国威発揚の回顧と展望(特別篇) 記念碑めぐりのすゝめ|辻田真佐憲

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初出:2023年3月15日刊行『ゲンロン14』
 シラスでもおなじみの評論家・近現代史研究者、辻田真佐憲さんの新著『「戦前」の正体──愛国と神話の日本近現代史』(講談社現代新書)がこの5月に刊行されました。明治以降の神武天皇リバイバルや「八紘一宇」というスローガンの盛り上がりをはじめとするさまざまな国威発揚の事象を検証し、「戦前」とはなんだったのかをあらためて捉え直す力作です。同書では、辻田さんが全国を旅して撮影した記念碑や銅像の写真がふんだんに掲載されているのも魅力のひとつ。このたび、この新著の刊行を記念して、『ゲンロン14』(2023年3月刊行)に辻田さんが寄稿された「記念碑めぐりのすゝめ」を全文無料公開します。辻田さんの実践的な旅行テクニックや驚愕の体験談とともに、記念碑めぐりから歴史を考える軽妙なエッセイをぜひお楽しみください。(編集部)
 馬鹿と煙は高いところが好きという。筆者はここに、国威発揚も付け加えたい。というのも、記念碑や銅像のたぐいは、とにかく高台や丘陵に立っているからである。まさか近現代史をテーマにものを書くなかで、こんなに山に分け入り、階段をのぼることになろうとは思わなかった。

 いまでも思い出されるのは、2020年10月、三重県熊野市に、神武天皇上陸の記念碑を見に行ったときのことだ★1

 神武天皇は、もとは現在の宮崎県あたりを拠点にしていたが、ある日、政治の中心を大和に移そうと決意、船団を率いて瀬戸内海を東進した。そして河内湾より上陸を図ったものの、豪族の長髄彦ながすねひこに阻まれて紀伊半島へ迂回することになり、熊野に上陸。そこから険峻な紀伊山地を踏破して奈良盆地に入り、ついに橿原かしはらの地で初代天皇に即位した。そう神話には記されている。

 そのため、熊野はゆかりの地ということで、1937年、景勝地として知られる楯ヶ崎を望む海岸に、地元住民によって記念碑が立てられたのである。

 現在、国道沿いの駐車場からその海岸まで、遊歩道が整備されている。グーグルマップを見ると、直線距離で約900メートル。地元では散歩するひともいるというので、軽い気持ちで足を踏み入れたら、たちまち後悔に襲われた。
 遊歩道とは名ばかりの本格的な山道で、海岸へ下ったかと思いきや、つぎはひたすら上り道と、アップダウンが激しく、あっという間に汗が吹き出し、息も絶え絶えになった。とはいえ、タクシーを待たせているため、途中であまり休憩もしていられない。そんな筆者をあざ笑うかのように、野生の鹿が白い尻を見せつけながら、悠々と眼前を横切っていく──。

 艱難辛苦のすえ、目的の海岸にたどりつくと、そこにあったのは崩れかかった土台のみ。上部の記念碑は、1959年の伊勢湾台風で流失してしまったのだ。ふらふらになりながら写真を撮り、すぐに引き返す。ただの山道ならば下りで楽なのだが、ここはアップダウンがあったため、帰りもたいへん難儀した。まるで遭難者のような風体で戻ってきた筆者を見て、タクシーの運転手がギョッとしたのはいうまでもない。

 戦前の記念碑は、戦前の健脚を前提としている。ふだん1日あたり200歩ぐらいしか歩かない人間には(iPhoneのヘルスケア情報)、その訪問はえてして苦難の行軍とならざるをえない。筆者はその瞬間、戦前の過酷さに思いをいたし、ツイッターに蝟集するネット左翼のだれよりも、戦前回帰の断固たる反対者となるのである。

 その点、身体に優しいのが意外にも全国の護国神社だ。城跡に鎮座していることが多く高所にあるものの、たいてい拝殿前まで自動車道が引かれている。理由は、戦後、高齢となった戦友や遺族の便を図ったため。難所ばかりめぐっていると、バリアフリーに配慮された護国神社への好感度がとても高くなる。

 



 記念碑や銅像めぐりには、それゆえ、タクシーを積極的に使うべきである。ただでさえ少ない体力は、どうしても避けられない階段の昇降にのみ投入しなければならない。

 ここでの鉄則は、とにかくケチらないことだ。ローカル線を乗り継いで、できるだけ目標に近づいたところでタクシーを拾う──。そんな考えは大都市でのみ成り立つのであって、地方では無人駅で呆然とするはめになる。少し離れていても、はじめから特急の停車する主要駅からタクシーで移動したほうが、結局のところ時間の無駄は少ない。

 また、珍しい記念碑ほど、人しれぬ山奥にポツンとたたずんでいるものだ。そこでも、写真をゆっくり撮りたいからといって、絶対に、タクシーを途中で帰してはならない。携帯電話が通じなければ、野生動物に怯えながら数キロの道のりを歩いて帰らなければならなくなるし、突然の悪天候でタクシーが来てくれないことだってある★2

 こういうとき、長距離の乗車はなにかと融通が利く。タクシーの運転手にとっても利益があるので、砂利道の走破や目的地付近での待機にも快く応じてくれる。

 そしてなによりタクシーを長時間借りれば、絶好の取材源にもなる。地方の運転手は多くの場合、地元の情報にとても詳しい。
 和歌山県の紀伊勝浦駅でつかまえたタクシーの運転手のことは、いまでも忘れられない。だれも知らないような神武天皇の記念碑をたちどころに特定しただけではない。道すがら、この建物の持ち主は外国人と結婚して現在海外に住んでいて──と、訊いてもいないのに、貴重な情報をどんどん教えてくれた。

 さらに、隣の新宮市出身の作家、中上健次とも飲んだことがあると言い出したかと思いきや、こんどは自分の名字が『鬼滅の刃』のキャラクターと同じだといきなりサブカルチャーに話が飛ぶ。まさに生き字引。もう完全にシャッポを脱ぐほかなかった。

 京都市内では、芸能人御用達を自称する運転手に出くわした。大河ドラマの役作りをするためのお忍び旅行に付き添って、観光案内をしているのだという。いま、あなたが座っている席には、このまえ誰々が座っていて──と、こちらはこちらで、個人情報がこんこんと湧き出てくる。

 せっかくなので、筆者も予定を変更しておすすめのコースを回ってもらった。ところどころ近代史の情報が間違っていたので、さきほどのアピールも話半分で聞かなければならないと思ったが、その話術には引き込まれた。多くの観光客にとって、歴史とはそれくらい緩いものなのだろう★3

 しかし、最近でもっとも印象深かったのは、昨年10月、ドイツにでかけたときのことだ。

 ドイツ北西部、ノルトライン=ヴェストファーレン州のパーダーボルン。人口15万人ほど、日本で言えば静岡県富士宮市、山形県鶴岡市よりほんの少しだけ大きいぐらいのこの地方都市の中央駅前で、退屈そうに居眠りしながら待機していた高齢の運転手をコンコンとノックして起こし、いつものようにチャーターを持ちかけた。高額の客に気をよくしたのか、運転手は後部座席ではなく助手席に座れと言いながら、いろいろと観光案内をしてくれた★4

 おかげで予定どおり取材できたのだが、問題はその帰りだった。ICE(ドイツを中心に運行されている高速鉄道)の時間がギリギリになったので、アウトバーンを飛ばしてもらったところ、突如、前の車が減速。危うくぶつかりそうになった。人生初の煽り運転被害だ。

 やれやれと思うもつかの間、それまで穏やかだった運転手は、ここで鬼の形相に。そして悪態をつきながら追い抜こうとするも、相手は相手で、左右に動いて阻もうとする。それが何度も繰り返される。まるでカーチェイス。ようやく横に並んだかと思うと、こんどはお互い、中指を立てながら罵り合う。さらにこちらの運転手は、相手の顔を撮ろうとスマホまで操りはじめる。

 運転席を覗き込むと、時速は100キロ超え──少しでもハンドル操作を誤るとお陀仏なのに、片手でよそ見運転。生きた心地がしなかったが、どこか映画のようで、恐怖を飛び越えて、途中から笑いがこみ上げてきた。

 幸い、事故もなく、なんとか乗車時間にも間に合った。チップを除いて、総額300ユーロ。そんな金額が気にならないほど、たいへんに刺激的なタクシー体験となった。

 運転免許をとってレンタカーを借りればいい? なるほど、そういう考えもあるだろう。だが、筆者も齢40になんなんとして、いまさら方針を変える気はない。むしろさらなるタクシー体験を究めて、取材のネタとしていく所存である。

 



 それにしてもなぜ、筆者は記念碑や銅像に惹かれるのか。中学生以来のミリタリー趣味といえばそれまでだが、安価で触れられる「一次資料」というのも大きかった。

 ミリタリー趣味はとにかく金がかかる。軍人の経歴一覧や、師団や連隊の資料を揃えようとすると、あっという間に数万円が溶けてしまう。もっとも危険なのが軍服で、安価な勲章に手を出したらそれが運の尽き。別の勲章、さらに別の勲章となり、それにふさわしい軍服を求め、軍帽、軍靴──とドツボにハマっていく。だが、これは中学生の資力では不可能だった。

 その点、筆者が当時集めていた軍歌のCDは、音源こそ当時の録音だけれども、複製物だから20曲入りで、2500円や3000円で買えてしまう。それだから、とても手を出しやすかった。

 記念碑や銅像も同じだった。かかるのはせいぜい旅費ぐらい。にもかかわらず、目の前にあるのは戦前のものなのである。

 そのころは大阪府南部に住んでいたので、建国記念の日には、近鉄南大阪線を使って、神武天皇陵や橿原神宮を訪ねてみた。すると、駐車場に黒塗りの街宣車が大量にとまり、戦闘服姿の右翼が境内で行進しているではないか。そして遠くで鳴り響くのは、君が代や軍歌──。そのあいだを、勅使がしずしずと本殿へと向かっていく。初詣の賑々しさとはまったく違う異様な光景に、胸が躍った。

 もちろん、記念碑や銅像はかならずしも当時のままではない。場所が移動していたり、文字が書き換えられていたりする。建国記念の日の光景も同じだ。それでもそこからは、なにかアウラのようなものが感じられたのである。

 では、経費を少なからず投入できる今日、なおも記念碑や銅像を訪ねるのはなにゆえか。それは、歴史の細分化を乗り越えるためである。

 学問の専門分化が進む昨今、歴史はとりわけ細分化が著しく、他分野からの介入を忌み嫌う。ツイッターでは、暇な大学人が一般人向けの新書のあら探しをして悦に入っているのをしばしば見かける。こういうこともあり、文献にもとづくだけでは、年々、大きな物語を語りにくくなっている。

 しかし、史跡を訪ねて、そこで考えたことを述べることにならほとんど邪魔は入らない。筆者のようなフリーランスは、講義などで時間を拘束されることもなく、ほぼ一年中、好きなときに、好きな場所へ行けるのだから、この利点を活用しない手はない。

 平壌で万寿台大記念碑を見て、延安郊外で習近平が下放された窰洞ヤオトンに入り、ロンドンでマルクスの墓に参り、ドイツ・オーストリア国境でヒトラーの生家を探る。そんな人間はあまりいないだろう。

 



 ときなるかな、コロナ禍も多くの地域でようやく終わりを迎えつつある。いよいよ世界にふたたび打って出るときがやってきた。

 コロナ禍においては、GoToトラベル、全国旅行支援をずいぶん使った。そして集中的に旅をすると、固有名詞に血肉の通うのが実感できる。それまで記号にすぎなかった地名が、その大地を踏み、空気を吸い、日光を浴び、地のものを食べることで、五感に結びついて、脳裏に刻み込まれるのである。

 このような取材を世界に広げれば、国威発揚の国際比較もより実感をもって行えるだろう。

 神武天皇は、明治天皇のモデルとなる軍事指導者として、近代になって「再発見」された。それは、ヨーロッパで、ローマ人に抗った部族の指導者たちがナショナリズムの時代にかつて外敵を払った英雄として「再発見」されたこととよく似ている。

『ガリア戦記』でカエサルと激闘を繰り広げた、フランスのウェルキンゲトリクス。トイトブルク森の戦いでローマ軍団を撃滅し、アウグストゥスを悲嘆に暮れさせた、ドイツのアルミニウス(ヘルマン)。かれらがまさにそうだ。そしてその銅像も、神武天皇像とほぼ同時代に立てられているのである。こうした分析はほとんど未開の沃野として、いま、われわれの目の前に広がっている。

 今年はとりあえず、インドにはかならず行くつもりだ。インドには、世界最大の像──「統一の像」が屹立している。いずれイタリアでムッソリーニの墓に参り、サンマリノでヨーロッパ初の公式神社を訪ね、ルーマニアでチャウシェスクの国民の館を探り、セネガルで北朝鮮のつくったアフリカ・ルネサンスの像を仰がねばならない。ロシアやウクライナの戦争記念碑もいずれ調査の対象となるだろう。

 筆者は冒頭、記念碑や銅像のため高所にのぼってきた体験を、いささか苦々しく思い起こした。にもかかわらず、なおもこうして新しいものを求めている。仕事のため? それだけではあるまい。結局のところ、階段の昇降も含めて、記念碑や銅像めぐりを楽しんでいるのだ。

 われながら、好事家とは度しがたい。馬鹿と煙と国威発揚は高いところが好き──。遺憾ながら、ここには筆者自身も付け加えなければならないだろう。ただしその高みは、細分化したムラ社会の淀んだ空気から解放される場所でもあるはずだ。その山登り体験を文字化していくのが、歴史学者ならぬ歴史家としての、筆者の今後の課題である。

 


★1 辻田真佐憲「令和元年に再建された『最新の神武天皇記念碑』を見に行った」、「文藝春秋digital」、2020年10月30日。URL= https://bungeishunju.com/n/n13abb7354689
★2 埼玉県の飯能市でもタクシーがきてくれなかったことがある。下記の番組参照。「【取材回】国威発揚を歩く(埼玉篇) 『天皇は反日』の迷言を生んだ高麗神社から『80余顧の礼』に折れた東郷平八郎の像が立つ秩父御嶽神社まで」。URL= https://shirasu.io/t/tsujita/c/beobachter/p/20220319
★3 京都取材については、下記の番組を参照。「【取材回】国威発揚を歩く(京都篇) 肉弾三勇士の墓から解脱金剛塔まで+愛国メディア欠席裁判」。URL= https://shirasu.io/t/tsujita/c/beobachter/p/20210628
★4 この取材成果は下記を参照。辻田真佐憲「煽情の考古学 第十二回 ヒムラーの聖杯城を訪ねる」、『文學界』2023年1月号、文藝春秋、266-269頁。
 
哲学は世界を変えることはできないが、ひとは救えるはずだ。

『ゲンロン14』
荒俣宏/梅津庸一/浦沢直樹/鹿島茂/小松理虔/櫻木みわ/櫻間瑞希/さやわか/田中功起/辻田真佐憲/豊田有/ユク・ホイ/松下隆志/松山洋平/山森みか/東浩紀/伊勢康平/上田洋子

¥2,420(税込)|A5|260頁|2023/3/28刊行

辻田真佐憲

1984年、大阪府生まれ。評論家・近現代史研究者。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。単著に『「戦前」の正体』(講談社現代新書)、『防衛省の研究』(朝日新書)、『超空気支配社会』『古関裕而の昭和史』『文部省の研究』(文春新書)、『天皇のお言葉』『大本営発表』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、共著に『教養としての歴史問題』(東洋経済新報社)、『新プロパガンダ論』(ゲンロン)などがある。監修に『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)、『文藝春秋が見た戦争と日本人』(文藝春秋)など多数。軍事史学会正会員、日本文藝家協会会員。
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