【『ゲンロン7』より無料公開】歴史をつくりなおす──文化的基盤としてのソ連(冒頭部分)|乗松亨平+平松潤奈+松下隆志+八木君人+上田洋子

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初出:2017年12月15日刊行『ゲンロン7』

「敗者」としてのロシアと日本


上田洋子 『ゲンロン7』では前号に続き、ロシア現代思想を特集します。今号はロシアの専門家のみなさんにお集まりいただきました。ロシアの思想とはなにか、そしてロシアの思想が日本のわれわれにとってどのように参考になるのか、政治・経済から文学・芸術まで、さまざまなトピックを織り交ぜ議論を行っていきます。まず、特集監修者の乗松亨平さんにお話しいただいたあと、松下隆志さんに文学の視点から、平松潤奈さんに記憶と政治の視点から、八木君人さんにデモの視点からそれぞれご意見をうかがうことで、ロシア現代思想を取り巻く諸状況を浮かび上がらせていきたいと思います。

 乗松さんには前号に、特集全体の基調報告となる論考「敗者の(ポスト)モダン」をご寄稿いただきました。論考の紹介と問題提起をお願いできますか。

乗松亨平 今回、『ゲンロン』でロシア現代思想の特集が2号続けて組まれることになりましたが、読者の方々からしてみると、「なぜいまロシアなの?」という疑問があると思います。しかし、前号の共同討議やぼくの論考でも述べたように、椹木野衣の提示した「悪い場所」という問題系において、本特集はこれまでの『ゲンロン』と密接につながっている。『ゲンロン3』の特集「脱戦後日本美術」では、黒瀬陽平さんが、韓国も「悪い場所」であるとしたうえで、「日本という『悪い場所』を特権化するのではなく、むしろ問題を共有する複数の異なる場所とつないでいくこと」について語っていました★1。ロシアもまさにそのような、あちこちにある「悪い場所」のひとつです。「悪い場所」を日本特殊論として考えてしまうと、アメリカなり西欧なりの、「よい場所」との対立という枠組みでしか考えられなくなってしまう。そうではなく、複数の「悪い場所」の並列というパースペクティブから「悪い場所」そのものを捉えなおすことによって、いまの日本について考える別の視点が開けるのではないか。
 ここで重要なのが「敗北」の問題です。敗北のトラウマが歴史上にあり、その傷の痛みゆえに西欧近代と同一化できず、加藤典洋が『敗戦後論』で言うところの「人格の分裂」を起こす。そういう国こそが「悪い場所」と言われるのではないか。日本には第二次世界大戦、ロシアには冷戦の敗北という大きなトラウマが存在します。さらに遡ると、近代自体が西欧近代に対する敗北から始まっている。日本であれば幕末の開国、ロシアであれば18世紀はじめのピョートル大帝の改革★2ですね。このような反復される敗北の記憶が、日本とロシアには現代にいたるまで取り憑きつづけている。

 それがとりわけ如実に表れているのが、『ゲンロン2』で特集が組まれた、第二次大戦の犠牲者の慰霊の問題です。日本と同様、ロシアでも、第二次大戦の記憶はいまだに決着のつかない生々しい傷としてあり、ドイツのようなコンセンサスにいたらない。ロシアではそれがスターリン時代のテロルの犠牲とも結びつくので、いっそう複雑です。今号で訳出されるエトキントの論文はこの問題を扱ったもので、今日の討議でも大きなテーマになるでしょう。

 ロシアの現代史は、1990年代のエリツィン時代と2000年にプーチンが大統領に就任して以降の時代に大きく分かれますが、それも敗北に対するスタンスの変化として理解できます。90年代は敗北をポジティブに受け入れ、戦後の日本と同様、西側に同一化しようとした時代です。しかし日本が敗戦後、国際情勢の必要から手厚い保護を受けたのに対して、冷戦終結後のロシアは西側にとって包摂の必要がなく、激しい経済的・社会的混乱に見舞われました。西側に見捨てられた、裏切られたという思いで、敗北をポジティブに受け止められなくなる。98年の債務支払い停止による経済混乱から、99年のNATOのセルビア空爆への流れがそれを決定づけます。セルビア空爆によって、経済的な問題だけでなく、西と東の政治的断絶があらためて浮き彫りにされた。同時期にはチェチェン問題も再燃します。こうして2000年代には、西側と同一化するのではなく対立し、敗北を勝利に転換しなおそうとする志向が強くなっていく。
上田 2000年代以降のロシアでは、西側の常識では理解できない動きが起こります。リベラルなひとが愛国的な発言をしはじめる。たとえば、映画『アンダーグラウンド』(1995年)の監督で、セルビア人のエミール・クストリッツァです。前号で翻訳を掲載したアレクサンドル・ドゥーギンも深く関わっている極右のテレビ局「ツァリグラード」で、愛国作家ザハール・プリレーピンがホストを務めるトーク番組に出演し、親ロシア的な発言をしていました★3。背景として99年、NATOのセルビア空爆にロシアが対抗したという流れがあります。また、いちどは国際社会で力を失ったロシアが、プーチン時代に勢力を盛り返しているのも彼には好ましいらしい。

乗松 ぼくも90年代には、ロシアはだんだんとリベラルな「ふつうの国」になっていくだろうと考えていたのですが、ロシアと西側の「ふつう」がまったくちがうことを思い知らされたのがセルビア空爆でした。西側ではユーゴ紛争の悪役とされたセルビアに対し、ロシアは同じ正教国として強く肩入れしており、セルビア空爆に怒り狂うことになる。これには19世紀の東方問題以来の文脈があります。

松下隆志 文芸批評家のマルク・リポヴェツキー★4も、99年のアパート連続爆破事件がロシア社会の雰囲気を保守化へと向かわせるターニング・ポイントになったと指摘していますね。この事件は、モスクワ南部の2ヶ所、ダゲスタン、ロシア南部で起こり、合計で300人以上が亡くなりました。

上田 これはチェチェン独立派武装勢力によるテロだとの報道がなされたわけですが、これに対してはプーチンがチェチェン紛争を起こすためわざとアパートを爆破したという陰謀説も根強くある。

乗松 90年代の第一次チェチェン紛争については世論もまだ抑制的で、左翼・リベラル的なNTVというテレビ局は政府批判のスタンスで報道していた。しかし99年からの第二次紛争では状況が変わってしまった。
上田 NTVは93年、もともとエリツィン政権下の国営放送局で働いていたジャーナリストたちが、報道の自由を求めてつくったテレビ局ですね。ニュース番組の「総括イトーギ」やレオニード・パルフョーノフの時事番組「ついこのあいだナメードニ★5といった、テレビのジャーナリズムにおいて重要な番組を生み出している。しかし、NTVは99年の第二次チェチェン紛争について批判した結果、その翌年には政府に乗っ取られてしまいます。そしてこれ以降、政府がメディアに大々的に介入していく。独立系のREN TV★6もやはり、2000年代なかばに組織が再編され、以後は政府を批判するような番組はなくなります。メディア的にもこの時期に転換点がありましたね。ちなみに現在唯一のリベラル系のチャンネルはメドヴェージェフ時代につくられた「ドーシチ★7ですが、スキャンダルと資金不足で15年以降は有料インターネットTVになった。

乗松 90年代はロシアで報道の自由がはじめて実現した時期です。しかしその自由なるものは、金を持つ者が自分の好きなものを自由に流せるということでしかなかった。96年の大統領選でエリツィンが負けそうになったとき、各局がPRを流してなんとか勝たせました。しかしそのかわりに、民主主義・自由主義とは、金にものを言わせてPRすることなのだという観念が広まってしまう。プーチンが就任し、まずテレビを掌握するところから始めたのもそのような背景からです。

上田 ロシアのメディア戦略に関しては、チャールズ・クローヴァーの『ユーラシアニズム』(2016)に詳細が書かれています。たとえばドゥーギンは、ロシア下院議長の顧問となり、オリガルヒ★8の後ろだてを得て、主著『地政学の基礎 Основы геополитики』を普及させています。そしてユーラシア主義は次第に権力側に浸透していく。そういえば、『ゲンロン通信』で紹介したギャラリストのマラート・ゲリマンも、政治家のメディア戦略に関わっており、一時はドゥーギンとともに政党をつくったりもしていた★9。いずれにせよ、金が力を持つ体制がソ連崩壊後の10年を決定づけてしまった。
平松潤奈 90年代はオリガルヒがメディアを独占したのに対して、2000年代はプーチンが「よいオリガルヒ」と「悪いオリガルヒ」を選別しました。そうして、たとえばイングランド・プレミアリーグのチェルシーを買収したロマン・アブラモヴィッチなどはプーチン保護下で勢力を伸ばしたけれど、全体的には、経済の上に政治がくるというソ連と似た構造になった。ボリス・グロイスは『コミュニズムの追伸 Das kommunistische Postskriptum』(2006年)で、ソ連社会について、言語メディアが貨幣メディアを圧倒したと書いていますが、2000年代以降のロシアでも、プーチンの言葉が貨幣を超える強いメディアです。人々のあいだでも、お金がいちばんという考え方はきわめて不人気になったと感じます。もちろんこうした貨幣嫌悪は、ますます一般に浸透する貨幣・商品経済、たとえばプーチンの行った福祉の現金化などに見られる流れの効果でもあると思いますが。

八木君人 市民生活のレベルで話をすれば、90年代はペレストロイカ期で盛り上がった政治意識が退潮するのと並行して、いかに自由主義経済をサヴァイヴするかという方向に意識が変わったというのはありますよね。米企業としてロシアにはじめて出店したマクドナルドの1号店のオープンも90年です。

乗松 それに対して2000年代は、経済の上に政治がもういちど戻ってきて、政治が許容・管理する範囲でのみ経済活動が行われるようになった。

上田 別の言い方をすれば、お金を稼ぐひとたちが政府とその周辺に集中するようになった。ソ連時代には、原理的にはあらゆるものが国有財産だったわけですが、90年代には、力のある者があたかも強盗のようにそれらを私有化していくというプロセスがありました。しかし、プーチンが大統領に就任すると、彼らは排除され、そのかわりに政府が「功労者」とみなした特定の人物に富を分配するようになります。そういう意味で、90年代的な拝金主義は2000年代には終わっているでしょうね。

平松 富の分配が可能なのは、ロシアが資源国家だということが大きい。これについてはまたあとで触れたいと思います。

ポストモダニズムの行き詰まり


上田 ここまで、ロシアの1999年ごろの転換について話してきました。この転換は文化にも影を落としていると思います。今回の討議では、現代思想だけでなく文化現象も取り上げ、ロシアの現在を見ていきたいと思います。とくに文学に関しては、2000年代には90年代のポストモダニズムに取って代わる新しい潮流が現れていると言われている。松下さん、よろしくお願いします。

松下 『ゲンロン6』の拙論★10でも触れましたが、ロシア文学でも99年ごろにちょうど転換がありました。それはひとことで言えば、ポストモダニズムの凋落とリアリズムの復興と要約できると思います。

 90年代の文学はポストモダニズムが台頭した時代でした。ロシアのポストモダニズムは西側のそれとはちがって、消費社会ではなく社会主義文化を背景に持っており、社会主義リアリズムに象徴されるような権威的な言説を脱構築することに主眼が置かれたものでした。ただ、ここで確認しておかなくてはならないのは、ロシアのポストモダニズムには、はじめからある種のズレやあいまいさがあったということです。たとえば、ウラジーミル・ソローキンの小説がロシア国内で刊行されるようになるのは90年代なかばですが、彼は創作自体はすでに70年代末から始めています。代表作である『ノルマ』や『ロマン』(邦訳1998年)といった作品は80年代に書かれたものです。ソローキンのような後期ソ連の非公式作家たちは、当時はさまざまな名前で呼ばれていましたが、90年代になると一緒くたに「ポストモダン」と言われるようになる。ロシアのポストモダニズムはソ連がなくなったおかげで台頭できたが、その一方でソ連の文化に強く依存していた。いわば、ソ連の崩壊はロシアのポストモダニズムにとって諸刃の剣だったわけです。

 そのため、90年代後半には早くもポストモダニズム終焉論が現れるようになります。ロシアのポストモダニズムの旗手と言われた批評家のヴャチェスラフ・クーリツィン★11は、97年に発表した「ポスト」ポストモダニズム論で、ポストモダニズムにはもはや「対立者」がいない、つまり脱構築の対象がなくなったと指摘しています。その後も、ミハイル・エプシュテイン★12やリポヴェツキーといった、ロシアのポストモダニズムを主導した批評家たちが相次いでポストモダニズムの「終焉」や「危機」を語り、90年代末にはポストモダニズムの流行は一応の終息を見ます。そして2000年代に入ると、もっと下の世代からリアリズム復興の動きが出てくる。
上田 ポストモダニズムについてもうすこし掘り下げたいのですが、ロシアのポストモダニズムでは、モダニズムはどのような位置づけになるんですか。

松下 ロシアのポストモダニズム論にとってそれは大きな問題でした。西側のポストモダニズムでは、まずモダニズムがあり、その失効としてポストモダニズムがある。ところがロシアの場合は、モダニズムのあとに社会主義リアリズムが来てしまったので、西側のポストモダニズムの枠組みをそのまま適用することができなくなった。そこで、リポヴェツキーはソヴィエトのイデオロギーをモダニズムの「大きな物語」と考え、グロイスは社会主義リアリズムをアヴァンギャルドのある種の完成形であると捉えるなどして、なんとか帳尻を合わせようとした。

上田 アヴァンギャルドが社会主義リアリズムを生んだというグロイスの議論は、それらを全部「モダン」として考える論理として差し出されている。

松下 そうです。もちろん、こうしたなかば恣意的な文化史の読み替えには批判もありますが。

八木 個人的には、「アヴァンギャルド」は、「モダニズム」とも「ポストモダニズム」とも区別したいです。いま話されているのは社会思潮としてのモダン/ポストモダンだと思いますが、芸術の潮流としてのモダニズム/ポストモダニズムの枠内でアヴァンギャルドを捉えてしまうと、それが持っていた政治性が消去されがちだからです。端的な例を挙げれば、日本で知られているアヴァンギャルドって、ユニクロのTシャツに使われていたり、広告でポスターの構図に使われたりと、オシャレアイコンみたいな感じだと思うのです。実際、かっこいいですし、それでいいんですが。ただ、こうなってしまうと、ゲバラのTシャツなどと同じで、アヴァンギャルドが持っていた政治性みたいなものは失われてしまうわけで、そこにアクチュアリティを見出そうとするタイプのあとの世代のアーティストたちの活動を見誤る恐れがあると思うんです。

平松 社会主義文化はポストモダンだという説もありますね。スターリン時代の社会主義リアリズムはシミュラークル生産装置だという。

松下 エプシュテインがまさにそういった主張をしていますが、社会主義リアリズム文化全体がポストモダンだとする主張には、ポストモダニズムの内部からも批判が出ています。そう捉えてしまうと、そもそもモダンとポストモダンの区別がなくなってしまいますからね。エプシュテインはさらに踏み込んで、ピョートルの改革やプーシキンによる西欧文学の引用までポストモダンだと言い、最終的にはロシア文化全体がポストモダンだという話にしてしまう。
乗松 後追い型近代をすべて「ポストモダン」と言おうということですね。『ゲンロン6』の拙論に引きつければ、それは、後追いの敗北感を優越感にすり替えるための論法と言えます。

八木 ソローキンはどうですか。彼はソ連時代から活動していたわけで、当時、ポストモダンという意識はなかったはずですよね。

松下 彼は当時、画家のイリヤ・カバコフやグロイスなどと同じモスクワ・コンセプチュアリズム★13のグループに参加していて、コンセプチュアリズムの美学から大いに影響を受けていました。もちろん、当時は「ポストモダン」という意識はなかったと思います。けれども、90年代前半のインタビューでは、自分はコンセプチュアリズムからポストモダンに移行したと発言しています。

上田 グロイスがソ連時代の経験を語っているインタビューを読むと、ソ連時代には文章を発表するのは難しかった一方で、自分にはコネがあったので公式には買えない外国の本がいくらでも読めたと言うんですね★14。消費の面ではソ連時代でもやりたい放題だった。グロイスはその状態がロマン主義的だと言ったのですが、コンセプチュアリズムの運動家やポストモダンと名づけられるまえのソローキンは、まさにロマン主義的消費だけをしている状態だった。成果を外に出すことはできず、閉じられたサークルのなかだけでやっていた。

松下 それは重要な点だと思います。コンセプチュアリストたちは徹底した非政治性を強調していて、いわゆる異論派★15ではなかった。現実の政治に一切干渉しないかわりに、最大限の芸術的自由を持っていた。ソローキンなど後続の世代に大きな影響を与えた非公式作家のユーリー・マムレーエフ★16は、当時は創作にあたって自分の良心以外にはなにも妨げとなるものがなかったと回想しています。
平松 アレクセイ・ユルチャク★17の「ソヴィエト最後の世代」論ですね。権力に寄生するかたちで自由を確保し非政治性を貫くことは、権力への対抗ではないのだと。ユルチャクは『なくなるまですべては永遠だった Everything Was Forever, Until It Was No More』(2006年、邦訳『最後のソ連世代』、2017年)でそう論じましたね。ブレジネフ時代から消費文化が始まり、新しいインテリ層が生まれる。また、ボイラーマンとかエレベーター係として働いて、稼ぎは少ないけれど自由な時間は大量にあるという人々が、勝手に知的活動を行ったり、アンダーグラウンド文化を築くという状況がペレストロイカまで続く。

乗松 新生ロシアで市民社会が生まれなかった原因を、70年代の非政治化されたインテリに求める議論もありますね。社会学者のレフ・グトコフとボリス・ドゥービン、あるいは彼らとはちがって右派のボリス・メジューエフ★18も、アトム化された70年代インテリのメンタリティにその原因を見出しています。ただこれは、日本の「しらけ世代」の問題とも並行する。

上田 たとえばソローキンはデモや政治活動はしないと宣言している。作品はすごく政治的だけれども運動としてはやらない。同じ作家でも、エドワルド・リモーノフ★19は急速に政治化していく。ナショナル・ボリシェヴィキ党の活動と過激な発言は、ロック音楽とも結びつき、若者の支持を集めていきます。ボリス・アクーニン★20もそうした面から考えることができる。もともとは日本文学者で、三島由紀夫の研究書が有名です。彼は邦訳もある人気推理小説作家だったのに、急にロシアの歴史を書きなおしはじめる。そして人気を失っていく。70年代は、そういうインテリたちのふるまいのひとつの源泉として見出せるのかもしれません。ちなみに亀山郁夫さんは、ロシアがいちばん幸せだったのはブレジネフ政権下、停滞期の70年代だったと言っていました。

八木 「70年代楽園説」はありますね。実際、指導者の人気ランキングでもブレジネフはとても人気がある。逆に、「自由」をもたらしたはずのゴルバチョフやエリツィンは人気がない。

平松 「停滞」と言われるけれども、それなりに福祉が充実して、ソ連内には国境がなく、諸民族みな兄弟で自由に行き来できて、みなが善良で幸福、というイメージがいまでも残っている、というか、いま強化され、想像されている。

「新しいリアリズム」の勃興


松下 いずれにせよ、90年代末にはポストモダニズムの流行はいったん終息します。そこで、ポストモダニズムのかわりに台頭したのが、若手文芸評論家のワレリヤ・プストワヤ★21が中心となって提唱した、「新しいリアリズム Новый реализм」と呼ばれる潮流でした。プストワヤは、ポストモダニズムだけでなく伝統的なリアリズムとのちがいも強調しましたが、肝心の「新しさ」をうまく概念化することができなかった。新しいリアリズムは、理論的な運動というよりは、結局のところ、ポストモダニズムのシニシズムに対する感情的な反発という側面が強かったと言えます。

 とはいえ、一方で新しいリアリズムの作家たちが一般読者には受け入れられ、文壇からも高く評価されているのは事実で、さきに名前が挙がったプリレーピンもこの潮流に属しています。全体的な特徴としては、作者の実体験にもとづいた半自伝的な作品が非常に多い。これは、90年代のポストモダニズムが徹底して作者性を否定していたのとは対照的です。

上田 新しいリアリズムは、理論的な運動というよりコンテンツの新しさだった。演劇の世界に目を向けると、2000年代は、ポストモダニズムの乗り越えとしてドキュメンタリー演劇が流行します。02年には、モスクワに「テアトル・DOC」というドキュメンタリー演劇専門の劇場ができる。このころから、表現はアヴァンギャルドから「わたしの実感」にもとづくものへと変わっていく。それは90年代の「チェルヌーハ чернуха」★22と呼ばれる暗い現実を描く潮流や、戦争ものの映画の流行に続くものだと思います。

松下 新しいリアリズムでも、実感、つまり作家個人の体験が重視されています。たとえば90年代のチェチェン戦争文学では、コーカサス神話★23のパロディとして書かれたアイロニカルなものが定番でしたが同じ主題を扱ったプリレーピンのデビュー作『病理 Патологии』(2004年)では、既存のコーカサス神話ではなく、作者が実際に戦場に赴き、そこで自分が見聞きしたことにもとづいて戦争を描いています。

平松 日常や実感を描こうとする2000年代の転換は、ロシアの政治経済的な転換とどう関わっているのでしょうか。
松下 新しいリアリズムの世代は70年代生まれが多いんです。彼らの多くは、成人して社会に出るまえにソ連崩壊を経験している。つまり、社会に出てまず90年代の経済危機を身をもって味わった。そこで共通して見られるのが、資本主義に対する非常に否定的なイメージで、その反発としてソ連の理念に対する強いノスタルジックな憧憬がある。そのような世代体験も手伝って、新しいリアリズムの作家たちはソ連のイデオロギーに回帰していく傾向があるようです。

平松 プリレーピンのような新しいリアリズムの作家は、権力との関係ではどうなんでしょう。

松下 プリレーピンはもともとリモーノフのナショナル・ボリシェヴィキ党★24にいました。この政党は愛国主義と反プーチンが結びついた、極右で極左な政党です。かつてはナツボル(ナショナル・ボリシェヴィキ党の党員のこと)としてリモーノフ信者だったプリレーピンはもちろん反体制派で、さきほども言ったように、『病理』ではチェチェン紛争についても批判的に書いていました。ところが、ウクライナ危機のあとはすっかり体制側の人間になったという印象です。今年(2017年)の2月には国から「政府賞」を贈られています。

 もうひとり、セルゲイ・シャルグノフ★25という新しいリアリズムの代表的な作家がいるのですが、彼は2016年、プーチンが国内の知識人を集めて定期的に行っている会議に参加して、ソ連の忘れられた英雄の物語を掘り起こし、子どもたちの愛国心を積極的に育てるべきだと提言していました。もともと新しいリアリズムには政治活動をしている作家が多かったのですが、いまでは権力とのつながりがかなり濃厚になってきている感じがします。

上田 シャルグノフは80年生まれの若い作家ですね。

松下 彼はモスクワ大学出身で、新しいリアリズム運動の嚆矢とも言える「喪の否定 Отрицание траура」という論文を『ノーヴィ・ミール Новый мир』誌に発表しているのですが(2001年)、そこで国家は作家が支配するべきだと書いています。なぜなら、官僚は生や死について無知であり、作家こそが人生の意味を国民に教えることができるから、というわけです。シャルグノフからは、「作家は人生の教師だ」といったなかば時代錯誤的なフレーズを本気で信じている印象を受けます。
上田 芸術家が国の骨格をつくると考えたロシア・アヴァンギャルドと同じ議論ですね。

八木 シャルグノフのような反発は、ロシアでポストモダニズムが冷戦崩壊後の資本主義と同時期に受容されていることから来ているんですか?

松下 シャルグノフは国民を「ナロード」と「マス」に分けています。ポストモダニズムはマスに人気があるが、ほんとうの芸術はナロードのものだと語っている。

平松 マスは消費社会の主体、それに対してナロードは人民、民族ですね。ナロードのほうが無媒介的で有機的な統合体だということでしょうか。ナロードは「たくさん生まれる」という語から来ていますよね。

松下 シャルグノフは、ポストモダン=資本主義と捉えているふしはあります。

上田 90年代は荒れた時代でした。それまでのソ連の公式文化は能天気で無害だった。たとえば、いまも毎年来日しているロシアの国立サーカスのようなものは、非政治的なソ連文化の典型と言える。スターリンのお気に入りのソ連ミュージカル映画にも『サーカス』(1936年)という作品があります。そうしたソ連文化への反動で、90年代にはさきに挙げた「チェルヌーハ」のような、批判的でやたらと暗いものが流行るわけです。カンヌ国際映画祭でカメラ・ドールを獲った『動くな、死ね、甦れ!』(1989年)をはじめとするヴィタリー・カネフスキーの作品などがそうです。ところが生活が安定してくると、保守化して自分探し系のリアリズムが出てくる。それは20世紀前半のアヴァンギャルドから社会主義リアリズムへ向かう流れと似ている気がします。アヴァンギャルドは伝統を猛烈に攻撃した。それが、社会主義リアリズムが出てくると、芸術はやはり保守化して、「人間とはなにか」というような話ばかりになっていく。その反復のように思います。

「文化2」としてのプリレーピン


平松 90年代から2000年代への文学の転換は、ウラジーミル・パペルヌイ★26が『文化2』で提案した「文化1」と「文化2」の区分にあてはまるように思います。彼は、革命期とスターリン期の建築様式を手がかりに、それぞれの時代のモードを「文化1」「文化2」として定義しています。

 革命期の文化1はまさに革命的・破壊的なもので、水平性、脱中心化、流動性、開放性、過去との断絶、機械信仰、ファクトが重視される。それに対しスターリン期の文化2は権威主義的・保守的で、垂直化、中心化、結晶化、閉鎖、固定、過去、機械ではなく人間、具体的事実ではなく抽象的「真実」を重視する。パペルヌイはレーニン時代とスターリン時代に関してこの区分を提示したわけですが、それ以降の時代も、このふたつの様式の交代で説明できるかもしれません。スターリン時代、ブレジネフ時代、そしてプーチン時代は文化2で、そのあいだのフルシチョフ時代、ゴルバチョフ・エリツィン時代が文化1、と。ここまでに議論されてきた90年代のポストモダンから2000年代のリアリズムへという流れも、革命的な文化1から、プーチンの権威主義体制下の文化2への交代とみなせますね。

松下 それはそうですね。プリレーピンはまさに文化2を体現しているように見えます。さきほど体制側の人間になっていたと言いましたが、彼自身はもっとベタにナショナリスティックになっていく。たとえば、最近彼が出版した『小隊 Взвод』(2017年)という本では、デルジャーヴィンやプーシキン、チャーダーエフといったロシアの19世紀の作家・詩人の戦争体験がプリレーピンの目を通して綴られています。

上田 そして、プリレーピン自身が、ウクライナとの紛争地であるドネツクに行って自分の戦闘部隊までつくってしまった★27。作家とナショナリズムとの関わりが行き着くところまで行っている。

松下 プリレーピンはこの本で、彼にとって都合のいい伝記的情報だけを抜き出しているという批判があります。たしかに取り上げられている作家はみな戦争には関わっているのですが、たとえばデルジャーヴィンが後期に展開する反戦論にはほとんど触れない。そういう意図的な取捨選択がかなりある。ウクライナ問題でもロシアの行動を正当化するためにロシアの古典をよく引用していました。それが彼のやり方で、今回は彼自身軍人になろうとしているので、そのために都合のいいものを出版したということでしょう。
上田 プリレーピンは、伝統的な価値観を自分が代表しているというふるまいをする作家です。これはソローキンと比較するとおもしろい。ソローキンもまた、ロシア文学の伝統に根ざしています。過去の文学作品を引用し文体を模写する。それによりまったく新しい作品、ジャンルをつくる。しかしプリレーピンの場合はオーソドックスな物語作家で、自作の正当化のために過去の伝統への所属を強調する。

乗松 そういう意味では、アヴァンギャルドから社会主義リアリズムへの移行とぴったり重なりますね。過去の文化の集積を引き受けたうえで、それを壊すのがアヴァンギャルドでありソローキンであるとすれば、それを自己正当化のために使うのが社会主義リアリズムでありプリレーピンなわけです。

平松 史実を粉飾して幻影的に共同体の構築・保持に邁進するのが社会主義リアリズムで、その粉飾を暴いて社会を解体・刷新する運動がソ連末期から90年代にかけて行われた。ところが2000年代以降はふたたび粉飾の再生産が行われている。

上田 なにも進歩していない!

八木 ほんとうに文化1と2しかないですけど、それですべてが斬れたらまずい(笑)。シクロフスキーの異化/自動化でも、タルトゥ゠モスクワ学派がロシアの特性として語る「極端から極端へ振れる文化の二元的モデル」でもなんでもいいですが、語り口の問題としてそうなってしまうところはあると思います。そうして見通しがよくなることで、逆に見えなくなってしまうものがあることには注意しないと。

松下 プリレーピンは、初期には新しいゴーリキーと呼ばれていました。結局、新しいリアリズムは実質的には社会主義リアリズムの新バージョンみたいになってしまった。ある批評家は皮肉を込めてこれを「社会主義リアリズムの死後の勝利」と呼んでいます。
上田 読者がプリレーピンを求めるのはなぜでしょう。彼はとにかく人気がありますね。リベラルなわたしの友人も、プリレーピンは思想的にはちがうけれど、とにかく文章がすばらしいので読んでしまうと言っていました。

松下 彼の主張自体は極端なものが多いですが、器用なところもあります。たとえば、彼自身はマッチョ志向ですが、現代女性作家のアンソロジーを編んだりしている。ロシアに批判的なアレクシエーヴィチがノーベル賞を受賞した際には、彼女を批判するために、相容れないはずのソローキンを持ち上げるようなこともする。前号の拙論で詳しく書きましたが、ぼくは彼の本質は非イデオロギー性なのではないかと思います。彼は理屈よりもむしろ感情で動いている。そういう意味ではトランプと似ている。発言は矛盾に満ちていますが、なにを言っていても本人はあまりダメージを受けない。

平松 文化2のスターリン時代はまさにそういう時代ですね。イデオロギーというか思想的締めつけがあるので、個人は思想を持っていないほうがよい。人々が思想を持つのはむしろ文化1の時代です。

松下 プリレーピンはまさにその交代を体現するひとだと思います。同世代のある作家が言うには、プリレーピンは一枚岩のような人間で裏表がなく、ポストモダン的なシニシズムに疲れた現代人はまさにそういう人間を求めているんだと。屈託がなくて、自分のことを平和のシンボルだと言うかと思えば、必要があればためらいなく敵を撃つとも言う。それは矛盾しているようですが、どちらも強い愛国心から出た発言に見える。

乗松 そういう矛盾を厭わない言動は、ユーラシア主義のイデオローグであり同じナショナル・ボリシェヴィキ党出身のドゥーギンとも比較できます。ただ、ドゥーギンは屈託なくそうしているという感じではない。きわめてシニカルな戦略としてやっている。

松下 プリレーピンもあるていど意識的だとは思います。
乗松 彼の戦略はどう評価すればいいのでしょうか。ドゥーギンのメディア戦略はシニシズムとして理解しやすい。ジジェクを持ち出すまでもなく、シニシズムは旧共産圏の社会を考えるとき、きわめて重要です。ソ連時代には、公式報道が嘘ばかりだとみなわかったうえで、それを信じるかのように行動していた。それがペレストロイカで反転する。すべてが嘘であるとは、すべては裏に真実を隠し持っているということでもあって、シニカルな諦念が真実への欲望にひっくり返ったわけです。けれどもソ連崩壊後、金持ちがメディアを操作する時代になって、またシニシズムに戻る。ドゥーギンはそんなシニシズムに棹差して、メディアが言っていることにはみな裏があるという陰謀論を振りまき支持を広げました。

 それに対して2000年代はわかりにくい。90年代にはオリガルヒが分割していたテレビ局が、2000年代にはプーチン万歳に一元化される。ソ連時代に戻ったかのようですが、ではシニシズムが進行したかというと、90年代の状況への反発から、むしろテレビは信頼を回復したように見える。もっともそれは、もはやほかに信じられるものもないといった、シニカルな信憑かもしれません。ともかくもテレビを基盤に政権は高い支持率を維持しました。2000年代にはネットというあらたなメディアも出てきますが、その影響力は限定的で、政権も11年まではかなり自由にやらせていた。

 そんななか現れたプリレーピンに、ドゥーギンのようなシニシズムはあるのかどうか。

松下 プリレーピンが成功した理由は、表面的にはシニシズムを出さないというところにあると思います。今回、戦地に飛び込んでいったのも、あくまで愛国的な動機です。そこまで徹底してやる現代の作家はほかにはまったくいませんし、そこにアイロニーを読み取るのは難しい。

乗松 90年代から2000年代初頭までは、いわゆる「スチョーブ стёб」、つまり、権力や規範を過剰に支持したり真似したりしてバカにする、そういう作風が流行ったわけです。リポヴェツキーが日本に来たときもその話をしたのですが、2000年代のミハイル・エリザーロフ★28のような作家にいたっては、もはやバカにしているのか本気で信じているのか、つまりネタなのかベタなのか区別できないと言っていました。しかしプリレーピンまで行くとそういうあいまいさすらなくなっていますね。
松下 だからこそ、同世代の作家に比べて圧倒的に成功したのだと思います。

乗松 シニシズムなりアイロニーなりが失われていく。大澤真幸や北田暁大が現代日本に指摘した図式に則れば、アイロニーからアイロニカルな没入へ、そしてたんなる没入へという流れを、ポストモダニズムから新しいリアリズムへの推移に見てとれるかもしれません。そしてそれは、プーチン支持の構図とも似ているように思える。別に本気じゃないけどほかに信じられるものもないし、というシニカルな信憑から、シニシズムが失われて没入的な支持と化す。

松下 2000年代以降を補足すれば、ポストモダン文学の内部でも転換が起こったと言われています。たとえばソローキンも、『氷三部作』(2002-05年、邦訳 2015-16年)ではリアリズム回帰の傾向が指摘されています。それは一種の右傾化でもあって、アレクサンドル・プロハーノフ★29の『ヘキソーゲン氏 Господин Гексоген』(2002年)などは、様式的にはポストモダンかもしれないけれど、内容的にはきわめてナショナリスティックです。ほかにも、パーヴェル・クルサーノフというペテルブルクの作家がいますが、彼の『天使に噛まれて Укус ангела』(2000年)という小説はポストモダニズムの転換を象徴する作品と見なされていて、これはロシア革命が起こらなかった20世紀を舞台に、ロシア帝国が中国と結託しアメリカへ戦争をしかけるという内容です。クルサーノフはほかのペテルブルクの作家たちと「ペテルブルクの原理主義者たち」という知識人サークルをつくったりしているのですが、プーチンに直接、ロシアの領土に関する公開書簡を送ったりしていて、どこまで本気なのか意図を測りかねるところがあります。また、彼の場合は、帝国主義的な主張がなぜか『葉隠』など日本のサムライ的な美学と結びついていて、三島由紀夫の政治的転向を想起させるところがあるのですが、プリレーピンも、自身の戦闘部隊の創設やマッチョ志向などといった点では三島を思わせますね。

上田 言い換えれば、プリレーピンの戦略というのは「父」の戦略でしょうね。端的にプーチンを真似ていく。プリレーピンは実際に子どもが4人いて、家族写真などもネットに上げつつ、父としての作家像を押し出している。トルストイやゴーリキーあるいはショーロホフのような、国父的な作家を現代的なかたちで目指しているような気がします。
松下 そもそもプリレーピンは教養人ではなく、若いころはオモンで働いていた。オモンはデモや暴動の鎮圧を行う特殊部隊です。自分を反エスタブリッシュメントと位置づけていて、だから反知性主義とも言われるわけですが、トランプと同じように、彼はそうした自分の立ち位置をうまく利用しているように見えます。

上田 ドゥーギンは実際に広い教養を持ち、あきらかにインテリですね。それに対してプリレーピンは、知性としてはさほどでもないかもしれないけど、人々が見たいインテリ像を体現している。

乗松 右派のインテリにありがちな「あえて」感がない。

松下 ナツボルたちはドゥーギンの趣味でファシズム式の敬礼などいろいろとやっていたみたいですが、プリレーピン自身はまったく興味がなかったらしい。そうしたところにも彼のイデオロギーに対する無関心ぶりがうかがえます。

ロシアにおける記憶の政治


上田 ここまで松下さんを中心に文学について話してきました。つぎは記憶と政治の問題を検討したいと思います。討議のはじめに乗松さんから指摘がありましたが、ソ連崩壊からプーチン体制への流れのなかで、記念碑やセレモニーなど記憶をめぐる問題が、ロシアにおいても重要な政治的課題として現れています。平松さん、よろしくお願いいたします。

平松 はい、2000年代以降、記憶や慰霊の問題は、ロシアの政治でも社会でも研究でも非常にホットなテーマで、ロシアの言論誌でも何度も記憶特集が組まれています。今号には、記憶に関連するエトキントとカリーニンの論考を掲載していますが、それらもこの流れのなかで登場した文章です。ここではそうした記憶論の背景にある文脈を説明できればと思います。(『ゲンロン7』へつづく)

 


★1 会田誠、安藤礼二、椹木野衣、黒瀬陽平「野ざらしと外地──戦後日本美術再考のために」、『ゲンロン3』、ゲンロン、2016年、106頁。
★2 ピョートル1世(大帝、在位1682-1725年)は、1697-98年の西欧視察後、西欧諸国に倣った社会・文化制度の改革に乗りだした。ロシアに伝統的だった顎髭を貴族に禁止し、庶民にも髭税を課したことは、その象徴として有名。たび重なる戦争による領土拡大、新首都サンクトペテルブルクの建設など、近代ロシアの礎を築いた。
★3 「ザハールとお茶を Чай с Захаром」はプリレーピンがホストを務め、おもに右派の論客や文化人と語り合う約1時間のトーク番組。2017年1月1日放送の同番組は、ツァリグラードTV公式サイト(URL=https://tsargrad.tv/shows/v-gostjah-u-zahara-prilepina-jemir-kusturica_42638)もしくはツァリグラードTVの公式YouTubeチャンネルで見ることができる。
★4 マルク・リポヴェツキーМаркЛиповецкий(1964-)はロシアの批評家。ロシア・ポストモダニズム論の主要な理論家のひとり。いわゆる「雪どけ」以後のソヴィエト・イデオロギーの失効を「大きな物語」の凋落と捉え、それに伴って現れた文化を「カオスとしての文化」と規定した。2000年代には新たに「後期ポストモダニズム」の概念を打ちだし、独自のポストモダニズム論を継続して展開している。主著に『ロシアのポストモダニズム』(1997)年、『パラロジー』(2008年)など。
★5 ジャーナリストのレオニード・パルフョーノフによる時事・歴史総括番組。1990年にソ連中央テレビ局で開始後、数ヶ月で終了するも、93年にパルフョーノフが新テレビ局のNTV所属となり番組も復活、2004年まで続いた。当初は「非政治的な出来事」の総括番組であったが、1996年より、60年代以降のソ連およびロシアの時代の証言を扱うドキュメンタリー番組となり人気を博した。2001年からふたたびニュース総括番組に戻るが、NTV内の検閲が厳しくなり、04年に番組は終了。08年より同タイトルで書籍を刊行。
★6 1991年、プロデューサーのイレナ・レスネフスカヤと息子のドミートリーがテレビ制作会社として設立。97年より独自チャンネルとして放送を開始。当初は知識人層をターゲットとし、2001年に政権傘下となったNTVで職を失ったジャーナリストを受け入れるなど、独立系チャンネルとして影響力があった。05年に保守勢力に買収された。
★7 2010年に設立されたテレビ局。ニュースやディスカッションなどの生放送を中心に、24時間放送を行っている。地上波での放送は14年で終了、以後は有料放送となり、インターネットとケーブルテレビ、衛星放送で配信。11-12年のデモやプッシー・ライオット事件など、反体制的な事件に焦点を当てることも多いリベラル系メディアである。
★8 ソ連崩壊後、国有財産の私有化が急激に進められる過程で、ソ連時代の高級官僚や国有企業のトップなどが国の資産や企業の所有権を得て大富豪になり、天然資源産業、金融業、メディアなどを支配するようになった。こうして生まれた新興財閥オリガルヒは、エリツィン時代の政治と癒着して権勢をふるったが、一般市民のあいだにはオリガルヒへの反感が醸成された。
★9 2003年の下院選挙では、共産党の力を抑えるために「祖国」というナショナリズム系連立政党がつくられたが、ゲリマンもドゥーギンもその立ち上げにかかわっている。なお、ゲリマンはウクライナ・クリミア問題で「第五列」と批判されて、ロシア国内での活動がむずかしくなり、現在はモンテネグロに現代美術コロニーを設け、ロシア現代美術を国外からサポートしている。
★10 松下隆志「ザハール・プリレーピン、あるいはポスト・トゥルース時代の英雄」、『ゲンロン6』、ゲンロン、2017年、76-92頁。
★11 ヴャチェスラフ・クーリツィン Вячеслав Курицын(1965-)はロシアの批評家、作家。90年代ロシアにおけるポストモダニズムの流行の立役者で、とくに「ポストモダニズム──新たな原始文化」(1992年)はロシア・ポストモダニズムの記念碑的論考となった。いち早く現代文学のポータルサイトを立ち上げ、現代美術のキュレーターも務めるなど、多様なメディアで活躍した。近年は「アンドレイ・ツルゲーネフ」の筆名で小説も発表している。2005年アンドレイ・ベールイ賞受賞。
★12 ミハイル・エプシュテイン Михаил Эпштейн(1950年)はロシアの批評家、哲学者。ロシア・ポストモダニズム論の主要な理論家のひとり。実質を伴わない空虚なイデオロギー概念に覆われたソ連社会を、ボードリヤールの言う「ハイパーリアル」な世界として提示し、さらには西欧文化の空虚な模倣である近代ロシア文化全体がそもそもポストモダン的なのだとする逆説的な主張を展開した。主著に『ロシアのポストモダン』(2000年)、『言葉と沈黙』(2006年)など。
★13 1970年代に始まったソ連時代の非公式芸術の潮流。イリヤ・カバコフや「集団行為」のアンドレイ・モナストゥイルスキー、ヴィタリー・コマルとアレクサンドル・メラミッドらを中心に、コンセプトを重視する現代美術が発展した。プライベートなテーマや公式芸術の脱構築などが重視され、対抗文化として存在していた。
★14 «После декадентской литературы я перешел на Сартра»: Борис Гройс о пассивном чтении, романтизме и гегельянстве Лимонова. Горький. 10 апреля 2017. URL=https://gorky.media/intervyu/posle-dekadentskoj-literatury-ya-pereshel-na-sartra/
★15 ロシア語で「ディシデント диссидент」と呼ばれる、ソ連時代の反体制派知識人のこと。スターリン批判以降に登場し、スターリン批判や自由化の不徹底を批判した。異論派知識人は、「サミズダート(地下出版)」「タミズダート(国外出版)」を用いて批判的出版物を流通させた。作家のソルジェニーツィンや物理学者のサハロフらが代表的である。
★16 ユーリー・マムレーエフ Юрий Мамлеев(1931-2015)はロシアの作家、思想家。1960年代のモスクワ非公式文化におけるカルト作家で、モラルの限界を軽々と踏み越える怪物たちが跋扈する長編『浮浪者たち』(1966年)をはじめ、社会主義リアリズムの規範を逸脱するその作品群は、ソ連国内で公に発表されることは一度もなかった。70年代半ばにアメリカに亡命後は亡命作家として活動(ソ連崩壊後に帰国)。思想家としても知られ、西欧の独我論とインド哲学を融合させた特異な思想はドゥーギンにも影響を与えた。
★17 アレクセイ・ユルチャク Алексей Юрчак(1960-)はロシア出身の社会人類学者。カリフォルニア大学バークレー校准教授。後期ソ連のシニシズムがもたらした「自由」を論じた『なくなるまですべては永遠だった』(邦訳『最後のソ連世代』、半谷史郎訳、みすず書房、2017年)で、抑圧/抵抗、建前/本音といった二元的モデルによる旧来のソ連社会理解に変更を迫った。
★18 ボリス・メジューエフ Борис Межуев(1970-)は哲学研究者、政治評論家。ウラジーミル・ソロヴィヨフの宗教哲学を専門とする一方、ネーションを基盤にした自由主義を唱え、保守系媒体の編集を歴任。『ペレストロイカ2』(2014年)では、ペレストロイカを未完に終わらせた後期ソ連の知識人のメンタリティを批判し、ペレストロイカのやり直しを説いた。
★19 エドワルド・リモーノフ Эдуард Лимонов(1943-)はロシアの作家、政治家。ウクライナに生まれ、モスクワのアングラ詩人として創作活動を始める。1974年に「筋金入りの反ソ主義者」とのレッテルを貼られ、アメリカに亡命。亡命ロシア作家と黒人男性の同性愛といったスキャンダラスな描写を含む自伝的小説『俺はエジチカ』(1979年)で広く知られるようになる。ソ連崩壊後いち早くロシアに帰国し、ドゥーギンとともに過激政党「ナショナル・ボリシェヴィキ党」を結成。以後は反体制の政治家・作家として活動を続ける。
★20 ボリス・アクーニン Борис Акунин(1956-)はロシアの作家、日本文学者、翻訳家。アクーニンは日本語の「悪人」から取ったペンネームで、本名はグリゴリー・チハルチシヴィリ。ロシアのシャーロック・ホームズとも呼ばれる「ファンドーリン・シリーズ」はロシア国内でベストセラーとなった。邦訳に『堕天使アザゼル殺人事件』(沼野恭子訳、岩波書店、2015年)、『リヴァイアサン号殺人事件』(沼野恭子訳、岩波書店、2007年)、研究書に『自殺の文学史』(望月哲男他訳、作品社、2001年)など。
★21 ワレリヤ・プストワヤ Валерия Пустовая(1982-)はロシアの批評家。モスクワ大学ジャーナリズム学部卒。1998年からジャーナリストとして活動を始め、2004年からロシア国内の主要文芸誌に寄稿するようになる。「新しいリアリズム」のイデオローグとして頭角を現し、プリレーピンやシャルグノフなど、新世代のリアリズム作家たちの評論を積極的に執筆する。06年に若手作家・批評家を対象にした「デビュー」賞受賞。主著に『分厚い批評』(2012年)。
★22 「黒いチョールヌィ чёрный」を語源とするチェルヌーハ чернухаは映画ジャンルの名称。ソ連末期からポストソ連初期の混乱した社会をダークに描き出す作品群を指す。
★23 ロシアが18世紀後半から19世紀半ばにかけて植民地化した帝国南方のコーカサスは、同時代のロマン主義文学のなかで、エキゾチックな土地としてさかんに描かれた。自由を求めて闘う山岳民のイメージや、山岳民に捕らわれたロシア人が現地の娘と恋に落ちるストーリーなどの紋切型が生み出され、現在に至るまでロシアにおけるコーカサス表象の基盤となっている。
★24 ナショナル・ボリシェヴィキ党は2007年に非合法化された。10年に「別のロシア」という新たな政党をつくるが、認可されないまま現在に至る。党員はいまも「ナツボル」の愛称を用いている。
★25 セルゲイ・シャルグノフСергейШаргунов(1980-)はロシアの作家、政治活動家。モスクワ大学ジャーナリズム学部在籍当時、弱冠二一歳で「デビュー」賞受賞。「新しいリアリズム」を代表する作家のひとりとして活躍するほか、ジャーナリストとしても活動しており、2012年からは政治を専門に扱うインターネット出版「自由プレス」でプリレーピンとともに編集主幹を務める。16年にはロシア連邦議会下院選挙に出馬、当選を果たす。主著に『ウラー!』(2003年)、『写真のない本』(2011年)など。
★26 ウラジーミル・パペルヌイ Владимир Паперный(1944-)は、モスクワ出身の建築史家、デザイナー。1981年にアメリカに移住し、建築や都市環境などの研究を行う一方、デザインや広告の仕事にもたずさわる。85年にロシア語でアメリカの出版社から刊行された『文化2』でその名を広く知られるようになった。ほかに『モス・アンジェルス』(2004年)など。
★27 2017年2月、プリレーピンがドネツク人民共和国軍で特殊部隊を率いていることが報道され、世間を騒がせた。『小隊』の刊行と前後していたため、自著のアピールかとも囁かれたが、実際にドンバスで軍務についている様子が2017年11月現在も本人のSNSでレポートされている。戦地に赴いた動機については、以下のコムソモーリスカヤ・プラウダのインタビューなどで語っている。Захар Прилепин собрал в ДНР свой батальон. 13 фебраля 2017. Комсомольская правда URL=https://www.kp.ru/daily/26642.5/3661046/
★28 ミハイル・エリザーロフ Михаил Елизаров(1973-)はウクライナ生まれのロシアの作家、従軍経験もある。2001年に前衛的な出版社「Ad Marginem」から出版された作品集『爪』で注目される。「新しいリアリズム」の作家と見なされることもあるが、作品内容はリアリズムにはほど遠く、マムレーエフやソローキン、ペレーヴィンらの影響を受けた暴力的で夢幻的な作風を持ち味とする。近年は音楽活動も行っている。邦訳に『図書館大戦争』(北川和美訳、河出書房新社、2015年)。
★29 アレクサンドル・プロハーノフ Александр Проханов(1938-)はロシアの作家、ジャーナリスト。モスクワ航空大学卒業後、技師や森林監視人として働く。1970年代から『プラウダ』や『文学新聞』といった新聞の編集に加わり、創作活動を始める。93年には右翼紙『ザーフトラ』の編集主幹に就任。右派の代表的論客として知られ、エリツィンからプーチンへの政権移行にまつわる権力闘争を戯画的に描いた『ヘキソーゲン氏』(2002年)は大きな話題を呼び、「ナショナル・ベストセラー」賞を受賞した。その他、多数の戦争小説を執筆している。
 
ロシア思想という「鏡」を使い、日本の読者と日本自身のあいだに「距離」を挟みこむ

ロシア現代思想Ⅱ
『ゲンロン7』
東浩紀/乗松亨平/平松潤奈/松下隆志/八木君人/上田洋子/マルレーヌ・ラリュエル/畠山宗明/アレクサンドル・エトキント/イリヤ・カリーニン/國分功一郎/千葉雅也/許煜/仲山ひふみ/佐藤大/さやわか/山下研/プラープダー・ユン/福冨渉/黒瀬陽平/速水健朗/辻田真憲/市川真人/安天/海猫沢めろん/東山翔/マイケル・チャン/クリス・ローウィー/ジョン・パーソン/梅沢和木

¥2,620(税込)|A5|372頁|2017/12/15刊行

乗松亨平

1975年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。専門はロシア文学・思想。著書に『リアリズムの条件』(水声社)、『ロシアあるいは対立の亡霊』(講談社選書メチエ)、訳書にヤンポリスキー『デーモンと迷宮』(水声社、共訳)、トルストイ『コサック』(光文社古典新訳文庫)など。

上田洋子

1974年生まれ。ロシア文学者、ロシア語通訳・翻訳者。博士(文学)。ゲンロン代表。著書に『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β4-1』(調査・監修、ゲンロン)、『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』(共訳、松籟社)、『歌舞伎と革命ロシア』(共編著、森話社)、『プッシー・ライオットの革命』(監修、DU BOOKS)など。展示企画に「メイエルホリドの演劇と生涯:没後70年・復権55年」展(早稲田大学演劇博物館、2010年)など。2023年度日本ロシア文学会大賞受賞。

八木君人

1977生まれ。早稲田大学文学学術院文学部准教授。専門はロシア文学・文化。共著に『再考 ロシア・フォルマリズム』(せりか書房)、『テクスト分析入門』(ひつじ書房)など。

松下隆志

1984年生まれ。岩手大学人文社会科学部准教授。著書に『ナショナルな欲望のゆくえ──ソ連後のロシア文学を読み解く』(共和国)、訳書にソローキン『青い脂』(共訳、河出文庫)、『親衛隊士の日』(河出文庫)など。

平松潤奈

1975年生まれ。金沢大学国際基幹教育院准教授。専門はロシア・ソヴィエト文学。共著に『ユーラシア世界 4 公共圏と親密圏』(東京大学出版会)、『ロシア革命とソ連の世紀 4 人間と文化の革新』(岩波書店)、共訳書にヤンポリスキー『デーモンと迷宮 ダイアグラム・デフォルメ・ミメーシス』、『隠喩・神話・事実性 ミハイル・ヤンポリスキー日本講演集』(いずれも水声社)など。
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