チェルノブイリの教訓を福島に──世界における科学ジャーナリストの役割(後篇)|ウラジーミル・グーバレフ 聞き手=上田洋子

初出:2014年3月20日刊行『ゲンロン通信 #11』

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チェルノブイリとソ連崩壊

上田洋子 チェルノブイリ事故後、ロシアあるいはソ連の文化は変化したのでしょうか? 事故の収束作業は、ちょうどソ連崩壊と時期が重なっていますよね。

ウラジーミル・グーバレフ もちろん、チェルノブイリとソ連の崩壊は直結している。チェルノブイリがそのひとつの要因となったことは明らかです。

上田 そのへんを日本人にもわかりやすく説明していただけないでしょうか? そもそも、ソ連崩壊後に生まれた日本の若い世代には、共産主義体制の国家とは何だったのか、想像することすら難しくなっています。収束作業を推進できたのは、国家が命じ、呼びかけたからだというのも彼らにはわかりにくいと思います。さらに、ポスト・チェルノブイリの状況とソ連崩壊の状況が混乱してしまって、ソ連崩壊後に起こったこともすべてチェルノブイリのせいだと考えてしまっている人もいます。

ウラジーミル・グーバレフ氏

グーバレフ チェルノブイリが起こって、ソ連の人々は変わりました。

 わかりやすい例を挙げましょう。1966年に娘が生まれたときは、娘が教育を受け、夫を得て、子供を作り、家を持って、国に何が起ころうともそれなりの人生を過ごすだろうと、確信を持てた。けれども1991年に孫娘が生まれたときには、孫の将来を不安に思わずにはいられませんでした。教育を受けられるのか、それに家を買うことができるのかについても確信がなかった。確信を持てるか持てないかというのは大きな境界線になります。

 なぜチェルノブイリに多くの若者が押し寄せたのか?われわれが絶対に行くなと言っていたにもかかわらず。それはチェルノブイリが国民全体の厄災として捉えられていたからです。それが遠いウクライナのどこかで起こった事故であろうと、やはり国はひとつでした。だから、収束作業に参加して、国家の厄災を何とかしなければと、多くの人が考えたのです。例えば現在のチェルノブイリ原発所長も、事故収束作業に役に立ちたい一心で若い頃にシベリアのトムスクからチェルノブイリに行った人です。私も同じ感覚でした。だから他の人を派遣するのではなく、自分で取材に行ったのです。

 もっとも今日、同様の事故があっても、私が駆けつけたかどうかはわかりません。今は人間の心理が変化して、10倍や20倍の報酬が支払われるなら行ってもいいという考え方が普通になっています。かつて、チェルノブイリ原発4号機の屋根に向かった若い兵士たちは危険を認識していた。けれども報酬を尋ねる人はいませんでした。チェルノブイリ経験者たちに、今、同じような事故が起こったら収束作業に参加したかと尋ねましたが、大半の人が「否」と答えました。報酬があるなら行くかもしれないと。

 当時、誰より臆病だったのはゴルバチョフとエリツィンでした。ゴルバチョフは短時間だけ滞在してすぐに帰ってしまった。怖れていたんです。エリツィンはロシア国内で被害の大きかったブリャンスク地方に行ったけれど、やはりすぐに帰ってしまった。ゴルバチョフが権威を失墜したのはこのせいでしょうね。その後はソ連が崩壊し、国が分かれて、事故を他人事にしている状況があります。

 われわれは関係ないという感覚が、20余年の間に培われていることは大きな問題です。当初、事故は世界各国の人々を結びつけました。この感覚は発展させる必要があった。チェルノブイリはわれわれ、ロシア、ベラルーシ、ウクライナの厄災ではなくて、全世界にとっての厄災であることを示すべきでした。けれどもゴルバチョフのみならず、指導部全員がそれに反対でした。

上田 イメージが悪くなるからでしょうか?

グーバレフ ゴルバチョフはそもそも何が起こったのか理解していなかった。彼はこの大事故を反ゴルバチョフ派が起こしたと考えたんですよ!(笑)

原子力を考える

上田 チェルノブイリ事故後、あなた自身の原子力に対する考え方は変化しましたか?

グーバレフ 原子力エネルギーに関してやるべきことを、より醒めた目で見て、考えられるようになりました。他方で、自分が事故以前にも原子力が危険だという認識を持っていたことに気付きました。私はプラウダ紙の編集者として、原子力をやみくもに称賛するような文章は掲載してきませんでした。それどころか、原子力エネルギー政策をどんどん発展させようという考えには反対でした。ソ連の産業は原子力エネルギーという新たな段階に入る準備ができていなかった。技術も専門家の数も足りませんでした。

 25年以上経った今、むやみに安全を謳う当時の状況が一巡して戻ってきていると思います。だからこそ、常に危険だと言い続ける必要があります。

上田 事故後、日本では、原子力エネルギーは危険だから、すぐさま稼働停止すべきだという議論が文化人層から出ています。

グーバレフ ソ連は原子力を推進していましたが、それは悪いアイデアだったとは言えません。一般的な生活水準を高める科学やテクノロジーというものが存在するからです。しかも原子力エネルギーは他のものよりかなり安価だった。日本はさらに宇宙開発に参入し、自国の衛星やロケットを作りはじめますよね。

 宇宙と原子力エネルギーは現在、世界で最も先端的なテクノロジーのひとつで、産業全体をリードしているとすら言えるでしょう。産業のレベルはすなわち生活のレベルです。ゆえに、核エネルギーを拒絶するということは、生活レベルの下降を意味するわけです。

上田 もしも原子力を拒絶するなら、宇宙開発もやめなければならなくなると?

グーバレフ 基本的にはそうです。

上田 それは宇宙開発に大きなエネルギー源を必要とするからですか?

グーバレフ 直接的な関係ではありません。科学とテクノロジーの先端的分野はレベルの高い専門家を必要とする。日本はそうした専門家養成の実績がありますね。国内向け産業として考えると、日本はこの点で世界で最も優れている国のひとつです。

 以前は日本のエネルギーの約3分の1を原発が供給していました。もしも今完全に原子力を放棄した場合、日本のエネルギー需要がどれだけ満たされるのか、私にはわかりません。いずれにせよ、この問題には理性的に対峙しなければならないし、そのためには専門家の意見に耳を傾けるべきです。日本にはまだレベルの高い専門家がたくさんいる。私は日本が原発を完全に放棄するとは思っていません。ただ、これまでのような国民の救世主的な役割は終えるでしょう。

上田 チェルノブイリ事故後、一般の人々はテクノロジーや科学への信頼を失ったのでしょうか?

グーバレフ 最初はそうでした。今は無関心です。

上田 最初というのは?

グーバレフ 事故後の数年間のことです。もうずいぶん前から科学への関心は薄れている。残念ながら、今の若者たちはチェルノブイリを知りません。どこか外国での事故だというような意識です。

上田 ロシアではもうこの問題は忘れられていると?

グーバレフ まずは事故の経験者に敬意を払うこと。例えば戦争経験者は少なくなりましたが、それにしても彼らは過度の称揚を受けているのではないでしょうか。他方、チェルノブイリに関わった人々はまだたくさんいます。だが、彼らにきちんと注意が払われてきたとは思えません。

 そもそもこれはウクライナの問題だとされてしまっています。

 ベラルーシがチェルノブイリ関係者に対して最も適切なケアをしていると思います。昨年ホメリに行きましたが、最良の医療機器を備えた素晴らしいチェルノブイリ・センターが建設されている。ウクライナからも、カザフスタンの核実験施設からも作業員が治療に来ていました。

 ウクライナはどうかというと、ロシアが悪いという単純な結論に達しているようです。この事故を巡ってはナショナリズムが大きく動いています。もっとも実際は、社長を始めとする多くのロシア人専門家が、現在もチェルノブイリ原発で働いているのです。

知識人に何ができるか

グーバレフ ロシアには「インテリゲンツィヤ」という、知識人層に関する概念があります。なぜかロシアにしか存在しないこのインテリゲンツィヤは、層が厚くなったり薄くなったりしながら存続しています。

 なぜインテリゲンツィヤは必要なのか、そしてなぜ権力はインテリゲンツィヤと常に駆け引きをしているのか、私はずっと考えていました。答えは非常にシンプルです。インテリゲンツィヤがロシアに存在しているのは、権力がときに裁かれるということを人々に認識させるためでしょう。権力は裁かれる、そして裁き手はインテリゲンツィヤなのです。ロシア文学はそのために存在してきたし、今もそのために存在している。

上田 ポスト・チェルノブイリ期のインテリゲンツィヤの役割は?

グーバレフ 役割は多様でした。例えば作家の場合、真実を書かなかった人も、やはり大きな役割を負っていました。社会に対して、誰もが克服すべき災難があることを知らしめたからです。例えばアレーシ・アダモヴィチ(ベラルーシの作家、1924-1994)と私では、事故に対する評価が異なっていました。けれども、それは一緒にスペインに行っていた際に、チェルノブイリの子供たちの受け入れを依頼する妨げにはならなかった。事実、この時から世界の半分がチェルノブイリの子供たちを受け入れはじめました。私たちは「健康のことは気にしなくていい、それは国がやることだ。ただ、子供たちがその場所に来て1ヶ月ほど滞在し、果物を食べて、普段の生活を忘れて過ごせればいい」と頼んだのです。

グーバレフ もうひとつはリクヴィダートル(事故処理作業員)への敬意が生まれたこと。リクヴィダートルが自分の健康を危険に晒して危機に対処したことが理解されるようになったのもインテリゲンツィヤの尽力によります。

 国際関係においてインテリゲンツィヤが果たした役割は大きいと言えるでしょう。例えば被災地に対する各国の支援にしてもそうです。とくに子供たちが教育や診察の機会を得るために、インテリゲンツィヤが力を尽くしたのは素晴らしいことでした。

 逆に、インテリゲンツィヤが恐怖を増長するという負の役割も果たしている点も指摘せねばなりません。本来はものごとの両面を見たうえで、施政者を理性的にサポートするべきです。そして、追及してはならない。追及は逆効果ですから。

 実際、チェルノブイリを悪用するケースも少なくありませんでした。

上田 具体的には?

グーバレフ 残念ながら観光ツアーはそうじゃないですか。チェルノブイリに、あたかもヴェネツィアのカーニバルに行くかのような気持ちで人々がやって来るなら、何のためだかわかりません。

上田 けれども歴史的に考えると、やはり忘れないようにすることは重要です。

グーバレフ 大きな厄災があって、それを解消しなければいけない。やるべきことは山のようにある。なのに観光客がチェルノブイリに野生の馬を見にやって来るなんてどうかしています。

 そもそも、ああいったことは忘れられないものです。

上田 もしも忘れられないものであるなら、福島で事故が繰り返されることはなかったのではないでしょうか。あらゆる事故は世界史の遺産であると言えるでしょう。

グーバレフ あなたの言うことは正しい。

 もっとも、福島で今やるべきことは、専門家たちが見に行くこと、そして、事故を収束させることです。その後なら観光客が行ってもいいでしょう。

チェルノブイリの劇──「石棺」「チェルノブイリの花嫁」

上田 「石棺」の話に戻りたいと思います。この戯曲は世界演劇の潮流にもぴったり当てはまりました。「石棺」はドキュメンタリー演劇と言えるのでは?

グーバレフ いや、あの戯曲はすべてフィクションですよ、チェルノブイリという言葉すらない。この世のあらゆるものは、現実のできごとの上に生まれてくる。「石棺」という戯曲は、今日では福島の問題とも直結していますね。

上田 そのとおりですね。

グーバレフ 「石棺」では、事故に対して何の責任もない最も素朴な女性が最初に亡くなります。最後に残るのは指導者だ。これはどこの世界でもまったく同じです。

 執筆から時間が経っているので冷静に判断できるのですが、この戯曲は、言うなれば「知性の演劇」です。知性を通じて感情を喚起するのであって、感情から知性へ、ではありません。私はどの戯曲もこのような書き方をしています。

 チェルノブイリについては、もう1本「チェルノブイリの花嫁」という戯曲を書いています。「石棺」は男性についての戯曲なので、女性たちについても書いてみたいと思ったのが執筆のきっかけです。事故から10年を経て、女性たちを待ち受けていた運命を扱いました。事故のせいで、彼女たちは結婚できなかったのです。これは大きな精神的問題でした。

 この戯曲はアメリカのニューヘイヴンの劇場で上演されました。「チェルノブイリの花嫁」には5人の女性とひとりの男性が登場しますが、女性はすべてロシア人女優が演じ、アプレーリ(4月)あるいはチェルノブイリと呼ばれる男性主人公はアメリカ人俳優が演じました。ロシア人はロシア語で、アメリカ人は英語で話す、2ヶ国語の上演です。

 さらに第3部では、原発の所長を招いて討論をしたんです。観客も参加する。これこそが演劇ですよ。

上田 メイエルホリドやブレヒトみたいですね!★1

グーバレフ 私にも所長にとっても面白かったし、観客もよろこんでいました。

 これは私が考えたプロジェクトでしたが、アメリカの次にはロシアで、その次は日本での上演を目論んでいました。広島でやりたかったんです。テーマを少し拡大して、核兵器も含めてね。けれどもロシア人を説得することができませんでした。

上田 それは何年のことですか?

グーバレフ 1995年ですね。広島と長崎の原爆投下50周年に合わせた企画で、核兵器関連の主な専門家たちが一堂に会する機会を設けたいと考えたのです。アメリカからは5人が参加する予定で、当時まだ健在だったテラー★2も来てくれるはずでした。アメリカではロスアラモス国立研究所★3で、それからロシアのアルザマス16★4で上演、最後に全員で広島に行くというプランです。けれども皆、広島を恐れていました。

 私は最初の訪日の際、広島に行っています。実はこのとき、帰国後ゴルバチョフに会いに行って、レーガンとの核軍縮条約交渉の会談を広島でやるよう説得したんです。広島で米ソの首脳が会合を持ったことはなかったので、日本政府の支持を得られる可能性がありました。

 ゴルバチョフは約束しましたが、結局何もしなかった。レーガンは確か拒んだはずです。もったいないことをしたと思いますよ。

上田 実現していれば象徴的な会談になったでしょうに。

グーバレフ 「チェルノブイリの花嫁」を書いたのはこのときでした。日本の演劇界がこの戯曲の上演を検討してくれたら嬉しいですね。

上田 戯曲という形式の選択は、それまでの経験に基づくものだったのですか?

グーバレフ 私は演劇が好きですし、文化の受け手として最も大きな感動を味わったのは演劇でした。書物では何かを語らずに済ますことができる。嘘をつくことができます。また、テレビの嘘は誰もがわかっていることですよね。唯一嘘をつくことができない場所は劇場です。客席のドアが閉ざされると、俳優は観客と同じ空間に閉じ込められます。対面で会話しているときに嘘をつけば、すぐにばれてしまうのと同じで、劇場で嘘をつくと観客は信じない。芝居は失敗します。

 これを確信したのは宇宙をテーマとした芝居でのことです。ルカヴィーシニコフとイワノフの成功しなかった宇宙飛行★5を、不安を抱く飛行士たち、安全を保障する設計者たち、それにジャーナリストの三つの視点から書いたものでした。異なる三つの世界が、同じ宇宙飛行について、まったく違う見解を持つという。

上田 それは面白そうです!

グーバレフ いい戯曲なんですよ(笑)。専門学校の少年200人を招いて試演を行なったら、彼らは第一幕だけで12回笑ったんです。素晴らしいリアクションでした。

上田 数えたんですね!

グーバレフ 反応は大事ですよ。演劇は非常にデリケートで微妙ですからね。

 その後、一般の観客を相手に試演を行ない、最後に宇宙飛行士や設計者、つまり専門家たちを招きましたが、少年たちと同じところで笑っていましたよ。リアクションも同じでした。ただ、笑った理由が違う。どんなものにも、さまざまな人にさまざまに受けとられるような、複数の層がなければならない。これこそが「知性の演劇」なのです。

科学と芸術

上田 ソ連時代、科学ジャーナリストになるにはどのような道を経たのでしょう?

グーバレフ 私は理系の人間で、ジャーナリストの専門教育を受けていません。この世界に入ったきっかけは、ユーリー・ガガーリンの宇宙への旅を控えた時期に、ジャーナリズムの手伝いをしたことでした。当時、科学とジャーナリズム両方の専門家はおらず、理系で、かつものを書く人は、「コムソモーリスカヤ・プラウダ」紙に駆り出された。私たちはそれまでも詩や散文を書いていました。

上田 理系の人々も詩や文章を書いていたのですね。流行だったのですか?

グーバレフ そういう時代だったんですよ。科学が急激に発展し、興味も高まっていました。だから、科学について語り、一般に普及させることが必要とされた。宇宙や原子力に関する重大な成果について、言葉で語ることが求められたのです。

上田 SF小説も書いていた?

グーバレフ 昔のことです。なぜ私がSFを書くのをやめたか? それは現実が突然SFを追い抜いたからです。多くの学者たち、設計者たち、宇宙飛行士たちが、ブラッドベリや火星や「アエリータ」★6の宇宙的思考に夢中になったと言っています。ところが今では別のことが起こっている。世界はあまりに方向転換してしまった。

 私が若かった頃は、恋人とベンチに座り、一緒に月を眺めたものでした。その頃の月はまだ乙女のようで、誰の手にも届かなかった。今、月を見ると、年季が入って腐食してしまっている。火星は何かもの凄いものだと思われていたけれど、今では火星に飛ぶなどたいしたことではなくなっています。つまり、科学はあらゆる空想を具現化させたのです。人間のクローンにしてもそうですが、以前は多くのことが完全に空想的だと思われていた。今ではロケットが太陽系の外に出るのすら普通のことだと思われます。空想は普通のことになったのです。科学がSFを変えた、その先がこれです。今の私には現実の科学を扱うほうが興味深い、空想的な事象に遭遇してばかりだからです。

上田 世界の人々がチェルノブイリ事故をタルコフスキーの映画「ストーカー」としばしば比較することについてはどうお考えですか?

グーバレフ まったく関係がないと思います。それぞれが別の事象です。福島もチェルノブイリも別ものだし、映画もまったく別ものだ。実は私も原発事故に関する映画を作ろうとしたことがあります。ベロヤールスク原発の火事を下敷きにしたものを。けれども現実に近いものを作ることはできなかった。

 これこそが悲劇なのです。私たちは事故を予測することができない。すべてを予測しているつもりでいても、それは大きな間違いです。

上田 つまり、現実はより強くて、理解不可能だと?

グーバレフ 現実はとにかく人の予測を超えています。未来の現実は未経験ですからね。

 人は歩いているとき、さまざまな場所でつまずきますよね、けれども同じ場所でつまずくことはない。それと同じです。未来に保険をかけて身を守ることはできない。

上田 つまり、芸術や文化ができることは、事後的に反応するだけだと?

グーバレフ そうではありません。時としてわれわれは、芸術において、どのような道を歩むべきか語りますよね、そこには想像力がある。しかし、すべての危険を予測することはできません。もっとも、だからこそ世界は素晴らしい。そうでなければとても退屈なはずです。

上田 つまりあなたは芸術、例えば小説は、やはり何らかの役割を担うことができるとお考えなのですね。

グーバレフ もちろんです。小説はそうした危険がどれだけ大きいのか、イメージを与えることができます。もっとも、小説はテクノロジーのためではなく、人間のためにあります。人間の理性や心のために。人が新たな状況にいかに対峙するかを考察することこそ小説の役割です。

 芸術はパラレルワールドを生み出す。幸いなことに。そこがわれわれと動物の違いです。動物は芸術を作ることはできない。執筆したり、絵を描いたり、空想したりすることはできません。

上田 パラレルワールドは人間にどのように作用するのでしょう?

グーバレフ それはわれわれの一部です。われわれはこうしたパラレルワールドなしには存在することができません。労働が人間を他のすべての種から区分したと言われたりしますが、私の考えでは、人間は世界を生み出すからこそ、他のすべてのものから抜きん出ているのです。

上田 人間の力は未来を作ることや、新しい科学への志向にあると?

グーバレフ もちろんです。それこそが人間の生だ。そうでないと、人間は存在すらしていなかったでしょう。未来を構想する力を奪われたら、人間は人間でなくなってしまうでしょう。


2013年9月19日、モスクワ、グーバレフ宅
翻訳・構成=上田洋子
写真提供=ウラジーミル・グーバレフ

★1 フセヴォロド・メイエルホリド(ВсеволодМейерхольд、1874-1940)はロシア・アヴァンギャルド演劇を牽引した演出家。演出家主導型演劇の基盤を築いた。革命後は作品上演の後にしばしば討論会を開催。また、1926年-28年頃にはトレチヤコフの戯曲『子供が欲しい』を、観客を巻き込んで討論を行なう劇として上演しようと試みた。ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒト(BertoltBrecht, 1898-1956)は、1930年前後に同様の試みを「教育劇」として発展させた。
★2 エドワード・テラー(Edward Teller、1908-2003)は米国の理論物理学者で、水爆の開発者。ハンガリー生まれのユダヤ人で、ヒトラーのナチスドイツ政権を逃れて米国に亡命した。
★3 米国の核兵器研究所。1943年、原子爆弾開発のために設立。広島・長崎に投下された原爆はここで製造された。
★4 現在のサロフ。ロシア、ニジニ・ノヴゴロド州に位置する。1946年、サロフは原子爆弾の研究と生産の拠点となり、アルザマス16と改名、閉鎖都市となった。ソ連崩壊後、街の名前はサロフに戻されたが、現在もロシアの核開発の拠点であり続けている。
★5 1979年のソユーズ33号の打ち上げのこと。ロケットの打ち上げには成功したが、宇宙ステーションのサリュート6号とのドッキングに失敗した。ニコライ・ルカヴィーシニコフはソ連の、ギオルギー・イワノフはブルガリアの宇宙飛行士。
★6「アエリータ Аэлита」はアレクセイ・トルストイの空想長篇小説(1923)、およびこの小説に基づくヤコフ・プロタザーノフ監督による映画(1924)。1937年には、作者自身が小説を少年向けの中篇に改作、このバージョンが現在まで再版され続けている。
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1938年生まれ。科学ジャーナリスト、作家、劇作家。「プラウダ」紙および「コムソモーリスカヤ・プラウダ」紙で科学部長を務める。原子力や宇宙開発など、20世紀ソ連の科学ジャーナリズムの第一人者。チェルノブイリ原発事故の報道では大きな役割を果たした。事故を戯曲として描いた『石棺』は53カ国で上演されている。邦訳に『石棺――チェルノブイリの黙示録』(リベルタ出版)、『チェルノブイリのファントム――よもぎの星が落ちた』(アイピーシー)、共著に『誰も知らなかったソ連の原子力』(中村政雄ほかとの共著、電力新報社)など。

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1974年生まれ。ロシア文学者、ロシア語通訳・翻訳者。博士(文学)。ゲンロン代表。著書に『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β4-1』(調査・監修、ゲンロン)、『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』(共訳、松籟社)、『歌舞伎と革命ロシア』(共編著、森話社)、『プッシー・ライオットの革命』(監修、DU BOOKS)など。展示企画に「メイエルホリドの演劇と生涯:没後70年・復権55年」展(早稲田大学演劇博物館、2010年)など。

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