タイ現代文学ノート(1)2014年軍事クーデターと作家たち|福冨渉

初出:2016年7月15日刊行『ゲンロン3』

「ワット・ワンラヤーンクーンの家に行こう」

 写真家タワッチャイ・パッタナーポーン★1から電話を受けたのは、2014年1月30日のことだった。

「いつ?」

「明日」

 急で、かつ詳細もよく分からない誘いはいつものことで、翌日の朝、筆者はとりあえず彼の運転する車に乗っていた。目的地が筆者の滞在するタイの首都バンコクから200キロ以上離れた、ほとんどタイとビルマの国境で、そもそも日帰りでなく2泊もする予定だということを知ったのは、車に乗って1時間以上経ってからだった(まあ、聞かない方も悪いのだが)。着替えもなければ、ほとんど金も持っていない……。

 作家のワット・ワンラヤーンクーン(วัฒน์ วรรลยางกูร)は1955年、タイ中部のロッブリー県生まれ。タイの政治動乱と学生運動の時代である1970年代に思春期を過ごした彼は、10代の頃から雑誌等で作品を発表し始める。1976年10月6日の事件★2発生時には、その当日にバンコクを離れてタイ国共産党の武装闘争路線に参加し、4年以上を東北タイの森林で過ごす。1981年に森を出た彼は、タイ西部のカンチャナブリー県に居を構え、作家・編集者として活動を続けている。これまでに40以上の著書を発表し★3、シーブーラパー賞★4などいくつかの賞を受賞している。ファンも多く、ある種「伝説の作家」であるかのごとき言及をされることも多い。

 そんな作家の家を訪ね、直接話ができる。本来は手放しで喜べる機会なのかもしれない。だが彼らのようなかつての「英雄」たちが時代の変遷の中で保守化・権威化していった例は、枚挙に暇がない。筆者は微かな懐疑と偏見を持ったまま、カンチャナブリー県に向かっていた。

ワット・ワンラヤーンクーンの自宅への道中

 2006年の軍事クーデターによってタクシン・チナワット元首相が追放されて以降、タイ国内の政治対立は激化していた。日本でも報道されていたいわゆる「赤服(赤シャツ)=民主主義・タクシン派」と「黄服(黄シャツ)=保守・反タクシン/王党派」の争いだ★5。幾度となく起こる衝突と数々の死傷者。2011年の総選挙でタクシンの妹、インラック・チナワットが首相に就任してからも、不安定な状況が続いていた。

 大きな動きがあったのは2013年後半のことだ。インラック首相率いる政権与党、タイ貢献党が提出した恩赦法案★6に反対する野党および野党支持者による反政府デモが発生した。野党民主党の元幹事長ステープ・トゥアックスバンを中心に組織された、黄服デモ隊の流れを汲むPDRC(国王を元首に戴く完全な民主主義にタイを変革するための人民委員会)のデモ隊は、議会の解散、そして2014年2月2日の総選挙実施が決定した後もその活動を縮小させることはなかった。

2013年12月5日、国王誕生日のPDRCデモ会場

 その流れの中、作家たちも独自に活動を続けていた。

 先述した1970年代前後の政治動乱の中、タイ文学では「生きるための文学ワンナカム・プアチーウィット วรรณกรรมเพื่อชีวิต」と呼ばれる政治・社会文学が影響力を増していた。その後、政治の季節が終わりを迎えた80年代から、そのテーマはより個人的なもの、実存主義的なものに向かう。90年代、アジア通貨危機を経てグローバリゼーションの二一世紀に入り、タイ文学はポストモダンの時代に突入した、はずだった。だが作家プラープダー・ユン★7らの登場が引き起こしたポストモダン・ブームの舌の根も乾かないうちに、タイには政治の季節が再び訪れ、文学もまた政治との直面を余儀なくされていく★8

 現在のタイでは、多くの作家がフェイスブックを自らのポータルサイトとして利用している。そこに投稿される直接的、間接的な政治的意見が、作家間、読者間、あるいは業界内での「分派」を加速していった。70年代には虐げられた民衆の側に立ち続けた詩人、ナワラット・ポンパイブーン★9が明確な「反赤服・反タクシン」を表明し、PDRCのデモ会場のステージに立つようになったのは、その好例と呼べるかもしれない。そういう例を目にしていたからこそ、筆者はワット・ワンラヤーンクーンの現在についても疑念を抱いていた。

 だがそれは、単なる無知と思い込みの産物だった。彼は新たな政治の季節の中で現状を冷静に見つめ、自らの活動を模索していた。ワット、タワッチャイ、同行した作家のルアンローン・ルンラッサミー★10とその家族、そして筆者は、ワットの暮らす小屋(それは家というより山小屋だった)の前の空き地に火を起こし、夜が更けるまでさまざまな話をした。政治の季節の終わりと共に顧みられなくなった近代の作家たち、タイ文学史の断絶、東南アジア文学賞★11の功罪……。

 翌日の2014年2月1日夕方、私たちはワットに連れられて、カンチャナブリー県内で実施されたデモの会場に向かった。自らを「もう十分だポーカンティー พอกันที」グループと名乗る彼らは、赤でも、黄でもない「白い」シャツを着て、手に持った白い風船を空に放ち、ただ「公正な選挙の実施」を訴えていた。その人々の中心にはワット・ワンラヤーンクーンがいた。その姿は、この前の月、「文学における市民」というセミナーを開催し、同じように公正な選挙の実施を訴えていた作家集団「セーン・サムヌック แสงสำนึก」(意識の光)に属する作家たちの姿に重なった。政治の季節に生きる公共的知識人としてのタイの作家たちの姿を、多く目にした時期であった。

カンチャナブリー県、「もう十分だ」グループのデモ会場でスピーチをするワット・ワンラヤーンクーン

 だが、活動家としての側面だけではない。新しい政治の季節のタイ文学作品は多様性を増している。もちろん、明確に自らの政治的立場、自らの属する「派閥」を表明し、作品を発表する作家たちもいる。例えば詩人のピアンカム・プラダップクワーム★12は、自らを赤服の詩人であると名乗っていた。その一方では先ほどのナワラットのように、親PDRC、親王党派を表明する作家たちもいる。だが彼らの作品は時にあまりケレン味の無い、単なるアジテーションと化してしまう★13

 けれども一方で、特定の派閥・思想に加担しようとしない作家たちもいる。彼らは、自らのもつ言葉と智慧を用いて現実と向き合い、その複雑さを描く。例えばウティット・ヘーマムーン★14の中編小説『残り香を秘めた京都 เกียวโตซ่อนกลิ่น』では、主人公のタイ人青年が抱く実父への畏怖の念が、国家の「父」としての国王への畏怖と交差する。その畏怖を抱いたまま京都に渡った主人公は、そこで出会った日本人の青年と恋に落ちるが、東日本大震災が二人を引き裂き、タイの政治動乱が主人公自身にも危険を及ぼす。

 あるいはアティポップ・パッタラデートパイサーン★15の『静寂の歴史 ประวัติศาสตร์ของความเงียบ』。この長編小説では、作中の至るところに1970年代の「生きるための文学」作品からの引用がちりばめられている。その引用がコラージュとなって、一葉の絵画と一編の詩、歴史の流れに翻弄された2人の音楽家を辿る旅を、血塗られた政治闘争の時代に引き戻していく。

 こういった作家たちの作品は、単なる政治的意見の表明といったレイヤーとは違う場所に存在している。だが同時にこれらの作品は、政治の季節の紛れもない産物でもあるのだ。異なるレイヤーを自由に行き来する彼らの活動が、21世紀のタイ文学に変化を起こしているのは事実だ。

作家集団セーン・サムヌックのセミナー「文学における市民」の様子

 デモ会場に立つワットの姿を目にした翌日の2014年2月2日、総選挙が実施された。だが野党は投票をボイコットし、PDRCのデモ隊は各地で投票の妨害を行った。3月21日、憲法裁判所は総選挙の「無効」を判断する。5月7日には同裁判所の決定によりインラック首相が失職する。再選挙の見通しも立たず、混乱も収まらないまま、5月22日には軍事クーデターが発生した。陸軍司令官プラユット・チャンオーチャー率いるクーデター団、国家平和秩序維持評議会は、翌日から活動家、学者、作家、ジャーナリストらへの出頭を命令するようになる。

 ワット・ワンラヤーンクーンは「心の赴くまま詩を書く自由人としての生活のため」★165月25日にタイ国外へ脱出した。6月9日にはワットへの出頭命令が出された。6月10日の正午までに出頭せよとの命令に背いた彼には、逮捕状が発行された。

 

 2013年から2014年のおよそ1年間、筆者はバンコクの北部、アーリーと呼ばれる地区に滞在していた。大通りから裏手に入って徒歩10分、8階建てのアパートの5階に部屋を借りた。同じ建物の2階には、当時のタイで唯一定期的に刊行されていた文芸誌『WRITER』の編集部が居を構えていた。

 クーデターから2週間後の2014年6月7日、筆者はいつものように『WRITER』の編集部に下りていき、編集部員の一人と話をしていた。そこに、作家のウォーラポット・パンポン★17が入ってきた。クーデター後に顔を合わせるのは初めてだったが、トレードマークのサングラスの下に、苦笑にも、諦めにも似た表情が染み込んでいる。

「元気?」

「すごく人を殺したい気分だよ」

 その言葉に、作家たちの苦しみがのぞいた。

 

 2016年4月現在、軍事政権は権力を掌握したままだ。終わりの見えない強権政治と言論統制の中で、タイ文学の政治の季節が深さを増している。日本が2011年を境に「震災前」と「震災後」に分断されたと錯覚しがちなのと同じように、2014年を境に「クーデター前」と「クーデター後」が分断されている。「クーデター後」はまるで呪いのように作家たちに絡みつき、彼らの疲弊が色濃くなっているのも事実だ★18。それでも多くの作家たちは、自らの表現方法を模索し、活動を続けている★19。今はただ、そこに生まれてくるかもしれない新しい物語を、新しい言葉を待つことしかできない。

写真=福冨渉

★1 ธวัชชัย พัฒนาภรณ์ 1981年生まれの写真家。白黒のフィルムカメラでの撮影を得意とし、作家のポートレートを多く撮影している。2014、15年と連続して、陸前高田市でのアーティスト・イン・レジデンスプログラムに参加し、作品を制作している。バンコク旧市街のフィルム現像所 Patani studio(https://www.facebook.com/patanistudio/)のオーナー。
★2 1973年10月14日、タイで15年間続いた軍事政権が崩壊し、それを契機にタイの民主化が大きく進展した。だがその一方、左派勢力の急進に危機感を抱いた保守勢力が巻き返しを図り、反共運動を拡大していった。そして1976年10月6日、学生・活動家集会と右派団体・警察が国立タマサート大学構内で衝突し、学生・活動家側に多数の死傷者を出した。同日、治安維持の名目で軍がクーデターに及び、共産主義者への弾圧が強化された。
★3 邦訳に、『マプラーオの楽章』吉岡みね子訳、大同生命国際文化基金、1989年、など。
★4 タイ近代文学の黎明期に活躍した作家シーブーラパー(本名クラープ・サーイプラディット、1905-74年)の業績を称えて創設された賞。タイの作家、学者、ジャーナリストに付与される。ワットの受賞は2007年。
★5 もちろん現実には、2つの明確に区別された派閥の対立、という単純な構図で説明しきれない混迷した状況にある。赤服系・黄服系の多くの団体名に「民主」の言葉が冠されていることも、状況の理解を難しくしている側面がある。例えば赤服系の中心組織は「UDD=反独裁民主戦線」であるし、黄服系の団体には「PAD=民主市民連合」や、本文で後述の「PDRC=国王を元首に戴く完全な民主主義にタイを変革するための人民委員会」がある。極めて簡略化して述べれば、赤服派の基本的な主張は、自由・公正な選挙を基盤とした手続き的民主主義とそのプロセスの遵守にある。一方の黄服派の主張は、自由な選挙を行うとタクシン元首相のような「悪人」が台頭し、赤服派デモに参加する「馬鹿、貧乏、苦痛」の存在である農民たちを買収するので、国王の庇護下にある、古き良き伝統と価値観に守られたタイ社会が破壊されてしまう、というところが出発点になっている。そのため、知見をもった少数の「良き人」たちに国家を導いてもらい、その上で「タイ的な」民主主義のあり方を模索すべきだ、という論理が展開される。また、赤服の中でも、単にタクシンのタイへの帰還を求める主張から、共和制革命を求めるようなラディカルな主張まで、分派が進んでいる。一方、黄服においても、国王への最大限の敬意を示し、反タクシンを明確に表明しながら、軍事クーデターのような暴力的手段による解決には賛同しない主張もある。リベラル派とみなされる知識人・作家たちは、手続き的民主主義の成立・遵守を訴える一方で、タクシン元首相の施政・思想そのものには否定的なことが多い。
★6 この法案は、2006年以降に実施された政治集会などによって受けた訴追や有罪判決を無効化するものであった。その対象はいわゆる赤服・黄服の双方に及んでいたが、恩赦対象者にタクシン元首相が含まれていることから、反対の波が大きくなった。
★7 ปราบดา หยุ่น 1973年生まれの作家、編集者、デザイナー。2002年に短編集『可能性 ความน่าจะเป็น』(一部の短編が『鏡の中を数える』宇戸清治訳、タイフーン・ブックス・ジャパン、2007年に所収)で東南アジア文学賞を受賞し、「タイのポストモダン」や「新世代の代表」という激賞と批判の入り乱れた「プラープダー・ブーム」を引き起こす。2005年に自身の出版社 Typhoon Booksを設立、2012年からは書店Bookmobyの経営にも携わり、ワークショップの開催など、若手の育成にも力を入れている。
★8 タイ文学史を概観したい読者は、宇戸清治、川口健一編『東南アジア文学への招待』段々社、2001年、などを参照のこと。「政治の季節→ポストモダン→政治の季節」という変遷に関しては、2016年3月4日にゲンロンカフェで開催されたトークイベント、プラープダー・ユン×東浩紀「タイと日本の一般意志2.0」でも言及があった。『ゲンロンβ1』にレポートが掲載されている。福冨渉「『今ここ』ではない未来のために プラープダー・ユン×東浩紀『タイと日本の一般意志2.0──アジアにおける現代思想』イベントレポート」『ゲンロンβ1』ゲンロン、2016年。
★9 เนาวรัตน์ พงษ์ไพบูลย์ 1940年生まれの詩人。1973年10月14日事件の学生運動を描いた詩集『かすかな動きだけで เพียงความเคลื่อนไหว』が1980年の東南アジア文学賞を受賞する。1993年には「国家芸術家」の称号を得る。現王朝の別名をとって「ラッタナコーシンの詩人」とも呼ばれている。邦訳が、岩城雄次郎編訳『タイ現代詩選』(大同生命国際文化基金、1994年)などに所収されている。
★10 เรืองรอง รุ่งรัศมี 詩人、コラムニスト、翻訳家。数多くの中国語書籍を翻訳している。台湾の武侠小説家、古龍の作品翻訳で有名。
★11 1979年に創設された文学賞。毎年1回、ASEAN10ヶ国の作家・詩人にそれぞれ付与される。だが選考が各国ごとに行われ、受賞作の各国語への翻訳もほとんどなされないので、その名称ほどの統一感はない。ただし元々タイを中心に創設された賞のため、タイでの盛り上がりは大きい。タイ国内では、同賞の受賞は作品の売り上げにとても大きな影響を与え、若手作家の登竜門としての意味合いもある。
★12 เพียงคำ ประดับความ 詩人。数多くのデモ、集会等のステージ上で詩を発表している。また、政治・文学に関するセミナー等への登壇も多い。詩集に『愛すべき多くの人民たちへ ราษฎรที่รักทั้งหลาย』(2011年)。
★13 PDRCのデモ会場で限定販売(!)されていた詩集『繁栄詩集 กวีภิวัฒน์』はデモに参加する人々を「偉大なる民衆」であると讃え、鼓舞する詩篇で溢れていた。数多くの著名な詩人たちがそこに寄稿していた。
★14 อุทิศ เหมะมูล 1975年生まれの作家。2009年に長編小説『ラップレー、ケンコーイ ลับแล, แก่งคอย』で東南アジア文学賞を受賞。同年、国際交流基金の招聘により、日本各地で講演をおこなう。『ラップレー…』に始まる自伝的三部作の執筆を終えたあと、2014年から文芸誌『WRITER』の編集長に就任する。『残り香を秘めた京都』は2014年の作品。
 2015年7月に来日したウティットは、批評誌『Aan』の編集者アイダー・アルンウォンと共にトークイベントに参加し、クーデター後のタイにおける文学と言論の状況について語った。イベントのレポートが『ゲンロン観光通信』第3号に掲載されている。福冨渉「言葉の力はまだ生きているか? タイ作家・編集者パブリックトーク──『沈黙を語る言葉:クーデター期のタイ文学と言論空間』を終えて」『ゲンロン観光通信』第3号、2015年。
★15 อติภพ ภัทรเดชไพศาล 作家、現代音楽家。タシュケントで作曲を学んだのち、現代音楽家として活動。その後は作曲活動と並行して執筆活動を始める。長編、短編集、詩集、翻訳、音楽批評など、その活動は多岐に渡る。『静寂の歴史』は2012年の作品。
★16 วัฒน์ วรรลยางกูร, กวีปราบกบฏ, สำนักพิมพ์ลูกสมุน, 2014, p.414.
★17 วรพจน์ พันธุ์พงศ์ 1970年代前半生まれの作家、コラムニスト、編集者。名インタビュアーとしても知られる。ジャーナリストとしての活動を経て、プラープダー・ユン、ピンヨー・トライスリヤタンマーと共に評論誌『OPEN』の編集部に所属する。2011年には作家のビンラー・サンカーラーキーリーと文芸誌『WRITER』を復刊、2014年5月の第24号まで、ビンラーと共に編集長を務めた。現在は自身の出版社banglumpooを中心に活動している。
★18 クーデター後、文芸誌『WRITER』や批評誌『Aan』、評論誌『WAY』など、多くの雑誌が休刊となった。
★19 「クーデター後」の文学作品として興味深いものの一つに、ウィワット・ルートウィワットウォンサーの中編『2527年のひどく幸せなもう一日 อีกวันแสนสุขในปี 2527』が挙げられる。さまざまな人々の一見幸福な日常が、政治動乱の中で崩壊していくさまを繊細に描いた作品だ。拙訳だが、邦訳が『東南アジア文学』14号に掲載されている。あるいは東北タイの作家マーノート・プロムシンらを中心とした「作家団」(あまりに泥臭い名前だが)の精力的な活動、あるいは彼らの発行する短編オムニバス『短編のひさし ชายคาเรื่องสั้น』などにも注目したい。
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ふくとみ・しょう/1986年東京生まれ。タイ文学研究者、タイ語翻訳・通訳者。株式会社ゲンロン所属。著書に『タイ現代文学覚書』(風響社)、訳書にプラープダー・ユン『新しい目の旅立ち』(ゲンロン)、ウティット・ヘーマムーン『プラータナー:憑依のポートレート』(河出書房新社)がある。

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