南相馬市の伝統行事、「相馬野馬追」をご存じでしょうか。
年に一度、10万人以上の観衆が押し寄せるこの祭りは、伝説によれば平将門までさかのぼるといい、国の重要無形民俗文化財に指定されています。今年も7月26日から3日間にわたって開催され、大盛況を迎えた野馬追を、運よくゲンロンが取材する機会がありました。この文章は野馬追を中心にした取材小旅行のレポートです。
この取材企画は、ゲンロンカフェで7月5日から8月9日まで開催した原町無線塔展からつながって生まれました。この展示ではかつて南相馬市原町にあった原町無線塔に注目し、関東大震災に際していちはやく情報を海外に伝え、重要な役割を果たした原町無線塔にまつわる資料を集めました。このとき情報提供など多大なご協力をいただいたのが、あとで野馬追取材のきっかけをくださった二上英朗さんです。二上さんは合併前の原町市で生まれ、南相馬市の郷土史を在野で長年研究されてきた方で、『原町無線塔物語』など多数の著書があります。無線塔展開催にあたっては、オープニングとして7月5日にゲンロンカフェのイベントにもご登壇いただきました。
展示開始後のある日、二上さんからFacebookメッセージで、野馬追のお誘いが届きました。ほかでもない二上さんにご案内いただけるなら、と二つ返事で同行をお願いし、取材実現が決まりました。
取材に行った大脇は、震災後浜通りに入るのはこれが初めてです。二上さんは不案内な大脇を先導して、野馬追についての詳しい解説とともに、近隣の見どころを教えてくださいました。おかげさまで南相馬市の歴史と文化について学ぶところの多い取材になりましたので、野馬追の様子に加えて、二上さんお勧めの場所をいくつか紹介します。
1日目
出発は26日早朝。東北新幹線を福島で降り、原町行きのバスに乗り換えます。バスの窓からは、途中通過する飯舘村を含め、そこかしこに除染作業中の立札やのぼり旗、除去された土を詰めた黒い袋などが見えます。

バスの車体にも描かれているとおり、野馬追は南相馬市のアイデンティティの重要な部分をなしています。ここで野馬追とは何かを簡単にご説明しましょう。野馬追は毎年7月末、北は相馬市から南は双葉郡までにまたがる広い地域が一体となって開催する行事です。成立当初は、その名のとおり野原に裸馬を放ち、小高神社[★1]の境内に追い込んで素手で捕らえるというものでした。この神事はいまでも「野馬懸」と呼ばれてその形を残し、一連の行事の最後に行われます。現在の行事の多くは明治時代以降に工夫されたもので、武士の甲冑をまとい、馬にまたがった武者の隊列が御神輿を雲雀ヶ原の本陣に運ぶ「お行列」、騎馬武者が競走する「甲冑競馬」、さらに「神旗争奪戦」などの部分から成っています。この取材では最も人気が高い「神旗争奪戦」までを見学しました。
さて、原町駅前に無事到着した大脇は、二上さんが運転する車に拾ってもらいました。「このあいだは面白かったね」と饒舌に話しはじめる二上さんから、野馬追の全体進行、見どころなどについて簡単な説明がありました。野馬追見学は午後の鹿島区からと決めて、先に近くのみちのく鹿島球場へ。ここは震災当時、市が指定する集落避難場所だったため、近くにいた人たちが集まってきたのですが、そこに津波が到達し、丸いグラウンドのなかで渦を巻いて、逃げ場を失った犠牲者を飲み込みました。

いまは草が生い茂り、壊れた設備も修復されないままですが、地元からは復旧を望む強い声があるとのこと。球児たちが再び汗を流す日はいつになることでしょう。球場を後にして移動する車中からも、耕作放棄地となり雑草が生い茂る田畑の跡や、学校のグラウンドにぎっしりと並ぶ仮設住宅が見えます。
祭りの時間に合わせて、会場のJAそうま鹿島総合支店へ。すでに騎馬武者が陣容を整え、周りには黒山の人だかりが。この時刻になると日は高く上がり、東北地方と言っても東京と200kmあまりしか離れていない浜通りの気温は30度を超えます。暑さと日差しに顔をしかめながら、二上さんが指差す方向を見ると、仮設のテントの下に少し涼しそうな座席が。
「前はあんなのはなかったんだけど、いろいろやってるんだよ」
伝統行事とはいえ、古くから続く部分以外にもいろいろな工夫を重ねてきた野馬追は、いまも見に来る人たちに楽しんでもらうため、少しずつ姿を変え続けてもいます。ここで偶然にも、同じく野馬追の調査に来られていた井出明さんとお会いしました。いつもどこでも、祝祭は人をめぐり会わせるもののようです。

集結した騎馬隊は雲雀ヶ原に進軍します。この移動には時間がかかるので、二上さんの車は雲雀ヶ原のある原町区へ一足先に戻り、近くの夜の森公園[★2]で停まりました。ここには太平洋戦争で戦死した神風特攻隊隊員の銅像が飾られています。実は雲雀ヶ原は陸軍飛行場の跡地に隣接しているのです。ここにあった原町飛行場は特攻隊の錬成基地として使われ、ここで訓練された多くの若者が戦地へ飛び立っていきました。

夜の森公園を出て到着した雲雀ヶ原では「宵乗り競馬」が行われます。競馬は2日目にもあるのですが、1日目は騎手が身軽な出で立ちをしているのに対して、2日目の「甲冑競馬」はその名のとおり鎧を全身にまとった武者が騎乗します。1日目の競馬は見る人もまばらです。