日本は 「芸術立国」になれるか ──文化から社会を変える(前篇)|平田オリザ+東浩紀 司会=内野儀

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初出:2015年06月15日刊行『ゲンロン通信 #16+17』


 演劇は社会と密接に結びついた芸術である。役者だけがいてもそれは成立しない。観客の存在が不可欠だ。人間が2人以上いないと、芝居は立ちあらわれない。演劇は集団の芸術である。
 演劇は観客を拘束する。しかし、その場で生成されては消えていく、繰り返しではあっても一回性の芝居は、ときに他の芸術をはるかに凌ぐ感動を与えうる。
 平田オリザは1960年代生まれ。東京の小さな劇場、こまばアゴラ劇場を拠点にしつつ、日本と世界を飛び回り、劇団を運営し、高校演劇に携わり、大学で教え、演劇を用いて文化政策のワークショップをするなど、演劇の裾野を広げる活動をしている。政治にも深くコミットし、助成金制度の確立や、劇場を文化生成の場と規定する「劇場法」の制定にも尽力して、若手が育ち、観客が育つ環境を整備してきた。平田の劇団「青年団」には現在約150人が所属しているというが、演劇界には平田の弟子がたいへん多い。
 60年代から活躍する演出家鈴木忠志は、建築家磯崎新とともに富山県の過疎の村に劇場をつくり、演劇祭を組織して、世界の演劇人が憧れる聖地を創出した。詳しくは『ゲンロン1』で紹介することになるが、鈴木の活動においては、劇場を作り、芝居を上演することがすなわち公共である。それに対して、平田は演劇のソフト面を整える活動をしていると言えるだろう。
 古代ギリシアでは、劇場は政治や社会を表象する劇を共同体が共有する場だった。日本でも古来、祭りや演劇的なものは、共同体維持のための手段として機能している。演劇を「広場」として機能させるためには、なにが必要なのか。公共ホールで助成金を用いて行う演劇は、社会に対して批評性を持てるのか。制度のなかに入って文化の基盤を作ってきた平田オリザと、ゲンロンで小さな広場を築いてきた東浩紀による対談を収録する。司会は演劇批評家の内野儀。(上田洋子)
※イベントの動画はこちらです

広場にもどる演劇

内野儀 司会を務めさせていただく内野儀です。今日は平田オリザさんをお招きし、ゲンロンカフェで東浩紀さんと対談するということで、客層も演劇のひとばかりとは限らないと思いますし、いささか戸惑っております(笑)。  さて、なにが話題になるかと考えたのですが、ひとつには、平田さんに『芸術立国論★1という本がありますね。それから派生して公共性をどうするかという話があり、これは東さんの問題意識と関係するかなと。もうひとつ、平田さんは現実の政治にもどっぷり浸かっていて、しかもそこでも成果を上げているということで、東さんと似ているのかわからないですけど、業界からきわめて批判的に見られている。  ですから今日は、演劇業界の狭い世界の話ではなく、少しベタなリアル・ポリティクスのなかで平田さんがいままでどういうことをやってきたのか、そしてそれが東さんの構想する社会とどういうふうに関わってくるのか、関わらないのかということを議論していければと思います。よろしくお願いします。 平田オリザ よろしくお願いします。さっそくですが、いま『芸術立国論』の話がありました。ただ、そもそもわたしは、そういう題名にするつもりはなかったんですね。わたしが考えていた題名は『日本に文化政策なし』というもので、これは中江兆民の「日本に哲学なし」という言葉からとったものでした。けれども、この本は、集英社新書の創刊ラインナップだったこともあり、編集部からの強い要望で、インパクトのある押しの強いタイトルになりました。  言い訳をするわけではないのですが、わたしが書きたかった核心のひとつは、要するに、いわゆる先進国には「文化政策」というものがあって、政治全体のなかで、日本で言うと少なくとも環境行政くらいの大きな役割は占めている。ところが日本にはそれがまったく抜けている。そういった国で芸術をやるというのは、いったい、どういうことなのかというのをずっと考えてきて、その成果がこの本なわけです。さらに10年後に『新しい広場をつくる★2という続編を書きました。そちらのほうが、わたしの主張がそのままタイトルになっているので、多少はわかりやすいかもしれません。  まぁ、そういった前提があったうえで、さらに、なんでそんな本を書いたかということですね。わたしは1980年代の後半に、いま自分がやっている演劇のスタイルを考え出した。わたしはそれを「現代口語演劇」と名づけたんですけれども★3、当時はバブルの頃でしたから、こんな地味な芝居は絶対流行らないと思われていた。でも自分たちはすごい鉱脈を発見したと思っていた。だからわたしの創る芝居に、年間で2万人くらいが定期的にくる社会を作りたいと思って思索と実践の試行錯誤を続けてきた。まぁ、その成果が『芸術立国論』なわけです。……あれ、みんなしーんとなってしまった。 内野 (笑)。出発点はたしかにそういうエゴイスティックな動機からだったかもしれませんが、実際には大きな変革期に当たってもいた。90年には芸術文化振興基金★4という公的助成金の制度ができます。他方、こうした文化振興の流れに乗って、90年代に入って各地に公立劇場ができることになり、文化庁による助成金の予算も巨大化していく。その象徴が97年の新国立劇場の開場です。そうした変革期のただなかで平田さんは自らの演劇論を醸成してきたという印象ですね。その後、2001年には文化芸術振興基本法も成立し、2012年には劇場法もできた★5。平田さんは、そういう動きにかなり内部的に関わってきたわけですね。 平田 実際は、文化芸術振興基本法はあまり関わってないんです。法案ができる最終段階では強く関わりましたが。一方、劇場法のほうは、本当に一生懸命がんばりました。ただ、いずれにしても、法案作成の過程で、きちんとした議論を作らないといけないとは考えてきました。というのも、日本の芸術家たちはそれまで、「ヨーロッパではこんなに芸術家はお金もらってます」とか「日本ではこんなに貧乏なんです」ということしか言わなかった。それでは法律は作れないわけですね。芸術を公的に支援するのは決して芸術家のためだけではなく、社会のためだったり国家のためであったりするという理屈を、きちんと説明しなくてはいけない。だから本を書こうと思った。まぁ実際は、そんな役回りは、本当はやりたくないんだけど、だれもやらないので、自分で説明しなければいけなくなったという感じですね。 内野 しかし演劇は、芸術文化振興基金ができるまではみな勝手にやっていて、生き残ったり生き残らなかったりしていたわけですね。市場原理しかなかった。そもそも、美術と音楽には国立の藝術大学――いま平田さんご自身教鞭を執っていますが――があるけれども、日本の近代演劇にはそういう公教育の場がなくて、それが特異な位置だったとも言えるわけです。そういうことからすると、平田さんの試みはちょっと両義的で、だからこそ、旧来的な演劇観をもつ人々――それはたいてい「反体制派」の身ぶりになる――からは格好の批判対象になる。たんなる身ぶりでしかないことはバブルのときにすでに露呈していたと思うわけですが。  ここで東さんに振りたいのだけど、今回平田さんと話したいと思われたのはどういう理由からですか。

制度は変えられる

東浩紀 今回、平田さんとお話ししたいと思った動機はふたつあります。  ひとつは、いま内野さんがおっしゃったような、芸術と政治の接点の問題です。今日シンプルに平田さんにおうかがいしたいのは、「なんでそこまで政治に関わる意欲がわいてくるのか」ということ。
 もうひとつは、これも最初に内野さんが提起されましたが、「公共とはなにか」という問題ですね。これは第一の質問とも密接に関わってますが、ぼくとしては、日本で本当の意味で「公共的なもの」を実現しようとすると、政府なんて当てにできないのではないかと思っているところがあります。ですから、ゲンロンカフェも自分の資金でやっている。これはたんなる精神論ということではなく、たとえばネットの「炎上」のような現象がありますが、どんなプロジェクトにせよ、いったん公共のお金をもらっているとなると、その瞬間に様々な匿名のひとたちがクレーマーになって、「おれたちにも批判する権利がある」とばかりにわらわらと寄ってくるという現実がある。うちはアンチが多いので(笑)、そんなこの国で助成金をもらったらどれほど自由なイベントができるのかと、やはりそういうことを考えてしまいます。 その点でいうと、たとえば平田さんは「芸術保険制度」を提案されていますね★6。国民が最低限の芸術にアクセスする権利を国が保証するのだ、そのために劇場を税金で整備し国民には芸術鑑賞のために補助金を与えるのだと。とてもおもしろい提案だと思うのですが、しかしそれはどうしても、国民がどのような芸術にアクセスするべきか、アクセスしてよいのか、国家が制度的に選別するということを意味せざるをえない。そのようなことも含めてですね、公共と国家の関係についてどうお考えになっているのか、おうかがいしたいと思います。

平田 最初のほうから答えると、まずひとつはなりゆきです。大臣と友達になったんじゃなくて、友達が大臣になっちゃったんだからしょうがないといつも言ってきた。

 多くの先進国は政権交代がある。野党時代の議員っていうのは、ものすごく暇なんですね。やることがない。だからこそ、その間の勉強が勝負になる。いろんな学者と会ったりとか、それも政治学者や経済学者だけじゃなくて、哲学者や芸術家と会ったりして人間の幅を広げて、政権を取ったときにそれをブレーンにしたり政策に反映したりする。それが普通の国なんですね。そして実際、日本でも、2002年から2008年くらいまでの民主党の若手議員のなかには、そういうまともなひともいて、そういうひとたちが、別にわたしだけではなく、いろんなジャンルのひとたちと会って勉強会を繰り返していた。だから、そういうひとたちが政権を取ったときに、こういうことをしたいという夢はあったわけです。

 政権を取る前の民主党と深く関わっていた。でも、なぜそもそも政治家と関わるようになったんですか。

平田 たとえばの話ですが、わたしは大学検定試験を受けて大学に行ったんですね。それで大検の制度は間違っていると、18のときに実感し、それを繰り返し公言してきました。年1回しか受けられなくて、わたしのときは13科目くらい受けたんですが、1科目でも落とすと翌年に回される。それはおかしいと昔からずっと言ってきた。それがあるとき寺脇研という文科官僚の目に留まった。それがひとつのきっかけで、大検の制度を変えたんですね。いまは科目数も少なくなったし、わたしたちの頃は定時制高校生か高校中退者しか受験できなかったけど、いまは現役の高校生でも受けられる。受かってから高校をやめることができるんです。これはすごく大きい改革なんですね。これなんかは象徴的な成功体験です。制度は変えられるんだって。20年言ってると法律も変えられるんだと思った。

 それ以外にも、「地域創造」という総務省の外郭団体があるんですけど、それができたのは1994年ですね。その諮問委員を鈴木忠志さんの指名で呼ばれて引き受けた。当時、わたしはまだ31歳で、まだまだとんがっていて行政の仕事なんてしたこともない。だから相当過激なことをレポートにまとめて書いたわけです。そうしたら、わたしよりちょっと上の、当時30代半ばくらいの官僚たちが「こいつは面白そうだ」と思ったみたいで次々に寄ってきた。彼らとは、いまもお付き合いがあります。みんな副知事とかになっています。これも市長や副知事と友達になったわけじゃなくて、友達が、そういうポジションに就いたわけです。

 そのときから、芸術の公共性というか、「演劇をやるとみなさんにとっていいんですよ」っていうことを訴えていたわけですか。

平田 そういう面もあるんですが、むしろ、その原動力は恨みとか悔しさでしょうね。「なんで演劇だけこんなに」という感覚。しかもわたしは劇場の経営者だったから。父が駒場にアゴラ劇場を作って、たいへんな借金を背負って、その借金をそのままわたしが背負ったので本当に苦労した。そこでいろいろ考えて、自分なりに理論づけたわけです。

 けれどもいま、平田さんの本を読ませていただくと、演劇は、それそのもので魅力的というよりも、コミュニケーションスキルを高めるものだからいいんだということも言われているように思うんです。少なくとも、「演劇をやると世の中がよくなる」という信念はお持ちになってる。

平田 はい。

 それはどこから生まれてきてるんですか。というのも、ぼくは文学や哲学の人間ですけど、「文学や哲学を学ぶと世の中をうまく生きることができるようになるよ」っていうことは、とても言えそうにない。

平田 それは演出家だからじゃないかな。演出家はひとを騙す仕事だからね。ひとに演劇をやらせるには、あるいは演劇の観客を増やすには、「演劇やるといいよ」と言うしかない。ただ、それは無理をして嘘をついているという感覚でもない。演出家を演じるわたしもわたしなので、それもまた真実なのだけど。

文化資本とはなにか


 別の角度から質問します。『幕が上がる★7を読ませていただきました。とにかく印象に残ったのは、登場する高校生たちがすごく生きることに前向きなことです。前向きな子たちが演劇を使って前向きに人生が進んでいくんです。

 でも、それは本当なんですか。実際には、演劇を志す、演劇だけじゃなくて文学でも哲学でもなんでもいいと思うんですが、芸術には罠のような性格がある。芸術はたしかに薬にはなるけど毒にもなりうる。『芸術立国論』では最初にオウム真理教や少年犯罪の話が出てきます。それが前置きになっていて、そのような幼児性の発露を予防するために薬としての演劇とか対話が必要で、だからそういう芸術に対するアクセスの基本権を整備することが必要だと、そういう立てつけになってるんです。最初の序文のところからこう線が引かれてるわけですが、実際には、思春期の子どもたちにとって、薬と毒の区別はほとんどつかないはずですよね。それを平田さんが理解されていないはずはないと思うんですが、そこはどうなんでしょう。

平田 毒がないと困るでしょう。だから演劇もあっていいんじゃないの。

 でも、『幕が上がる』に書かれてるものが平田さんのひとつの理想だとすると、そこでは演劇はほとんど毒として機能してない。

平田 まさに、理想はひとつではないから。ただ、東さんがおっしゃることはわかりますよ。しかし、いま、重要なのは、わたしたちは、どのような自由を選ぶのかということだと思うんですね。わたしたちを、より抑圧してるのは政治なのか市場原理なのか。

 たとえばね、アメリカで出版された戯曲の書き方の本があって、その冒頭にね、「登場人物は四人以内にしなさい」と書いてある。四人以内にしないとプロデューサーに読んでもらえない。要するに市場原理によって表現が相当抑圧されている。実際にいま、内野先生ならご存じのように、イギリスですらシェイクスピアの上演が難しくなっている。登場人物が多いからです。そうすると、どっちを取るんだってことなんですよね。

 たとえば、先ほど触れられた芸術保険制度について言えば、医療にしろ教育にしろ芸術にしろ、いずれも個人の自由な選択に任せたほうがいいんです。いいんですけど、自由な選択に任せすぎると、医療の場合は経済的格差や地域間格差によって基礎的な医療行為を受けられないひとが出てくる。教育はもっとそうですね。格差が広がりやすい。わたしは同様に、文化の格差もまた看過できない状態になっていると思う。いや、昔から、この分野には強い格差があったのだが、しかもいまは、文化資本の格差が、個人の将来を大きく規定する世の中になっている。これは演劇だけではない。音楽も美術も含めた、あるいはもっと広い意味での文化に触れる機会を、様々な地域のひとたちにも、それから貧困層にも届けるなんらかの政策が必要なんじゃないかと思うんです。


2014年11月3日 東京、ゲンロンカフェ
構成・撮影=編集部

イベントの動画はこちらです。

後篇はこちら



★1 『芸術立国論』(集英社新書)、2001年刊。バブル以降の社会の低迷を受け、日本再生のための文化面での充実の重要性を説くとともに、社会のなかで活動する芸術家のあり方を論じる。自身の体験とデータに基づく緻密な論証と、すべての国民が平等に文化を享受するための「芸術保険制度」などの具体的かつ画期的な提案が話題となった。平田オリザの芸術制度に関する思想の原点の書。

★2 『新しい広場をつくる』(岩波書店)、2013年刊。『芸術立国論』から10年を経て、3.11後の被災地の復興や地方の自立の問題、「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」(劇場法)制定の経験などを含めつつ、さらに論を展開した同書のアップデート版。『芸術立国論』でも論じられていた「新しい広場」という概念は、劇場法の条文に用いられた。

★3 1990年代半ばに平田が提唱した新しい演劇のスタイル。戯曲の文体を、それまで新劇で用いられていたような主語と述語が明確な翻訳調から、日本語の話し言葉を基調とするものに刷新した。自由な語順と繰り返しを用いたカジュアルで平易な文体で、「静かな演劇」とも呼ばれる。現代口語演劇はチェルフィッチュの岡田利規ら、後継世代の劇作家に多大な影響を与えた。

★4 1990年に設立された独立行政法人で、日本芸術文化振興会の下部組織にあたる。国家の文化予算および民間からの寄付金をもとに、芸術・文化の振興のために助成事業を行っている。助成対象は舞台芸術、美術、映画、地域文化、文化財保存など。

★5 2012年に施行された「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」のこと。それまで集会場にすぎなかった公共ホールを、文化芸術を地域の文化拠点と規定し、国民の心豊かな生活を実現するための場としての役割を負わせた。公共ホールの役割を、施設の充実から芸術活動の支援へと位置づけ直す画期的な法律である。平田は2009年から2011年、民主党政権の内閣官房参与を務め、この法律の制定のために力を尽くした。

★6 『芸術立国論』で平田が提唱した文化の保険制度。平田はこの本で健康保険制度で医療を受ける機会を保証されているのと同様に、国民は文化を享受する機会を保証されるべきだと説いている。

★7 2012年に発表された平田オリザ唯一の小説。平田自身が深く関わっている高校演劇を主題としている。奇しくも本対談の翌日、ももいろクローバー主演、本広克行監督によるこの作品の映画化が発表された。

平田オリザ

1962年東京都生まれ。劇作家、演出家。こまばアゴラ劇場芸術総監督、劇団「青年団」主宰。城崎国際アートセンター芸術監督、大阪大学COデザインセンター特任教授、東京藝術大学 COI 研究推進機構特任教授、四国学院大学客員教授・学長特別補佐。2021年4月開学予定の兵庫県立の国際観光芸術専門職大学(仮称・開学設置構想中)学長候補。 1982年に劇団「青年団」結成。「現代口語演劇理論」を提唱し、1990年代以降の演劇に大きな影響を与える。近年はフランスを中心に各国との国際共同製作作品を多数上演している。 撮影:青木司

内野儀

1957年京都生れ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了(米文学)。博士(学術)。岡山大学講師、明治大学助教授、東京大学教授を経て、2017年4月より学習院女子大学教授。専門は表象文化論(日米現代演劇)。著書に『メロドラマの逆襲——〈私演劇〉の80年代』(勁草書房、1996年)、『メロドラマからパフォーマンスへ——20世紀アメリカ演劇論』(東京大学出版会、2001年)、”Crucible Bodies: Postwar Japanese Performance from Brecht to the N

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
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