【友の会限定公開】『観光客の哲学』英語版序文|東浩紀

シェア
初出:2022年9月12日刊行『ゲンロンβ76+77』
 2022年10月、英国のアーバノミック社より、『ゲンロン0 観光客の哲学』の英語版が出版されます(Hiroki Azuma, tr. by John D. Person, Philosophy of the Tourist, Urbanomic, 2022)。以下に掲載するのは、その出版にあたって、東浩紀が英語圏の読者に向けて書き下ろした序文です。パンデミックと戦争によって様変わりした世界に向けて、東浩紀があらためて「観光客」について考えることの重要性を問います。
 また来年春には、英語版序文ほかを追加収録した『観光客の哲学 新装版』、および同書の続編となる『訂正可能性の哲学』が弊社から刊行予定です。両書はゲンロン友の会13期のサービス「選べる単行本」の対象にもなります。ぜひ入会・更新をご検討ください。(編集部)
 

・ゲンロン友の会 第13期入会・更新
https://genron.co.jp/shop/products/detail/627
 日本語版の「はじめに」にも書いてあるとおり、本書はいささか複雑な経緯で出版されている。本書は、ぼくが2010年に創業し、いまも経営している会社「ゲンロン」が支援会員(友の会会員)のため発行した雑誌の1号であるとともに、独立した単行本でもある。前者としては『ゲンロン0』と題され、後者としては『観光客の哲学』と題されている。

 英語圏ではゲンロンという会社は知られていない。本書も『観光客の哲学』とだけ題されて出版される。だからこのように記しても、読者には興味をもってもらえないかもしれない。けれどもぼくの哲学を理解してもらうためには、その背景についての理解が不可欠である。

 



 ぼくは日本国外では、いまだにポップカルチャーや情報社会に詳しいポストモダンの思想家として知られている。いってみれば、スラヴォイ・ジジェクの縮小版で、現代の文化や政治を「最先端」の「理論」で「分析」してくれる便利なひとだと考えられているようだ。

 けれどもそのイメージはいまの実態からはかけ離れている。ぼくは1993年の東京で批評家として活動を始めた。当時はまだポストモダニズムの影響が強く、ぼくもその空気のなかで文章を書き始めた。だから初期にはたしかにジジェクを思わせるような衒学的文章も発表しており、そのイメージは国内でも残っている。けれどもぼくは、『動物化するポストモダン』(同書は英語になっている)のようなポップカルチャーが主題の著作においても、けっして記号や図像の分析だけで満足することがなかった。ぼくはつねに背後にいる人間に関心をもってきた。

 ぼくはポストモダンの時代に教育を受けたので、ポストモダンの言葉をいまでもよく利用する。参照するのも欧米の哲学者が多い。けれどもそれは知識の限界からそうなっているだけであって、主張や関心そのものは、ふつうに理解されるポストモダニズムからは遠く離れている。ぼくがいま哲学を続けているのは、自分がよく生きるため、そしてまたぼくの仕事に関心をもってくれるさまざまな人々がよく生きるためである。哲学はよく生きるための道具でしかない。このようなことはポストモダニスト自身はけっして口にできないだろう。ぼくもかつてはできなかった。けれどもそのようなためらいは、いまはなくなっている。

 ぼくはもともとは大学人である。ジャック・デリダの研究で東京大学で博士号をとった。けれどもいまはアカデミアに所属していない。ゲンロンを創業し、大学を離れてからのこの10年あまりで、ぼくの立場も支持する人々の層も大きく変わった。ぼくはいまではむしろ大学の外で読まれている。そして彼らの期待に応えるために本を書いている。『観光客の哲学』もそのような本のひとつである。この変化は日本の読者には知られている。けれども国外では知られていない。本書を手に取る読者も、哲学書や人文書を好む研究者や学生がほとんどだろう。

 それはぼくの力不足なのでやむをえない。けれどもほんとうは、日本語版がそうだったように、本書もまた、ポストモダニズムなど聞いたこともないという一般の読書人にこそ届いてほしいと思う。

 本書はたしかに哲学書であり、専門用語もでてこないわけではない。けれども提示している考えは、けっして「最先端」の「理論」といった類のものではない。じっさい本書では、人新世やシンギュラリティといった2010年代の思想界で流行したジャーゴンはまったく話題になっていない。「観光」への着目こそ21世紀的かもしれないが、問題提起はきわめて古典的なものである。そして展開される議論もほんとうは、引用される哲学者の主張よりも、ぼく自身の、資金を集め、会社を立ち上げ、従業員を雇用し、一般市民に向けて哲学の声を届けようとしてきたこの10年あまりの現実の苦闘のほうと深く結びついている。本書で提示された「観光客」の概念は、その点ではなによりもまず実践から要請されたもので、理論は後づけで発見されたものにすぎない。このように記すと大学人は失望するかもしれないが、けれども哲学とはほんらいそういうものではなかったかと、ぼくは思う。

 



 本書は『観光客の哲学』のふたつめの外国語訳である。韓国語訳はすでに出版されており(2020年8月)、いまは簡体字中国語訳が作業中である。刊行から5年でふたつの言葉に訳されるのは日本語の人文書としては悪くないペースだが、そのあいだにふたつの大きなできごとが起きた。新型コロナウィルスによるパンデミックとロシアによるウクライナ侵攻である。

 ふたつのできごとは世界の様相を一変させただけでなく、本書の読まれかたも大きく変えてしまった。そもそも本書の主題は「観光客」である。パンデミック以前、それは希望に満ちた言葉だった。年間10億人を超える人々が国境を超えて移動し、世界中が観光産業の成長に期待を寄せていた。むろん文化的搾取やオーバーツーリズム、環境問題への批判などはあった。けれどもそのうえでも、言語も異なれば文化も宗教も異なる何十億もの人々が、それぞれ勝手にプライベートな目的を抱えて国境を安易に超え地球上をうろうろし始めたという単純な事実には、たしかに新しいグローバル社会の出現を予感させるものがあった。だからこそ本書は、観光客の台頭を、かつてカール・シュミットが設定した友と敵の分割、すなわち伝統的な政治の領域を脱構築するものとして読みなおそうとしたのである。

 けれどもいまや状況はまったく変わってしまった。2020年にパンデミックが起こると、いわゆる自由民主主義の国々を筆頭に、世界の国々はイデオロギー関係なく一気に国境を封鎖し始めた。都市封鎖も行われた。監視技術も動員された。市民と非市民、非感染者と感染者、陰性者と陽性者、公共空間に出る資格のあるものとないもの、つまりは友と敵の分割がふたたび社会秩序の基礎となった。国際便は軒並み止まり、観光産業は壊滅的な打撃を被った。観光客はもはやグローバルな連帯の希望どころか、市民の健康を脅かす感染源として警戒と排除の対象になってしまった。そんな状況も2021年後半には少しは落ち着き、ふたたび観光の時代が戻るかに思われたが、そこにこんどは戦争がやってきた。世界はウクライナという正義とロシアという悪に分断された。SNSは沸騰し、核戦争の可能性までもが日常的に取り沙汰されるようになってしまった。国境を超えた観光客の移動が、かつてのような気軽さとボリュームを取り戻すためにはまだ長い時間がかかるだろう。そして戻ってきたとしても、いくつかの国や地域は観光地にはなりえないかもしれない。

 それゆえ、本書を手に取るみなさんのなかには、本書の議論をあまりに楽観的で時代遅れのものだと感じるかたもいるかもしれない。いまや世界は友と敵の対立に覆われ、観光客の居場所は限られている。そんな時代に、観光客に友と敵の脱構築を見る哲学がなんの役に立つのか。

 その印象は半分は正しい。ぼくはこの本を2010年代に書いた。多かれ少なかれ2010年代の多幸症的な時代精神の影響を受けているだろう。2020年代には歓迎されないかもしれない。

 けれども残り半分では誤りだと考える。2020年代は永遠に続くわけではない。パンデミックも戦争もいつかは終わる。友と敵の対立は絶対ではなく、世界はふたたびグローバルな社会に向かって歩み出すはずだ。そのときにこそ、ぼくはこの本の議論は新たな価値を帯びるはずだと確信している。2010年代の観光客は、たしかに感染症と戦争にいちど負けたかもしれない。しかしそれは観光客の哲学が不要であることを意味しない。ぼくたちはむしろ、この嵐が去ったあとで、感染症や戦争に負けない、より強い観光客の哲学をあらためて設立しなければならないのである。

 



 最後に。本書の議論は完全ではない。第2部の「家族の哲学」には「序論」と留保が加えられている。それが意味しているのは、本書執筆の時点で第2部の議論は未完成で、おまけに第1部ともきちんとつながっていなかったということである。それは本書の欠点である。

 ぼくはいま、その欠落を埋めて本書の議論を発展させ、さらに『一般意志2.0』というべつの著作(この本も英訳されている)と接続する続編の著作を記している。その前半部分は「訂正可能性の哲学、あるいは新たな公共性について」と題され、すでに独立した論文として発表されている(『ゲンロン12』)。ぼくはそこでは観光客の概念と家族の議論をウィトゲンシュタインとクリプキを参照して接続し、さらにローティとアーレントについて新しい解釈を提示している。後半部分はいま執筆中だが、来年早くには出版することができるだろう。

 著者としては、ほんとうはその続編もすぐに読んでもらいたい。アカデミックな議論への接続が強化されているし、なによりもそちらを読めば、本書の狙いもまたはるかに理解しやすくなるはずだからである。けれども残念ながら、日本語から英語への哲学書の翻訳は、その逆に比べて圧倒的に数が少ない。英訳されるかどうかは本書の評判に掛かっているし、時間もかかるだろう。いずれにせよ、その翻訳の交渉が始まるころには、少しは観光の時代が戻っていることを期待している。

 



 訳者のジョン・パーソン氏、アーバノミック社のロビン・マッケイ氏、そしてロビンをぼくに紹介してくれた哲学者のユク・ホイ氏に謝意を捧げる。

 ジョンは前出の『一般意志2.0』の訳者であり、ぼくがもっとも信頼する英訳者のひとりだ。ぼくの文体は複雑ではない。それでも、哲学的な内容を語っているが、かといって訳が決まった専門用語を使うわけでもないぼくの日本語を訳すのは、意外と厄介なはずである。いつもありがとう。

 ユクとは2016年の秋に杭州のシンポジウムで知り合った。それから友人としての付き合いが始まり、大きな刺激を受けている。そんな彼はアーバノミック社で本を出版しており、その縁でロビンを紹介してもらえた。アーバノミック社は、現代哲学を牽引する個性的な出版社として日本でも知られている。そのラインナップに加われたことをたいへん光栄に感じている。

 本書英訳出版にはサントリー文化財団の海外出版助成事業の支援を受けた。じつはぼくは1999年に、最初の著書『存在論的、郵便的』(この本は英訳されていない)で同財団から賞を受けたことがある。ふたたびの支援に感謝したい。
 

2022年4月18日 東浩紀

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
    コメントを残すにはログインしてください。