第1期ゲンロンファクトリー優秀作 「国民作家」宮崎駿の日本回帰――転回点としての『紅の豚』のアメリカ|中谷径

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初出:2013年01月31日刊行『ゲンロンエトセトラ #6』
 ゲンロンファクトリー第1期は、企画始動に相応しいじつにすぐれた論文に恵まれた。ここに掲載する中谷論文が扱うのは、あの国民作家・宮崎駿。すでに語り尽くされたかに見える宮崎作品から、「アメリカの影」という補助線を引くことで中谷はまったく新しい物語を取り出して見せる。宮崎はなぜ「日本回帰」したのか、『耳をすませば』の舞台はなぜ郊外でなければならなかったのか、そしてゼロ年代のオタク分析はなぜ宮崎を回避したのか、中谷はそれらの問いに、抽象的な議論を弄ぶのではなく、『紅の豚』のテマティックな分析を通してひとつひとつ説得力のある答えを出していく。今後の宮崎駿論にとって、本論文は避けては通れないマイルストーンになるだろう。中谷は30代前半の会社員、本論文がはじめて記した評論文とのことだが、新人離れした手つきは将来を期待させる。ぜひまた新作が読んでみたい書き手である。(東浩紀)
ほとんど波のない静かな入江に浮かぶ真紅の飛行艇、その傍らの砂浜に置かれた寝椅子で昼寝をする男の顔には、「CINEMA」という名の雑誌が乗せられている。電話が急を告げ、男がおもむろに雑誌を除けたとき、現れるのは豚の顔である。
 これは、1992年に劇場公開された宮崎駿監督によるアニメ『紅の豚』の冒頭である。あえて顔を隠したまま主人公ポルコを登場させ、その後にあらわにするこの演出に、観客の注意を豚の顔に向けさせる意図があることは明らかである。  しかし、例えば2012年4月に9度目のテレビ放映がされたとき、この定石どおりで明快な演出に反応した人は、どれほどいただろうか。『紅の豚』に限ったことではないが、宮崎の監督作品は繰り返しテレビ放映されているため、何度も観ている人が少なくない。あるいは、観たことはなくとも、『紅の豚』の主人公が豚の顔を持つという程度の知識は、いつの間にか身についている。だから、ほとんどの人は豚の顔の登場を当然のように受け止め、それが「現実」に照らしてかなり異様な場面であることには思い至らない。これほどわかりやすい演出であるにもかかわらず、豚の顔が現れてもなんの感慨も抱かなければ、その明瞭な意図にもまず気づかないのだ。この国の人々は、普通の演出を普通に受容できないほどに、宮崎アニメに慣れ親しんでいるのである。  ある世代以下の人に「好きな宮崎アニメは?」と尋ねれば、なんらかの答えが返ってくるし、評論めいた言葉が語られることすら稀ではない。あるいは「観たことがない」と答える人がいれば、周囲は驚きをもって受け止めるだろう。このように、その作品に接していることが日常会話の前提とされる作家など他にいるだろうか。宮崎駿こそ、現代の日本においてもっとも「国民作家」と呼ぶに相応しい存在である。ポストモダン化の現れのひとつである「島宇宙化」(宮台真司)が、異なる島宇宙に属する者同士の対話を困難にしていることを考え合わせれば、この国において宮崎アニメが占める位置の特異性は際立っている。  この「国民作家」たる宮崎が、あるときを境に日本回帰をしたことは注目されてよい。ここでいう日本回帰とは、宮崎アニメの舞台が日本に設定されるようになったという具体的かつ明白な事実を指している。  実際に、劇場用の長編について、それぞれその舞台を確認していこう。  劇場用としては初監督作品である1979年の『ルパン三世 カリオストロの城』は、ヨーロッパに位置すると思しき架空の小国「カリオストロ公国」が主な舞台である。1984年の『風の谷のナウシカ』は、「火の7日間」と呼ばれる最終戦争から1000年後というSF的世界であり、1986年の『天空の城ラピュタ』も「蒸気機関車の頃に書かれたSFのよう」★1な世界である。1989年の『魔女の宅急便』は、コリコという架空の街が舞台で、その景観は主にヨーロッパの都市のコラージュによって形作られている★2。そして、1992年の『紅の豚』はアドリア海とその周辺国が舞台である。この『紅の豚』までを前期とすると、一作品を例外として、舞台が日本以外に設定されている。例外の作品とは1988年の『となりのトトロ』で、舞台のモデルは東京と埼玉にまたがる狭山丘陵とされる。  後期は、1995年の『耳をすませば』以降である★3。その舞台は同時代の東京であり、当時の京王線・聖蹟桜ヶ丘駅周辺の風景がかなり忠実に再現されている。1997年の『もののけ姫』は、室町時代という設定★4で、架空の要素も強いが、日本が舞台といって間違いない。2001年の『千と千尋の神隠し』は、主要な物語が八百万の神が集う湯屋があるという日本的な設定の異界で展開され、その外の現実世界も日本である。2008年の『崖の上のポニョ』の舞台は、瀬戸内の港町がモデルとされている。後期における例外は2004年の『ハウルの動く城』で、ヨーロッパ風の架空の世界が舞台だが、この作品については、当初宮崎は企画としてのみ関与する予定だったという製作過程を考慮すれば、無視してもよいだろう★5。  この他に、「宮崎アニメ」とは言い難いが、宮崎が脚本を担った2010年の『借りぐらしのアリエッティ』、2011年の『コクリコ坂から』は、いずれも時期としては後期にあたり、やはり日本が舞台とされている。『借りぐらしのアリエッティ』については、原作の『床下の小人たち』の舞台がイギリスであるにもかかわらず、わざわざ日本に変更されたものだ。
 このように見てみると、実質的には前期の『となりのトトロ』を唯一の例外として、前期=日本以外、後期=日本ときれいに分けられることがわかる。宮崎の日本回帰は鮮明であり、具体的な事実として生じたことに議論の余地はないだろう。

 では、なぜ宮崎は日本回帰したのだろうか。この問いには、素朴な水準で答えることができる。継続的に高い評価を獲得する作品を製作し、商業的にも一定の成功を収めることによって、自由な題材で映画製作に臨めるようになったというものだ。

 実際、宮崎の内面上の日本回帰は、本稿で扱う日本回帰、つまり作品上の日本回帰よりもかなり早い時期に生じている。「日本の景色を見ても、水田を見ても、咲き乱れる菜の花畑を見ても、みんな嫌な風景に見え」た宮崎が、「日本の風景のほうが自分が好きだったことに気づいた」のは、「『アルプスの少女ハイジ』というテレビシリーズを作るために、スイスに行って帰ってきた」ときとされる★6。であるならば、それは1973年★7であり、初監督作品の『ルパン三世 カリオストロの城』以前の出来事ということになる。また、宮崎の日本に対する見方に大きな影響を及ぼした植物学者の中尾佐助による照葉樹林文化論や、考古学者の藤森栄一による縄文研究などの受容も、相当早いことが確認できる★8。さらには、1983年のインタビューにおいて、演出を務めた1978年放映のテレビシリーズ『未来少年コナン』について、「本当は全部日本人にしたかったし」、「ハイハーバー(筆者注:作中の地名)なんかも、本当は麦畑じゃなくって、水田で米作ってる方がいいと思う」★9と発言している。ここから考えられるのは、宮崎は日本を舞台としたアニメを志向しながらも、ある時期までその自由はなく、一定の評価を獲得したのちに、日本回帰が可能となったという経緯である。

 これ自体は事実からさほど遠いものではないだろう★10。しかし、前期最後の作品『紅の豚』の完成直後になされた次の発言を踏まえれば、宮崎の日本回帰の説明としては不十分であることがわかる。

だから、もっと本質的な映画を作んなきゃ駄目だっていうことだけは確かですね。(中略)それからもう一つ、これも覚悟ですけどね、もうあと日本以外は舞台にしちゃいけないっていう。もうそれだけは確かですね。この二つだけは確かだなと思う。★11


 この「覚悟」がその場限りのものではなかったことは、後期の作品で既に確認したとおりである。ならば、宮崎の日本回帰は、日本を舞台にできる/できないという現実の問題でも、したい/したくないという欲望の問題でもなく、すべき/すべきでないという倫理の問題として捉えられなければならない。そもそも、単に欲望の成就を阻害する現実が除去されただけならば、後期の作品において、日本のみを舞台にするという執拗さを見せることはなかったはずだ。なぜ宮崎が日本回帰したのかという問いは、倫理の水準で答えられなければならない。

 本稿は、この「国民作家」宮崎駿の日本回帰の様相を明らかにすることを目的として書かれている。

オタクたちの日本への固執



 宮崎アニメの考察に先立って、批評家の東浩紀がオタク系文化を論じた2001年出版の『動物化するポストモダン』(以下『動ポモ』という)を参照しておこう★12。同書の第1章では、オタクたちの日本への固執が分析されており、その典型的事例としてアニメが取り上げられている。このように書くと、後期の宮崎と重なる事象であるように思われるかもしれない。しかし、ここで取り上げるねらいは、宮崎の倫理としての日本へのこだわりに、オタクたちの欲望としての日本へのこだわりを対置することで、宮崎の固有性を逆照射することにある。

 東は「オタク系の作品は、日本を主題にすることが多く、日本的な表現を多用し、いかにも日本的に消費されている」★13とする。具体的には、オタク系作品に「巫女キャラ」などの日本的イメージが頻繁に現れることや、アニメーターやフィギュア原型師の仕事に伝統的な日本美術との関係を見出す美術家の村上隆の指摘、あるいはオタクの消費行動が江戸時代の「粋」と直結しているとする評論家の岡田斗司夫の主張などが挙げられている。しかし、東は、オタク系文化の起源はすべてアメリカから輸入されたサブカルチャーであり、「オタク系文化の歴史とは、アメリカ文化をいかに「国産化」するか、その換骨奪胎の歴史」★14にすぎないとする。そして、オタクたちは忘却あるいは無視しているが、「オタクと日本のあいだには、アメリカがはさまって」★15おり、「オタク系文化の根底には、敗戦でいちど古き良き日本が滅びたあと、アメリカ産の材料でふたたび疑似的な日本を作り上げようとする複雑な欲望が潜んでいる」★16と分析している。

 この鋭い批評は、オタク系文化の「アメリカの影」(加藤典洋)を論じたものと言えるだろう。江藤淳をはじめとする戦後の批評家たちが繰り返し論じてきたこの問題に、オタク系文化も無縁ではなく、むしろ「そこにじつは、日本の戦後処理の、アメリカからの文化的侵略の、近代化とポストモダン化が与えた歪みの問題がすべて入っている」★17のだ。

 そして、オタク系文化に差す「アメリカの影」の典型的な事例として東が詳しく取り上げたのが、リミテッド・アニメの国産化の過程である。リミテッド・アニメは、日本においては『鉄腕アトム』以降のテレビアニメの量産化にあたって、人的、時間的、予算的制約から、作画枚数を減らすための手法としてやむを得ず採用されたものだ。これが質の悪いアニメが大量に製作されることにつながった一方で、強いられた厳しい制約のなかでの演出家やアニメーターの模索が、独自の表現を生み出しもした。さらには、その表現を日本の伝統文化と結びつけて賛美する者が現れることとなったが、東はこのねじれた過程に「戦後のアメリカに対する圧倒的な劣位を反転させ、その劣位こそが優位だと言い募る欲望」★18を見出している。
 ところで、東はこの議論を展開するにあたって、あらかじめアニメをふたつに区分している。ひとつは「大塚康生、宮崎駿、高畑勲らの東映動画出身の作家たちであり、基本的にフル・アニメ志向の、動きの美学に魅せられたアニメーター」による「ディズニーやフライシャー兄弟の伝統に則った正統的なアニメーションの追求」をする方向であり、もうひとつは「リミテッド・アニメや循環動画、バンク・システムなどの限界を前提」とする「動きの美学とは別の方向」である★19。ここではとりあえず前者を「フル・アニメ路線」、後者を「リミテッド・アニメ路線」と呼ぶことにする★20

 このうち、東が「アメリカの影」を見出したのはリミテッド・アニメ路線のみであって、宮崎アニメが属するフル・アニメ路線についてはまったく論じられていない。だが、それは宮崎アニメが「アメリカの影」と無縁であることを意味するわけではない。東が論じなかった理由は、東がフル・アニメ路線をオタク系文化には分類せず、したがって『動ポモ』の分析対象ではなかったということにすぎない。

 例えば、宮崎アニメの受容という観点からは、「アメリカによる承認」が重要な役割を果たしていることが指摘できる。1997年の『もののけ姫』が稼ぎ出した194億円という興行収入★21は、それ以前の宮崎アニメとは桁違いであっただけでなく、当時の日本における記録を大幅に塗り替えるものだった。「もののけ姫現象」という言葉さえ生まれたこの大ヒットを、作品自体の魅力やそれまでの宮崎の実績のみで説明することはできないだろう。そこには公開前年に実現したディズニーとの提携と、それが可能とした「世界公開」「全米公開」という謳い文句の効果が大きく作用したことは間違いない。ディズニーとの提携自体も、一般紙で取り上げられるなど、大きな話題となっていた。この「アメリカによる承認」がもたらした『もののけ姫』の大成功により、宮崎の評価は世代を超えて一般化した。そして、2001年の『千と千尋の神隠し』では、興行収入304億円★22と再びの記録更新を果たし、さらにはベルリン国際映画祭のグランプリである金熊賞の受賞、アカデミー賞の長編アニメーション部門の受賞にいたって、宮崎の評価は不動のものとなった。このように、海外、特にアメリカの評価を通じて日本国内での評価を確立するというのは、分野を問わず、この国ではありふれた光景であるが、宮崎も例外ではないのだ。宮崎は「ミヤザキ」になることによって「国民作家」となったと言ってよい。

 そして、「アメリカの影」は、宮崎アニメの受容に大きく作用しただけでなく、宮崎の日本回帰の契機になっているのである。そのことを見る上で、注目すべき作品は『紅の豚』である。

アメリカについての映画としての『紅の豚』



 ここで『紅の豚』を取り上げる理由はいたって簡潔で、アメリカについての映画だからである。そして、この作品は前期の最後、つまり宮崎の転回点に位置している。

 なんらかの理由で豚の顔を持つこととなった主人公のポルコは、第1次世界大戦にイタリア空軍のパイロットとして従軍した英雄だが、映画内の現在では、軍から離れ、真紅の飛行艇をあやつり賞金稼ぎをしている。「空賊」と呼ばれる飛行艇で海賊行為を行う者たちの退治を生業としているのだ。舞台はイタリア半島とバルカン半島に挟まれたアドリア海、時代はおそらく1929年★23、イタリアでファシズムが台頭しつつある時期である。豚の顔を持つ男や空賊といった架空のものも登場するが、時代背景などの設定は概ね現実的である。

 アメリカという要素は、ポルコの活躍に業を煮やした空賊たちによって映画に導入される。助っ人としてアメリカ人のドナルド・カーチスを雇うのである。ポルコは不運にも、不調のエンジンをだましだまし飛んでいたときにカーチスに遭遇し、撃墜される。が、幸い大きなけがはなく、ポルコはミラノに赴き、大破した飛行艇をなじみの工場に持ち込む。そこでわずか17歳の少女フィオの設計に基づき、胴体以外ほぼ新造の大修理を施された結果、真紅の飛行艇の性能は以前より格段に向上し、映画のクライマックスで、ポルコは再びカーチスとの1対1の勝負に臨む。

 ポルコのライバルであるドナルド・カーチスは、多くの場合「アメリカ野郎」と呼ばれ、アメリカ製の水上機「カーチス」に乗っている。カーチスがアメリカ人であることは、たびたび強調されており、例えば、空賊たちが彼を雇うかどうかを相談する場面ではその点が問題視されるし、フィオは空賊たちに向かって「あなた達、恥ずかしくないのかって言ってるの。アメリカのカーチスに助けられて、よく平気ね」と言い放つ。また、最終的には採用されなかったが、絵コンテの段階では、カーチスが後に大統領になったことが明らかにされており★24カーチスは文字どおりアメリカを代表する存在として設定されていたことがわかる。

 原作漫画である『飛行艇時代』においても、次のような場面がある。飛行艇を修理に持ち込んだ工場で、「猛烈にはたらく」職人たち、設計図の上に突っ伏して眠り込むフィオのコマの後に、ポルコの誓いの言葉が記されている。

私は誓ったのだ。勝とう。必ず米人ドナルド・チャックのカーチスに勝とう…と。フィオの為にも、イタリアの𫟉しょく人の為にも★25


 なお、引用中のドナルド・チャックとは、映画におけるドナルド・カーチスのことで、搭乗する水上機と同名に変更されている。

 このように、『紅の豚』は明確にアメリカとの戦いという図式の映画となっているのだ。
 クライマックスの1対1の勝負は、開始直後こそカーチスが優位に立つものの、ポルコの飛行艇が後ろをとって以降は、概ねポルコ優勢で戦いが進められる。しかし、ポルコの機関銃は目づまりを起こし、カーチスも弾切れとなったために空中戦では勝負がつかず、地上に降りて殴り合いで決着をつけるというコミカルな展開になる。最終的には、相打ちで両者が同時にダウンした際、かろうじて先に立ち上がったポルコの勝利となる。

 アメリカとの戦いという図式を踏まえて、この結末のみに注目すれば、『紅の豚』はアメリカに対する勝利を描いた映画ということになる。そして、イタリアを日本と読み替えれば、東が見出したアメリカに対する劣位を優位だと言い募るオタクたちの欲望にも似た、だがより露骨な宮崎の欲望が現れたものだと理解できるだろう。

 これは、「オタクは日本文化の正当継承者」だとした岡田が、『オタク学入門』に記した「僕なりの宮崎駿像」とも整合的である。岡田は、東映動画に入社する際の宮崎の志望動機が「米帝ディズニーに対抗するアニメを日本で作る」であったという出所不明のエピソードを紹介した上で、宮崎が手塚治虫の追悼特集に手塚を批判する文章を寄せたことについて、「ディズニーが大好きと公言する手塚治虫は許せない」、「手塚治虫が「米帝の手先」なのは許せない」からだったとの見方を示している★26

 このような理解を敷衍すれば、宮崎アニメの日本回帰についても、わかりやすい筋書きを描くことができる。つまり、東映動画から出発した宮崎は、ディズニーに代表されるアメリカ製アニメを目標として、着実に優れた作品を作り続けてきたが、もはや「伝統に則った正統的なアニメーション」の枠組みを超え、ディズニーにも十分に対抗できる独自の表現に達した。そのことへの自負が、アメリカへの勝利宣言というべき『紅の豚』に反映され、その後の作品で日本を舞台に選択させることにもつながっている、というものだ。

 しかし、『紅の豚』には、アメリカへの勝利宣言といった解釈をつまずかせる要素が含まれており、それは冒頭にあからさまに提示されている。

映画についての映画としての『紅の豚』



 『紅の豚』の冒頭については、雑誌の下から現れる豚の顔にほとんど注意が向けられていないことを既に指摘した。だが、冒頭での見落としは、二重に生じている。この映画を読み解くための極めて重要な手掛かりが、同じ場面で提示されているのだ。それは、豚の顔を覆っていた雑誌のタイトル、「CINEMA」である。

 『紅の豚』には、雑誌のタイトル以外にも、映画に関する要素が大きく分けてふたつ登場する。ひとつは、「アメリカ野郎」カーチスがハリウッドに野心を持つことである。ハリウッドから「貴殿の送付されたシナリオの映画化と出演について前向きに検討中」との回答を得たカーチスが、意中の女性であるジーナに報告し、渡米を迫る場面がある。もうひとつは、映画内で、ポルコがアメリカ製と思しきアニメを観ることである。『紅の豚』の設定の時代である1920年代後半はアニメの黎明期にあたるが、この映画内映画は、当時の良質なアメリカ製アニメのなめらかな動きが見事に再現されたものである。

 文芸評論家のすがひでは「『紅の豚』は映画についての映画という自己言及的な構造を持ったアニメーション」だと正しく指摘している★27。本稿もこの指摘に着想を得ていることは明記しておくが、他方で、その絓も大きな見落しをしていることにも言及しておかねばならない。そのひとつは雑誌名が「CINEMA」であることだが、より重大なのは、映画に関する要素とアメリカとの結びつきを重視しなかったことである★28

 『紅の豚』は、アメリカ映画についての映画として理解されなければならない。

 既に述べたように『紅の豚』の時代設定は、おそらく1929年である。この前年には、世界初の本格的なトーキー・アニメであり、またミッキー・マウスが世に出たアニメでもある『蒸気船ウィリー』でディズニーが大成功を収め、アメリカン・アニメーションの黄金時代が始まっている。翌年にはフライシャー兄弟による人気キャラクターのベティ・ブープ登場第1作が公開されている。また、実写の世界に目を向けても、ハリウッド映画が黄金期を迎えようとしている時代である。これ以降、現代に至るまで、アニメーションにしろ、実写にしろ、アメリカ製の映画が世界を席巻することになる。つまり、映画の世界において、アメリカの勝利が始まりつつある時期なのだ。

 この映画の世界におけるアメリカの勝利は、『紅の豚』の設定との時代的一致にはとどまらない。映画の最後、フィオによって後日談が語られるとき、カーチスの顔が大きく描かれた映画のポスターのカットが挿入されている。ハリウッドに野望を持っていたカーチスは、映画の世界で成功したようだ。映画の世界では、「アメリカ野郎」が勝利するのだ

 さらに、先に触れた映画内映画の内容を見てみよう。『紅の豚』と同じ飛行機アニメである。豚のキャラクターがあやつる飛行機に乗せられたヒロインが助けを求めている。それを、長い耳を持つ兎のようなキャラクターの乗った飛行機が追いかける。飛行機は墜落し、やはり『紅の豚』と同様、豚と兎との殴り合いに発展する。だが、最後に豚は負けてしまう。映画の世界では、豚が敗北するのだ

 このように、映画についての映画として『紅の豚』を捉えると、それは圧倒的なアメリカの勝利の映画になっているのである。物語の水準においては、たしかにポルコは「アメリカ野郎」に勝利した、だが映画の世界で本当に勝ったのはアメリカなのだ。現実に目を向けてみても、宮崎アニメが高い評価を獲得し、数多くの国際的な賞を受けているといっても、商業的には国内で局地的な勝利をあげているにすぎず、世界を席巻しているのは相変わらずアメリカ映画である。後に宮崎の『千と千尋の神隠し』はアカデミー賞を受賞したが、それでもアメリカでの興行成績はささやかなものにすぎなかった★29

宮崎アニメの「起源」



 この豚が敗北する映画内映画については、詳細に検討する必要がある。

 キャラクターに注目すると、豚にさらわれたヒロインは、フライシャー兄弟が生み出した人気キャラクターのベティ・ブープ風であることにまず気がつく。そして、ヒーローはディズニー風であり、ミッキー・マウスを想起させる黒い耳を持っている。だが、その耳は長く、ミッキー・マウス以前の最初期にディズニーが生み出した兎のキャラクターのオズワルドを踏まえたものだろう。

 ここで引用されているディズニーとフライシャー兄弟は、東も「ディズニーやフライシャー兄弟の伝統」と言及していたように、セル・アニメーションの基礎の確立に多大な貢献を果たしている。『千と千尋の神隠し』以降はデジタル化されてセルが使われなくなったとはいえ、いまなお宮崎アニメの技法的な基盤はそこにある。いわば宮崎アニメの直系の祖先にあたるのだ。

 さらに、注意していないと見逃してしまうが、映画内映画のベティ・ブープ風のヒロインは6本もの腕を持つという特異な造形がされている。手足を合計すれば8本であり、この蜘蛛のような姿から直ちに想起されるのは、政岡憲三の代表作である1943年の『くもとちゅうりっぷ』である。蜘蛛がてんとう虫の少女をとらえようとする物語のセル・アニメーションで、日本のアニメーション史上に残る傑作である。政岡は日本のアニメーション史を語る上では欠くことができない人物であり、例えば『茶釜音頭』で初めて全面的にセルを使用したことや、アニメーションに「動画」の訳語を当てたことでも知られる★30。1948年には日本動画社を設立したが、同社は、後に宮崎がアニメーターとして出発することとなる東映動画の前身である★31

 これらが単なる「オマージュ」ではないことは、ここまでの考察に照らせば直ちに了解できるだろう。この映画内映画には、宮崎アニメの起源が驚くほど鮮明に描き込まれており、それらがすべてアメリカと結びついている。ディズニーやフライシャー兄弟のアニメはもちろんアメリカ製であるが、東映動画についても「東洋のディズニー」を目指して設立されたことを想起すべきだろう。オタクたちがアメリカという起源を無視あるいは忘却しているのとは対照的に、宮崎は自身の作品の基盤がアメリカに根ざしていることを明瞭に自覚しているのだ。また、政岡の『くもとちゅうりっぷ』からの引用が、アニメーションの戦前からの歴史的な連続に対する認識を示唆している点も注目に値する。オタクたちが明治から敗戦までを無視し、江戸期の伝統文化に起源を求めていた★32のとは異なる態度である。

 このアメリカという起源については、『紅の豚』の物語レベルにおいてもはっきりと主題化されている。修理に際し設計主任として関わり、ポルコの飛行艇を「前よりズッといい艇にした」フィオの技術は、アメリカに起源を持つのだ。フィオは作中で「アメリカに行っとった孫」と明言されており、アメリカで航空機について学んだとみて間違いない。たしかに、イタリア人であるポルコの飛行艇は、イタリアの工場において、イタリアの職人によって修理されたものだ。そして、アメリカ人があやつるアメリカ製の水上艇と同等、あるいはそれ以上の性能を示した。だが、その設計の技術的な基盤はアメリカにあるのだ。この点を考慮にいれれば、ポルコの飛行艇の性能がアメリカ製の水上艇にまさったことを、イタリアのアメリカに対する勝利とは、もはや捉えることはできない。むしろ、ここにあるのは、イタリア対アメリカという図式を無効にするほどのアメリカの圧倒的な優位である。

 このポルコの飛行艇の修理をめぐる構図は、宮崎アニメの製作をめぐる構図に正確に対応している。宮崎アニメは、スタジオジブリという名の日本のスタジオにおいて、概ね日本人のアニメーターによって作成されている。しかし、その技術的な基盤は、アメリカにおいて確立されたセル・アニメーションにある★33。『紅の豚』においては宮崎の分身として主人公のポルコが第一にあげられることが多いが、この文脈で見るならば、飛行艇の設計図を描いたフィオもまた、アニメの設計図たる絵コンテを描く宮崎の分身というべきだろう。

 宮崎自身による『紅の豚』のよく知られた解説に、「社会主義という実験が無残な失敗に終わって崩壊している時、「俺は一匹だけでもいいから飛んでいるぜ」っていってるんですよ」★34というものがある。この言葉の背景をなすのは、『紅の豚』の企画が浮上した1989年における冷戦終結であり、製作途中の1991年におけるソビエト連邦崩壊であるが、裏を返せばそれは、冷戦のもう一方の極のアメリカの勝利であり、グローバリズムという名の世界のアメリカ化でもある。『紅の豚』で映画という要素を通じて語られたアメリカの勝利は、映画の世界だけにとどまるものではない。

宮崎駿という批評家



 ここまでの『紅の豚』の分析から、オタクたちと宮崎のアメリカに対する姿勢の隔たりは明白だろう。アメリカという起源を忘却し、アメリカに対する劣位を優位に反転しようとするオタクたちの欲望に対して、『紅の豚』から読み取れるのは、アメリカという起源とアメリカの圧倒的優位についての透徹した認識だ。アメリカに対する勝利という物語上の見かけを、相対化し、無化し、さらには起源としてのアメリカを刻印するという『紅の豚』に織り込まれた仕掛けの批評性は、驚くべき水準である。東が『動ポモ』第1章でオタク系文化に向けた鋭い批判は、『紅の豚』に対してはまったく無力といってよい。それどころか、1992年公開の『紅の豚』が、2001年出版の『動ポモ』にあらかじめ応答しているかのようですらある。

 この映画の成立過程に遡ると、宮崎の批評的な振る舞いの輪郭がより明瞭になる。
 原作漫画『飛行艇時代』と完成した映画の『紅の豚』を比較すると、先に分析した映画に関する要素が、原作漫画には一切含まれていないことに気づくだろう。それらが最初に確認できるのは、絵コンテという本格的な映画化に向けた段階であり、この時点で意識的に導入されたものと考えられる。

 これらは、物語上の要請によって加えられたものではなさそうだ。ポルコが顔に載せている雑誌が、「CINEMA」でなければならない理由は見出せない。ポルコが無人島を拠点にしており、映画を観に行く機会は少ないであろうことを考えれば、むしろ不自然だろう。また、ポルコが観る映画内映画は、空軍時代の戦友と密かに映画館内で会う場面の背景として挿入されているものだが、その場所が映画館でなければならない理由も見あたらないし、そこで上映されている映画がアニメである必然性もない。さらに、カーチスがハリウッドに野心を持つという設定にいたっては、かなり強引といえる。なぜハリウッドに野心を持つ人間がわざわざアドリア海にまで来て、空賊の助っ人をするのだろうか。アドリア海での活躍がハリウッドでの成功にどのようにつながるというのか。作中でカーチスは「金と名声へのほんのワン・ステップ」と説明しているが、ほとんど説明になっていないというべきだろう。このように、これらの映画に関する要素は、仮になかったとしても『紅の豚』の物語にはほとんどなんの影響も及ぼさない。というよりも、ない方が自然である。

 そうであるならば、映画に関する要素の導入の目的は、既に指摘した物語上のアメリカへの勝利の相対化にあったと言わなければならない。原作においても一定の相対化はなされているが★35、それを徹底させるものとして、アメリカが圧倒的に勝利した分野であり、そしてアメリカ文化の象徴でもある映画という要素を宮崎は導入したのである。

 この明瞭な意図に基づく操作は宮崎の批評性の高さを裏づけるものだが、他方で、そのような操作によって相対化しなければならない原作を描いてしまったことに、宮崎の無意識の欲望を見出すことも可能だろう。物語の文法上、敗北を運命づけられている主人公のライバルに「アメリカ野郎」を選択したこと、そこにオタクたちにも似た欲望が現れているのではないか。本稿ではここまで宮崎とオタクたちの差異を強調してきたが、両者は単純な対立の図式に収まるものではない★36。原作の『飛行艇時代』は、『月刊モデルグラフィックス』という模型雑誌に連載された『宮崎駿の雑想ノート』の一部であり、その連載すべてが兵器を主題にしたものである。つまり、原作は「兵器オタク」である宮崎の趣味が全面に反映された物語なのだ。ポルコの乗る飛行艇のモデルは「小学校の時見た写真」で「それ以来お目にかかってな」かったものであり、「こういう飛行艇に乗って飛んでみたいっていうのが…あの…少年の日の夢なんだよね!」とも語っている★37。そこにオタクたちと親和的な欲望が現れてもなんら不思議はない。『紅の豚』の製作過程は、自らの無意識の欲望を意識化し、それに批評家として介入する作業だったとも言えるだろう。

雫の街とシシ神の森



 ここまで論じてきた『紅の豚』におけるアメリカの主題化と、その後の宮崎の日本回帰の関係を理解するには、後期の作品で実際にどのように日本が描かれたかを確認するのが早道だろう。あらかじめ素描しておくならば、それは「古き良き日本」や「美しい日本」では無論なく、むしろ伝統から切断された醜いものとしての、それでもなお肯定すべきものとしての日本である。

 それがもっともわかりやすく、明確に主題化されたのが『紅の豚』の次に製作された『耳をすませば』である。宮崎は「自分たちが汚い町だなあと思ったものを、もう一度、別な目線で眺めると、それはちゃんと物語の舞台にもなるんではなかろうかという仮説」★38から作られた作品だと語っている。主人公の雫は団地住まいで、似たり寄ったりの家が立ち並ぶ住宅街を抜けてコンクリート製の中学校に通い、友人との待ち合わせはコンビニだ。作中、雫は合唱部のためにアメリカのフォーク・ソング「Take Me Home, Country Roads」の翻訳を手がけるが、それはタイトルからも明らかなように「ふるさと」の歌である。郊外の街で生まれ育った雫は、「ふるさとって何か、やっぱりわからない」ために苦心し、ふざけて「コンクリート・ロード」と歌いさえする。東も言うように「私たちはファミレスやコンビニやラブホテルを通してしか日本の都市風景をイメージできない」★39し、実際のところ雫の住む街は、現実に存在する東京郊外の風景をかなり忠実に模して描かれたものだ。しかし、宮崎はその貧しい風景を前提とし、そこで暮らす雫と聖司という2人の日本人の中学生の青春の物語を「ぬけぬけと」★40肯定的に描いている。

 最後の場面、雫と聖司は高台から朝靄の立ちこめる街の風景を眺める。絵コンテには「この光景を美しいと感じるか、みにくいと感じるかは人によってちがうだろう。がしずくは感動している」★41と記されている。エンディングで日本語訳された「カントリー・ロード」が流れるこの映画が提示する「ふるさと」とは、貧しい風景の「汚い町」のことであるのは明白だ。そして、象徴的なのは、雫がこの日本の貧しい風景の肯定に至る過程において、アメリカのフォーク・ソングの翻訳に重要な役割が与えられていることである。宮崎の日本回帰の転回点に『紅の豚』のアメリカがあったように、雫の「ふるさと」の発見もアメリカを経由したものなのだ。
 次に製作された『もののけ姫』は室町時代の日本を舞台としており、『耳をすませば』とはまったく異なった印象を与える作品である。しかし、宮崎は「実は、自分にとっては『耳をすませば』と『もののけ姫』は対になる作品でね。同じ思想的な基盤から生まれてる」と発言している。これはどういうことだろうか。

 作中の「神の森」であるシシ神の森は、美しく豊かな照葉樹の原生林であり★42、宮崎が影響を受けた中尾佐助の照葉樹林文化論を踏まえれば、それは日本文化を育んだ森ということになるだろう。『もののけ姫』の物語は、その日本文化の起源としてのシシ神の森と、森を破壊しながら製鉄を行うタタラ場の人間たちの相克が基調となって展開する。

 異国の者である主人公のアシタカは、「森と人が争わずにすむ道はないのか」と問い、両者の調和を模索するが、その試みはあらかじめ挫折を運命づけられている。シシ神の森は、人を寄せつけぬ森であり、人が生きていくことができない場所として描かれているためだ。少なくともタタラ場が体現するほとんど近代的な文明社会とは両立し得ない。人間とその文明を否定しない限り、原始の森を維持することは不可能であり、その意味では、シシ神の森は失われるべきものであるとさえ言える。そして実際、シシ神の森は、物語の序盤から既にタタラ場の人間たちによって危機にさらされており、最終的に、原始の森としては失われる。「原始の森としては」というのは、喪失の直後に新たに草木が芽吹くためだが、「蘇ってもここはもうシシ神の森じゃない」★43。シシ神の森は日本文化の起源の森であるのかもしれないが、『もののけ姫』に描かれているのは、その起源からの切断である。

 アシタカが、森を破壊したタタラ場を否定することなく、そこで生きることを決意するのは、現在の我々もまた、その破壊を前提として生きているからに他ならない。失われた美しく豊かなシシ神の森の上に、雫の住む貧しい風景の街が作られたのだ。「対になる作品」との宮崎の言葉は、このように捉えることで了解できるものだ。

 ここで、なぜ宮崎は日本回帰したのかという最初に立てた問いに答えておこう。

 『紅の豚』は、映画というアメリカ文化を象徴する要素によって、アメリカの圧倒的優位と、我々の基盤がアメリカに根ざしていることを描き出している。それがアニメや映画といった分野にとどまらないことは、東も、あるいは江藤淳や加藤典洋も論じていることだ。後期の宮崎が描いたように、起源としてのシシ神の森は失われ、手元にあるのは貧しい風景の雫の街でしかない。いわば日本はジャンクとしてしかあり得ないのだ。前期の宮崎が基本的に日本を舞台としなかったのは、そのような「アメリカの影」の差す日本から、半ば目を逸らしていたためだといえるだろう。

 だが、既に分析したように、『紅の豚』で示された宮崎の「アメリカの影」に対する認識は極めて明瞭なものだ。欲望の水準では、失われた美しい日本を求め、あるいは手元にある醜い日本を嫌悪していたとしても、『紅の豚』を通過した宮崎にとって、美しい日本を理想的に描きだすことも、醜い日本を忌避して外国を舞台にすることも、欺瞞でしかない。「アメリカの影」の差す日本の醜さに対する明瞭な意識が、それを前提として映画を作るべきであるという「覚悟」に宮崎を導いたのではないだろうか。宮崎の日本回帰は倫理の問題であるとは、このような意味である。

 残りの後期の2作については、簡単に言及するにとどめる。

 『千と千尋の神隠し』の異界は、宮崎によれば「日本そのもの」★44である。主人公の10歳の少女千尋は、八百万の神々が訪れる湯屋で働くが、その建物は「純和風」ではなく、多様な文化の入り交じった猥雑なものである。そして、その異世界は、バブル期に計画されて破綻した「テーマバークの残骸」★45に出現するのだ。ここに描かれたのは、まさしくジャンクとしての日本である。

 『崖の上のポニョ』は、明確に日本を主題にしたものではないが、他の後期の作品と通じ合っている。登場する海はゴミだらけで汚れており、フジモトという「人間をやめた」男は「海の時代」を取り戻すために、「生命の水」を集めている。その成功は「いまわしい人間の時代が終わる」ことを意味するようだが、その試みは「娘」の「半魚人」ポニョの介入により実にあっさりと失敗し、「海の時代」は戻らない。『もののけ姫』でいえば、シシ神の森の回復の試みと、その失敗に相当するだろう。最終的にこの映画で肯定されるのは、原初の自然への回帰ではなく、奇形的存在の「半魚人」ポニョであり、そのポニョを受け入れる人間の少年である。

アニメの中の「ふるさと」



 後期の宮崎が描いた日本に、前期で唯一日本を舞台とした『となりのトトロ』を対置すると、『紅の豚』でアメリカを経たことの意味がより鮮やかに浮かび上がる。『となりのトトロ』は、美しい田園風景が広がる郊外に転居してきた2人の少女の物語である。時代は昭和30年頃★46、戦後の混乱期を過ぎた一方で、いまだ高度成長期には入っておらず、「自然」が残されていた時期である。

僕が学生のころに、わずかなお金を持って、テントを担いで、旅行をしたんです。そのころは、本当にどこへ行っても水が綺麗で、どこに行っても貧乏で(笑)。本当に美しい日本の最後の瞬間を見ることができたんです。今の人たちから比べたら、申し訳ないような美しい風景を見ることができました。★47


 ここで宮崎が語っている学生時代は、昭和30年代の後半にあたる。『となりのトトロ』で描かれたのは、「最後の瞬間」以前の、宮崎が実際に見知っている「本当に美しい日本」なのだ。それは、後期作品の風景とは、まったく異なっている。とりわけ、同じく少女の引っ越しからはじまる『千と千尋の神隠し』と比較すれば、その違いは鮮明である★48

 『となりのトトロ』で理想的に描かれているのは、風景だけではない。例えばアニメ研究家の久美薫は、地縁や血縁でがんじがらめの農村の「世間」がまったく描かれていないと批判している★49。これは、昭和30年代を理想的に描き出した2005年の『ALWAYS 三丁目の夕日』に向けられた批判と同型のものであり、「現実」を描くことを是とする立場からは、「正しい」批判と言えよう。また、映像研究家の叶精二は、当初案や準備稿との比較に基づいて「少しでも不快と思われるシーンは削除した形跡がある」との興味深い指摘をしている★50

 『となりのトトロ』で描かれた「自然」は、田畑や里山であり、人の手が加えられた「自然」である。それは、人を寄せつけない『もののけ姫』のシシ神の森とは異なり、人が調和し、回帰可能な存在としてある。実際、エンディングでは、都会から来た主人公の2人の少女が、田舎の生活と地元の子供たちにすっかり馴染んでいる姿が描かれている。宮崎は「懐かしいって言われたときにいちばんムカッとくる」★51と言うが、宮崎の狙いはどうあれ、現実に『となりのトトロ』は「懐かしい」ものとして受容されているし、それはもっともなことだ。公開された1988年時点で既に失われていた「本当に美しい日本」を、理想的に、そして回帰可能なものとして描き出しているのだから。

 公開から四半世紀近くを経た現在でもなお高い人気を保ち続けている『となりのトトロ』が、完成度の高い傑作であることは疑いない。だが、この作品が数ある宮崎アニメの中で際立って特権的な地位を得ているのは、完成度のみによるのではなく、ほとんど完璧な日本の「ふるさと」を創出してしまったことによるのではないだろうか。公開当時にはもちろん存在しなかったし、それ以前にも存在したことのない『となりのトトロ』の「ふるさと」は、我々に「アメリカの影」を意識させることのないものだ。『となりのトトロ』がほとんど「国民的アニメ」として受容されているのは、理想化された「ふるさと」が、この国に投じられている「アメリカの影」を覆い隠す幻想として機能してきたためである。宮崎が「国民作家」となったのも、先に指摘した「アメリカによる承認」を受けたのが、この理想的な日本の「ふるさと」を創出した作家であったためだと言える。しかし、この「ふるさと」は、当時の宮崎が「アメリカの影」から目を逸らしていたからこそ生み出されたものであり、『紅の豚』を通過して以降の宮崎が『となりのトトロ』のような映画を作ることはなかったし、これからもないだろう★52

 ところで、既に述べたように、後期の宮崎が明確に意図して提示した「ふるさと」は『耳をすませば』の雫の街だが、その舞台のモデルとなった聖蹟桜ヶ丘は、いわゆる「聖地巡礼」の対象の地として知られている。アニメの舞台のモデルとなった土地を訪ねる「聖地巡礼」が盛んに行われるようになったのは2005年以降であるといわれ★53、一般にも広く認知されるようになったのは2007年放映の『らき☆すた』以降である。1995年公開の『耳をすませば』が相当早い事例であるのは間違いなく、ほとんど起源と言えそうである。「聖地巡礼」という言葉もおそらく存在しなかった公開当時から多くの人が聖蹟桜ヶ丘を訪れ、17年が経過した現在においても、いまだに「聖地巡礼」の定番の地のひとつであり続けている。この「聖地巡礼」は、我々にとって親しい「ふるさと」とはこの貧しい街並みだという、宮崎が『耳をすませば』で示した認識の正しさを証明しているようにも見える。

 だが、「聖地」への親しさは、アニメという虚構の中において描かれることによって、はじめて生じたものである。そうであるならば、我々の「ふるさと」は、現実の郊外の貧しい街の風景であるというよりも、虚構の中の風景であると言わなければならない。この国の人々は『紅の豚』の豚の顔に驚くことすら忘れてしまうほど宮崎アニメに慣れ親しんでいるのだから、それは当然の事象である。むしろ、「国民国家」宮崎駿のアニメこそが、我々の「ふるさと」の原風景なのだ。
 


主要参考文献

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津堅信之『日本アニメーションの力 85年の歴史を貫く2つの軸』、NHK出版、2004年。
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宮崎駿『映画『紅の豚』原作飛行艇時代[増補改訂版]』、大日本絵画、2004年。
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みやじ・はるを・よしたか、tricken、反=アニメ批評編『アニメルカ増刊号 背景から考える――聖地・郊外・ミクスドリアリティ』、アニメルカ製作委員会、2011年。
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「宮崎駿 3万字インタビュー」、『月刊カット』2011年9月号。
「鈴木敏夫 『コクリコ坂から』、そしてジブリの現在地を解く」、『月刊カット』2011年9月号。
『コクリコ坂から』パンフレット、2011年。

★1 『出発点』、547頁。以下主要文献の書誌情報は記事末尾を参照。
★2 『風の帰る場所』、314頁。
★3 『耳をすませば』は近藤喜文監督作品であり、主に演出面で宮崎の監督作品とは異なる印象を与えるが、アニメの設計図にあたる絵コンテを担うなどの宮崎の果たした役割の大きさや、後述する『もののけ姫』との関係を踏まえて、本稿では「宮崎アニメ」として扱う。
★4 『出発点』、419頁。
★5 なお、『魔女の宅急便』、『千と千尋の神隠し』も同様の制作過程である(『宮崎駿全集』、277-278頁)。
★6 『時代の風音』、165頁。他方で、「亀裂がしだいに深刻になっていったのは、作品のために外国にロケハンで行くようになってからであった。憧れたスイスの農村で、ぼくは東洋の短足の日本人であった。西欧の町角のガラスに写るうす汚い人影は、まぎれもなく日本人の自分だった。外国で日章旗を見ると嫌悪におそわれる日本人であった」(『出発点』、266頁)とも書いていており、宮崎の日本に対する感情の変化はより複雑なものと見るべきだろう。
★7 『アルプスの少女ハイジ』の放映は1974年で、その前年の7月にスイスを訪れている(『出発点』、566頁)。
★8 1984年には両者の著作に言及している(『出発点』、260-262頁)。また、1980年には照葉樹林を想起させる「照樹務」の名義で作品製作に参加している(『出発点』、567頁)。
★9 『出発点』、436頁。
★10 実際、前期で日本を舞台にした『となりのトトロ』の公開までの経緯は多難であり、当時はかなりの制約があったことがうかがえる(『風の帰る場所』、294-296頁)。
★11 『風の帰る場所』、122頁。
★12 この節の記述は『動物化するポストモダン』の第1章に大幅に依拠している。以下では、煩雑さを避けるため、注は引用部分のみに付すこととする。
★13 『動物化するポストモダン』、19頁。
★14 『動物化するポストモダン』、20頁。
★15 『動物化するポストモダン』、20頁。
★16 『動物化するポストモダン』、24頁。
★17 『動物化するポストモダ ン』、38頁。
★18 『動物化するポストモダ ン』、23頁。
★19 『動物化するポストモダン」、21-22頁。
★20 東は前者を「表現主義」、後者を「物語主義」と呼んでいるが、その呼称は適切ではない。例えば宮崎は、『巨人の星』などを例に挙げて「表現主義」に批判的に言及しており(『出発点』、107-109頁)、その宮崎の作品を「表現主義」と呼ぶのは妥当ではないだろう。とはいえ、区分自体は有効であり、日本のアニメ史を、フル・アニメの劇場用長編を主軸とする東映動画系と、リミテッド・アニメのテレビアニメを主軸とする虫プロダクション系に分類して整理することはごく一般的である。アニメ研究者の津堅信之は「必ずしも単純な二つの対立軸とみなすことはできない」と留保しつつも、高度経済成長期の日本アニメをこの両者を中心的に取り上げて整理している(『日本アニメーションの力』、130-131頁)。
★21 『宮崎駿全書』、212頁。
★22 『宮崎駿全書』、248頁。
★23 冒頭ポルコが顔に載せている雑誌の表紙に「1929」の文字が見えることから、1929年以降の話だと推測できる。また、企画書等においては、「1920年代」(企画書)、「1920年代中頃」(ストーリー原案)「1920年代末」(原作)といった記述がある(『スタジオジブリ作品関連資料集Ⅳ』、35-36頁。『飛行艇時代』、3頁)。
★24 フィオのナレーションとして「ミスター・カーチスは、大統領になった今も時々、手紙をくれるわ」と記されている(『スタジオジブリ絵コンテ全集7 紅の豚』、457頁)。
★25 『飛行艇時代』、12頁。
★26 『オタク学入門』、325頁-333頁。
★27 「失われた本源性を探求するテクノロジー ファシズム批判に隠されたアニメ論」、『フィルムメーカーズ6 宮崎駿』、138頁。
★28 絓は、映画とファシズムの関係を重視し、『紅の豚』をファシズムへの「抵抗」の映画として読み解いている。ファシズムをテクノロジーによる失われた本源性の回復の運動として捉えた上で、アニメというテクノロジーが本源性を探求するカメラの視線を模倣する擬態にすぎないことや、フィオたちの飛行機を作るテクノロジーが人間でなく豚に捧げられることを指摘し、本源的自然とテクノロジーの共生を宙に吊るアニメとして『紅の豚』を論じている。
★29 『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』、201-204頁。
★30 『日本アニメーションの力』、104頁。
★31 『日本アニメーションの力』、120頁。
★32 『動物化するポストモダン』、36頁。
★33 評論家の大塚英志は 「極論として、日本のまんが/アニメは本質的に日本に移植された「ディズニー的なもの」の「亜種」であり、現在のジャパニメーションの国際化は、この日本で数十年ほどかかって育った「亜種」を宗主国が回収しているにすぎないという立場をとります」(『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』、175頁)としているが、『紅の豚』から読み取れるアニメに対する宮崎の認識は、大塚の立場にも近い。
★34 『スタジオジブリ作品関連資料集Ⅳ』、23頁。
★35 具体的には、アメリカに行っていたというフィオの経歴、ラストの決着を空中戦でつけずにカタルシスを回避している点があげられる。
★36 東は、宮崎アニメに「ヒロインのロリコン的魅力」や「オタク的関心を喚起するアイテム」があったことを指摘したうえで、『となりのトトロ』はそれを抑圧することで成立した作品だとしている(『郵便的不安たちβ』、208-209頁)。
★37 『飛行艇時代』、61頁。
★38 『折り返し点』、67頁。
★39 『動物化するポストモダン』、33頁。
★40 企画書に記された言葉(『出発点』、418頁)。
★41 『スタジオジブリ絵コンテ全集10 耳をすませば On Your Mark』、445頁。
★42 照葉樹林であることは絵コンテに明記されている(『スタジオジブリ絵コンテ全集11 もののけ姫』、13頁)。
★43 山犬に育てられた少女サンの台詞。
★44 『折り返し点』、258頁。
★45 千尋の父親の台詞。
★46 厳密に設定されており、実際には1953年(昭和28年)である(『コクリコ坂から』パンフレット)。
★47 『ジブリの森とポニョの海』、66頁。
★48 みやじ・はるを・よしたかは、「『千と千尋』の舞台と『となりのトトロ』の舞台は、すごく近い場所」であり、「しかも描き出されるのは『トトロ』にあったような美しい場所ではなく、バブルを経過することによってすっかり傷つけられてしまった森林の姿」であると指摘している(『アニメルカ増刊号 背景から考える』、30頁)。
★49 『宮崎駿の時代』、152-172頁。
★50 『宮崎駿全書』、119頁。
★51 『出発点』、368頁。
★52 「『トトロ』の2」の構想自体は存在したようだ。スタジオジブリのプロデューサーの鈴木敏夫らの反対により実現はしなかったが、かなり具体的なもので、三鷹の森ジブリ美術館のみで2002年に公開された15分ほどの短編『めいとこねこバス』を活用した上で、60分程度新たに追加する案だったという(『月刊カット』(2011年9月号)、24-25頁、 30-31頁)。しかし、それがオリジナルの『となりのトトロ』とはまったく異なる映画になったであろうことは、『めいとこねこバス』の内容(あえてその紹介は避けるが)から容易に想像できる。
★53 『アニメルカ増刊号 背景から考える』、24頁。

中谷径

1979年生まれ。東浩紀による批評家育成プログラム「ゲンロンファクトリー」における提出論文「『国民作家』宮崎駿の日本回帰――転回点としての『紅の豚』のアメリカ」が優秀作に選出、『ゲンロンエトセトラ #6』に掲載された。
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