福島第一原発観光地化計画の哲学(2)フード左翼と原発のただならぬ関係(前篇)|速水健朗+東浩紀

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初出:2014年5月15日刊行『ゲンロン観光地化メルマガ vol.13』
 

インタビューに応じる速水
 

東浩紀 観光地化計画委員への連続インタビューシリーズ「福島第一原発観光地化計画の哲学」。第2回は速水健朗さんにお話をうかがいたいと思います。今日はよろしくお願いします。

速水健朗 よろしくお願いします。

 速水さんとはじめにお会いしてから、何年くらい経ちましたかね。

速水 はじめに会ったのは2006年だと思います。外部のフリーランス編集者として、『週刊アスキー』の「ギートステイト」という連載企画を担当したのがきっかけでした。「ギートステイト」は複数の媒体を横断するクロスメディア的なSFプロジェクトで、東さんと、観光地化計画にも参加している清水亮さん、そして小説家の桜坂洋さんの3人が主なメンバーでした。

『週刊アスキー』の連載は、「消費」や「政治」など毎週ひとつずつテーマを設定し、2045年の未来像について、東さん、清水さん、桜坂さんの3人で話し合うという内容のもので、その担当編集がぼくだったというわけですね。

 速水さんのなかで「ギートステイト」と観光地化計画はどうつながっていますか。

速水 めちゃくちゃ関係していますね。連載媒体がコンピュータ雑誌だったということもあり、テクノロジーの未来を中心的なテーマとして考えていたはずが、そこでお互いにショッピングモールには何かがあるよね、と興味を持って話をするようになったんです。まだそこにどんな理論的な可能性があるかはわかっていないながらも、これはなにかおもしろい分析ができるはずだ、と話していたのを覚えています。それがのち、『思想地図β』vol.1のショッピングモール特集として結実することになりますが、ぼくの中では、そこから『福島第一原発観光地化計画』までが途切れなく、シームレスにつながっています。その間に、ショッピングモール論をまとめた『都市と消費とディズニーの夢』(角川oneテーマ21)という本も書きました。
『思想地図β』vol.1の巻頭言で、東さんは「クロックス・ピープル」という言葉を使って、世界に新しく勃興しつつあるアッパーミドルたちについて書かれていますよね。ぼくも東さんも、ショッピングモールを通して郊外化や下流社会について考えたいわけじゃないんです。全世界的に現れつつある、消費によってつながるアッパーミドル層のありかたにこそ興味があった。だからぼくのショッピングモール論では、郊外ではなく、都市が持つ集積性に注目し、観光といういまもっとも拡大しつつある産業を取り上げました。

 『都市と消費とディズニーの夢』は、まさに消費と観光をテーマにした本でしたね。『福島第一原発観光地化計画』でショッピングモールや全天候型のレジャー施設(リカバリービーチドーム)などのプランニングをお願いしたのも、速水さんのそのような仕事を踏まえてのことでした。

質の高いエンターテイメントを目指す


 観光地化計画では1年以上にわたって議論に参加し、福島取材にも同行していただきました。予想外だったことや驚いたことはありますか。

速水 研究会委員がチームとして仕事をするうえで、津田さんや開沼さんのように現地に繰り返し足を運び、積極的にコミットしていたひともいれば、そうでないメンバーもいて、それぞれ違った役割を果たしていたように思います。ぼくに与えられた役割は、「ギートステイト」の延長線上にあるような未来予測であったり、ショッピングモールのデザインであったりと、いままでの仕事とつながりのあるものでした。一言でまとめると、SF+消費パートですね。

 津田さんや開沼さんは現実にコミットすることで社会を変えていこうとするタイプですが、ぼくや清水さんは、空想的な要素も込めて未来像を提示することで、社会に影響を与えようとするタイプです。この両極端を藤村さんが具体的なかたちに落としこんでいった結果が、『福島第一原発観光地化計画』であり、書籍の中で示された「ふくしまゲートヴィレッジ」です。ただ、アウトプットを見てみると、表紙やビジュアル面は当初のイメージ通りだったものの、内容は少し真面目寄りになってしまったかもしれません。

 速水さんとしては、もう少しSF的なビジョンを提示したかった?

速水 観光をテーマにする以上、現実の福島とこちらが提案する未来像でどうバランスを取るか、という問題になってきますよね。ぼくは「観光地化計画」と銘打って本を出す以上、質の高いエンターテインメントにしなければならないと思ったんです。このプロジェクト自体が見て、読んで楽しいものでなくてはならない。ぼくはその部分を担っていると認識していたので、もっと楽しくすることはできたのではないかと反省しているところはあります。

 なるほど。とはいえ、消費や娯楽、あるいはSFといったエンターテインメントの要素については、いまでも強すぎるとの声があります。実際に、あの本のビジュアルを見て、「被災者の気持ちを逆撫でする」「実情と解離した非現実的な提案だ」との批判も寄せられている。それについてはどう考えますか。
速水 この計画で炎上するならば、まさにぼくが担当したショッピングモールやリカバリービーチドームがターゲットになるでしょう。しかしこれらの施設は、どうしても必要不可欠なものだと確信しています。社会的に正しい観光のあり方を提示するのもいいですが、観光というのはそれだけでは動かない。ショッピングモールが併設されてお金を落とす人がいるからこそ経済的に回っていくんです。それに観光地というのはそもそも、お勉強をしに行くところではない。

 もちろん、原発事故の悲劇を学ぼうとするのは大切なことです。しかし、学びを求めてきたお客さんは、果たしてリピーターになってくれるか。たとえばかつて盛んだった伊勢参りにしても、古市の遊郭がセットでした。そういう観点を無視して観光について考えると、重要な面を見逃してしまうのではないか。そこで提案したのがショッピングモールであり、リカバリービーチドームです。

 じつは個人的な思い入れもあります。小学生の時期に仙台に住んでいたことがあります。仙台は肌寒い土地で、あまり海水浴が盛んではないんです。一方、福島には、有名な海水浴場も、常磐ハワイアンセンター(当時)もある。宮城県民からは、一番身近な南国が福島なんです。取材で福島出身の女性に話を聞いたときも、震災で一番衝撃を受けたのは、海水浴場がずたずたにされている光景だったと言っていました。彼女にとっては、子どもの頃から大人になってデートするに至るまで、何度も遊びに来ていた場所が海岸沿いだった。そこが壊滅的なダメージを受けているのを見て、はじめて震災の被害について理解したというのは印象的でした。

 東日本大震災と原発事故について、最初の印象はどうですか。

速水 はぐらかすようで申し訳ないのですが、率直に言って、3.11について語るのは得意ではないんです。仕事では、東日本大震災について、あまり言及せずにきました。帰宅難民だらけになった東京の都市について……というようなテーマであれば何度も話したり書いたりしていますが、東北について直接触れることはほとんどなかったんです。関心がないということではなく、観光地化計画を含め、被災地も何度か訪問しています。そこで自分のできることはなんだろうかと探ってみたものの、正直ピンと来ませんでした。

 3.11以前と以後で、日本社会に変化はあったと思われますか。

速水 それは確実にあったと思います。ただ、「○○以前以後」みたいな分け方をしたり、それを前提にした物言いは、あまり好きではないんです。ポストモダニズムの専門家の前で言うのもあれですけど(笑)。むしろ、環境の変化そのものよりも、変わらない何かみたいなものが気になるタイプです。でも、直接にそういう表現になっていませんが、昨年12月に刊行した『フード左翼とフード右翼』(朝日新書)では、日本の現状、震災以後について自分なりの言葉で書いています。ストレートに震災について語るのは苦手です。

 震災について語るのは苦手ということですが、観光地化計画の打診を受けたときの最初の印象はいかがでしたか。

速水 先ほどの話と重なりますが、『思想地図β』vol.1や『都市と消費とディズニーの夢』で取り組んできたテーマを、社会情勢の変化に合わせてもう一段階先に進めるきっかけになるのではないかと思いました。いままで漠然と考えてきたものを、具体的な状況にあてはめて応用する段階ですね。
 グローバル社会に登場した新しい消費階級に注目とのことですが、ふくしまゲートヴィレッジのターゲットとしてもやはり彼らアッパーミドル層をターゲットにしているのですか。

速水 ビーチリゾートを福島につくるというのは、世界に存在するビーチリゾート族向けの施設を意識したんです。でも、計画を立てていくうちにずれてきた面もあります。25年後の福島をテーマにプランを練るうちに、現実に原発周辺地域の観光地化が部分的に始まっていて、現地を勝手に見て回る観光客もいれば、現地の住民がガイドを引き受け、観光客を受けれているケースもあることがわかった。研究会を立ち上げた当初は想定していなかったことで、こういった実情を受けて、イメージが修正されていきました。

 ただ、最初に東さんに声をかけられたときから、福島が今後良くも悪くも観光地として外部の目に曝されることになるだろうし、日本という国のイメージにも反映されていくだろう、という認識は変わっていません。今後、観光は日本にとって産業としての重要さを増してきます。震災と原発事故が起きて、いったん減った訪日外国人数は、また増加に向かい、事故前の水準を超えようとしてますよね。でも、だからといって福島の事故に目をつぶってなかったことにするわけにはいかない。
 

本インタビューは五反田のゲンロンオフィスで収録された
 

フード左翼と危険厨


 インタビューにあたって、『フード左翼とフード右翼』をあらためて読みなおしました。この本の中で、速水さんは食生活に現れた政治意識を読み解き、地域主義・健康志向を旨とする消費者を「フード左翼」、グローバリズム・ジャンク志向の消費者を「フード右翼」と名づけている。この分類は原発への反応と関連しそうですね。

速水 この本はそもそも、3.11以前には成立しえなかったものだと思っています。本の中にも登場する比喩ですが、かつてであれば、夫が自民党支持者で妻が共産党支持者であっても、同じ食卓を囲み、同じものを食べ、なんの問題もなく暮らしていくことができたはずです。つまり、政治的な主義主張とライフスタイルの選択が、完全に切り離されていた。

 この本では、これから政治的な選択とライフスタイルの選択は不可分ではいられなくなるだろう、と書きました。それがはっきり感じられるようになったのは、出版の準備期間よりも、むしろ本を出したあとなんです。本が出て以降、複数の知人から「なぜ自分のところに取材に来なかったのか」と言われました。話を聞いてみると驚くような事例がいくつも転がっている。震災後、食べものやエネルギー問題、そして放射線のリスク評価をめぐって家庭内で対立し、別居に至った家族は少なくありません。また、ぼくが身近に直接見聞きしただけでも、東京には住めないと言って移住したケースが5、6件あります。一家で引っ越したケースもあれば、奥さんと子どもだけ移り住んだケースもある。

 フード左翼とフード右翼の対立は、いわゆる「危険厨」「安全厨」の対立に重なるように思います。

速水 限りなく近いですね。ただ、原発事故によってそれが表面化する以前から、食と政治は切り離せないもので、本ではその点に注目しました。

 食に関することに限らず、昔から社会変革やクーデターの歴史には強い関心があったんです。ぼくの興味の大前提として、1960年代、学生運動や西海岸のヒッピームーブメントといった社会運動はなぜ敗れたのかという疑問が横たわっています。

 速水さんは、日本の団塊の世代、アメリカでいうベビーブーマーたちの運動は、政治的には敗北したが、消費の面では世界を変えつつあると書かれています。その観点からすると、3.11によって、いちど大文字の政治から離れ、消費で社会を動かしていた「左翼的なもの」が、もういちど大文字の政治に戻ってきたようにも見えます。フード左翼とフード右翼が分裂し、それがそのままエネルギー政策の対立に重なっている状況は、今後の日本の政治に影響を与えていくと思われますか。

速水 ぼくは震災後の3年間で見えてきたのは、「なにも変わらない」ということだと思っています。都知事選でも、エネルギー問題そのものが争点にはならず、「エネルギー問題は争点になるか」ということについてしか論じられない。これはエネルギー問題に限ったことではなく、日本で政治的なイシューは、すべてこの論法で語られてしまうんです。政治というのは敵味方を区別することなのに、なぜか日本ではそれは無効化されてしまう。『フード左翼とフード右翼』への批判でも、「左翼」「右翼」といったレッテル張りは良くないっていわれてしまう。それでは、議論ができないって言われてしまうんですが、いやいや議論するために、立場を切り分けるべきでしょう、とこっちは思うわけです。

 日本人は政治では敵と味方を区別できない。ところが食では敵と味方をくっきり分ける。だから食でこそ「政治」が機能するというパラドックスがある。

速水 米騒動からTPP批准に至るまで、日本人が結束して政治的な意見を述べるのは、決まって食、または米に関するテーマに限られている。

 観光もまた敵と味方の対立を無化する性質があります。観光地化計画を進めるうえで、エネルギーをめぐる対立構図が明確であったほうがいいと思われますか。それとも、政治的な対立は無化された状態で、純粋に観光地として興味を持たれている状態が望ましいと思いますか。

速水 両方です。ぼくたちが観光をするときには、遊びに行くつもりでなにかを学んでしまうこともあれば、勉強しにいくつもりだったのに、おもしろくてハマってしまうということもある。その両方の側面を併せ持っているのが観光であり、エンターテイメントというものだと思います。たとえばいま、アウシュヴィッツ強制収容所のすぐ近くにも、商業施設が並んでいます。世界的な負の遺産と消費の場がセットになっており、そこに観光客がお金を落としていくことで、経済が回っている。

2014年2月6日 東京、ゲンロンオフィス
構成=編集部

速水健朗

1973年生まれ。フリーランス編集者・ライター。著書に『ケータイ小説的。 〝再ヤンキー化〟時代の少女たち』(原書房)、『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)、『1995年』(ちくま新書)、『フード左翼とフード右翼』(朝日新書)、『東京β』(筑摩書房)、『東京どこに住む?』(朝日新書)など。

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
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