ロシア語で旅する世界(2) ソチオリンピックのイメージ──ロシア的想像力の内と外|上田洋子

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初出:2014年3月20日刊行『ゲンロン通信 #11』
 2014年はオリンピックイヤーだ。今回の開催地はロシアのソチ。ロシアでのオリンピック開催は1980年のモスクワ五輪以来2度目だ。いや、正確に言えば、1980年当時はロシアではなくソ連だった。モスクワオリンピックは、1979年のアフガン侵攻を受けて、米国や日本をはじめとする多くの国がボイコットした。だから日本がロシアでのオリンピックに参加するのは今回が初めてだ。私も某テレビ局の依頼を受け、2月の前半はソチにいる。

 ソチ。わたしにとっては馴染みのない街だ。ただ行ったことがないというだけでなく、これまではそこが黒海沿岸のリゾート地だという程度の知識しかなかった。チェーホフの作品によく出てくるヤルタ、ヤルタ会談の行われたクリミア半島のリゾート地と似たようなものだろうと。もっとも、ソ連邦崩壊にともないウクライナが独立して以来、クリミア半島はウクライナになり、ロシアから分断された。ゆえにソチはロシアに残された最大の黒海リゾート地となっている。

 地図を見てみると、ソチはロシアの南西の端に位置しており、北側をコーカサス山脈に、南側を黒海に遮られている。ちょうどモスクワから経線に沿って1358キロ南下したあたりだ。緯度はモスクワが北緯55度、ソチは北緯43度で、その差は12度。日本と比較してみると、札幌がソチと同じ北緯43度。札幌から緯度を12度北上すると、千島列島を越えて、カムチャッカ半島に突入する。なるほど、モスクワはこんなに緯度が高いのか。ためしに札幌から12度南下してみると、そこは鹿児島だった。

 そうは言ってもロシア人にとってソチは南国だ。ソチは亜熱帯の温暖な気候で、年平均気温は18度、7-8月の平均気温は28度。街には椰子の木がたくさんあって、たとえばモスクワやシベリアの人の目には、異国情緒にあふれている。
 そもそも黒海沿岸のリゾート地は、帝政ロシア時代の南下政策の産物だ。ロシア史において、不凍港の獲得は極めて重要な課題であり続けた。ロシアは凍らない港を求めてコーカサスやクリミア半島での戦争を繰り返していた。ソチの起源も1838年に建設された軍の駐屯地「アレクサンドル砦」である。ソチに改名されたのは1896年。1917年には市に制定され、クリミア戦争(1853-56)後、皇帝や貴族の保養地となっていたヤルタの街に続いて、黒海沿岸リゾートの要となった。外国旅行がまず不可能だったソ連時代、黒海沿岸のリゾート地がどれだけの人気を誇ったか、想像に難くない。

 だが、なぜそんな南国で「冬季」オリンピックをやるのかと、国内では批判が少なくない。実際、1月のニュース映像で街に雪の積もっている気配はないし、予想気温は低いときでマイナス2度、暖かい日はプラス15度と、ほぼ東京並みだ。さすがのソチも冬は寒いだろう、暖かい格好をして行かなければと思っていたわたしも、この天気予報には拍子抜けした。なんと雪マークはひとつもなかった。

 もっとも、重要なのは、ソチが山のリゾート地であることなのだ。ロシアでは森と平野に比べると山の占める割合は少ないし、そもそもモスクワやサンクトペテルブルクなどの都市のそばに山はない。ロシアではスキーと言えばクロスカントリーを連想する方が多いように思う。アルペンスキーのできるスキー場はまれで、一般にはなじみが薄いだろう。

 ソチには海があり、山があり、リゾート地としての歴史がある。終了後、十分にその遺産を生かすことができるかはともかく、オリンピック・リゾート開発の基盤とポテンシャルがあったことは確かだ。2007年のオリンピック開催地選考会でプーチン大統領は「ソチは海岸部では春の日和が、山では本格的な冬が楽しめる素晴らしいところだ」とアピールした★1。昨年12月の半ばには、スキー場には欠かせないスノーマシーンも導入し、最適の雪質でオリンピックが開催されるように準備を進めているとのニュースが流れていた。
 都市部には雪がなくても山間部では豪雪というのは、同じ亜熱帯で、山が海岸に迫っている日本にとってはおなじみの状況だ。また、雪のコンディションを保つためにスキー場にスノーマシーンがあるのも特に違和感はない。ところがロシア人にはそうでもないらしい。なぜロシアなのに機械の力を借りて雪を作らなければならないのか、去年の雪をイスラエルやフィンランドから購入する必要があるのか、やはりソチの気候はウィンタースポーツには向かないのではないかといった議論が起こっている。ロシア人が雪に予算をかけることに納得できないというのは、外国人としては妙に納得できる気もしないでもないが、ソチ五輪における浪費や環境破壊へのまっとうな議論をベースとして考えても、この論点はちょっと了見が狭いというか、認識不足というか。まあ、いかにもロシアらしくない状況を笑っているだけかもしれない。ロシア人はアネクドート(小話)が大好きなのだし。

 しかし、そもそも広大なロシアの国内で、ソチでの五輪開催に親近感を抱くことのできるロシア人はどれだけいるのだろうか? あんなに国が大きいと、世界の祭典オリンピックが国家事業として行われることの意議を国民に認識させるにも、かなりのプロパガンダが必要なのではないか。そう考えてみると、123日をかけて2900の市町村を通過し、6万5000キロメートル以上の距離を巡るという冬季五輪最大規模の聖火リレーも意味を持ってくる。北極点、宇宙ステーション、世界最深のバイカル湖底(とはいえダイバーが20メートル潜っただけ)、そして飛び地のカリーニングラード★2と、世界中どころか宇宙も含めたロシア領を網羅する徹底したパフォーマンスも、「ロシアのオリンピック」を国民に共有させるための仕掛けなのだ。何度も聖火が消えているのはご愛嬌。そういう抜かりのあるところがロシアらしい。これもやはり勝手なイメージの押しつけだが。

 



 ワシーリイ・スロノフ(Василий Слонов 1969-)というシベリアの現代美術家がいることを知ったきっかけが、実はソチ五輪だった。わたしの重要なロシア情報源、フェイスブックのタイムラインに流れてきたのが、彼の「Welcome! Sochi 2014」シリーズ。既視感満載の広告ポスターの形を借りて五輪をおちょくる、ポップでキッチュな油絵のシリーズだ。この作品は、2012-13年、ロシア随一のカリスマキュレーター・美術商・ギャラリー経営者のマラート・ゲリマン(Марат Гельман 1960-)が、シベリア出身のアーティスト集団The Blue Nose Group(Синие носы 1999-)のヴャチェスラフ・ミージン(Вячеслав Мизин 1962-)と組んで企画した現代美術のグループ展「シベリア合衆国 Соединенные Штаты Сибири」でロシア各地を巡回し、ちょっとした話題になった。

 スロノフの作品が「ちょっとした」どころではない騒ぎになったのは、2013年6月、ヨーロッパ・ロシア東部の都市ペルミでのことだった。そもそもゲリマンとペルミ市の関係は2008年、カマ河の波止場の建物を使って彼が企画した「ロシアの貧しいもの Русское бедное」という展覧会だった。これがペルミ的にもロシア的にも大当たりして、ペルミ市に文化政策強化プログラムが導入されるきっかけとなった。会場の波止場はその後ペルミ現代美術館PERMMとなり、ゲリマンは館長に就任して、地方都市ペルミの文化都市としての成長に尽力することになる。彼のイニシアチヴのもと2011年に始まった大規模な総合文化フェスティバル「白夜祭 Белые ночи」は、ペルミっ子たちの夏の最大の楽しみとなった。

 2013年、第3回白夜祭メイン会場のアートプログラムとして、ゲリマンはスロノフの個展「Welcome! Sochi 2014」を企画した。メイン会場では毎年、「民主的かついい意味で大衆的なアート」★3を紹介しているのだというが、ポップで笑いの効いた「Welcome! Sochi 2014」はまさにうってつけだった。ところがオープン後数日して、地元の官僚がオリンピックに対する冒涜だとクレームを入れ、展示は閉鎖された。事前に同じ官僚が視察した際には何の問題もなかったにもかかわらず、である。スロノフの展示はその後、別のスペースで何の問題もなく開催されたが、ゲリマンはみずからペルミ現代美術館館長の職を退いた。
 スロノフの作品をこの紙面でいくつか紹介しているが、興味を持たれた方は「Welcome! Sochi 2014」あるいは「Vasily Slonov」でネット検索していただければ、カラーの画像が見られるはずだ。はっきり言ってこれはただのジョーク、いい意味でのブラックユーモア、自虐的かつ健康な笑いに過ぎない。チェブラーシカやオリンピック・キャラクターたちなど、著作権侵害の匂いがするものもあるが、そこは責任を問われたりはしていないようだ。

 長くロシアに関わっているわたしにとって、「Welcome! Sochi 2014」はあまりにもツボにはまる作品だった。ロシアのマイナスイメージがロシア人によって笑い飛ばされている。意図的にナイーブで子供っぽい、サブカル的な見かけは、ロシア美術ではソッツ・アートと呼ばれる、ポップアートにソヴィエト的意匠を掛け合わせてパロディ化するポストモダン芸術の流れを引いているだろう★4。ネットで見る限り、このシリーズへのロシア人の反応は悪くないようだ。ペルミの事件は地方官僚の臆病さを暴きだし、ゲリマンにペルミを去る口実を与え、またスロノフを有名にした。

 スロノフはインタビュー「新しいオリンピックの芸術」で、この作品では「国際的なロシアのシンボル」を意図的に用いていると言っている。ここで表象されているのはロシア特有の「行きあたりばったり感」で、それが欧米の大衆文化やハリウッド映画でトラッシュなイメージとして表象されるのを、再帰的に自作に反映しているのだと★5。実際、これらの作品には、外国人が欲望するロシアのイメージが臆面もなしに多用されていて、それがあまりにあっけらかんとしているので、ポルノ的なものを超えて、健康な哄笑へと昇華されている。

 スロノフは同じインタビューで、世界にロシアをこんな風に表象させているのはやはりロシア人であり、そこをきちんと考えてみる必要があると指摘している。イメージは無意識のうちに固定化する。シリーズの中にチェルノブイリのレッテルを示す作品が二つもあるのはわれわれにとって示唆的だ。

 ソチオリンピックはわたしに、イメージにとらわれるとはどういうことなのか、考える機会を与えてくれた。がしかし、ソチおよびソチオリンピックに関する具体的なイメージは、結局持てていない。行ってみればわかるかな。それともこれがロシア的「行きあたりばったり感」なのかしら。というわけで、また次号! До встречиフストレーチ

 













ワシーリイ・スロノフ Василий Слонов、「Welcome! Sochi 2014」シリーズ。一番下は作家近影。斧のインスタレーションも同名シリーズの一環で、斧には競技マーク、柄にはソチ五輪のスローガン「Hot. Cool. Yours.」ほか、謎のスローガンがある。スロノフは1969年生まれの現代美術家。シベリア、クラスノヤルスク地方南部のシュシェンスコエ村出身。クラスノヤルスク・スリコフ記念芸術大学中退。ブラックユーモアたっぷりにロシア文化のクリシェをパロディ化する、シベリアの作家たちのひとり
 

 


★1 URL=http://izvestia.ru/news/326310
★2 余談だが、カリーニングラードとはケーニヒスベルク、すなわちカントが生涯を過ごした地だ。カントはロシア科学アカデミーの一員でもあった。
★3 URL=http://archives.colta.ru/docs/2502(*編集部注:現在はリンクが切れている)
★4 たとえばレオニード・ソコフ(Леонид Соков 1941-)、アレクサンドル・コソラーポフ(Александр Косолапов 1943-)らがミッキーマウスやマクドナルドにレーニンやらキリストやらを掛け合わせた一連の作品を参照。
★5 URL=http://rusrep.ru/article/2013/07/12/slonov/(*編集部注:現在はリンクが切れている)

上田洋子

1974年生まれ。ロシア文学者、ロシア語通訳・翻訳者。博士(文学)。ゲンロン代表。著書に『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β4-1』(調査・監修、ゲンロン)、『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』(共訳、松籟社)、『歌舞伎と革命ロシア』(共編著、森話社)、『プッシー・ライオットの革命』(監修、DU BOOKS)など。展示企画に「メイエルホリドの演劇と生涯:没後70年・復権55年」展(早稲田大学演劇博物館、2010年)など。2023年度日本ロシア文学会大賞受賞。
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