韓国で現代思想は生きていた(13) 続・漢字の消えた韓国語|安天

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初出:2014年6月30日刊行『ゲンロン通信 #13』

1 ハングルが漢字に置き換わったいくつかの理由


 韓国語の約70%が漢字語といわれているのに、どうして今の韓国では漢字をほとんど使わなくなったのか? 前回は、「ハングル漢字混じり表記」から「ハングル専用表記」へと変化する過程がスムーズだった理由を、主にハングルの特徴を取り上げて説明した。その理由を再確認しておこう。


 1 ひらがなやカタカナと違ってハングルは、その設計時から漢字1文字にハングル1文字が対応するよう作られたため、ハングルだけで表記しても文字数が増えることはない。
 
 2 もともとはハングルになかった分かち書きが、約120年前に導入されたことによって、漢字を使わなくても意味の単位を視覚的に区別できるようになった。
 
 3 パソコンをはじめとする新しい情報通信機器が普及するなか、ハングル専用表記のほうが漢字混じり表記に比べて、はるかにスピーディに入力できるため、ほとんどの人々は自ずとハングルだけでの入力を使うようになった。
 しかし、このようなハングル文字の特徴だけが、韓国における漢字使用の激減をもたらしたわけではない。様々な社会的・政治的な対立を経て「ハングル専用表記」は韓国社会に定着したのであり、さらには定着した「ハングル専用表記」に対する反対の動きもあり、反対運動を展開する勢力は法的手段に訴えることも含む様々な方法を駆使し、漢字使用頻度を高めようとしている。今回はこういった「ハングル専用表記」の社会的・政治的側面を概観しよう。

2 相異なる表記法の共存時代


 西暦で1980年代にあたる小学生のころ、僕は韓国に住んでいたが、家には横書きの本と縦書きの本があった。おおむね、子供向けの本は横書きのみで、大人向けの本は縦書きと横書きの両方があった。また、大人向けの本は題名も漢字で書かれているものが多く、反対に、子供向けの本に漢字が用いられることはほとんどなかった。要するに、大きく分けて「横書き+ハングル専用表記」、「横書き+漢字混じり表記」、「縦書き+漢字混じり表記」という3種類の本があり、前者は子供向け、後者の2つ(特に縦書き)は大人向けという印象があった。そのような印象をもっていたので、父から縦書きで漢字併用表記の『項羽と劉邦』をプレゼントとしてもらったときは、ちょっぴり大人になったような気分に浸ったのを今でも覚えている。もちろん、その一方で難しい漢字が読めずに戸惑うこともあったわけだが。

 ただ、これは一律的にそうであったというのではなく、傾向としてあえて分類すればそうなるということであり、実際には子供向けの本でも少し古いものは縦書きもあった。今思えば、その時期は、韓国の主流表記法が「ハングル漢字混じり表記」から「ハングル専用表記」へと移行する過渡期にあたり、両方の表記が入り混じっていた特殊な時期だった。

3 横書き、ハングルのみで表記する新聞の登場


「大人は縦書きで漢字混じり表記」という印象は、新聞から来たところが大きい。当時、僕が目にしたすべての新聞は縦書きで漢字混じり表記だった。新聞によく載っているクロスワード欄には、漢字の単語を埋めていく問題があり、漢字勉強がてらその問題を解いたものだ。

 1988年の5月、「縦書き+漢字混じり表記」が当たり前だった新聞業界に、「横書き+ハングル専用表記」の新しい新聞が登場した。ハンギョレ新聞である。この新聞は普通の新聞社とは異なる特徴をいくつかもっていた。

 まず、記者たちが他の新聞社から解職させられた人たちだった。直前まで軍事独裁政権時代だった韓国において、言論の自由は大幅に制限され、理不尽な理由で解職させられる記者もいた。主に軍事独裁に対する反対意見をもっていたために、既存の新聞社を出てこざるを得なかった記者たちが集まって作った新聞社だったので、当然ながら他の新聞社よりは民主主義や言論の自由に対する志向性が強かったといえる。もし軍事独裁政権が続いていたら、彼らが集まってこのような新聞社を作ることも不可能だっただろうが、前年の1987年に起きた民主化運動で、韓国は民主主義社会へと移行しはじめ、ハンギョレ新聞の設立も認められるようになったのである。

 また、韓国の主な有力新聞社がそうであるように新聞の論調が特定の所有者や企業に左右されることがないよう、一般市民が株主になるという形で資金を調達し、創刊した。例えば、朝鮮日報は方氏一家のものであり、中央日報はサムスンの影響下にあると言われているが、ハンギョレ新聞は「国民株主」という道を模索して、特定家門や企業の影響から距離を置こうとしたのである。

 異色を放つ新しい新聞社が「横書き+ハングル専用表記」で出す新聞を、特に漢字が使われないということで、既成世代はまともな新聞ではない、と思うこともあった。一方、民主化運動の主体だった若い世代の一部は、保守一色だった新聞業界についに自分たちの意見を代弁する媒体が登場したことを喜んだ。

 当時、ハンギョレ新聞の「横書き+ハングル専用表記」は型破りな挑戦だったが、10年後、結果的にこの試みは時代を先取りしたものであることが確認される。新聞業界全体の表記が「ハングル専用」へと変化していったのだ。そして、15年後はすべての主要新聞が「横書き」を採用し、文字表記においても「漢字混じり」は消え「ハングル専用」あるいは「ハングル漢字併用(単語をハングルで書いてその横に該当する漢字を括弧入れすること)」にかわる。

4 ハングル表記を取り巻いているイメージ


 上記のような経緯もあり韓国での文字表記に関しては、漢字使用を強く訴える人は政治的に保守的で、ハングル専用表記にこだわる人は改革的という図式で理解されやすい。事実、歴史的にそう理解できる側面もある。

 元々、朝鮮時代にハングルが誕生してからというもの、長い間ハングルは支配層の知識人たちから「おんもん(話し言葉をもとにした文字)」、「女の文字」、「子どもの文字」などと言われ、正統な文字ではないと敬遠された。朝鮮時代は科挙試験で官僚を抜擢していたが、このときも試されるのは漢文の能力であり、公文書もすべて漢文表記だった。当時の支配層は漢字こそ本当の文字で、ハングルは知識や教養のない下々が使う水準の低い文字という認識をもっていたのである。朝鮮時代から「支配層=漢字」「民衆=ハングル」という図式があったといえよう。他方、朝鮮時代末期からは、一般民衆に読み書き知識を普及させようとした改革的知識人たちが、学びやすいハングルを積極的に教えていった。

 こうして韓国社会において、ハングルは民衆よりで改革的、漢字は貴族的で保守的というイメージができあがっていた。ハンギョレ新聞が「横書き+ハングル専用表記」を採用した背景には、このような文脈があったのである。

 また、ハングルには民族主義的なイメージがともなう。漢字は中国から到来した文字である一方、ハングルは朝鮮時代に韓国語のみの表記を意図して作った文字である。民族主義者が好きそうな、「我が民族純粋の」文字というわけだ。実はハンギョレ新聞の「ハンギョレ」とは韓国語で「一つの民族」あるいは「大きな民族」という意味で、あえて漢字語ではない「純粋」な韓国語単語を選んで、新聞の名前にしている。ハンギョレ新聞は「ハングル専用表記」を採用することで民族的で、民衆よりで、改革的というイメージを前面に押し出そうとしたと言えよう★1

5 「古文」としての漢字?


 しかし、僕はこのようなイメージに、それほど大きな意味はないと思う。「ハングル専用表記」の定着に政治的な思惑が作用したことを無視はできないが、利便性を志向する人の習性が遥かに決定的な要因だったと個人的には考えている。現在においても韓国では、今まで述べてきたような社会的・政治的イメージを重視しながらハングル専用のさらなる徹底を訴えたり、反対に漢字使用を訴えたりする勢力がある。この議論は長い間続いており、韓国で終わりなき「文字戦争」と呼ばれるほどの対立を、当事者たちは繰り広げている。

 しかし、冷静に現実を見た時、韓国社会が漢字混じりに戻る可能性はほとんどない。現在の韓国社会には、僕が小学生だったころとはまったく違った文字表記環境が構築されている。漢字を知らなくても何の問題もない現実が目の前にある。当然ながら韓国の若者たちは漢字をよくわからないし、それに不便を感じることもない。日常生活で不便を感じないのに、わざわざ漢字を学ぼうとする物好きな人はいても少数に留まるだろう。僕が思うに、パソコンをはじめとした情報通信機器の普及が、この転換を決定的なものにした。「ハングル専用表記」の打ち込みの速さがもつ利便性に勝る魅力を「漢字混じり表記」が提示できない限り、漢字使用支持者の勝ち目はない。

 ただし、韓国語の7割が漢字語である以上、言語や歴史に携わる専門家に漢字の読み書き能力は必須となる。おそらく日本語における「古文」のようなものとして、漢字は韓国社会に生き残るだろう。

 


★1 韓国左派(進歩派)の主流は歴史的に民族主義的な傾向をもっている。左派と民族主義の結合は第三世界において共通する現象であるが、韓国の場合、南北分断により、その傾向が一際著しくなった嫌いがある。その経緯については、この連載の誌面を借りて何回か述べたことがあるので、詳しい説明は省き、ここではその事実を再確認するに留める。

安天

1974年生まれ。韓国語翻訳者。東浩紀『一般意志2・0』『弱いつながり』、『ゲンロン0 観光客の哲学』、佐々木中『夜戦と永遠』『この熾烈なる無力を』などの韓国語版翻訳を手掛ける。東浩紀『哲学の誤配』(ゲンロン)では聞き手を務めた。
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