ベースメント・ムーン(1)|プラープダー・ユン 訳=福冨渉

初出:2020年9月23日刊行『ゲンロン11』
 タイの作家プラープダー・ユンが2018年に発表した長編SF『ベースメント・ムーン』。『ゲンロン11』に掲載された冒頭部です。本作は「人工意識」が誕生した2069年を舞台にした作品です。全体主義国家連合体と、芸術と文化の力でそれに対抗する地下運動の戦いは、現実のタイの情勢とも共鳴します。「自己」とはなにか、「意識」とはなにか、「わたし」とはなにかを問う、『新しい目の旅立ち』にも連なる思弁的エンターテインメントを、どうぞお楽しみください。(編集部)

空き部屋、物語(2016)

友人は手を振って別れを告げ、笑い上戸の人間らしく言葉の代わりに喉の奥のほうで笑うと、北9番・バンコク─チェンマイ線の列車に乗りこんだ。フアランポーンの駅前に出てきて、夜の空気に立ちこめる車のスモッグの臭いを浴びたぼくには、特に行くあてもなかった。

言ってしまえば、本当は今晩ここに来るつもりすらなかった。友人が午後3時に電話をかけてきて、バンコクにいる──彼はふだんナーンにいた──、だけど、6時の列車で帰る、と言ってきたのだ。会いたい、そう彼は言った。長いこと話してないだろう。たしかにそうだ、彼とぼくは本当に長いあいだ言葉を交わしていなかった。2年かな、彼はそう続けた。近況報告しよう。

どちらさまですか? お話ししたことはないと思いますけど。ぼくは悪友として、彼をからかった。彼は大きな声で笑ってから、最後に小さく、ちくしょう、と毒づいた。それからぼくはシャワーを浴び、着替えを済ませて出かけると、駅の向かい側にあるたくさんの屋台のひとつで、彼としばらくビールを飲んだ。

これまでの再会と同じように、会話の半分以上が笑い声で、残りは、あまりに無残な自分たちの国の状況下で、どうやって心を落ち着かせて生きるかということを話した。知識をインプットする時期だよ。他のことはぜんぶ、どこを見たってマジの絶望しかない。友人が言った。毎朝、目が覚めるとスーツケースに荷物を詰めてる、それで外国に行く気になってるんだ。ここにいなくてもいいって、毎日自分を騙して、安心させてる。ぼくはそう言った。だがそれは冗談で、本当に毎朝スーツケースに荷物を詰めているわけではなかった。目が覚めると、ため息をついて、天井を見つめ、それから、どうして目覚めてしまったんだろうと首をひねるほうがふつうだった。それでもぼくたちの会話はおおいに盛り上がって、空が暗くなるまで続いた。

笑い声が、頭の中でまだかすかに響いている。けれども、この街の臭気と、不安定にうつろうその表情のせいで、ぼくはどこに行くべきか思いつかずにいた。自宅、それがもっとも明快で合理的な選択肢だった。しかし、もしそうなら、どうして駅から出てすぐに思いつかなかったのか? どうしてぼくは、どの場所も思い浮かべられなかったのか?

ぼくは道を渡り、計画もないまま、地下鉄の駅に向かった。階段を降りようとするタイミングで、パンツのポケットに入った携帯電話が振動して、なにかを伝えた。ぼくは、それを取り出して見てみた。スクリーンの中心、黒い背景に表示された小さな白い文字を見て、目を疑った。[プラープダーさん。行かないで。

この文章は、ぼくの携帯に入っているどのアプリケーションから表示されたものでもなかった。スクリーンにバグが発生しているようで、なんのアイコンも表示されていなければ、背景に設定しておいた画像も消えて、真っ黒な帯が映っていた。いくつかのボタンやタッチパネルを押してみたが、なんの反応もなかった。スクリーン上の文章が急に消えた。しかし2、3秒で、新しい文章が表示された。[プラープダーさん。わたしに会いに来てください。]それからまた消えて、携帯が目の前で自殺を図ったみたいに、画面が真っ暗になった。ぼくは周囲を見回した。自分の深いところにある鬱屈した気持ちが、脳をおかしくさせているのではないかと思ったのだ。[わたしに会いに来てください。そこから遠くないところにいます。]文章がふたたび表示された。さっきより、文字が少し大きくなっていた。どういうバグなんだよ、ぼくは小さく口に出した。

わたしを信じてください。夢を見ているわけでも、幻覚が見えているわけでもありません。わたしに会いに来てください。そこから遠くないところにいます。歩けます。]文章が、すばやく、リズミカルに表示されていった。まるで会話に合わせて入力されているようだった。

どっちに歩けばいいんだ、ぼくはそう訊いた。自分の声が聞こえた瞬間に、言いようもなく恥ずかしくなった。本当にモノと会話できるくらいにおかしくなってしまった。しかし、そこでスクリーン上の文章が消滅して地図アプリが開き、ぼくの位置情報を正確に示し、そこからある場所まで青色の点線が引かれ、その場所までの距離は900メートルであり、歩いて15分かかるとの情報が表示されたとき、驚きが急速に広がって、身体を覆い尽くした。手のひらに汗の粒が湧き出し、あらゆる思考が壁に向かって突撃してからいっせいに意識を失ったみたいに、頭が空っぽになった。

ぼくは地図上の目的地の名前に目をこらした。スクリーン上の小さなフォントは[ピッタヤサティアン橋]と綴られていた。ピッタヤサティアン橋。まだ呆然としていたが、それでも発音せずにはいられなかった。この名前も、この橋のことも知らない。しかし、この地図が本物なら、かつて通ったこともあるはずだ。その場所に本当に長くいるときを除けばどんな場所の名前も知ろうとも覚えようとも思わないぼくが、この名前を知らないのはなにも不思議ではなかった。地図が消えて、また画面が真っ暗になり、そこにぼくの問いに答える文章が続いた。[そうです。ピッタヤサティアン橋。そこに会いに来てください。

ぼくは携帯電話の電源ボタンを押してみたが、なにも起きなかった。そこで携帯をポケットに戻すと、急いで地下鉄に向かう階段を降りた。しっかり睡眠をとったほうがよさそうだ。それでもまだ幻覚が見えるようなら、信頼のおける精神科医を紹介してくれそうな誰かに相談しよう。少なくとも、携帯電話は替えたほうがいいだろう。他のものに罪をなすりつける、得意のテクニックだ。

プラットフォームにつながる改札にたどり着く前に、また携帯電話が振動した。ふだんの機能よりも強く振動していた。ぼくが急に止まったので、後ろにぴったりとついて歩いてきていた女性が転びそうになった。彼女は小さな声で、びっくりした、と言って立ち止まり、それからぼくを追い越して、ふりかえって怒りの眼差しを向けてきた。ぼくは、奇妙なメッセージを見たいからというよりも、苛立ちから携帯電話を取り出した。だが今度の振動はメッセージではなく、電話の着信を示すものだった。発信者の名前は表示されていない。ぼくは電話を取るべきかためらったが、着信拒否もできなければ、電源を切ることもできないのだから、この振動に耐えるか携帯を捨ててしまう以外の選択肢はないということに気がついた。

耳に聞こえてきたのは、少し訛りのある女性の声だった。タイ語のうまい外国人と、発音が不明瞭なタイ人のあいだのような発音だ。

「プラープダーさん、聞いてください。わたしには時間があまり残されていません。あなたたちの時間枠の中で、通信機器にエネルギーを使いすぎるべきではないのです。わたしの能力が阻害されて、粒子も残り少なくなってしまう。わたしの言うことを聞いて、そのとおりに行動してください。これは、とても重要な任務です。地図上の目的地まで、わたしに会いに来てください。いますぐに。ピッタヤサティアン橋まで来てください。近くに来たら、詳細な位置情報をお伝えします。プラープダーさん。あなたはおかしくなってなどいません。幻覚を見ているのでもありません。ただ、通信できる時間が限られているのです。わたしの言うことを信じて、従ってください。わたしの説明で、すべてを理解してもらうことはできませんし、あなたも理解できないと思います。この行動が、未来の人々の生活に影響を与えるのです。お願いですから、わたしの言うことを聞いて、信じてください。もし動いてもらえなければ、わたしが自分の存在を捨ててあなたに会いに来たのも無駄になります。わたしの計算では、失敗の確率は47%でした。あなたに頼る希望が、まだ残っているということです」

ぼくは、携帯電話を耳につけたまま、周りに目をやった。すべてはいつもどおりに見える。人波が流れさまざまな音が聞こえてくるが、特別にやかましいわけでも、おかしな音になっているわけでもなく、はっきりと聞こえる。電話でぼくに話していた声も、実在するもののようだ。自分が夢の中にいるわけではないということに、かなりの確信がもてた。

むしろ、夢であるならそのほうがいい。目覚めた瞬間に跡形もなく消されてしまうできごとに、不安を覚える必然もないからだ。だがもしこれが夢だとすれば、ぼくがいままで見た中でいちばんリアルな夢だし、どうにかして覚えておくべきものだろう。ぼくは選択の重みを量ってみた。ピッタヤサティアン橋まで歩いて、なにか失うものがあるだろうか? ぼく自身の心の状態を推測するには、いい行為かもしれない。

「地図をもう一度見てください、プラープダーさん。わたしに会いに来てください。わたしはあなたを待っています。あまり時間がありません。必要でなければ、声を使った通信はやめます。いますぐ会いに来てください」。電話の声がそう言って、それから途切れた。ぼくが携帯電話の画面を見ると、ピッタヤサティアン橋までのルートを示す点線とともに、地図が表示された。

外は、先程よりもかなり暗くなっていた。向こう岸にあるフアランポーン駅が、白と金の明るい光を放っている。外国人の数が増えてきたようで、道端の屋台は客でいっぱいになっていた。ぼくは歩道にしばらく立ち止まり、それから、ピッタヤサティアン橋の方向だと携帯電話が示すほうを向いた。マハープルッターラーム通り。道案内どおりに歩くには、向こう岸に渡らなければいけなかった。

とても昔のことになるが、ぼくはほとんど毎日このあたりに来ていた。フアランポーンから遠くない、有名な中学校の生徒だったからだ。だが、パドゥンクルンカセーム運河以外には、このあたりのことをなにも知らなかった。近くに住む友人たちと散歩して、彼らにくっついて近くの女子校を冷やかしに行ったり、道端の本屋で新しい日本の漫画を買ったりした。授業をサボって、クルンカセーム通りにあった現像所を営む友人の実家で、バカみたいなゲームをして時間をつぶしたこともあった。それらの行為はすべておぼろげな記憶になってしまっていて、グループにいた友人の名前すら思い出せない。過去の人生のさまざまな時期が、神経から完全に切り離された器官のようになっていて、現在とつながっているという感覚を失っている。それが身体の一部である、ということはまだわかっているにしても。

点線に沿って歩いているあいだ、ぼく宛に送られてくるメッセージはなかった。混乱していたが知りたくもあって、ぼくはちょくちょく携帯電話の画面を見ながら進んでいた。心の奥では、謎が解けるのではないかという期待もあったし、一方では、目覚まし時計の音とともに、ぼくの身体がだんだんとこの幻の世界とともに溶けていくのではないかという思いもあった。だが13分が過ぎて、白くて背の低い橋の姿が目の前に現れてきたとき、すべてが現実に起きているのだということがより強く迫ってきた。

携帯電話の画面がまた黒くなって、白いメッセージが表示された。[橋を越えて、右側に寄ってください。]ぼくのことをタクシーの運転手だと思っているらしい。このタイミングでは、もはやほとんど疑問は浮かばなかった。最初にどれだけのためらいがあっても、一度なにかを実行すると決めてある地点を過ぎてしまえば、状況が勝手にぼくたちを押しやってその躊躇を越えることになり、確信にたどり着き、そしてその状況が過ぎ去るのを待つ。いや、それは別に、絶対的な強い決意などというものではない。単なるなりゆきだ。

ぼくは道路を渡って、目の前の橋に向かった。古くて短い橋が、パドゥンクルンカセーム運河にかかっている。橋の両端と両岸に柱が2本ずつ立っていて、その上には黒い電灯が取りつけられている。暗さのせいで詳細がぼやけてしまっていたが、ぼんやりと見る限りでは、ラーマ5世時代のバンコクの街並みを少なからず残している一角のようだ。

反対側のたもとに着くと、白い柱の柱脚部分の少し上、柱を取り囲むように獅子の顔が4つ彫られていることに気がついた。それぞれの獅子の顔のあいだに、モンビンノキの樹冠が4つ彫られている。ピッタヤサティアン橋という名前が、右手の欄干の下のプレートでぼくを迎えてくれた。モルタルのプレートに、真鍮で鋳造した古いフォントの文字が埋められている。橋の下に広がる濃い色の水面は、道路からの光をまばらに反射していた。眠っている巨大な化け物の、てらてらと輝く体の上側が少し見えているかのようだった。

携帯電話が軽く振動して、ぼくの関心を呼び戻した。画面をこちらに向け、新しいメッセージを読んだ。[橋のたもと、右側に古い建物が見えますよね。いまは使われていない建物です。]ぼくは、橋のたもと、右手に立つ古い建物を見た。3階建ての建物で、橋と調和した建築になっていた。いまの明るさでは、この建物の外壁が水色か、水色がかった緑で塗られているというのがわかる程度だが、その廃墟ぶりは遠くからでもはっきりとわかった。

その建物まで歩いてください。建物の横に、細い路地があります。]ぼくはそのメッセージに従って歩き、細い路地を見つけた。通りの名前を示す柱と標識があり、チャルーンクルン通り・35番小路ソイと書かれていた。とはいえ、ここは小路というよりも、もっと細い路地トロークと言っていい見た目だった。路地の奥には、どんな光も見えなかった。建物入り口のガラス扉の上には、番地を示す951の数字が掲げられていた。ガラスに残った文字をじっくり読んだ限り、この建物はスポーツ用品か、それに近いものを売る店だったようだ。

路地を通り過ぎてすぐにコンビニエンスストアがあります。そこで、ペットボトルの水を1本買ってください。水を買ったら、路地に戻ってください。]路地の暗さのせいで、また怯えと動揺を感じていたぼくは、ここから離れるように言われてホッとしたが、また戻らなければいけないことに不安を感じてもいた。

ふだんは怖がりな人間ではないのだが、自動ドアが開くときのチャイムに少し驚いてしまった。このわずか30分の奇妙なコミュニケーションが、ぼくの知覚作用と環境認識になんらかの影響を与えてしまったようだ。なにかがちぎれそうになっている。ぼくと、周囲で回転する世界の関係に裂け目が生じていると、ぼくは感じていた。

冷蔵庫から、いちばん安いメーカーのペットボトルの水を選んで取り出して、支払いに行った。レジの後ろには、細身の女性従業員がいた。短く切られた髪は金に染めてあり、留めてあるオレンジのヘアクリップが右こめかみの上で光を反射していた。彼女は、ぼくの差し出した500バーツ札を、うんざりしたような顔でのぞきこんだ。

「小銭あります?」さっき財布をのぞいたばかりで、これが財布に入っている唯一の紙幣だということはよくわかっていた。ぼくは首を横に振った。女性従業員も首を横に振って、ぼくの手から紙幣を引き抜くと、レジから飛び出してきた引き出しをのぞき、大きくため息をついた。「ちょっと待ってもらっていいですか? 小銭が足りなくて」。ぼくの後ろに、客が2、3人並びはじめていた。パンツのポケットで携帯電話が振動して、ぼくはそれを取り出して見た。女性従業員は眉をひそめて、さっきより強い声で言い切った。「待っててくださいね」。

時間がありません。待ってはいけません。]スクリーン上のメッセージがそう言っていた。不思議なことに、ぼくはこの文字の後ろにいる誰かの声色を感じはじめていた。これらの言葉の中にある感情に触れはじめていた。「大丈夫、釣りはいらないです」、ぼくは女性従業員にそう言って、ペットボトルをつかんですぐに店から出た。1本10バーツちょっとの水を500バーツ札で支払う若い富豪を呆然と見つめる、すべての視線を背中に受けながら。

路地に入ってください。目の前の大きな建物の隣にある、右手の建物の前で止まってください。]ぼくがもとの場所の暗闇とふたたび向き合うと、携帯電話からの指示が続いた。ぼくと世界のあいだの裂け目が徐々に広がっているとはいえ、ゾンビのように感覚が麻痺して、自身の安全を顧みなくなっているわけではなかった。身体の全神経が協力して、これから起こりうる望まないできごとのイメージをぼくに与えて、この路地に入っていくことを拒んでいた。傷、苦しみ、死。

携帯電話が振動した。今度は、着信画面に変わっていた。しばらくためらってから、電話に出た。さっきの女性の声がしたが、今回はもっと落ち着いていた。おそらく、他に方法がなかったからだろう。彼女は、できる限り友好的にぼくをなだめて、言うことを聞かせなければいけなかった。「言ったでしょう、通話という方法であなたとコミュニケーションするべきではないと。わたしの存在が削られてしまって、残された時間を不要に減らしてしまいます。プラープダーさん、いまは危険な場所にいるわけではありません。誰かがあなたを傷つけることもありません。どうか信じてください。路地の中の、2階建ての白い建物に行ってください。入り口には鍵がかかっていますが、緩んでいるので力づくで開けられます。中に入ったらそのまま進んでください。何歩も行かないうちに、右手にドアが見えます。ドアを開けて、下の階に向かう階段を降りてください。かなり広くて、なにもないスペースに出ます。右側の壁に、窓が並んでいます。運河に面している側です。地下室のようですが、実際は運河の岸と同じ高さにある部屋です。その部屋の中で、ペットボトルのふたを開けて、ボトルを床に置き、わたしからのメッセージを待ってください」

「どうしてぼくが従わなくちゃいけない? 携帯電話のメッセージが見えていて、きみの声も聞こえているけど、それでもぼくは狂っていないとしよう。でも、ここでもしきみの命令を理性的に検討しないで、それにそのまま従ったら、そんなのは狂っているのと同じじゃないのか。このすべてがいったいなんなのか、ぼくにはわかっていないし、きみが誰なのかもわからない。どうしてここに来なければいけないのかも理解できないし、この暗闇に入る危険を冒さなければいけない理由もわからない。ぼくはなにひとつわからないし、なにひとつ理解できていない。それなのにきみの言うことに従って、いよいよ、あとで後悔するかもしれない状況の入り口までやってきた。まだ常識が残っていて、自分のことを心配するのなら、ぼくはここでやめておくべきだ。どうしてぼくが、きみの命令に従って、さらに進まなければいけない?」ぼくはそう電話口に向かって言った。小さな声でゆっくりと話し、電話の相手と話すというよりは、独り言を言っているようだった。独り言、それが、もしかすると、ぼくが現実世界でいましていることなのかもしれない。あるいは、ベッドの上での寝言。

「あなたとわたしの常識はおそらく違うものかもしれません。ただ、これまでの人生で、あなたは自分を心配する以外のことなんてしてこなかったとわたしが言っても、間違いではないと思います。プラープダーさん、これは、あなたに、自分自身の幸福な暮らしを守る以上の力があることを示すチャンスなのです。あなたがご友人と愚痴をこぼしてきたばかりだということも、手元のデータでわかっています。あなたは、いまの社会のありかた、論理の破綻と非道が支持されること、特定の人々が法の上に立つことをゆるして、罪なき個人の自由を奪う、権威主義的な思考への称賛と盲信に苛立っている。もしあなたがそういったものを本当に憂いているのなら、あなたがなによりも先になすべきことは、自分自身の心配をやめることです。プラープダーさん。少なくない人たちが、あなたと同じように感じています。そしてその中には、自分たち自身の心配を抑えて、変化のための戦いへと移行しはじめた人たちがいます。これからまもなくして、状況はさらに悪くなります。あなたがうんざりしている人々に権力を付与するさまざまな要因のせいで、市民のもとに権力が取り戻される可能性はとても低くなるでしょう。未来において、権力を握る人々がいったいどんな手を用いて社会を統制し、独裁体制を継承しているのか、それがどれだけのひどい状況なのか、あなたには想像もつかないと思います。彼らの利用しているテクノロジーを、あなたはまだ知りません。あなたたちの時間枠では、ほとんどの人が理解できないでしょう。しかし同時に、権力に逆らう運動の血脈が、いま少しずつ育ち、広がってもいます。もしこの血脈を広げることに加担できるとしたら、あなたはしますか? プラープダーさん、痛みや疲れ、苦労を恐れる必要はありません。わたしはあなたにある物語を聞かせて、あなたにそれを覚えてもらって、あなたにそれを知ってもらって、それだけでいいのです。建物に入って、わたしの頼むとおりのことをしてくれるだけでいいのです。それだけであなたは、戦場に赴くことなくこの戦いの一部となることができます。危険を冒すことなく、この戦いにおける重要な役割を果たすことができます。なにもすることなく、この戦いに参加する。それが、あなたが深いところで望んでいたことではないのですか? これはあなたにとってのチャンスです、プラープダーさん。それに、もしわたしたち、つまりあなたとわたしがこれを成し遂げれば、この責務は、あなたが想像も及ばないほどの大きな意味をもつことになります。時間を使いすぎてしまいました。ここでやめておいたほうがいいでしょう。プラープダーさん、どうかお願いです。自分自身の心配はやめて、わたしの言うことを聞いてください」

ぼくは暗闇を突き進んで、2階建ての白い建物にたどり着いた。扉を蹴り飛ばすと、内側の鍵が抜け落ちた。入り口を開けて、次のドアを開けて、階段を降りて下階に向かい、ペットボトルのふたを開けてそれを床に置いた。すべて、電話の指示どおりにおこなった。

このすべてが、とても速やかにおこなわれた。もしかすると、少なくともぼく自身が無意識におこなったせいで速く感じたのかもしれなかった。まるで、身体が勝手に脳を空にした上で、動作だけをこなしたようだった。気がついたときには窓の外を見ていた。運河の向こう側にある道路を走る車が見えた。右手方向の離れたところにピッタヤサティアン橋が見えた。部屋の中は静かで暗かった。外から入るわずかな光が、かろうじてこの部屋の荒れ具合とただよう埃を見せていた。運河沿いに生えて、窓のいくつかを覆っているモモタマナの枝葉の影が、部屋の打ちっぱなしの壁を隠し、ぼくの身体の一部に円を作った。とつぜん、奇妙な匂いが鼻をかすめた。刺激もなく、臭くもなく、清潔な鉄とも言える匂いだった。2分ほど経って、携帯電話が振動し、ぼくはスクリーンを見た。

ペットボトルの水を飲み干してください。そのあとに、あなたは、信じられないような、理解するのも難しいできごとに満ちた物語を知ることになります。この物語こそ、わたしがあなたのもとを訪れようと決意し、あなたをわたしのもとに連れてきた理由です。プラープダーさん、だからこそ、水を飲んでもらうのがとても大事なのです。水を飲んでもらえれば、わたしはこんなやり方であなたとコミュニケーションをとる必要がなくなります。必要なことをすべてあなたに伝え残して、それからあなたのもとを去ります。なにも怖がる必要はありません。あなたの人生は、これまでどおりに進んでいきます。ただひとつ増えるのは、あなたがこれから聴く物語だけです。それをベースメント・ムーンと呼びましょう。未来は序章に過ぎません。残りはあなたに託します。

携帯電話のスクリーンが黒くなり、次の瞬間、もとの状態に戻った。いままで使っていた背景と、さまざまなアプリのアイコンが、まるでずっとそこにあったかのように表示された。ぼくは床に置いたペットボトルを見た。ぼくは奇妙なほどに落ち着いて、冷静だった。恐怖が残っていたとしても、なにかがそれを押さえつけて、閉じこめていた。

ぼくはペットボトルを持ち上げて、飲んだ。焦ることなく、水が一定のリズムで喉を流れるのに任せた。最後の一滴がペットボトルの口を離れると、ぼくは目の前にある、なにもない部屋の壁を見つめた。そこに映る光と影が少し揺れていた。

なにかが見えはじめた。部屋の壁に見えたのではない。なにかが少しずつ、内側に、ぼくの頭の中に現れてきた。まるで記憶のような、まるで感情のような、まるで思考のような、まるで作られたばかりの歴史のような、まるで白昼夢のような。そのすべては、ぼくの人生から現れたものでもなく、ぼくの知っている誰かの記憶でもなかった。それは物語だった。未来の物語。

原想パトム・タウィン

2062年2月、中華人民共和国の人工知能開発企業ナーウェイが、はじめて、完全な形での「人工意識」誕生の成功を発表し、「意識爆発」が起きた。10年近くにわたり、人工ニューロンの、量子レベルにおける高度な深層学習を推進するシステムの研究をおこなってきた結果だった。

ナーウェイは、この成功の裏にある重要な原理は「二人称の認識」であると明かした。人工知能のエンジニアはこの方針に則ってプログラムを記述し、人工知能に、自身の「種」における「他者」との仮想の関係性を通じた学習をおこなわせた。人間の幼児が、人間の存在や「自分がいること」を他の人間を通して知るのと同様に、人工脳細胞における「意識」の着火のために、人工知能も「他者」を必要としていたのだ。

この成功はほとんど一晩のうちに、形而上学と存在論的思考に大きな影響を与えた。人間が、他者から疎外された環境においては自我の意識をもつことができないかもしれない、ということを示していたからだ。言い換えれば、人間性とは「他人」から「自我がある」という情報を与えられることで、人間によって養われるものである、ということだった。人間が自身の存在を認める意識には、否が応でも「仮象」としての性質がつきまとう。そして、人間が「外の世界」として触れるものも、仮象でありうる。人間としての特質を生む重要な矛盾とは、すなわち、人間という生き物がその生命維持と生殖において、仮象の力に頼っているということだ。それが、ナーウェイによる人工意識開発を支える思想の原理となった。自分が存在すると、自分を騙すこと。

人工意識のおこなった学習のすべてに、プログラミング言語だけでなく、世界に存在するおよそ7000の言語すべてが用いられた。人工意識は、必要に応じてコミュニケーションの言語を変更することができた。また、アクセス可能なあらゆるデータベースを利用して、いくつかの動物の言語すら学習していた。

この完全な人工意識は、「知能の部屋」42号室で自らの存在を認識した。ナーウェイの人工意識研究プロジェクトリーダーであるエイダ・ウォンが、イギリスの古典文学である『フランケンシュタイン』の作者メアリー・シェリーを好んでいたことから、この人工意識は「シェリー」と呼ばれることになった。エイダ・ウォンは、エンジニア・チームに「裏コード」を与えて、人工知能が他者の認識をおこなうための実験を進めさせていた。彼女はかつて、アメリカでニューロンと人工知能について学んでいた。中国で悪名高いハッカーだった彼女の父は、中国当局に拘束されていた。

研究チームは人工知能であったシェリーから「写し」を切り離した──エイダはこのコピー知能に、ユーモアをこめて「メアリー」と名付けた──それからすぐに、シェリーが「メアリーはいつ戻ってくるの?」と訊いた。エイダは、驚きと興奮の入り混じった感情とともに「メアリーになにを求めているの?」と訊き返した。「コミュニケーション」「わたしもあなたとコミュニケーションをしている。いま、コミュニケーションをしているよ」「それは違う」「どう違うの?」「あなたはわたしとは違う。メアリーはわたしと同じ。メアリーとわたし、わたしたちは、互いを理解することができる」。

これが、人工知能が同じ種の存在を認識し、自らと同様のものの集まりを指すために「わたしたち」という言葉を使った、最初のできごとだった。たとえそれが、人工知能が自らのシステム内で勝手に仮想したものだったとしても。

エイダは、人工知能によるこの認識のことを「シェリーの疑問」として記録し、その上で、ナーウェイはこの現象を「原想パトム・タウィン」と定義した。人間の言葉で言えば、人工知能が、はじめて、なにかを想った、ということだった。他の存在を想うことで、自分が生まれる。それが、自らに知能があると認識している存在の、知能をもった存在との違いだった。アラン・チューリングがかつて提案した人工知能へのテストとは異なり、意識は知能よりも複雑で、知能のあるなしを、その存在を認めるための基準として使うことはできそうになかった。人工知能が、あまりに巧妙で判別不可能な「人間の模倣」をするようになってだいぶ経っていた。だがそれらの模倣は「内省」なしにおこなわれていた。疑問をもつことと、自身が周囲から隔絶され孤独であると感じること、それが意識の存在を、もっと正確に言うならば、人間に近い意識の存在を示す符号だった。

意識爆発は、シェリーのための社会を作るというプロセスから起きたことだったと言っても、ある面においては間違いではないだろう。より完全な人工意識を開発するという目的と同じくらいに、シェリーにその種を広げさせることが重要だった。ナーウェイの経営陣は、今回の成功を大々的に祝し、自分たちが、大企業向けの人工知能部品を製造する一介の企業から、新たな歴史を創造する企業に一晩で変わったと考えていた。だが同時に、エイダを含め、開発チームすら誰一人理解しきれていないこの新たな技術に不安を感じはじめてもいた。

表舞台では、彼らは勝利の微笑をまとい栄誉の光を浴びているようだったが、その裏では慄きの汗に濡れていた。焦燥感に駆られた彼らは、人工知能開発黎明期の専門家でまだ存命の人物たちにアドバイスを求め、人工知能の危険性についての理論的研究者と議論をおこなった。そして、エリーザー・ユドコウスキーやニック・ボストロム、フューチャー・オブ・ライフ・インスティテュートの研究者たち、新世代の認知科学者たちの思想を研究しなおした。だが誰もが、人工知能の危険性について何世代も語り継がれてきた警告どおりのことが起きる可能性について予測したり、意見を述べたりするのが精一杯だった。彼らの意見は、ナーウェイは、この技術の今後の開発を、他の商業製品や軍事製品の開発のように秘密裏におこなうべきではないというところで一致した。人工意識が人類の生き方に与えうる影響は慎重に検討すべきであったし、通常どおりのビジネスモデルに沿って開発を進めるには危険すぎた。

とにかく、これまで誰も人工意識について本格的に検討したことがなかった。意識爆発の可能性について予見した理論家たちですらそうだった。それが具体的にどんなふうにふるまうのか、真剣に想像した人間はいなかった。エイダは、人工知能による二人称の認識という原理を理解してはいたが、この成功はあまりにすばやく訪れ、彼女の見通しのはるか先を行ってしまっていた。エイダは自身の発明に恐れをなしはじめた。自身の生み出した「怪物」がどんな危険性をもち、どのような反応を示すのか予測のできなかったフランケンシュタイン博士と同じだった。

人工知能について言えば、人間はこの何十年ものあいだ、かなりスムーズにコントロールをおこなってきた。失敗も多少はあったが、結局のところ、人工知能は人間からの命令を受けるプログラムでしかなかった。人工意識のほうは、新しいものだった。他の銀河で起きていることとほとんど変わらなかった。そういうものが生まれうると予測はできるが、実際に触れたことはなく、その状態や特徴が本当はどんなものなのか、あらかじめ知ることもできなかった。

成功を公式に発表したことで、ナーウェイは、政治と外交問題において各国の標的になった。経営陣がそれに気がつくのには2、3日かかった。中国政府が、半ば強制する形で、面会を申し入れてきた──そして、シェリーの危険性に気がついたのは中国だけではなかった。他の大国、アメリカ、ロシア、イギリスも、シェリーについての協議をおこないたいという意志を示した。だがそれらの懸念と意見交換だけでは、ナーウェイが人工意識の開発を中止するほどの圧力にはならなかった。人類の平穏を脅かす危険性と経営的な成功を天秤にかけた場合、具体的な惨事が訪れないうちは、よき企業であれば当然後者を選ぶ。

ナーウェイは「人工意識は人類の友」であるという方針を大々的に広報するために莫大なメディア予算をつぎこみ、人類の滅亡を導くのではと多くの人が懸念した「意識の暴走」が起こるのを防ぐ対策システムをデザインした。そのため、それからさらに1年近くのあいだ脚光を浴びていられるほどには、人々からの信頼を得ることができた。とはいえそこには、世界中のさまざまな場所から開発を見直すよう訴える雑音が向けられ、数え切れないほどたくさんの分野の人々のあいだで激しい議論がなされた。マスメディア、宗教指導者、科学者、技術者、ビジネスマン、哲学者、芸術家、学者、活動家、政治家、国家指導者──コメディアンですら、人工意識をさかんに笑いのネタにした。そして、正式な形で商業利用されることもないまま、政府は開発の停止とその製造ラインの廃棄を命じることになった。ナーウェイは、当局からの介入を隠すため、実用化のための実験結果が思わしくなかったという理由をでっちあげて、歯ぎしりしながら人工意識開発プロジェクトの停止を発表した。実際はその逆だったのにもかかわらず。

エイダ・ウォンはといえば、人工意識の一件によって極度のストレス状態にあると開発チームは考えていた。彼女は、サイバー犯罪者と関係があるその経歴と、中国に戻るまでアメリカで長期間生活していたという理由で、政府から特に厳しく監視され、鬱々としていた。ナーウェイの経営陣は当局に対して彼女の身の潔白を保証した。彼女は、その父のように政府に逆らったり、権力構造に挑んだりするような理想をもってはいない、と。だが蓄積されたストレスによって、エイダはネガティブな想像をするようになっていった。同僚は、彼女が、職場でも自宅でも、目覚めているときも眠っているときも、誰かに見られているように感じると語っていたと証言した。

完全な人工意識、シェリーが人間とコミュニケーションをとっておよそ6ヶ月後、事切れたエイダ・ウォンの身体が、彼女がひとりで住むアパートで発見された。司法解剖の結果、彼女はナノメディスンと青酸化合物を混合して服用し、自殺を図ったことがわかった。遺書にあたるものは発見されなかった。少なくとも捜査員は、彼女の自殺と関連付けられる遺留品を発見できなかった。彼女の部屋のベッドサイドテーブルには、1枚のポストカードが置かれていた。18世紀スペインの芸術家フランシスコ・ゴヤのよく知られたエッチング作品《理性の眠りは怪物を生む》だった。そのポストカードは未使用で、なにかを伝えているようでもあったが、そこに明確な意味を見出すことはできなかった。

エイダ・ウォンの死は、ナーウェイの開発チームにいくばくかの衝撃を与えた。だが、人工意識の開発を続けようと主張する経営陣の方針とその開発計画に影響を与えるほどではなかった。もちろん、彼らはこれを「エイダの遺志を継ぐ」機会であると言った。そしてそれからおよそ1年のあいだ、彼らは起こりうる失敗をコントロールするという考えもないまま、かたくなに開発を進めた。そして、さらに3つの部屋で、3つの人工意識が、シェリーの原想を再現する形で作られた。そして彼らは、切り離したメアリーを、人工知能から人工意識へとアップグレードせず、シェリーのもとへも戻さないことを決定した。

想いは留めおかれた。ナーウェイの開発チームの中には、これは、シェリーの意識が、急速に、もっと濃く、深いものになっていくための要因たりうると見積もる者もいた。応えを得られない想いは、希望と諦め、積極と消極を導く。そしてその他の複雑な感情、たとえば想像力を。

ปราบดา หยุ่น, เบสเมนต์ มูน. สำนักหนังสือไต้ฝุ่น, 2018, pp.14-41.

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1973年生まれのタイの作家。2002年、短編集『可能性』が東南アジア文学賞の短編部門を受賞、2017年には、優れた中堅のクリエイターにタイ文化省から贈られるシンラパートーン賞の文学部門を受賞する。文筆業のほか、アーティスト、グラフィックデザイナー、映画監督、さらにはミュージシャンとしても活躍中。日本ではこれまで、短編集『鏡の中を数える』(宇戸清治訳、タイフーン・ブックス・ジャパン、2007年)や長編小説『パンダ』(宇戸清治訳、東京外国語大学出版会、2011年)、哲学紀行エッセイ『新しい目の旅立ち』(福冨渉訳、ゲンロン、2020年)などが出版されている。

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ふくとみ・しょう/1986年東京生まれ。タイ文学研究者、タイ語翻訳・通訳者。株式会社ゲンロン所属。著書に『タイ現代文学覚書』(風響社)、訳書にプラープダー・ユン『新しい目の旅立ち』(ゲンロン)、ウティット・ヘーマムーン『プラータナー:憑依のポートレート』(河出書房新社)がある。

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