訳者解題(クレイグ・オーウェンス「アレゴリー的衝動──ポストモダニズムの理論に向けて」)|新藤淳

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初出:2015年12月1日刊行『ゲンロン1』

 本論考は、『ゲンロン1』から『ゲンロン3』にかけて掲載された、クレイグ・オーウェンス「アレゴリー的衝動──ポストモダニズムの理論に向けて」の翻訳者解題として『ゲンロン1』に掲載されたものです。「シミュレーション/アプロプリエイション」が再考される現代にふたたび読まれるべきオーウェンスのテキスト、新藤さんの解題を足がかりにぜひ『ゲンロン1』からお読みになってみてください。(編集部)
 
 クレイグ・オーウェンス──。この批評家の名は、今日の日本でどのくらい記憶されているだろうか。1950年生まれのオーウェンスは、70年代後半からいち早くポスト構造主義の理論を援用した美術批評を展開していた。その主たる活動の場となった批評誌『オクトーバー』には、ジャック・デリダの「パレルゴン」の翻訳を寄せてもいる。80年代に入ると「オクトーバー派」からは離れて、みずからが編集主幹を務める『アート・イン・アメリカ』に執筆の舞台を移し、表象と権力の関係やセクシャリティの問題に目を向けた、よりアクティヴィスト的な政治性の強い文化批評を残すことになる。だが、その活動が展開されたのは、わずか10年あまりにすぎない。1990年7月4日、オーウェンスはエイズによって39歳の若さでこの世を去ったからである。

 ここに訳出したのは、そんなオーウェンスの代名詞ともいうべき主要論文として知られる2部構成のテクスト “The Allegorical Impulse: Toward a Theory of Postmodernism” 第1部の前半部分である。初出は『オクトーバー』1980年春号(October, 12, Spring 1980, pp. 67-86)であり、つづく夏号に第2部が掲載された(October, 13, Summer 1980, pp. 58-80)。これらはその後、1992年に出版されたオーウェンスの遺文集『認識を超えて──表象、権力、文化』にも再録されている(Beyond Recognition: Representation, Power, and Culture. Berkeley: University of California Press, 1992, pp. 52-69 [Part 1], pp. 70-87 [Part 2])。

 日本でも、この夭折の批評家の存在は、一部ではよく知られてきただろう。オクトーバー派の美術理論のすぐれた導入となった浅田彰・岡﨑乾二郎・松浦寿夫他編『モダニズムのハードコア』(太田出版、1995年)においては、その名が聞かれることはなかったものの、ハル・フォスター編『反美学──ポストモダンの諸相』(室井尚・吉岡洋訳、勁草書房、1987年)に収められた論文「他者の言説―フェミニズムとポストモダニズム」は早くから知られてきた。また、松井みどりの著作『“芸術”が終わった後の“アート”』(朝日出版社、2002年)のなかでも、オーウェンスの仕事の紹介が行われている。しかし何より、その死からいまだ1年も経過していなかった1991年6月に上梓された椹木野衣の『シミュレーショニズム』(洋泉社、1991年)が、その終盤部でオーウェンスを回顧し、90年代に入るやいなや「免疫不全の病」たるエイズによって彼が亡くなったことは、シミュレーショニズムという「自己言及性の問題を集約的に実践したムーヴメント」の「とりあえずの終結」を象徴的かつ具体的に示す出来事であったと書いていた。

 そう、オーウェンスは、椹木が「シミュレーショニズム」と呼んだもの、あるいは「アプロプリエイション・アート」と通称される批判的方法──既成のイメージや他者の記憶を「盗用=流用アプロプリエイトし、ある種の歪像として提示する手法──の理論的主導者だった。「美術史の終焉」や「歴史の終わり」といった言説がくりかえし語られたのは、いうまでもなく80年代を通じてである。それをあらかじめ見越していたかのように、オーウェンスは絵画の「死」や美術史の「廃墟」以後の態度をすでに70年代後半から体現していたシェリー・レヴィーンやリチャード・プリンス、シンディ・シャーマンといったアーティストたちのアプロプリエイション・アートに、いわば不定形な「衝動」としての「アレゴリー」への傾斜を見出し、そこに「ポストモダニズムの理論」を求めようとした。しかも、その思考の契機を彼に与えたのは、アプロプリエイション・アートとは無縁なロバート・スミッソンの作品やテクストだったのである。

 もちろん、シミュレーショニズムの牽引者であった椹木自身が、オーウェンスの死はその運動の「終結」を意味すると4半世紀近く前に語っていたように、彼が遺した「アレゴリー的衝動」というテクストも、今日からみれば、とうに古色を帯びているとも映る。だが、オーウェンスがときに冗長とも思える仕方で「アレゴリー」という概念──「シミュレーション」ではなく──に託そうとしたのは、「死」や「廃墟」を通過して以後の歴史や世界を絶えず読み替えること/つくり替えることの可能性ではなかっただろうか。つまり、ここに潜在するはずの別なる複数の歴史、別なる複数の世界を引き出そうとする衝動。その意味では、このテクストをオーウェンスの死後、またたとえば3.11という「廃墟」以後の日本でどう読むかも、むしろわれわれ自身の問題だろう。

新藤淳

1982年生まれ。美術史、美術批評。国立西洋美術館主任研究員。2007年東京藝術大学大学院美術研究科修士課程芸術学専攻修了(西洋美術史)。共著書に『版画の写像学』(ありな書房)、『ウィーン 総合芸術に宿る夢』(竹林舎)、『ドイツ・ルネサンスの挑戦』(東京美術)など。展覧会企画(共同キュレーションを含む)に「かたちは、うつる」(2009年)、「フェルディナント・ホドラー展」(2014-15年)、「No Museum, No Life?-これからの美術館事典」(2015年)、「クラーナハ展―500年後の誘惑」(2016-17年)など。
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