。

ベニガオザルで見られる和解行動

 ここからは、私が実際にタイ王国でおこなってきた長期観察の事例をご紹介します。先述のとおり順位関係が曖昧なベニガオザルでは、専制主義的社会をもつサルたちと比べて高頻度でケンカが起こります。普段の生活で起きるケンカはほとんどの場合、些細なことがきっかけの小競り合いのようなものです。例えば、自分の顔の前を通りかかったとか、急に隣に座ってきたとかで、観察している私から見たら単に虫の居所が悪かっただけではないかと思うこともあります。

 誰かがケンカを始めると、周囲の個体が野次馬のように様子を見に来ます。反撃の応酬が長引くとケンカの火種があちこちに飛び火し、もともと関係なかった個体までもがケンカに参入してくることもあります。こうなってくると、もはや誰と誰が何を巡ってケンカをしているのか、観察者には見当もつきません。社会的優劣がはっきりしないために、お互いに引き際がよくわからないのです。

 ベニガオザルの和解行動は、こうした些細なケンカの場面でよく観察されます。先程まで叩きあっていた個体同士が急に静まり、片方がスッと腕をさしだします。すると、相手はその腕や手を噛むのです。噛む、といっても、力を込めて噛んでいるわけではありません。噛まれたことによって怪我をすることはありません。やんわりと、甘噛をするのです。

 

【写真4】相手の腕を噛むベニガオザルのメス
 

 腕を噛む以外にも、相手の肩に手を回したり、唇を噛んだり、相手の顔を覗き込んだり、歯をカチカチ鳴らす表情を示したりと、いろいろなタイプの和解行動があります。

 オス同士であれば、相手の睾丸を握ったり噛んだりする行動も見られます。オスにとって、睾丸は繁殖に不可欠な生殖器官なので、失うわけにはいきません。しかしオスたちは、あえてその大切な睾丸を相手に委ねることで、自分に敵意がないことや、相手を信頼していることを示しているのかもしれません。2頭のオス同士がお互いの睾丸を握り合っている様子は、傍目には同性愛的行動に見えなくもないのですが、これもれっきとした和解行動のひとつです。こうした行動によって、ケンカを一旦手打ちにして、それ以上事態がエスカレートするのを未然に防いでいるのです。

【写真5】相手の睾丸を噛むベニガオザルのオス

子どもという「平和」維持装置

 ベニガオザルのケンカは多くの場合、こうした和解行動によって終止符が打たれます。しかしながら、メスを巡るオスたちの闘争のような重要な場面では、激しいケンカに発展することもあります。和解行動でも収められないケンカに発展してしまった時に、ベニガオザルたちにはもうひとつ、いわば奥の手とも言えるような、事態を収束させる手段があります。そこに不可欠な存在が、子どもです。

 ベニガオザルの子どもは、マカク属のサルでは珍しいことに、真っ白な毛色で生まれてきます。おとなは茶褐色から黒色の毛色をしているので、何も知らなければ、アルビノの子どもが生まれたと勘違いするでしょう。しかしそれは突然変異でもなんでもなく、すべての子どもに共通する特徴です。真っ白い毛色で生まれてきた子どもは、生後1年くらいをかけて、徐々におとなの毛色になっていきます。

 

【写真6】生後2-3週間のベニガオザルの子ども
 

 ベニガオザルの子どもがなぜこんな真っ白い毛色で生まれてくるのか、その進化的な理由は未だに解明されていません。しかし、ベニガオザルの社会では、この真っ白い子どもは非常に重要な役割を担っています。それが、個体間の緊張状態を解消する、「緩衝剤」としての役割です。

 オス同士が激しいケンカを始めると、場は騒然とします。何頭ものオスが群れの中心で暴れまわり、噛み合ったり取っ組み合ったりします。一方が和解を申し入れることもありますが、こうした場面では無視されてしまうことがほとんどです。そうしてオスたちが激しく威嚇し攻撃し合っていると、どこからともなく子どもがフラフラとやってきて、殺気立ったオスたちに近づいていきます。真っ白い子どもを見たオスたちは、おもむろに攻撃の手を止めて、子どもを抱きかかえます。抱きかかえられた子どもは特に抵抗したりしません。子どもを抱えたオスのもとには他個体が次々とやってきて、子どもを一緒に触るという社会交渉をおこないます。そうこうしているうちに、ケンカは自然と収まっていくのです。子どもは、見事にオスたちの苛立ちを吸収し、集団内に漂う緊張状態を緩和し、攻撃性を中和してしまうのです。

 

【写真7】ケンカの仲裁をしているベニガオザルの子ども
 

 もちろんすべてのケンカにおいて、子どもによる仲裁が見られるわけではありません。しかし、一方が致命傷を負うまでに発展するような、稀にしか起きない激しい争いが抑止されていることは間違いないでしょう。こうした仲裁役を担えるのは、毛の色が白い子どものみです。成長して毛色がだんだんおとなと同じ茶褐色になってくると、仲裁役を担うことはなくなります。もしかしたらこの子ども特有の白い毛色は、オスの攻撃性を抑止する重要な機能を持っているのではないかと、私は考えています。

他者を思いやるベニガオザル

 こうした和解行動や子どもによるケンカの仲裁行動を観察していると、ベニガオザルは個体間関係を柔軟に調整する能力が非常に長けているサルであるという印象を持ちます。そしてその能力の片鱗は、ケンカ以外の場面での様々な行動からも見て取ることが出来ます。

 私がその能力を一番良く反映していると感じる行動のひとつに、怪我した個体に対する「お見舞い」行動があります。集団の中に怪我をして血を流している個体がいると、ひっきりなしにいろいろな個体がやってきて、傷口を舐めてあげたり、毛についた血の塊を毛づくろいでせっせと取り除いてあげたりするのです。この行動は、負傷した個体とお見舞いに来る個体の間に血縁関係がなくても見られ、若い子どもでもこの行動をとります。傷口を舐められている個体は、痛さで顔をしかめることもありますが、相手を無下に追い払ったりすることはありません。ベニガオザルには、他者の身体的苦痛に共感する能力があるのではないかと思うのです。

 

【写真8】別の個体が腰のあたりに負った怪我の様子を “診る” ベニガオザル
 

 また、何らかの理由で子どもが死亡してしまった際にも、この「お見舞い」行動とよく似た反応が見られます。霊長類では、まだ母親の世話が必要な年齢の乳児が死亡してしまった時に、母親が子の亡骸を数日間に渡って運び続ける、「死児運搬」と呼ばれる行動が広く見られます。ベニガオザルで死児運搬の事例を観察していると、運ばれている死児のもとにいろいろな個体がやってきては、横たわる亡骸の様子をしげしげと眺めてみたり、体を動かしてみたりする行動が見られます。

 珍しいことに私の観察では、まるで亡骸を検分するかのように、口を開けてみたり、舌を引っ張り出してみたりするという反応や、母親ではなく死児の年長の兄が運搬役を担うという事例も確認したことがあります。サルたちに「死」という概念があるかどうかは議論の余地がありますが、少なくとも、 “ただ事ならぬ状況である” ことは理解しているようです。ベニガオザルたちが、同じ群れの仲間の異変に気づき、常に関心を寄せて相手を気遣っていることを示しています。

 

【写真9】死んだ子どもの様子を見に来た群れの仲間たち
 

 ベニガオザルがもつ平等主義的社会は、我々人間がその文字面から想像するほど、「平和」な社会ではありません。しかしながらサルたちは、個体間に生じた軋轢や社会的ストレスを解消するための様々な手段を発達させることで、集団の安定化を図っています。その根幹を支えているのは、他者に対する高い共感能力なのかもしれません。

ヒトにおける攻撃性と「平和」実現の鍵

 では、我々ヒトの場合はどうでしょうか。日本の霊長類学者・西田利貞は、著書『人間性はどこから来たか』の中で、攻撃性についてヒトにしか見られないユニークな特徴をまとめています★7。それによると、我々ヒトでは、「自分たち」と「彼らたち」という、集団間の峻別がはっきりしています。「自分たち」の仲間を殺すことは犯罪ですが、「彼らたち」の誰かを殺すことは時に称賛の対象となります(例えば戦争など)。「彼らたち」に対する敵意は、特定のシンボルや言葉によって煽られ増幅されます。増大した敵意は、過去に起きた出来事に紐付けられ、憎悪と復讐心を生みます。その先にあるのが、大量殺戮や戦争なのです。こうした争いは新たな憎悪と復讐心を生み、負の連鎖が延々と続いていくことは、人類の紛争の歴史が物語っています。こうした争いの連鎖は、言語を持たず、世代間にまたがる記憶の継承がなされない動物では起こり得ないものです★8

 戦争の歴史を振り返ると、その多くが、人口増加に伴う資源の不足分を他集団からの収奪によって補おうとすることが原因で起きています。そしてその傾向は、今現在、地球上で起きている紛争や戦争とも共通しています。人間が活動をしていく上で必要となる資源が地球上に万遍なく均一に存在しているわけではない以上、戦争が生じる根本原因を解決することは難しいかもしれません。であるならば、我々は、不断の努力によって、「彼らたち」の集団に対する敵意や憎悪を増大させるメカニズムを抑制し、攻撃性をコントロールしなければならないと言えるでしょう。

 平和共存原理を考える上で、我々ヒトにはもうひとつ、希望とも言うべき、特徴的な能力があります。それは、見知らぬ相手に対する高い「許容性」です。一見すると、「自分たち」と「彼らたち」という集団間の峻別と矛盾するかのように聞こえるかもしれません。では、東京の満員電車を想像してみてください。あるいは、お昼休み時間のエレベーター内でもよいでしょう。狭い限られた空間に、様々な人がギュウギュウ詰めになっていますが、だからといって争いが起きることがあるでしょうか。もしこれを、異なる地域からバラバラに連れてきたベニガオザルで再現してみたら、たちまちケンカになってしまうことでしょう。

 満員電車の中では、「すみません、降ります」と言えば、みんなが道を開けてくれます。混雑したエレベーター内では、「何階ですか?」と聞いてくれる人がいるはずです。我々ヒトは、見知らぬ他者に対しても高い許容性を示し、時には協力的に振る舞う能力も有しているのです。ヒトにおける和解行動が「謝罪」と「赦し」によって成立する背景にも、この高い許容性が一役買っています。だからこそ我々人間は、大規模集団になっても、規律ある社会を維持し、共通の課題に向かって連携できる共同体を形成することができます。人種や国籍、所属集団の枠を超えて、互いに許容し合い、尊重し合いながら、共存の道を探ることが、「攻撃性」抑制を達成する手段のひとつなのではないでしょうか。

 もちろん、ヒトに最も近縁な動物であるからといって、霊長類の行動研究から得られる知見のすべてを、即時的に人間社会が抱える課題の解決につなげることはできません。また、人間の行動を直ちに動物行動学的に理解しようとすることにも限界があります。ですが、「サルのふり見てヒトのふり直す」ことはできるのではないでしょうか。国際社会が軍事的な緊張状態の真っ直中にある今だからこそ、ベニガオザルたちから学べる知恵が、「ヒトにとっての平和」を考えるきっかけとなることを願っています。

撮影=豊田有

撮影地=タイ王国

 

★1 Frans B. M. de Waal. Peacemaking among Primates. Harvard University Press, 1990. 訳書は、フランス・ドゥ・ヴァール『仲直り戦術──霊長類は平和な暮らしをどのように実現しているか』、西田利貞、榎本知郎訳、どうぶつ社、1993年。
★2 同種他個体殺しとして有名な行動のひとつに、「子殺し」があります。オスが子どもを殺す行動で、霊長類では杉山幸丸がハヌマンラングールで初めて発見しました。子殺し行動は、よく児童虐待問題を語る際に「父親が子どもを殺す生物学的な例」として誤用されますが、実際に殺害するオスと殺害される子どもの間には血縁関係はありません。自分と血縁関係がないからこそ、他のオスの子どもである乳児を殺害し、母親の授乳期間を強制的に終了させます。授乳が止まったメスは、次の繁殖サイクルを再開するようになるので、オスは早く自分との子どもを作ることができるようになります。他者の子どもを殺してしまっても、自分の子どもを残せるという点において、オスにとっては利益のある行動なので、子殺し行動は進化します。こうした行動は、オス1頭とメス複数頭というハーレム型の集団を形成する種によく見られますが、それは「今いる子どもの父親」が誰なのかが明らかであるためです。したがって、子殺し行動は、ハーレムの乗っ取りが起きて、リーダーとなるオスが変わった際に起こります。
★3 コンラート・ローレンツ『攻撃──悪の自然誌』日高敏隆、久保和彦訳、みすず書房、1985年。この本の中で、ローレンツは攻撃性を「 “いわゆる” 悪」と表現し、絶対的な悪とはしていません。ドゥ・ヴァールは『仲直り戦術』でこれについて「しかし、その肝心な点が、『人間は殺しの本能をもっており、不幸にもそれを抑制する能力を欠いている』という彼の主要なメッセージのかげに見失われてしまった」(12頁)と書いています。文中の「 “攻撃性を制御する能力を欠いている” 存在たるヒト」はそれを受けた表現です。
★4 ドゥ・ヴァール『仲直り戦術』、13-14頁。
★5 例えば、Shuichi Matsumura. “The Evolution of ‘Egalitarian’ and ‘Despotic’ Social Systems among Macaques.”Primates, vol. 40, no.1, 1999, pp. 23-31.
★6 ドゥ・ヴァール、前掲書、135頁。
★7 西田利貞『人間性はどこから来たか──サル学からのアプローチ』、京都大学学術出版会、2007年、156頁。
★8 動物でも、次世代になにかの情報が継承されていく現象はありますが、それは例えば道具使用行動のように、他個体の行動を見て、真似て、試行錯誤しながら獲得していく、いわゆる “社会的学習” を意味することが多いです。技術の継承は社会的学習によって可能ですが、特定の個体が経験したことを記憶として他個体に伝達する能力まではないということを、ここでは意味しています。
+ その他の記事

1990年生まれ。京都大学大学院理学研究科生物科学専攻(京都大学霊長類研究所)博士後期課程修了、博士(理学)。現在、日本学術振興会特別研究員PD。研究テーマはマカク属の社会進化、オスの繁殖戦略、協力行動や社会行動など。2015年にタイ王国に野生ベニガオザルの長期調査拠点を構築、以後継続的に調査を実施している。note で「タイでサル調査!研究奮闘記」、日本モンキーセンター発行の雑誌『モンキー』で「タイ王国を巡る」を連載中。

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