タイ現代文学ノート(7) 翻訳するタイ文学、翻訳されるタイ文学|福冨渉

初出:2018年11月9日刊行『ゲンロン9』

 2018年6月、タイにおいて、文芸誌『The Bangkok Literary Review』の創刊が発表された。イギリス人のライターであるジェームス・ハットンを中心に、タイ国文化省のメンバーなどが参加して編集される英文誌だ。タイ文学作品の英訳や、英語での創作作品を募り、掲載していく予定になっている★1

 さらに、同誌の主催で「BKKLIT Translation Prize」と銘打った翻訳賞の創設もアナウンスされた。過去20年間にタイ語で発表された散文・詩の英訳を募集し、上位3作品はそれぞれ同文芸誌の創刊号に掲載され、賞金も与えられる★2

 また、タイ国書籍出版社・販売者協会(PUBAT)も、文化省から資金提供を受けて「外国語に翻訳されるべきタイ文学作品」の選考をおこなおうとしている、という話が漏れ聞こえている。こちらは、選考された作品を、フランクフルト、台北、北京、クアラルンプールといった都市で開催されるブックフェアで展示して、翻訳・出版に興味をもつ出版社を募るようだ。

 

「世界文学とは、翻訳を通して豊かになる作品である」★3とはデイヴィッド・ダムロッシュの提示したテーゼだ。

「世界文学」というタームの大仰さ、曖昧さ、その不定形さはさておき、ダムロッシュが指摘するように、現代における文学の営みを、生産・翻訳・流通というフェーズから構成される「読みのモード」としてとらえることは、タイ文学においても有効だろう。

 日本の例を見てみると、21世紀の世界文学・海外文学ブームにおける数多くの出版の中に、タイはもちろんのこと、アジアの文学作品が入ってくることは稀である。読者・出版社の認知と出版リスク、翻訳者の数、作品の質など、要因はいくらでも挙げることができるが、ここでは深入りしない。ただ、たとえば韓国の文科省にあたる文化体育観光部の傘下機関である韓国文学翻訳院が、各国言語による韓国文学の翻訳を助成し、一定の成果を出している。あるいは日本では国際交流基金が、日本文学の外国語への翻訳出版を助成している。こうした国や公的機関による文学の翻訳支援は、読みのモードの多様化という面において一定の意義をもつだろう。

 その意味では先述の『The Bangkok Literary Review』の取り組みや、PUBATによる選考も、まだ不透明な点が多いにせよ、タイ文学の読みのモードにおける新しい流れとして評価されるべき部分もあるだろう。

 

 歴史的に見ると、タイ文学の出発点は、西欧列強との接触に端を発する「国家による援助」と「翻訳」にあった。

 19世紀後半から20世紀初頭、国王ラーマ4世(在位1851‐68年)とラーマ5世(在位1868‐1910年)の治世には、タイの近代化と中央集権化が進んだ。この時代には多くの学校が設立されるとともに、王宮には外国人英語教師が招かれ、王族の子息への英語教育が盛んにおこなわれた。さらに、王族や官僚の西欧への留学が推奨され、多くの学生が海外に向かった。そして、西欧で教育を修めた学生たちが、娯楽小説を翻案・翻訳し、タイの新聞・雑誌に寄稿するようになる。タイでは、新聞・雑誌などのメディアも、この時期に生まれた★4

 そもそもタイにおける新聞・雑誌発行のはじまりは、欧米人の手によるものだった★5。1835年にタイを訪れたアメリカ人宣教師で医師のダン・ビーチ・ブラッドリー★6は、シンガポールで購入したタイ文字の活字をタイに持ちこんだ。彼は1844年にこの活字を用いて最初のタイ語新聞『Bangkok Recorder』を発行する。この新聞にはタイ国内外のニュースや、ブラッドリー自身が翻訳した欧米の論考が掲載されていた。これを皮切りに、タイで多くの新聞あるいは雑誌が印刷されるようになる。

 当時の新聞はすべて、欧米の宣教師たちの資本によって発行されていた。発行者たちは、自身の出身国と当時のタイが結んだ不平等条約による治外法権を盾に、政権・仏教批判とキリスト教布教を目的とした記事を掲載していた。そして、この流れに対抗するような形で、タイ人が新聞や雑誌を発行しはじめ、その数は徐々に増えていった。これらの印刷物を中心に、タイにおける近代文学の萌芽が見られるようになったのだ。

 1874年に、ラーマ4世の王子であるカセームサンソーパーク★7によって発行された『ダルノーワート ดรุโณวาท』が、タイ人の発行者による最初の新聞とされている。この新聞には、民話などをベースにした散文の読み物が掲載された。また、1886年に当時の国立図書館が創刊した『ワチラヤーン・ウィセート วชิรญาณวิเศษ』には、実在の寺院における僧侶たちの問答を短編小説風に記した「思うも楽し สนุกนิ์นึกก์」が掲載された。同じくラーマ4世の息子であるピチットプリーチャーコーン★8が執筆したこの作品が、タイで最初の短編小説であると言われている★9

 そして1900年、貴族のチャオプラヤー・タンマサックモントリー★10によって、タイで初の文芸誌と言われる『ラックウィッタヤー ลักวิทยา』が創刊される。西洋の小説からタイ語に翻訳された最初の作品とも言われるイギリスの作家マリー・コレリの小説『Vendetta! or, the Story of One Forgotten』★11をはじめ、この雑誌には多くの翻案・翻訳小説が掲載された。同様の雑誌はその後多く発行されるようになり、その結果、庶民のあいだにも「文学」や「小説」が広がるようになった。それが1920年代以降の、タイ独自の近代文学の成立につながっていく★12

 その後、ラーマ6世(在位1910‐25年)の時代になると、国王本人による文学・演劇作品の執筆・翻案・翻訳だけではなく、国家による文学の「正典化」を通したナショナリズム高揚のプロセスが進む。国王の主導によって設立された「文芸協会 วรรณคดีสโมสร」では、タイ独自の「良作」を認定する作業が進められた。協会そのものは王の崩御に合わせて解散するが、政府やその他の権威的な機関による文学の「認定」や「正典化」、あるいは「良書」の選定は、さまざまな形で現在まで続いている★13

 

 こうして成立したタイ近代文学だが、それらが外国語に「翻訳」され、流通するには、かなりの時間がかかることになる。タイ文学作品の外国語翻訳に関するデータは少ないが、その多くは1970年代以降になされている。意外かもしれないが、タイ文学作品の翻訳数が一番多いのは、おそらく日本語だ★14。ここで、日本におけるタイ文学翻訳の事例を少し見てみよう。

 まず70年に、朝日新聞社が季刊誌『朝日アジアレビュー』を発刊する★15。当時のアジア事情を専門家が紹介するこの雑誌には、タイをはじめとする東南アジアや東アジアの現代文学の翻訳も掲載された。さらに78年にはトヨタ財団が「隣人をよく知ろう」プログラムによる翻訳出版助成を開始、86年には大同生命国際文化基金が「アジアの現代文芸」シリーズの発行をはじめる。これらのプログラムによって、多くの東南アジア文学作品が翻訳されるようになった。

 これは、冷戦期においてアメリカ的な「地域研究」の発展と導入が起こり、さらに日中国交回復、ベトナム戦争の勃発と終息など、東南アジアに対する政治的・経済的・外交的関心が高まったことで、文化的領域にも関心を向けようという潮流が生まれたことによるものだろう。だがその関心のベクトルゆえに、この時期の翻訳は、社会科学的な視座にもとづいてなされる傾向にあった。訳文においては、文体や可読性よりも、逐語訳であることが重視され、さらには動植物名や慣習、固有名詞などに多くの脚注がつけられた。

 タイ文学は「外部」から文学を輸入することで発展した。それが、そういったルーツをもつ自らの作品を外部に送り出す段になると、外部からは「エキゾチック」なものとして認識され、分析・消費されていった。皮肉めいたものを感じるプロセスだ。

 また、財団や基金から翻訳助成を受けて出版された作品が一般書店で販売されることは少なく、図書館への納入が主となっていた。それは読みのモードにおける「流通」という点から見ても、十全とは言えないだろう。

 その後、1990年代から2000年代にかけて、『すばる』『新潮』『早稲田文学』など、いくつかの文芸誌がタイ文学の翻訳作品を掲載するようになった。また、プラープダー・ユンの作品に限れば、小規模ながらも何冊かの作品が翻訳され、商業出版されている。

 しかし、これらはどちらかといえば散発的な動きに過ぎない。プラープダー・ユンの作品であっても、タイにおける彼の作品の受容と同様に、文学の文脈よりも、サブカルチャー、ポップカルチャーの文脈で受容された側面が大きいだろうし★16、それ以外の作家たちの作品に関して言えば、70年代、80年代と状況はほとんど変わっていないだろう。むしろ大きな助成プログラムなどが存在しないぶん、翻訳者それぞれの嗜好や能力に依るところが大きくなり、翻訳へのハードルは上がっていると言えるのかもしれない。

 軍事政権下で言論の自由が制限されたタイにおいて、政府主導による翻訳・出版の助成がどれほどに自由かつ有効なものになるのか、疑問は残る。かつてタイ国文化省現代芸術局が、作家ウティット・ヘーマムーンを編集長に迎えて発行していた文芸誌に『出現 ปรากฏ』というものがある。この雑誌は2014年のクーデター前に一冊、クーデター後に編集途中であったもう一冊が出版されたのち、そのまま文化省からの資金が打ち切られ、発行が終了してしまった。冒頭で紹介した翻訳助成のプロジェクトも、同様の不安定さを孕むだろう。それでもなお、こういった試みによって新しい読者が生まれ、読書行為の可能性を拓きうるのであれば、ひとまずは歓迎すべきなのかもしれない。

 タイ文学の英語訳をほとんど一手に担っている翻訳家マルセル・バラン★17は、自身が編纂し、1994年に出版した『The 20 Best Novels of Thailand』の冒頭でこう述べている。

 ぼくはあらゆる場所の読者に、文学へのぼくの情熱を共有してほしい[……]タイ人には、学校の椅子で強制労働のように本を読まされた日々の退屈さから解放されたとき、文学がどれほどサヌックな楽しいものか、感じてほしい。★18

 理解者のいない孤独な翻訳という作業から生まれた呪詛にすら見える、この純粋さ。新たな翻訳支援の動きは、このマルセルの言葉から25年が経とうとしてようやく見えてきた、タイ文学の「読みのモード」のほんの小さな変化の兆しなのかもしれない。

 

★1 タイ国文化省パリヤーパー・アモーンワニットサーンの投稿。URL=https://www.facebook.com/10156057652749130/(2018年8月6日アクセス)
★2 https://bkklit.com/bkklit-translation-prize-2018/(2018年8月6日アクセス)
★3 デイヴィッド・ダムロッシュ『世界文学とは何か?』、秋草俊一郎・奥彩子ほか訳、国書刊行会、2011年、432頁。
★4 สุพรรณี วราทร. ประวัติการประพันธ์นวนิยายไทย. กรุงเทพมหานคร: มูลนิธิโครงการตำราสังคมศาสตร์และมนุษยศาสตร์, 1976.
★5 以下の印刷史に関する記述は、次の文献を主に参照した。คณะทำงานประวัติการพิมพ์ในประเทศไทย. สยามพิมพการ : ประวัติศาสตร์การพิมพ์ในประเทศไทย. กรุงเทพฯ: มติชน, 2006.
★6 Dan Beach Bradley(1804‐73年)。プロテスタントの宣教師、医師。1835年に妻とともにタイを訪れて、その後一生をタイで過ごした。タイに近代的な印刷技術を持ちこんだ以外に、タイにおける種痘の開発に成功し、西洋医学の導入に大きく貢献した。
★7 พระเจ้าบรมวงศ์เธอ พระองค์เจ้าเกษมสันต์โสภาคย์ กรมหลวงพรหมวรานุรักษ์(1856‐1924年)。ラーマ4世の82人の子息のひとり。官僚として、印刷所などで働いた。
★8 พระเจ้าบรมวงศ์เธอ พระองค์เจ้าคัคณางคยุคล กรมหลวงพิชิตปรีชากร(1855‐1909年)。法律・薬学・英語などに堪能で、官僚として多くの役職を歴任した。
★9 ピチットプリーチャーコーン殿下「思うも楽し」、コースィット・ティップティエンポン訳、『東南アジア文学』15号、2017年、20‐26頁。
★10 เจ้าพระยาธรรมศักดิ์มนตรี(1876‐1943年)。教育相や初代国会の議長を歴任。作詞家・作曲家としても活躍した。
★11 農林官僚であったプラヤー・スリントラーチャー(พระยาสุรินทราชา、1879‐1941年)が、メーワン(แม่วัน)の筆名で翻訳し、『復讐 ความพยาบาท』のタイトルで発表された。なおマリー・コレリの同作品は、日本においては黒岩涙香と江戸川乱歩によって『白髪鬼』の題のもと翻案されている。
★12 トリーシン・ブンカチョーン『タイの小説と社会──近代意識の流れを追う』、吉川利治編訳、井村文化事業社、1985年。
★13 吉岡みね子『タイ国家と文学』、溪水社、2010年。Thanapol Limapichart. “The Royal Society of Literature, or, the Birth of Modern Cultural Authority in Thailand.” in Rachel V. Harrison, ed. Disturbing Conventions: Decentering Thai Literary Cultures. London: Rowman & Littlefield, 2014, pp. 37-62.
★14 判明している限りでは、これまで日本語に翻訳されたタイ文学作品の数は、長編・短編・詩を合わせると400近く、作家数は100を超える。英語に翻訳されたタイ文学作品の数はおよそ90、作家数は60程度。それ以外の言語だと、フランス語が25作品15作家、中国語が20作品15作家程度となっている。以下を参照。宇戸優美子「邦訳されたタイ文学作品の作家別目録」、『東南アジア文学』13号、2015年、137‐111頁。 “วรรณกรรมไทยในภาษาต่างประเทศ.” ปรากฏ 2, 2014, pp. 10-71.
★15 以下の記述は、次の文献を参照している。宇戸清治「タイ文学は日本でどのように紹介されてきたか」、『東南アジア文学』13号、2015年、6‐15頁。
★16 なお日本語訳から遅れること10年、プラープダー・ユン初の英訳短編集は、2017年になってようやく出版された。Prabda Yoon. The Sad Part Was. Mui Poopoksakul, tr. Sheffield and London: Tilted Axis Press, 2017.
★17 Marcel Barangはフランス出身の翻訳家。カンボジアで英語・フランス語の教師として生計を立てたのち、フランスで記者として働く。その後タイに移住して、翻訳家としての活動をはじめる。ウェブサイト「Thai Fiction in Translation」にて、自身の翻訳したタイ文学作品の電子書籍販売をおこなっている。URL=http://thaifiction.com/(2018年8月6日アクセス)
★18 Marcel Barang, ed. and tr. The 20 Best Novels of Thailand. Bangkok: Thai Modern Classics, 1994, p. 19.
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ふくとみ・しょう/1986年東京生まれ。タイ文学研究者、タイ語翻訳・通訳者。株式会社ゲンロン所属。著書に『タイ現代文学覚書』(風響社)、訳書にプラープダー・ユン『新しい目の旅立ち』(ゲンロン)、ウティット・ヘーマムーン『プラータナー:憑依のポートレート』(河出書房新社)がある。

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