福島第一原発観光地化計画と日本の未来|小林よしのり+東浩紀

初出:2014年3月20日刊行『ゲンロン通信 #11』
 東日本大震災から10年。「復興」のためにこれまでに30兆円を越える予算が用いられ、まるでその達成を祝うかのように、今年の3月には聖火リレーが始まりました。しかし、復興がほんとうに達成されたとはとても言えません。薄れていくわたしたちの記憶、40年とも言われる福島第一原発の廃炉作業、そしてそのあいだを独自の物語で埋めてしまうさまざまな震災遺産の展示。わたしたちはどうやってこのできごとを引き受けて、さきに進んでいけばいいのでしょうか。
 本日のゲンロンαでは、2013年にゲンロンカフェで開催された小林よしのりさんと東浩紀の対談をお届けします。『福島第一原発観光地化計画』の発売に合わせて企画されたこの場が、初めての顔合わせとなったふたり。記憶の風化、健康被害、地域の誇り、アジアとグローバリゼーション、民主主義を育てること。ことばがぶつかり交錯するなかに、ふたりの知識人がともに願う未来が映る白熱の議論です。(編集部)

 

東浩紀 今日は、小林よしのりさんをお迎えし、「福島第一原発観光地化計画と日本の未来」と題して対談を行います。『福島第一原発観光地化計画』を出版したあと、誰に意見を聞きたいかと考えたときに、まず最初に頭に浮かんだのが小林さんでした。ぼくは1990年代、『ゴーマニズム宣言』がブームになったころから、小林さんの動向を追ってきました。実際、薬害エイズ問題の時期に一番熱心に小林さんを応援していたのは、ぼくたち団塊ジュニア世代だと思います。それからずっと言論人として一線で活躍されてきて、3.11以後にも『脱原発論』を発表し、話題を呼んでいます。そんな小林さんはこの本に対してどういう印象を持たれたか、まずは率直な感想をお聞かせいただけないでしょうか。

事故は風化するか

小林よしのり まず2036年にJヴィレッジを再開発されると聞いたときに、いま60歳のわしにはもう時間がないな、と思いました。自分の人生はあと10年くらいだろうと。だから、若い人たちがこういうプランを掲げていまから動き出していこうというのは、素晴らしいことだと思います。けれどいまひとつ、これがなんのためのものなのかが見えてこない。福島第一原発事故の風化を防ぐため、と言われていますが、しかしあの事故が風化することなどあるのか。

 風化は進みつつあると思います。しかもそれは政府や電力会社だけが望むことではありません。

 ぼくがよく挙げる例は警戒区域の再編です。事故現場周辺の警戒区域は、原子力災害対策特別措置法に基づいて国が責任を持つことになっていました。しかし再編後は、それぞれの自治体の判断に任されている。無責任な体制です。しかしそれを望んだのは誰か。政府だけではないと思います。被災者の一部も、もう安全になった、警戒区域指定は必要ないのだと宣言されることを望んでいたのではないか。本来利害関係が対立する立場の人々が、ともに「あの事故は大した影響がなかった」と結論付けたがっている。

小林 両方が事故をなかったことにしたいと思う、と。

 そうです。そもそも福島は、宮城や青森などの被災地とくらべて、とても語りにくい問題になっています。最近、マスコミでも震災遺構の保存の是非が取り上げられるようになってきました。しかし原発事故の震災遺構についてはまったく語られていない。一方では加害者も被害者も風化を望み、他方で第三者は福島について語りづらい雰囲気が生まれている。このままでは、風化は進む一方でしょう。

小林 わし自身は常に心配です。みんながそうではないのかもしれないけれど、まともな人ならば、常に喉に小骨が刺さっているような感覚を持っていると思います。

 個人的には、福島に関してはかなり悲観的に見ています。4号機のプールの中から燃料棒を1年かけて1本ずつ取り出し、管の中に入れて別の場所に移していても、そのうちにもう一度事故や災害が起きれば、今度こそ本当に東京から避難しなければいけなくなるかもしれない。

 その通りだと思います。

小林 1号機や3号機については、手をつけるまでに数十年かかる。気の遠くなるような話です。とても忘れていられるような話ではない。だから風化を恐れるどころか、もっと延々と心配を続けなければならない。

 事実関係についてはぼくも同じ認識です。汚染水についても、結局は敷地全体をある程度封鎖するしかない。廃炉を完了させて原発跡地を公園にするなんてとても考えられない。

小林 それなのに、政府は年間20ミリシーベルトまでは大丈夫だと言い始めた。そこでみんなが家に戻るか。子どもが住める地域ということを前提に考えないと生活空間にはならない。子どもがいなければ未来はないので、年寄りだけが自然に死んで行くのを待つために街や空間を整備するというわけにはいかない。だとしたら、生活する母親や父親の身になって、子どもが住める地域をつくっていかなければ仕方がない。汚染水の問題も深刻です。

 しかしこれだけ深刻な事態に対し、東さんたちのプランが民間だけで実現可能か。決して反対というわけではないですよ。けれど、やはり大きな公共事業に対しては、国や地方が税金を投じないと実現できないのではないかと思います。この計画のお金はどこから出てくるのですか?

 それは税金になりますね。2020年の段階では、再開発の一環として、品川周辺にアジアハザードセンターを設けることを提案していますが、これは東京都の予算を想定しています。ヴィレッジを会場とする災害博覧会については、国と民間の半々くらいで考えています。書籍では、建築家の藤村龍至さんに試算もお願いしました。この本の出版を受けて、誰がどのような関心を持ってくれるか、楽しみにしています。

小林 仮に予算の問題がクリアされたとしても、どんな事故で一気に頓挫するかわからないのでは?

 それを言い始めると、なにもできません。それこそ東京に住むことだってリスクです。あと30年のうちには、かなりの高確率で東海地震が起こると言われています。けれども東京の未来について考えなくていいということにはならない。

小林 確かに、東さんのような戦い方もあるのでしょう。けれど、自分は活動できるのがあと10年くらいだと思っているので、政府から被災地にどれだけ予算を落とさせるかというところに発想が向く。

 ただ、この計画は未来に向けた建設的なものなので、意義があることは認めます。けれどその手前で、計画に参加している人たちは脱原発派なのか、それともそこには関心がないのかを聞きたい。

 ぼく個人は脱原発すべきだと思っています。しかし、プロジェクト全体が脱原発なのか原発推進なのかという話をすると、そこから先に進まなくなります。そもそも、「原発事故の記憶を風化させてはならない」という目標は、エネルギー政策や原子力の是非についての議論とは無関係で、いろいろな立場の人たちが協力して取り組めるし、取り組むべきもののはずです。だからいまのような質問については、観光地化計画は脱原発とも原発推進とも関係のないプロジェクトだ、とお答えすることにしています。

小林 ただ、世間の人は、これは脱原発のプロジェクトだと受け取りますよね。

 そう受け取っていただけるのはむしろありがたいです。

倫理としての脱原発

 『脱原発論』を読ませていただいた限りでは、低線量被曝の健康被害については、ぼくは小林さんとはかなり違う考え方を持っているようです。ぼくは小林さんほど厳しくは考えていない。それは、チェルノブイリや福島の取材に行った結果です。とはいえ、ぼくが日本は脱原発すべきだと主張しているのは、原発そのものが悪と考えるからではなく、国内政治や外交上の立場を考えると、脱原発以外の選択肢はありえないと思うからです。もしかしたら、原発は技術としてはすぐれていて、合理的なのかもしれません。しかし仮にそうだとしても、こんな事故を起こしてしまった以上、この国にはもう脱原発という選択肢しかない。

小林 そこはわしと感覚が違いますね。わしは、原発の問題とは、すぐれて倫理的な問題だと思っています。日本は、すでにトルコのような地震大国に原発を輸出している。現実の金儲けのシステムに、原発が組み込まれている。そこには倫理のかけらもない。日本経済について考えるならば倫理なんか必要ない、という理屈もあるでしょうが。

 ただぼくは、人類は決して原子力の技術を手放さないと思う。小林さんが『脱原発論』で打ち出されているのは、一言で言えば反進歩主義です。しかし、進歩主義は、決して近代という一時代がつくった流行のイデオロギーなどではなく、人類とはなにか、ということの根幹にかかわっている。コントロールできなかったものをコントロールできるようになる喜びは、人間の本能に近いものです。だから、全人類が原子力を放棄するということは、ぼくにはとても想像できない。

小林 兵器としての原爆がなくなることはないでしょう。けれど、日本は原爆も持つことができていない。今年(2013年)10月、安倍政権は「核兵器の人道上の影響に関する共同声明」に署名しました。日本は、アメリカの核の傘に守られているにも関わらず、です。西にしすすむに代表される日本の保守派は、核武装のために原発は必要だと言っています。しかし、現実的に核武装ができるのか。不可能だとすれば、原発は必要ないのではないかと思っています。

 それともう一点、わしは進歩主義を否定するつもりはありません。否定しても意味がない。ただ、どの方向に進歩するかという問題がある。原発を一定数維持するのが、本当に進歩なのか。商業的に見てもコストがかかりすぎるのではないか。東電にいくら税金をつぎ込んでいるのか。資本主義的に成り立たないならば、早晩、日本から原発は消えるでしょう。

 では、日本から原発が消えたとしましょう。でも、中韓やインドなど、これから原発をつくっていきそうな国はたくさんある。そこで事故が起きれば、日本も放射能被害を受けざるをえない。それについては、小林さんはどうしたらよいと思いますか。

小林 櫻井よしこのような保守派の論客が言っている理屈ですね。韓国にも原発があるのだから、放射能は気流に乗ってくる、だから日本だけ脱原発しても仕方がない、という。しかし、わしはそれには与しない。中国や韓国で事故が起きるのと、日本で事故が起きて日本の土地が失われるということは、意味も被害もまったく違う。

 韓国の古里コリ原発はサンのすぐそばにあります。ここでもし事故が起きれば、九州は福島事故よりも大きな打撃をこうむる。

小林 ならば、日本はもっと新しい代替エネルギーの方法を見つけて輸出した方がいい。安全保障上その必要がある、ということになる。

 それもひとつの戦略でしょう。しかし、なぜぼくがいまこの話題を持ちだしたかというと、本当の意味での脱原発を考えていくと、日本だけの脱原発であってはいけないということになるのではないか、という話をしたかったからなんです。

小林 けれど、まずは日本のことを考えなければならない。韓国のことは日本人には決められないのだから、とにかくまずは日本国民として、自国の原発の問題を解決しなければいけない。

 トルコへの原発輸出を正当化するうえで、世界の原子力産業をより安全なものにするために、事故を経験した我々だからこそできる新技術を提供するのだ、という理屈がありますよね。

小林 バカみたいな理屈だ。

 ぼくも違和感を感じます。でも、地震国が原発をつくるなら、ほかの国よりも同じ地震国である日本が受注した方が安全だという考え方は、確かに筋が通っているのかもしれない。ぼくが言いたいのは、世界のどこかが原子力を欲望している限り、日本の原子力産業の輸出を正当化するロジックはいくらでもつくれるということです。

小林 しかし、それは完全な詭弁でしかない。論理としては成り立っても、それが倫理的に見て本当に倫理的に正しいのかどうか、直観でわからなければいけないと思います。もちろん、論理的にも間違っていると説明できます。それはこれからやっていく。しかしその前に、そんなことが倫理的に許されるのか、許されるはずがない、ということを確認しなければならない。いまは保守派こそが、倫理観を無視して原発を推進している。山本太郎の方がよほど誠実な右翼青年ですよ。彼はほとんど倫理だけで動いている。福島の健康被害が心配で堪らない、ほかの政治家は頼りにならないから、天皇陛下にお知らせするしかないという切迫感で行動した。

健康被害をめぐって

 ただ、倫理と切迫感があればいいかというと、さすがにそうではないでしょう。健康被害を大げさに強調してもいいのか。

小林 わしは法的に認められた年間1ミリシーベルトを前提に話しています。それも危ない、ということになると話が進まない。その上で、本当に年間20ミリシーベルトを認めてよいのかを議論しなければならない。山本太郎のように原則を貫く人間がいるのはありがたいと思う。

 しかし現実的に言って、年間1ミリシーベルトを基準にすると、100万人以上を移住させなければならなくなります。これはできない。

小林 しかし、その現実から遡って、本来の法や常識を書き換えるというのは、それ事態が異常なことです。だから、我々は年間1ミリシーベルト以上の地域に住む人々に、申し訳ないという気持ちを持っているべきです。わしも自分でガイガーカウンター持って福島に行きました。浪江町に入ると誰もいない。ただ、残された猫が鳴いて寄ってくる。腹を減らしているのでパンをやったりしました。柿の木がきれいで、川の水を見ても魚は泳いでいる。なんて美しい町なんだろうと思う。けれど汚染されている。ガイガーカウンターは鳴りっぱなしでした。

 その通りだと思います。ただ、低線量被曝の健康被害については、基本的には統計的な問題で、その結論については、まだ誰も科学的に正しい結論を導き出せていない。

小林 そうですね。

 人々が病気になるかもしれない、というのは事実です。それを伝えることはいい。けれど、それを強調しすぎると、今度は福島に住む人々とぼくたちは連帯することができなくなってしまう。「福島に住むべきではない」と主張するのはいかがなものか。

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1953年生まれ、福岡県出身。漫画家。大学在学中に描いたデビュー作『東大一直線』が大ヒット。代表作の一つ『おぼっちゃまくん』は社会現象となり、アニメ化もされた。92年より連載中の『ゴーマニズム宣言』では、世界初の思想漫画として社会問題に斬り込み、数々の論争を巻き起こしている。最近はネットでの言論も盛んに行ない、Webマガジン「小林よしのりライジング」やブログでの発言が注目されている。近刊に『天皇論「日米激突」』 (小学館新書)、『慰安婦』(幻冬舎)など。

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1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』(河出書房新社)、『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)ほか多数。

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