【『ゲンロン6』より無料公開】ロシア思想を再導入する──バフチン、大衆、ソボールノスチ(冒頭部分)|貝澤哉+乗松亨平+畠山宗明+東浩紀

初出:2017年9月15日刊行『ゲンロン6』

東浩紀 今号と次号の2号にわたり、本誌では「ロシア現代思想」を特集します。きっかけは、2015年に刊行された乗松亨平さんの著書、『ロシアあるいは対立の亡霊──「第二世界」のポストモダン』です。ぼくは、じつは学部時代の第2外国語はロシア語で、修士論文ではバフチンについて触れたこともあります。その後はロシアの思想動向にはまったく触れてこなかったのですが、乗松さんの著書であらためて関心をかき立てられることになりました。

 本日は、08年刊行の『引き裂かれた祝祭』で刺激的なバフチン論を展開し、また冷戦後のロシアの思想状況について先駆的な紹介をなされてきた貝澤哉さんをお迎えし、本特集の監修者である乗松さん、映画研究者でエイゼンシュテインが専門の畠山宗明さんとともにお話をうかがいます。この討議では、ロシア現代思想を取り巻く大きな文脈について、2回の特集の基礎となる理解の枠組みをつくれればと思っています。よろしくお願いいたします。

貝澤哉 よろしくお願いいたします。

悪い場所とロシア

乗松亨平 まずはぼくから、いくつか問題提起をしたいと思います。今回の特集をつくるにあたり、東さんと打ち合わせを行うなかで出てきたのが、美術評論家の椹木野衣が用いた「悪い場所」というキーワードでした。『ゲンロン』は第3号で韓国に取材に行くなど、悪い場所としての日本を、世界各所にある複数の悪い場所と比較して考える試みをしてきたように思います。だとすれば、ロシアもまたそのような悪い場所のひとつとして捉えることができないか。そして、そのように捉えることで、ロシアについても、また日本についても、新たな見方を提示できないか。悪い場所とは、別の言葉で言えば、近代に遅れて参入し、近代の超克を目指した場所のことです。本誌のぼくの論考にも記していますが、ロシアはこの点で日本と同じ条件を抱え、実際に日本における「近代の超克」と酷似した思想も現れている。ロシア革命後の亡命知識人から、レフ・グミリョフ、アレクサンドル・ドゥーギンにいたるユーラシア主義がその代表です。では、そこではなにが共通し、なにが異なるのか。

 またそれは、ヨーロッパ批判を複数化し、相対化する視線を持つということでもあります。拙著でも指摘したことですが、ロシアではそもそも「ロシア的なもの」がヨーロッパに対するアンチとしてつくられているので、結果的にそれがヨーロッパ内部での自己批判に似てしまうことがある。ジャック・デリダのモスクワ訪問やドゥブロヴニク会議など、西欧とロシアのあいだで知識人の対話が不発に終わってしまうのは、まさにそのようなねじれというか、鏡像関係があるからです。ドゥブロヴニク会議については、前号の『ゲンロン5』で、フレドリック・ジェイムソン、ヴァレリー・ポドロガらによる、同会議の結果を振り返った座談会がすでに訳出されています★1。また別の例を挙げれば、たとえば今号で訳出したアルテミー・マグーンの論文は、左派の立場からジャン・リュック゠ナンシーの共同体論を引用しています。しかしそのナンシーの共同体論は、右派のユーラシア主義が踏まえる正教的ソボールノスチの思想に似ているところもあり、これらの関係はじつに複雑になっている。今日はそのあたりまで議論を深められればと思っています。

 ありがとうございます。ぼくからはアメリカとの関係を論点に付け加えさせてください。日本の「悪い場所」には、近代化の遅れとともに第2次大戦での敗戦が大きな影を落としていますが、じつは冷戦後のロシアもまたアメリカに負けた国です。冷戦期、アメリカとロシア(ソ連)は、軍事的ライバルとして一種の双子関係にあったわけですが、その関係が一気に崩れた。そうした状況のなか、どのような思想が生まれ、それは日本の思想とどのような並行関係を持っているのかが気になります。

貝澤 挙げていただいた論点について入っていくまえに、まずはぼくの状況認識をお話しします。ロシアで現代思想が盛り上がりを見せたのは、1990年代から2000年代前半で、先鋭的なものはおおよそこの時期に現れたというのがぼくの考えです★2。残念ながら、それ以降はあまり盛り上がっているとは言えない。背景には、ロシアが98年の財政危機のあと、その反動として急速に経済成長を遂げ、ソ連崩壊以来はじめてと言える中流市民的な「大衆文化」が勃興したことがあります。グローバル化と言ってもいい。資本主義化したポップカルチャーが、モスクワのような都市部に大量に入ってきたんですね。ロシアで村上春樹がブームになったのもこのころで、ぼく自身も当時、地下鉄のなかで彼の小説が読まれている光景をよく目にしました。イデオロギーや精神性など、読むひとの生き方そのものを鋭く問い詰めるようなそれまでの文学のあり方とはちがって、自分たちの平穏な生活が脅かされないていどに感傷的で心地よい中流的な物語が支持されるようになり、ウリツカヤのような適度にセンチメンタルなリアリズム小説が主流になった。そしてこうした内向きな文化状況と並行するように、民族主義的な言説も大衆化し、本特集でも取り上げられているドゥーギンのようなひとが出てくる。ぼくの専門の文学でも、プリレーピンやプロハーノフのような右翼的作家が広く読まれるようになった。端的に言えば、左派と結びついた思想やハイカルチャーが停滞し、文化のプチブル化、小市民化、保守化が進んだわけです。

 ではこのことは、ロシア史のなかでどれほど新しいのか。いきなりロシア現代思想の話から外れてしまいますが、じつは最近のロシア史研究では、帝政時代末期にも、あるていどはプチブル市民文化が生まれていたと論じられている。じつは、19世紀にロシア文学が黄金時代を迎えたのも、読者層の拡大や大衆的メディアの出現によって、文学が市民的な価値観とともに普及し、大衆化し始めていたからなんですね。ロシアでは、文学が神や魂といった深遠な問題を取り上げて疑似宗教化していた。でも逆に言うと、そうした神や魂みたいな深遠な問題が、小説という市民的なかたちで一般読者にまで手軽に流布していたとも言える。しかも、さらに興味深いのは、そこでつくられたロシア文学が、突如1880年代を境にして、フランスやドイツをはじめ、世界的に大流行し始めたことです。ロシア文学はそれ以前には、他国ではほとんど知られていませんでした。ところがこの時期以後、欧米や日本でも大きなブームになって、たとえばドストエフスキーやトルストイは当時たいへん高く評価され、それがいまにいたるまで彼らの「世界文学」としての名声を支えている。なぜそれほど熱狂的に読まれたのかといえば、ヨーロッパ人が、そこに彼ら自身が失ってしまったもの、文学で魂や神の問題を語れる可能性を見出したからなんです。たとえば当時のフランスでは、文学はもうゾラ以降の自然主義で、まさにプチブルの普通の生活をそのまま描くものになっていた。そういうなかで、「文学でも哲学や宗教が語れるのか」という素朴な驚きがあった。

 つまり、ここには奇妙なすれちがいがあって、ヨーロッパ人から見れば、当時のロシア文学はある種の「高尚」な文学として再発見されている。しかしそれは、ロシアの側から見ると、ロシア文学の国民化、大衆化のなかで、神の問題を大衆的に語る装置として現れているわけです。ロシアにとっての大衆文化の問題が、ヨーロッパからは神の問題に見えてしまう。ロシア文化のこうしたあり方は、乗松さん、東さんの「ロシア的なもの」とはなにかという最初の問題提起へのひとつの答えにもなっているのではないでしょうか。

 ロシア文学の「世界性」の背景にはそうした時代状況があったのですね。たいへん興味深い話です。
 ひとつ質問があります。そのようなロシア文学に見出される世俗と宗教の近さについてですが、それはロシアの固有性によるものなのか、あるいはたんなる時期的な問題、つまりロシアにおいては市民社会の勃興と出版産業の拡大のあいだに、イギリスやフランスのような時間的な距離がなかったから起きたことなのか。どちらだとお考えでしょうか。

貝澤 ロシア特殊論に陥るのは避けたいですが、正教をベースにした宗教思想の伝統が影響を与えているとは言えるかもしれません。ヨーロッパではイデアとマテリアルは峻別されますが、ロシア正教の神学的伝統のなかでは、イデアはつねにマテリアルとして物質化され、精神と身体が分離していません。20世紀初頭のロシアの宗教思想家たち、たとえば哲学者のセルゲイ・トルベツコイは「具体的イデアリズム」なるものを唱えていましたし、フロレンスキーはみずからの思想を「宗教的唯物論」、「具体的形而上学」などと呼んでいました。言い換えれば、ロシアではイデアが物質として露出している。具体的な物質のなかにイデアを見ようとする欲望が抜きがたくある。

 もちろんそれはロシアだけに特殊なことではなく、たとえば日本にも大乗本覚論があったように、世界宗教を辺境に布教する際には、感性的なものも用いなければならないということがあったのかもしれません。しかもロシアにはルネサンスがなかったので、宗教の世俗化が起こらないまま、その倒錯が西欧的な大衆文学のインフラと結びついた。

乗松 イデアとマテリアルが直結しているという思想は、その問題点も含め、今日の大きな論点になりそうです。ただ、それはどのていど「ロシア的」だと言えるのか。ロシアでは近代文学が宗教の役割を引き継いだということはしばしば語られますが、それは実際には、決してロシアに固有な事態ではないですね。

貝澤 それはそうです。マーティン・ギニーの研究によれば、そもそも近代化の先端だったフランスでも、聖なるもの、宗教的なるものの価値は1870年の普仏戦争までは残存していた★3。聖俗分離の原理をフランス語で「ライシテ」と呼びますが、これが教育に全面的に導入されたのは普仏戦争敗北後で、第3共和政当時の教育大臣フェリーがプロイセンに対抗するために行ったものであって、それほど歴史は古くない。そこで、学校教育から宗教を追放する代わりにカリキュラムに導入され、重要な役割を担うようになったのがフランス文学だと言うんですね。つまり、宗教が果たしていた役割を引き受けたのが文学だったというのがギニーの議論です。ただ、そのすぐあとにはもう、それ以上に宗教的かつ深遠なロシア文学がヨーロッパ中を席巻してしまうわけなんですが……。

 皮肉ですね。

貝澤 もうひとつ、帝政時代のロシアでは一時期、革命思想の防止のために大学で哲学科の設置を禁止していたことがあります。それゆえ、哲学が講壇哲学のようなかたちでは普及せず、文学がそれを代行したところがある。しばしば言われるのは、ロシアに西欧的な意味での哲学が出現したのは、ウラジーミル・ソロヴィヨフ以降だということです。ソロヴィヨフは19世紀も最後のほうになって活躍した人物で、それ以前は西欧的な基準での哲学は存在しなかった。

 これはロシアだけの問題ではなく、日本でもおそらく同じでしょう。西欧的なディシプリン化された哲学は存在せず、代わりに広い意味での「思想」なるものがあり、それを担ったのが言論、とくに文学だった。むろんこれもまたロシアのオリジナルではなく、たとえばドイツのグリムやゲルヴィーヌス、フランスのテーヌなどがそうですが、文学は社会思想や国民性と切り離せないという考えは、ドイツやフランスにもある。ドイツで言えば、文学とは「国民精神」が現象したもの、テーヌの表現で言えば「人種・環境・時代」を体現したものということですが、それをいわば、いちばん真に受けてしまったのがロシア文学だと言えるのではないでしょうか。そしてそれこそが「ロシア的なもの」として受容されるわけです。

 ひと世代まえのヨーロッパの理念を真に受けて展開したものこそが、ヨーロッパに逆輸入されて「ロシア的なもの」とみなされると……。たいへん興味深い「弁証法」ですが、ここまでの話を受けていかがですか。

畠山宗明 ひと昔まえのヨーロッパの文化が「ロシア的なもの」となる弁証法は、ロシアを考えるうえでカギとなる視点ですが、20世紀の広範なロシア文化の受容を考えるためには、19世紀末からのグローバルな同時性も踏まえておく必要があるのではないかと思います。

 とはいえ、その同時性はねじれたものです。帝政末期のロシア文学が世界的に流通したのは、それが近代的な環境のなかでの宗教や地域性を語る際の、語りのテンプレートでもあったからだと言い換えることができる。つまり、ロシア文学はグローバル化しえないものを語るグローバルなフォーマットだった。そう考えることはできないでしょうか。

 貝澤さんがおっしゃった、ロシアにおける大衆化の時代は、まさに反グローバリズム的思考の起点となる身体の観念が、哲学や美学に侵入していった時期でした。ディルタイの精神科学や、芸術ならヴェルフリンの『建築心理学序説』など(彼の『美術史の基礎概念』はバフチンの『作者と主人公』にも大きな影響を与えていますし、ソロヴィヨフやフロレンスキーがよく口にする「精神物理学」はフェヒナーから来ています)、身体や物質は無視できないものとして浮上してきていた。一方で、プラグマティズムや論理実証主義に連なるような思想的な動きとして、ロシア・フォルマリズムにいたる形式主義的な思考も形成されていく。

 この時期、ロシアのナショナリズムもまた、この複雑な運動に巻き込まれていきます。ここにアメリカを加えて考えてもいいかもしれません。両者の共通点として、身体や物質への関心が、国民的な感情や文化的な象徴にまで浸透しているということが挙げられます。アメリカは、ハリウッドのような一大娯楽産業を生み出した国であり、他方、ロシアでも、とくにソ連時代の文化においては、稼働する工場やマスゲームなどの「ダイナミズム」が左翼性を象徴していた。記号化できないとされてきた物質的ショックが、いずれも大衆文化としての体裁を違和感なく保っているわけです。

 両者において身体が、西洋との差異が具現化する場所として見出されるのはたしかです。しかし、社会主義国家のマスゲームやハリウッドのミュージカルなどでは、身体はしばしば抽象化され工業化社会に最適化されてもいる。両者のもうひとつの共通点は、西洋以上に西洋であろうとするところです。ソ連の社会主義もアメリカの自由主義も、西洋近代に対する応答として追究されている。そして両者ともに、西洋以上の工業化の徹底によってそれを成し遂げようとした。ソ連とアメリカにおいて強調される身体は、こうした方向性を象徴するものでもあります。

 ロシア的なものは、西洋以上に西洋であることと、西洋とは異なったものであることという、この矛盾したベクトルに、さらに19世紀から20世紀にかけてのグローバリズムの媒介が複雑に絡み合うなかで生まれているように思います。

 もちろんそのメカニズムを考えることは容易ではありません。とくにロシアの形式性やフラットさは、西洋的なものと同一視されてしまうからです。それらを可視化するためには、こうした盲点を生み出す「視差」のようなものを考える必要がある。たとえばヨーロッパにおけるプラトニズムの回帰が、ニーチェやホワイトヘッドといった固有名で語られるのに対し、ロシアにおける同時代のそれは、より集団的でロシア的なものを強く追究する運動だった。つまり同じ言葉がヨーロッパとはまったく別様に機能する。西洋的な概念装置そのものが盲点を生み出してしまう、そうしたズレを考える必要があるのではないかと思います。

 むしろ日本からは、ヨーロッパからも米露の鏡像性からも距離を取って、ロシアのことを眺められるのではないか。つまりそうした「視差」を考察できる位置にあるのではないかと思います。

都市と地方と大衆

 ありがとうございます。ロシア的思想における身体あるいは物質の位置については、またあとで議論できればと思います。

 さきほどの貝澤さんの指摘に関して、もうひとつ質問したいと思います。お話を聞きながら考えていたのですが、日本の文学では、世俗しか扱うことのできない自然主義文学と、そこから外れたこと──それこそ神とか魂とか──を扱ういわば前近代的文学の乖離は、純文学と大衆文学というジャンル分けとして構造化されたように思います。日本の純文学は明治後期に、まさにヨーロッパの文学を規範とし、言文一致の新しい日本語を用いた文学として創出されました。しかし、それは同時に、漱石の苦悩などに象徴されるように、江戸期の戯作や漢文などと結びついた多様な想像力の追放を意味し、そちらはむしろ大衆文学のほうになだれ込んだと言えます。ロシアではこれに類似した現象は起きたのでしょうか。

 ぼくがなぜこのような質問をするのかというと、それが貝澤さんが冒頭で話された「21世紀に入ってロシアは資本主義化しプチブル化した」ということと関係するように思われるからです。日本では、純文学と大衆文学が分離したように、文化全体がヨーロッパ志向と国内志向に分離する傾向があり、それはおおまかに──戦後はアメリカが入るので構図が複雑になるのですが──ハイカルチャーとサブカルチャーの分割に対応します。だから必ずしも、大衆化、イコール、グローバル化にはならないのです。実際に日本ではポップカルチャーは過剰なまでに土着化=オタク化していて、むしろグローバリズムに抵抗している。ロシアでもそれに似た現象が起きているのかどうか。

 貝澤さん、乗松さんの本でも、ロシア的なものが、ヨーロッパ的なものに対する対立項として、人工的に構築されていることが強調されていました。それを読んでぼくが感じたのは、その構図はたしかに日本と似ているけれど、ロシアではその「反ヨーロッパ」の操作が、はるかに純粋に実行されたのではないかということです。たとえば冒頭で「近代の超克」の話が出ましたが、京都学派の哲学は西田幾多郎にしろ田邊元にしろ、たしかにすぐれて論理的で、西洋哲学の脱構築のようなところがある。でもそこには禅のような伝統文化も入り込んでいるわけで、一種の夾雑物も存在している。

 ポストモダニズムの思想についても、ロシアでは、ミハイル・エプシュテインのように、ソ連こそがポストモダニズムを先取りしていたという主張があり、また、デリダのモスクワ訪問での対話では、ミハイル・ルイクリンがデリダに、「ロシアでは脱構築の実施以前に、脱構築の環境そのものをつくることが必要なのだ」と疑問をぶつけたりもしているわけですね★4。このルイクリンの発言は『批評とポスト・モダン』(1985年)での柄谷行人の発言を想起させます。実際に彼らは世代もほぼ同じです。けれどちがいもある。日本もロシアも同じように、最初からポストモダン化していたとして、そこで大きな特質のちがいとして考えられるのは、日本のポストモダニズムがたんなる思考実験ではなく、土着的なサブカルチャー、たとえばマンガやアニメと否応なく結びついてしまったことです。ロシアではそこはどうなのか。ロシア的なものはヨーロッパへの「対立」としてのみ仮構されたものなのか、それともそこには実体があるのか。これは今日の議論の柱になる問題だと思います。

貝澤 なるほど。ロシアでも、19世紀前半ごろから、グリムなどの影響下にネイションの根っことしての民衆文化や農村文化を発見する試みや、国民楽派や移動展派のように土着の民謡や民衆の風俗を文化に取り入れる動きはあったわけですが、それはホブズボームも指摘するような、ナショナリズムと国民国家形成の世界的な動きのなかでの「創られた伝統」だったんですね。もちろんそのような、上から創られたり発明されたのではない民衆自身のものという意味での大衆文化も、帝政期のロシアには存在はしていました。たとえば「ルボーク本」と呼ばれる、大衆向けの挿絵つき出版物があった。これは16世紀くらいから存在していて、内容は民話やファンタジーが主です。19世紀になるとかなり産業化し、流通量も大きかったのですが、これは都市部で読まれるいわゆる文学とは完全に乖離していた。そもそもルボーク本は行商人を通じた独自の流通網を持っていて、都市部の書店には並ばなかった。

 純文学は都市住民が読み、大衆文学=ルボーク本は地方の農民が読むという構図があったということですか。

貝澤 おおまかにはそうです。ただ、重要なのは階級で、都市でも下層民はルボーク本を消費していたでしょう。そのへんは時代によって異なっていて、ロシアでは1861年に農奴が解放され、食えなくなった農民が都市に流入し、下層労働者層を形成していったんです。1870年代以降は、都市にも読者がいたはずです。

乗松 ルボーク本の流通システムには同時代の文学者も関心を示していますね。トルストイはルボーク本の出版人と組んで、自前で出版社を設立した。ルボーク本を読む農民たちを啓蒙するため、その販路を使って、『イワンの馬鹿』などの民話的作品を流通させたのです。またドストエフスキーも、「書物性と読み書き能力」という評論でおもしろいことを言っています★5。当時、ルボーク本を低俗だと考える都市部のインテリによって、啓蒙的内容の本を無料で農民に配布する活動が行われていた。ドストエフスキーはそれに反対して、啓蒙的な内容の本なんかつくってもしかたない、面白いものをつくって売るのが重要なのだと言うんです。上から目線で無料で配布するのではなく、金銭での売買という対等な関係のうえで広まるのでなければ、結局は農民はインテリから離れていくだろうと。

 いまの日本でも通用しそうな指摘ですね。ところで、そのようなルボーク本以外に、都市の大衆文化はありましたか? 日本では江戸の都市文化がオタク文化の基礎とも言われますが、同じように、前近代からいまのロシアにつながる大衆的想像力の系譜のようなものはなかったのでしょうか。

貝澤 むずかしいですね。そもそもロシアで本格的に大衆的な都市文化が登場するのは1880年代以降でしょう。加えてロシアには歴史がない。日本の都市は、東京にしても江戸期の痕跡を随所に残しています。東京ならば、かつての金座の場所に日本銀行本店がつくられるというように。けれどもロシアの都市は、サンクトペテルブルクがわかりやすい例ですが、なにもないところにつくった人工都市なので、歴史を遡ることができない。都市と農村も日本よりはっきり峻別されています。たとえばサンクトペテルブルクには石づくりの建物が建てられましたが、それ以外の土地では石づくりの建物は禁止されたと言われています。

 都市に大衆文化の伝統がない。伝統があるのは農村なんですね。ではその農村の伝統はいま、どうなっているのですか。

乗松 ルボーク本の伝統はソ連時代に絶たれました。概して言えば、現代ロシアで農村の文化的な存在感は薄いと思います。政治を見ても、モスクワ、サンクトペテルブルクと「それ以外」という感じです。90年代には地方の独立性が高まりましたが、プーチンが強力に中央集権化を進めて抑え込みます。むろん、連邦を構成する民族単位の共和国にはそれぞれ固有の文化的伝統がありますし、後期ソ連の「農村派」以来の、地方に基盤をおいた作家などもいる。しかし19世紀から、ロシアにおける農村のイメージは、「この貧しき村々/この乏しき自然──」というチュッチェフの有名な詩に代表されるものです。

 それは日本とまったくちがいますね。日本では、ネイションの本体はむしろ都市ではなく地方にあるでしょう。東京がいくら西欧化しても、地方にはヨーロッパ近代の秩序とはまったく別の秩序が頑として残っていて、日本の知識人はつねに「地方の民衆がわからない」とコンプレックスに苛まれている。ところがロシアにはそのような実体がない……。

乗松 いや、もちろんロシアの地方にも実体がないわけではないんです。ヨーロッパ・ロシアの地方都市には、独自の文化的伝統を持つところも多い。農村にしても、たとえば帝政期までは「ミール」と呼ばれる伝統的な農村共同体があったとされ、ナロードニキなど多くの思想家に思考の契機を与えていた。農村の民衆がわからないというコンプレックスは、19世紀ロシアの知識人の宿痾でした。けれども伝統的な農村共同体は、基本的にソ連時代の集団化によって破壊されてしまう。コルホーズは農民を労働者化する政策ですから。さらにソ連崩壊後の混乱では、人口そのものも都市に流出して減ることになった。その結果としていまの状況があります。

 歴史はどうですか。あの広大な土地に、幾多の異民族が侵入してきた歴史があれば、モスクワとサンクトペテルブルクの外にもかなりの多様性がありそうですが。

貝澤 たしかにそのとおりなのですが、ロシアではそうした問題が、長いあいだきちんと取り上げられてこなかった経緯があるんです。たとえばロシアには、13世紀にモンゴルに支配された歴史があるのですが、ユーリー・ロトマンのようなひとでさえ、そのことに積極的に触れようとしない。現実にはモンゴル侵入の痕跡は社会的にも文化的にもさまざまな場所に残っています。けれど観念的には、モンゴルの支配のあいだは「歴史が止まっていた」というような、ある種、安易な言説がある時期まで流通していた。実際、日本では縄文人のような「古層」が遺伝学的にも残っていたりするわけですが、ロシアでは、おそらくあまりに混淆が激しいために遺伝子的な差がなくなり、逆に発見できないようです。言葉にしても、いまのロシア語にはほとんど方言がない。

 なるほど。大衆もなく歴史もない。

畠山 ロシアにおける形式や人工性への志向が、近代を超えて広がっているということですね。そのうえで、さきほどの世紀転換期の話に重ねて言えば、たとえば文学もそうした人工的な構築物として大衆的に受容されるということが生じたのではないでしょうか。ロシアでは初期映画期に、プーシキンなどの小説がしばしば映画化されています。芸術か大衆文化かの選択は、20世紀においてはヨーロッパの文化かアメリカの文化かの選択でもありますが、ソ連はそのどちらでもない。文学以外でも、20世紀に流通したソ連発のコンテンツは、両者の中間のようなものが多いと感じます。たとえばスタニスラフスキーやショスタコーヴィチですね。論理的操作から生まれたものであるという人工性が、地域を越えた地球規模の流通をつくり出し、さらに大衆文化内のハイブロウ、あるいは大衆的に流通する芸術として機能するという、20世紀におけるロシア文化の独特なプレゼンスを生み出した。

貝澤 そのいい例が、ソ連時代以降の高い読書率なのでしょうね。ソ連では信じられないくらい読書が盛んでした。人口の7、8割が読書が趣味だと答えているという調査結果も見かけたくらいです。もちろんソ連時代には、ほかの娯楽が比較的限られていたという理由もありますし、現在ではネットの普及などで読書量は激減していると言われていますが、最近の調査でも、ヨーロッパではロシアの読書率がフランス、ドイツを抜いて最高水準です。帝政時代から読者研究も盛んで、農村でどんな本に需要があるのか、頻繁に調査が行われていた。当時のインテリは、農民を革命の言説に親しませるために、彼らがどういう読み物を求めているのか、またなにを読ませたらいいのかを知る必要があったからです。

乗松 ルボーク本に話を戻すと、これが消滅したのはソ連時代です。社会主義リアリズムが規範として打ち立てられたからですね。けれども、社会主義リアリズムについてはいまでも評価が割れていて、大衆にハイカルチャーを上から押しつけたように見えるけれど、逆にハイカルチャーが大衆に迎合し、ずるずると吞み込まれていったものと捉えることもできる。ある種の大衆文化が人工的につくられて、それはそれなりに豊かだったわけです。スターリン時代にはアレクサンドロフのミュージカル映画があるし、後期ソ連で言えばリャザーノフやガイダイのような、日本の「寅さん」的な位置づけの国民的大衆映画を撮る監督も出てくる。最近ではブレジネフ時代の大衆文化が最もよかったと言うひともいて、ノスタルジーの対象になっている。そう考えると、逆に、大衆文化はむしろソ連にこそ存在したとも言える。

 興味深いですね。

貝澤 たしかにスターリン時代の映画は、大衆的でありながら質が高い。ぼくは大学で全体主義文化論という授業を持っていて、学生にナチス・ドイツや戦時中の日本、それにソ連のプロパガンダ映画を見せているのですが、そのなかでソ連の映画は抜群に評判がいいんですね。アレクサンドロフやプイリエフのミュージカルは、もともとアメリカのミュージカル映画を手本にしてつくられているのですが、わかりやすいプロパガンダのメッセージが込められていながら、高い娯楽性も備わっています。

畠山 その質の高さは、歴史の不在ゆえに人工物を通じて普遍を目指した結果、生み出されたものだとも言えます。スターリンはハリウッド映画が大好きでした。スタニスラフスキー・システムが根付くのもアメリカとロシアですね。いずれも、ほかの国のように伝統芸能とぶつかることなく、近代演劇のシステムが文化としてスタンダードな地位を確立してしまう。こうしたアメリカ文化との野合はしばしば、社会主義国家であったソ連がアメリカの資本主義を密輸入していた、という暴露本的なロジックで語られてしまうのですが、両者がともに歴史を欠いたヨーロッパの辺境であったという類似性も無視できないと思います。

 補足しておかなければならないのは、それらの「スタンダード」性は、いわゆる伝統を排除したという意味での均質性ともすこしちがっていただろうということです。スターリン時代も含め1930年代の文化には、今日から見ればノスタルジックに見えても、当時としてはモダンなものがインフラレベルで浸透しているという「新しさ」がありました。

 この時代には日本でもいわゆる「小市民映画」が生まれますが、後の「寅さん」とちがうのは、それらが新興中産階級であるサラリーマンや郊外の暮らしなど、やはり徹頭徹尾新しい風景に包まれていたということです。ここから頭角を現したのが小津安二郎で、彼は時代劇を撮ることなく、いち早くモダンな東京を撮った人物でした。映画研究者の木下千花さんが、30年代の日本には「モダンなもの」のなかに「日本的なもの」を見出そうという機運があったという指摘をされていますが★6、ロシアやアメリカでは、それが国民的な規模で追求されていた。歴史が希薄だったからこそ、地域を問わない近代のインフラに独特の情熱が注がれる。スターリン時代の文化が大衆文化なのか前衛の末裔なのかといった話に関しては、このように世界的な同時性から見ることも可能だと思います。

 さらに近年では、近代テクノロジーは地域性を排除するのではなく、むしろそれと溶け合って新たな固有性をつくり出すのでは、という議論もある。たとえば時代劇というジャンルも、30年代になって現れた現代的な口語や行動様式の時代劇に媒介されてはじめて、今日わたしたちが知るようなものになりました。「モダンなもの」に媒介されることで歴史を歴史として表象するフォーマットも生まれる。ロシアでも、30年代後半以降には『アレクサンドル・ネフスキー』(1938年)や『イワン雷帝』(1944-46年)が撮られます。日本でも、溝口の『元禄忠臣蔵』(1941-42年)など、時代劇とは一線を画す「歴史映画」が撮られた時期です。ここで作中に描かれるロシアの中世も、ロシアとソ連を接続するというだけでなく、西部劇-時代劇の歴史感覚との差異化という同時代の映像の論理に媒介されてもいるわけですね。寅さん的なノスタルジーにしても、たんなる地域性や伝統ではなく、それは「現在」みたいな時間に横断されている。

 さまざまな論点が出てきました。まとめると、ロシアにおいては都市に大衆文化の伝統はなく、地方の共同体は崩壊している。大衆文化は存在するけれど、それはむしろソ連時代に、それこそ近代ヨーロッパをモデルに人工的に構築されたものとしての性格が強いということでしょうか。いずれにせよ、日本とは社会思想の前提が大きく異なるようです。

データベースとしての「ロシア的なもの」

 大衆が話題になったところで、また新しく質問したいのですが、ロシアには柳田國男のようなひとはいるのでしょうか。ご存じのとおり柳田は、若いころは田山花袋とライバル関係にあり、しかし文学者ではなく官僚の道を選びました。つまり「近代文学に回収されない日本」を大日本帝国の行政官として探し、そのなかで「常民」を発見した。現在では、その視線がかなり人工的なものであったことも指摘され、批判もありますが、彼が創始した民俗学はいまでもイデオロギーとしては生き残っていて、それこそ靖国神社のパンフレットなどにも「柳田先生が……」云々などと書いてあるわけです。ロシアにもそのようなタイプの、つまり、「ロシア的なもの」を民衆に見出し、かつ政治的な影響力を持った学者、あるいは言論人はいるのでしょうか。

乗松 柳田的と言えるかどうかはともかくとして、帝政期にドイツのグリム兄弟に倣った仕事をしたひととしては、ウラジーミル・ダーリが挙げられます。(『ゲンロン6』へつづく)

 

★1 ヴァレリー・ポドロガ、フレドリック・ジェイムソンほか「ユートピアと弁証法」(上田洋子訳)、『ゲンロン5 幽霊的身体』、ゲンロン、2017年、180-207頁。
★2 90年代後半までのロシア現代思想については、『現代思想』1997年4月号(特集=ロシアはどこへ行く)で紹介されている。
★3 Guiney, Mortimer Martin. Teaching the Cult of Literature in the French Third Republic. Palgrave Macmillan, 2004.
★4 ジャック・デリダ『ジャック・デリダのモスクワ』、土田知則訳、夏目書房、1996年、165-169頁。
★5 「書物と読み書きの素養」、『ドストエフスキー全集第二〇巻A』、小沼文彦訳、筑摩書房、1991年、130-192頁。
★6 木下千花『溝口健二論──映画の美学と政治学』、みすず書房、2016年、33-45頁。

 

革命100周年に問う、共産主義崩壊後のもうひとつの現代思想。

ロシア現代思想Ⅰ
『ゲンロン6』
東浩紀、貝澤哉、乗松亨平、畠山宗明、松下隆志、アレクサンドル・ドゥーギン、アルテミー・マグーン、八木君人、今井新、石田英敬、ベルナール・スティグレール、プラープダー・ユン、黒瀬陽平、速水健朗、井出明、高木刑、大森望、福冨渉、辻田真佐憲、安天、海猫沢めろん、東山翔、マイケル・チャン、ジョン・パーソン、梅沢和木

¥2,400+税|A5|366頁|2017/09/05刊行

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1963年生まれ。早稲田大学文学学術院教授。専門はロシア文学。著書に『引き裂かれた祝祭』(論創社)、編著に『〈超越性〉と〈生〉との接続』(水声社)、訳書に、ゴロムシトク『全体主義芸術』(水声社)、ナボコフ『偉業』(光文社)など。

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1975年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。専門はロシア文学・思想。著書に『リアリズムの条件』(水声社)、『ロシアあるいは対立の亡霊』(講談社選書メチエ)、訳書にヤンポリスキー『デーモンと迷宮』(水声社、共訳)、トルストイ『コサック』(光文社古典新訳文庫)など。

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1974年生まれ。聖学院大学人文学部准教授。専門は映画理論、表象文化論、エイゼンシュテイン研究。共著に『デジタルの際』(聖学院大学出版会)、『オーバー・ザ・シネマ 映画「超」討議』(フィルムアート社)など。

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1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』(河出書房新社)、『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)ほか多数。

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