イギリス人はなぜ "Sorry" が口癖なのか──アフターコロナのイギリス訪問記|さやわか

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初出:2022年11月10日刊行『ゲンロンβ78』
 連載「愛について──符合の現代文化論」が好評のさやわかさん。今号では一回お休みし、この秋、イギリスに旅行したときのことを綴ったエッセイを寄せていただきました。コロナ禍を経た久しぶりの海外旅行。数年ぶりに訪れたロンドンは、どのように変わっていたのでしょうか。文中ではロンドンのおすすめグルメスポットも紹介されています。お楽しみください。(編集部)
 10月の後半に、10日間ほどロンドンに滞在した。

 と言っても、特に何をしに行ったわけではない。一応、新しい仕事の取材を兼ねようとは思っていた。しかし、それだって火急の用件ではなかった。渡英の前日、何をする予定かと人から問われて、何も答えられなかった。あまりに何も考えていないので、その人は困惑していた。

 航空券と宿だけを押さえて、あとは気ままに。僕はいつも、そういうふうに旅をする。特に理由もなく、何も計画せず、思いつくままに過ごす。ただぼんやりとすることもあれば、急に名所や史跡を見に行くこともある。そういう旅行が好きだ。日常を逃れたくて旅をするのだから、普段やるようにスケジュールなんて、組んでられるか。

 そういう旅行を、定期的にするようにしている。そうしないと、僕は次第に脳天をぐいぐい押さえつけられているような気分になって、生活にも仕事にも、行き詰まってしまう。

 コロナ禍が始まった2020年3月、僕はちょうどリスボンへ行く予定だった。もちろん、その旅はキャンセルとなった。それから2年半。今回の渡英は、あれから日本を出られず、ほとんど限界に達した僕の脳天を解放するための旅だった。
 というわけでパディントン駅へ到着した僕は、街並みを楽しみつつも、さっさと宿泊先に引きこもってしまおうと、雑踏へ足を踏み出した。

 ちなみに、コロナ対策でマスクを付けている人は、ほぼいない。ごくたまに付ける人がいても、それはその人の勝手、という感じだ。コロナ禍が去ったからそういう風潮になったというより、もともとみんなが、自分のやりたいようにやるべきだ、という思っているふうに感じた。その結果、自分や他人が死んだところで、各々の考えを貫くほうがいいとすら思っていそうだった。

 ここに初めて訪れた90年代から思っていたのだが、ロンドンの人たちは、人混みで他人の身体に触れないようにするのが、非常にうまい。街なかでも、電車内でも、極力、できる限り、人と接触しないで歩こうとする。

 万が一、他人とぶつかってしまった時には、すぐに "Sorry" と謝罪する。

 日本に慣れていると、多少他人と触れた程度では何とも思わないので、ロンドンの人にも、ついぶつかってしまうことがある。すると、こっちが悪いのに、大急ぎで "Sorry!" と言って、謝罪してくる。通りすがりでも、わざわざ振り向いて言われたりする。

 今回の旅行でも、やっぱりロンドンの人たちは他人となるべく接触しないようにしていたし、もしぶつかれば即座に謝っていた。ちょっと違ったのは、昔なら、どう考えても相手が自分の進行を妨げている時には "Excuse me" と言って、つまり、どちらかというとあなたが悪いけど一応「失礼」とは言いますよという言い方でどいてもらうやり方もあったのだ。イギリス人は、他人に強めの主張をしたい時ほど話し方が丁寧になる癖があるのだが、これもその一種だったのかもしれない。しかし今では、誰もがともかく自分が悪いという態度で "Sorry" と謝るほうが多くなった。

 なぜ、あんなに彼らは謝るのだろうか。以前考えたことがある。たぶん、イギリス人の考え方はこうだ。世の中には、いろんな人がいる。そいつは悪いやつかもしれないし、自分と考えが合わないかもしれない。ぶつかった自分に怒り出すかもしれない。あるいは、ぶつかってくる相手を、スリや強盗だと疑うかもしれない。

 だから、まずは人混みで他人に触れるべきではない。そして、ちょっとでも触れてしまったら、害意がないことを示すために、即座に謝罪すべきである。不用意に "Excuse me" などと言って、自分のほうが正しいとか、力があるという姿勢を見せるべきではない。

 そういう心理が、知らない相手に対して、彼らをできるだけ丁寧に、親切にさせる。謝るからといって、彼らは優しいわけではない。自分と考えが合わないかもしれない、ひょっとしたら怖いかもしれない他人と、円満な社会を築くための、処世術なのだ。

 



 イギリスに行くことにしたのは、過去に何度か訪れたことがあり、馴染みがあったからだ。アフターコロナだし、知ったところが何かと都合がよかろうと考えていた。

 最初に渡英したのは90年代前半だった。その直後の90年代後半、社会学者アンソニー・ギデンズがブレーンとなったブレア政権は、ラディカルな中道つまり右派と左派の政策をゆるくミックスさせることを目指す「第三の道」政策を成功させた。それで、この国は目に見えて豊かになった。コロナ禍でも脚光を浴びたイギリス医療制度が整備されたのもその頃だ。次に訪れたゼロ年代末には、巨大なビルが建ち、機能的に進化したロンドンに驚いたものだ。特に市の東側は、2012年のオリンピック以後、いっそう現代的で若々しい街並みになっている。

 今回のロンドン滞在で、建物にはそこまでの変化を実感しなかった。しかし住まう人々と、そこでの生活には、大きな変化を感じた。

 ロンドンは、古くからいるインド系や中華系だけでなく、アラブ系や中南米系などがかなり目立つ、以前にも増しての多民族都市になっていた。移民を積極的に受け入れた結果、イギリスは少子化のわりに人口も伸びているようだ。

 そして市内のほとんどあらゆる店舗が、コンタクトレスと呼ばれるクレジットカードのタッチ決済に対応していて、これがすごく便利だった。商店だけでなく、フリーマーケットのような青空市ですら、このタッチ決済が導入されている。カードをかざすだけでよくなった分、レストランでチップを払う機会が減ったのもありがたかった。

 レストランといえば、イギリスの料理にいいイメージを持たない人は多いだろう。僕が最初にこの街を訪れた90年代は、林望のエッセイ集『イギリスはおいしい』(平凡社、1991年)がベストセラーになった直後だった。この本は書名に反して、ユーモラスかつ徹底的に「イギリスの料理はまずい」とこき下ろすものだった。もちろん愛情深い本だったが、日本では今なお、イギリスの料理についてこの本が書いた時代の風説が残り続けている。

 だが実は、今イギリスの料理は全くまずくない。まず、ゼロ年代には空前のグルメブームが起き、モダンブリティッシュやモダンヨーロピアンと呼ばれる、伝統的なイギリス料理を洗練しつつもカジュアルで自然派志向の料理を出す店が増えた。イギリス名物のパブにも、ガストロパブという、料理に重きを置いた新形態の店が増えている。また、上述した移民の幅広い受け入れによって、本格的なアジア料理や南米料理、中東料理を出す店も次々に現れた。昔からロンドンでも中華料理、フランス料理、イタリア料理、ギリシャ料理等はそこそこ食べられたが、今やタイ料理などが、ごく日常的な食事になっている。
 そうしたものを食べているうちに、イギリス人の舌は確実に肥えた。ミシュランで星を獲得する店も、その料理ジャンルも増えた。あちこちにあるドトールみたいなコーヒーショップ「プレタ・マンジェ」は自然食材にこだわりがあり、店内販売しているパック入りのサンドイッチやサラダが、この店構えで出す品物としてはあり得ないほどうまかった。

 このサンドイッチもそうだが、実はもともとイギリスは食材豊富な国なので、乳製品も肉も魚も野菜も、正しく調理する店であればおいしくいただける。かつては、調理できる店がなかっただけなのだ。今回食べた店をひとつだけ紹介すると、ロンドンのど真ん中、フィッツロヴィアのシャーロット・ストリート周辺には小さな飲食店が集まってしのぎを削っているのだが、その中の一店「ROVI」は、オーガニック食材を使った中東系のオシャレなメニューがいかにも当代風で面白かった。

 こちらは、ここ20年のグルメブームを牽引してきたデリ「オットレンギ」が経営するレストランだ。特にここで食べた前菜のブッラータ(袋状にしたモッツァレラチーズの中にクリームと香ばしいチーズを入れて熟成させたもの)のベリーソース和えなどは、全く、食べたことがないおいしさであった。今回の旅でうまかったものはいろいろあるが、印象に残ったといえばあれだ。

グルメブームの担い手となったオットレンギのデリ


 

今回の旅の一押し料理、ROVIのブッラータ

 
 それからパブもここ20年でちょっと流行が変わっており、前述のガストロパブのほか、 無濾過・非加熱で樽発酵を行う伝統的な製法で作られたカスクエール(リアルエール)を出す店が根付いたようだ。「ぬるくて泡が少ない」という、一般的なビールのイメージからはかけ離れた口当たりなのだが、パンのようにふくよかでしっかりした香ばしい味があり、どこの店でもこればかり探して飲んだ。

 こうした新時代のイギリス料理をたしなむ今の若い世代には、フィッシュ・アンド・チップスなど食べたことがない者も多い。また、料理のメニューには、菜食主義者向けや、ハラル料理などが当然のように入っている。前述したように、今のイギリスには様々な人がいるのだから、その人たち向けのものを用意するのは、イギリス人にとって普通のことなのだ。

 このあたりの感覚にも、日本と異なるものを感じる。日本の場合、選択肢を増やすのでなく、多数決でひとつを決めて、それに全員が従うことを求めそうだ。

 イギリスは古い国だが、実は、時代に合わせて考え方を変えたり、新たな住人のために社会を変えるのに寛容だ。もちろん、古くからある文化や制度も多い。ゆえに伝統を重んじ、それらを守り続けるのを尊ぶかと思いきや、そうではないのだ。かといって、すべて潰して、新たなものを作ろうとするのでもない。古いものを残したまま、時代に合わせて変えることを厭わないのだ。

 100年以上前から使い続ける石造りの建築物でも、内部を大胆に近代化したり、原型を留めないような増築が平然と行われる。有名なセントポール寺院などは、その歴史を紐解くと、かつては秘められていた宗教を、時代に合わせて世間へと開かれたものにすべく、改修を繰り返してきたとわかる。

 前述のギデンズは、外見が昔と同じであっても、時流にそぐわなくなって風化した制度のことを「貝殻制度」と呼び、積極的に刷新すべきだと主張している。彼が特に貝殻制度の代表例として挙げるのが、結婚や家族制度など社会の根幹にかかわるものであることからも、その旺盛な積極性が窺える。

 そんなことができるのは、もしかすると彼らイギリス人が、その文化や制度を、西洋文明を、自ら作り出したからなのかもしれない、と、雑踏を歩きながら思った。自分が決めたルールだから、頑なに、教条的に、それを守るのではなく「変えてもいい」とも思えるのではないか。どうりで、身勝手にEUを抜けたりもする。
 僕が最初にイギリスを訪れた90年代半ばには、日本とイギリスには似たところがあった。日本は先の見えない不況へと引きずり込まれていたし、イギリスだって、老いた巨人のように言われていた。そもそも長い歴史を持ち、古くからの伝統を重んじる国として、2国は似ているなんて言われたりもする。だが、あれから四半世紀ほど経って、本当にそうだったのだろうかと、僕は思う。

 ちょうど、僕がイギリスにいる間に、トラス内閣が退陣した。倒閣にいたったのは彼女が富裕層優遇を進めたせいだとか、これを見習って日本も安易に消費減税に手を出すべきではないとか、いろんな人が持論を述べるのを、僕はロンドンで眺めていた。ずいぶん適当なことを言うものだ、と思った。

 その時に僕が感じていたのは、イギリス人は、トラスが駄目ならば即座に変えられるような人たちに違いない、ということだ。やはり自分たちが決めたことを変えるのに、イギリス人は躊躇しない。彼らは、便利なら全面的にコンタクトレスへ移行するし、労働力が足りなければ移民を迎える。そして、世の中にはいろんな人がいることを受け入れる。"Excuse me" を捨て、"Sorry" と言うだけになってでも、多様な国民で生きていくことを、その変化を自己責任的に受け入れるのだ。

 



 それが、イギリスの選択してきたことなのだろう。あるいは、イギリスはずっとそうやってきた国なのかもしれない。それを知らないで、イギリスについて、まだ20年前と同じ印象を持つ人は多いのではないか。イギリスが変化しない国だと思う人たちの考えは、あるいは日本がどうあるべきかについても、どんな変化を求めるべきかについても、20年前から変わっていないかもしれない。少なくともその人たちは、イギリスの料理がおいしくなったことにすら、気づけないでいる。

写真提供・撮影=さやわか

さやわか

1974年生まれ。ライター、物語評論家、マンガ原作者。〈ゲンロン ひらめき☆マンガ教室〉主任講師。著書に『僕たちのゲーム史』、『文学の読み方』(いずれも星海社新書)、『キャラの思考法』、『世界を物語として生きるために』(いずれも青土社)、『名探偵コナンと平成』(コア新書)、『ゲーム雑誌ガイドブック』(三才ブックス)など。編著に『マンガ家になる!』(ゲンロン、西島大介との共編)、マンガ原作に『キューティーミューティー』、『永守くんが一途すぎて困る。』(いずれもLINEコミックス、作画・ふみふみこ)がある。

3 コメント

  • qpp2022/11/18 08:26

    私がロンドンに住む知人を訪ねたのは2005年の夏でした。 ロンドンがオリンピックの開催地に決定した翌日「街の雰囲気はどう?」とメールしたら「地下鉄が封鎖されて通勤がもう大変」と返ってきたのを、そんなに盛り上がってるんだぁと呑気に構えていたら実はテロだったという驚きは今でもよく覚えています。 ・イギリス料理はおいしくない(調味料を使わないのが上品とされている?為、パンにキュウリを挟んだだけのサンドイッチ等がでてくる) ・中華とインド料理は美味しい この二つが当時知人から教えられたイギリスの食事情。特に「どうして?」と考える事もなく「イギリスってそういうもの」として受け止めていたのですが、今回の記事の「調理する店がなかっただけ」という理由は時間を経た今、上品説より納得感がありました。 イギリス人がすぐ謝る事について 「謝るからといって、彼らは優しいわけではない」 そうさやわかさんは書いていたけれど、では優しさとはなんだろう?と、考えてみたり。他者と共に生きる為に謝る。丁寧に、親切に。その気持ちの中には、打算や保身も含まれるのかもしれませんが、それでも私はやっぱり優しいなと感じてしまいます。逆にさやわかさんはどういう人を優しいと思うのか、聞いてみたくなりました。それともよほど、イギリス人のSorryはしぶしぶ感が強いのかな。笑 今回の内容は私の中にある、いつの間にか随分と古びてしまっていたイギリスのイメージを新しくするのと共に、「愛について」にも繋がるものを感じました。 今後の連載も楽しみにしております。

  • georg2022/12/08 19:03

    「自分が決めたルールだから、頑なに、教条的に、それを守るのではなく『変えてもいい』とも思えるのではないか」という考察に同意。 ところで、これは言論や言葉の使用にも当てはまるのではないかと思う。自分が一度言った言葉を意地でも訂正しない人、信条を意地でも曲げない人がいるが、そういう人はもしかして、本当に自分の言葉を喋っていないのではないか。受け売りの言葉や思想だから、それをありがたがって金科玉条のごとく守ろうとするのではないだろうか。 本当に自分の実感とか考えたことから発せられた言葉であれば、その言葉に自然と責任を持つはずだし、それが間違いだと気づいたら、進んで前言を撤回し意見を変えるはずである。自分から出てきた言葉だから、「変えてもいい」とも思えるのではないか。

  • Kokou2023/02/25 07:53

     ゲンロンβ全編の感想をやめてから、気になった記事についてだけ感想を書くようにした。といっても、ゲンロンβ79の小松理虔さんの記事以来、感想を書いていない。次のゲンロンβ80+81が刊行されるのは4月らしいので、結構間が空く。次の刊行まで、webゲンロンのいくつかの記事に感想を書こうと思い、記事を選んでいた。よく考えるとゲンロンβ全編感想をやめたのが、ゲンロンβ76+77で、再開したのが、ゲンロンβ79の小松さんの記事だった。ゲンロンβ78だけ、どの記事にも感想を書いていないことになる。個人的なことで意味はないと思うが、ゲンロンβ78の記事の中からひとつ選んで感想を書こうと思った。そこで、さやわかさんの記事について、イギリスと日本の「変化」の違いについて感想を書こうと思う。  「環境」と「状況」に対して、どのように感じ、どのように対応するかを通して、イギリスと日本の違いを整理していきたい。ここでいう「環境」とは、短い時間で変化しないものであり、「状況」は短い時間で変化するものである。さやわかさんが本文で、久々に訪れたロンドンの建物には、そこまでの変化を感じなかった。しかし、住まう人々とそこの生活には、大きな変化を感じたと記している。そして、タイトルにあるように、イギリス人の“Sorry“という処世術を紹介している。ロンドンの建物は「環境」であり、住民の生活は「状況」である。処世術は、「状況」にどのように対応するかということになろう。  イギリスの伝統を重んじながら、時代に合わせて変えることを厭わない態度を、「環境」を大切にしつつ、「状況」に柔軟に対応していると言い換えることができるだろう。移民や不特定多数の人たちと社会を形成するにあたって、うまくやっていくためには、その社会にあった処世術が必要だ。それがイギリスでは、“Sorry“に代表される態度の表明になるのだろう。「状況」が変化することに対して、うまくやることは大切なことである。都度、衝突したり、相手のことを深く知ろうとすることは、不要な軋轢や過度な負荷を生んでしまう。イギリスの場合、自身が「変化」する主体となる能動的な態度だと思う。  他方、同調圧力に従う日本社会は、状況の変化に対して、受動的かもしれない。日本人は中身が空っぽで、外圧によって一晩で考え方を変えてしまうというような論を聞くことがある。圧力に着目すると、日本人の「変化」は、金属の板を強い圧力によって変形させるプレス加工に近いイメージかもしれない。圧力によって変形することは、可塑性を示しているが、一度成形されたものは簡単に変形できない。その外圧による大きな変形と、その後の変形しにくさは、日本社会の「変化」の特徴につながるものだと思う。  戦争や災害で一夜にして、「状況」が変わってしまうことが影響しているのだろうか。自身で「状況」を変えることはなく、「状況」に適応することの方が、合理的なのかもしれない。概して、日本社会を変えるという発想より、身を任せて必要に応じて、対応する態度になるのだろう。結果として、対応する時点で選択肢はなく、一夜にして豹変してしまうのだろう。そう考えると、「変化」してしまった自身が、「環境」として作用しているように思える。  さやわかさんは、イギリスは西洋文化や制度をつくりだしてきたから、「変えてもいい」と思えると述べている。その様は、彫刻に似ている。自分で彫り進めることで造形を生み出す。これまでの造形を残しながら、必要があれば形状を変えたり、継ぎ足したりする。イギリスの社会変化を引き受ける責任のあり方は、作家的なものに近いかもしれない。  対して日本の責任の引き受け方はどうか。プレス成形された社会は、ある種の製品と言えるだろう。大きな圧力で社会を変形させた「状況」を製造責任として外部に責任を見出す。「失われた30年」とよく言われるが、この比喩から考えると、「日本社会」という製品の品質を維持してきたということになるだろう。品質を維持することが目的だとしたら、この品質に必要な「環境」を変えることを好ましく思わないだろう。  さやわかさんの文章を読んで、イギリスの料理がおいしくなったことに気づかされた。自分のイメージが少し更新される。「状況」は変わっていくものであると同時に、自身が変えていくものでもある。「状況」の最適化に固執するのではなく、自身を変化させてうまく対処できるような処世術を身につける。日本社会を消費者として捉えるのではなく、社会を造形している作家として考える。そんな視点がこれから大切になるのではないだろうか。

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