日常の政治と非日常の政治(3)「国民投票運動」について知っていますか?|西田亮介

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初出:2016年7月15日刊行『ゲンロン3』
 以下に公開するのは、2016年7月刊行の『ゲンロン3』に掲載された西田亮介さんのコラムです。第24回参議院選挙が控えていた当時、憲法改正は大きな争点のうちのひとつでした。そうした背景のなかで、『憲法2.0』の著者でもある西田さんが、いわゆる普通の「選挙運動」と「国民投票運動」の違いについて解説します。
 また、西田さんは2023年4月13日に、ニュース解説メディア「The HEADLINE」編集長の石田健さん、報道ベンチャー「JX通信社」創業者の米重克洋とともにゲンロンカフェのトークイベントに登壇されます。政治学者とメディア運営者、それぞれの立場からニュースの未来を議論します。ぜひご覧ください。
 
石田健×西田亮介×米重克洋「『メディア』はどこへ──持続性、AI、政治介入」
URL= https://genron-cafe.jp/event/20230413/
 皆さん、こんにちは。折々の政局から、政治の考え方を掘り下げているこのコラムですが、今回は掲載号の発売が7月の半ばごろだと編集Fさんに聞きました。ということは、実際に皆さんがこのページを開いているのは、国政選挙の投開票が7月10日を軸に考えられていることからして、ちょうど終盤戦か、あるいは国会の趨勢が決したころでしょうか。

 政治の時事的な問題の解説を書いているこのコラムですが、その立場からすると、いまは目前の難しい時期にあたります。というのも、この原稿を書いている現在は4月の第4週。これはいいかえると、衆参同日選挙の有無や、続く夏の国政選挙において野党の連携や勢いに大きな影響を与えそうな北海道五区補選の結果さえ見ないままに、この原稿を書いていることになるからです。

 念のため補足しておくと、北海道五区補選は、自公などが推す早大、商社出身の40代男性という、2010年代以後すっかり標準化しつつある、自公的な意味での「フレッシュさ」を象徴するような候補者と、民進党をはじめ野党が支持する、シングルマザーで介護職、北大大学院の修士学位をもつ女性候補者が出馬。事前の予想とは異なり、「保育園落ちた日本死ね!!!」ブログで火がついた待機児童問題などを想起させる後者が、前者とほぼ同一線上もしくは予想次第では後者がほんの僅かにリードしながら激しく競っているというのが、中盤戦の状態でした。

 ひとついえるのは、熊本地震で情勢が変わったということでしょう。4月19日の両院議員懇談会で、おおさか維新の会の片山虎之助共同代表が、「大変タイミングのいい地震」という発言をして、その後撤回するという出来事がありました。この発言が不謹慎であることはいうまでもありませんが、憲法改正を主張する立場から見れば、2015年後半から2016年はじめに相次いだ不倫スキャンダルや待機児童問題での劣勢といった、思わぬ政府与党の足並みの乱れを、緊急事態によりリセットできるという意味でたしかに「神風」的な側面を否定することもできないでしょう。
 というのも、日本の憲法改正はなかなか手続きの要求水準が高く、早々には機会が巡ってこないからです。1946年に現在の日本国憲法が成立、翌1947年に施行されてから、今年と来年はそれぞれ70年という節目の年を迎えるわけですが、一度も改正の発議すらなされずにきた歴史も、憲法改正の難しさを示唆しているといえるでしょう。そもそも、2007年に第一次安倍内閣のもとで国民投票法(「日本国憲法の改正手続に関する法律」)が成立するまでは、改憲の手続きを具体的に定めた法律が存在せず、憲法改正の手段さえもっていなかったという事情があります。

 ここで念のため憲法改正の手続きをおさらいしておくことにしましょう。まず日本国憲法は、第96条で改憲を以下のように定めています。


第96条 改正
 
第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。


 ただし、第96条のこれらの条文だけでは、憲法改正に必要な手続きを十分に提示しているとはいえません。たとえば憲法改正の発議ののちには、国民投票が行われると記されていますが、その国民投票の選挙権年齢は何歳からなのでしょうか。国民投票の期日は何日間で、投開票日までに選挙運動(投票運動)は行ってもよいのでしょうか。こういった憲法改正の具体的な手続きや詳細は、やはり法律で定める必要があることがわかります。逆にいえば、その法律がなければ憲法改正は実質的には成し得ないということになります。むろん政治的にもそのことは意識されていて、2006年から2007年にかけての国民投票法の成立は護憲派と改憲派の攻防のひとつの山場でした。
 2007年の国民投票法の成立によって正式に国民投票の手続きが定められました。このとき改正前の公職選挙法が投票年齢を満20歳以上としていたのに対して、国民投票法は憲法改正の国民投票の投票年齢を満18歳以上と定めました。この投票年齢の引き下げが、まさに読者の皆さんが直面しているはずの2016年の国政選挙から投票年齢が満18歳以上に引き下げられた、いわゆる「一八歳選挙権」の実現に大きな影響を与えたことがよく知られています。

 また国民投票法は、いちおう、憲法改正に関する情報を国民に周知するためという理由で、公職選挙法が規定する選挙運動と比較すると、相当規制緩和がなされています[図1]。たとえば、公職選挙法には選挙運動に支出可能な金額の上限が定められていますが、国民投票運動にはありません。つまり国民投票運動に際しては護憲派も改憲派も多くの資金を投入して、それぞれの主張のキャンペーンを行うことができるというわけです。

図1 国民投票運動(国民投票法)と選挙運動(公職選挙法)の比較
 
 日本の選挙運動の特徴のひとつでもあるのですが、特定の候補者や政党への投票を呼びかけたりすることができる選挙運動期間は、選挙の種類によって異なるものの、投開票日から2週間程度の相当短い期間に制限されています。それ以外の時期にも、日常的に駅頭などで政治家や政党の演説を見かけますが、注意深く聞いてみると、直接投票を呼びかけていることはないはずです。あくまで日常の政治活動なのです。ところが国民投票運動には期間の定めがありません。そのため、いつでも護憲や改憲への投票を呼びかけることができることになります。

 もうひとつ、ビラやポスターの大きさ、枚数などに制限を加えた、文書図画ぶんしょとがの規制も、公職選挙法が定める日本の選挙の特徴として知られています。もうすでにお気づきのことと思いますが、国民投票運動にはこの制限もありません。一事が万事この調子で、国民投票法は文書図画に由来するネット選挙運動の制限もありませんし、選挙で使うことができる、いわゆる「宣伝カー」の台数や拡声器の台数も規制していません。

 その結果、国民投票運動では、何が予想されるのでしょうか。憲法改正の是非を問う国民投票は、憲法改正の発議から60日以後、180日以内に実施されることになっています。したがって、この期間を中心に、直接的な投票の呼びかけも含めて、国政選挙の結果次第では憲法論争が激化することでしょう。護憲は戦後民主主義派というべきか、いわゆる一般的なリベラル派の主張の本丸ですし、押し付けられた憲法の改憲と将来の自主憲法の制定は、安倍晋三やその祖父岸信介はいうまでもなく戦後保守派にとっての悲願であり、自民党結党の理念でした。

 そのことを思い出すと、護憲派、改憲派はそれぞれもてる資源を総動員して、それぞれの主張を展開することでしょう。もしそうでないとしたら、これまでの日本の護憲、改憲を基軸にした政治対立の構図はなんだったのかということにもなってしまいかねません。おそらくは新聞、テレビ、雑誌などで、それぞれの主張が声高に喧伝されることでしょう。拙著(『メディアと自民党』角川新書)などで論じてきたように。最近は印象を獲得する政治、政党の情報発信の手法も洗練されつつあり、自民党を中心に戦略的なものに変貌を遂げようとしています。アイドルの活用や、ネットでの情報発信など、一見するだけではそれと気づきにくい、有権者の好印象を獲得しようとする、スマートな護憲、改憲の提案が行われることでしょう。そして、その様子は、まさに歴史的なニュースですから、必ずマスメディアが大きな紙面、時間を割いて報じることになるはずです。
 ここまで書くと、関西在住の読者のなかには、大阪都構想をめぐる住民投票の際に見たことがある光景じゃないかと思う人もいるかもしれません。当時、ぼくは東京在住ながら、週の半分は京都の大学で働いていたので覚えていますが、大阪には全国の維新系の地方議員が応援に駆けつけ、街中をタスキをかけて宣伝に練り歩いたりしていました。普段主張が真っ向から対立するはずの自民党と共産党が、大阪では反維新で結束するということもありました。

 以前、このコラムでも紹介したことがありますが、国民投票法と同じく、大阪の住民投票を規定していたのも公職選挙法ではなく、大都市地域特別区設置法(に伴う政令)でした。テレビCMの規制に乏しいことなどを除くと、国民投票法が規定する国民投票運動と大変似た建て付けになっているからです。

 だとすると、大阪の光景はまさに国民投票運動を先取りするものだったと推論することができるはずです。そして国民投票運動下では、同じ光景が、より熾烈なかたちで、全国的に繰り広げられることになるのではないでしょうか。ただし、このように予測される派手な光景がなかったとしても、実は憲法改正の発議さえなされたなら、その時点で日本社会と憲法は新しいステージを迎えるともいえるでしょう。そもそも多くの生活者は日々、憲法を意識することなく生活していて、憲法と民主主義についての、ある種の共通感覚に乏しいのがこの社会の現状です。ですが、憲法改正の発議が行われ、全国で前述のような激しい運動とメディア戦が展開されれば、多くの人がそのことに気づくはずです。だとすれば、憲法改正が実現しようが、あるいは護憲が選択されたとしても、やはりそれ以前とは違う社会的状況を迎えたことになるのではないでしょうか。

 憲法改正は条文ごとに検討することになっているので、現実問題として、日本国憲法が唐突に自民党の憲法草案に書き換えられることはありえません。とはいえ、皆さんの眼前に迫った、もしくは終わったばかりの国政選挙は、その結果次第ではこうした状況を招来します。憲法改正が発議されるとどのようなことが起こるのかという具体的な話は、初等中等教育の社会科では扱わなかったことでしょう。しかし国政選挙、そして憲法改正を問う国民投票の投票を前に、あるいは期日前投票を含めて投票後だったとしても、頭の片隅に置いておくべき知識ではないでしょうか。

 



 このコラムは、次回からゲンロンのメルマガ『ゲンロンβ』に移ることになりました。次回はタイムリーな話題があれば、その主題を掘り下げるか、あるいは『ゲンロン』読者の皆さんにも馴染み深い主題として、かつて『思想地図β』で取り上げた「憲法2.0」を再考してみたいと思います。

西田亮介

1983年京都生まれ。日本大学危機管理学部教授/東京工業大学リベラルアーツ研究教育院特任教授。博士(政策・メディア)。慶應義塾大学総合政策学部卒業、同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。同後期博士課程単位取得退学。同政策・メディア研究科助教(研究奨励Ⅱ)、(独)中小企業基盤整備機構経営支援情報センターリサーチャー、立命館大学大学院特別招聘准教授等を経て、2015年9月に東京工業大学に着任。現在に至る。 専門は社会学。著書に『コロナ危機の社会学』(朝日新聞出版)『ネット選挙——解禁がもたらす日本社会の変容』(東洋経済新報社)、『メディアと自民党』(角川新書)『情報武装する政治』(KADOKAWA)他多数。
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