チェルノブイリの勝者──放射能偵察小隊長の手記(15)|セルゲイ・ミールヌイ 訳=保坂三四郎

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初出:2014年10月2日刊行『ゲンロン観光地化メルマガ vol.22』
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第6章 「チェルノブイリ・エスキモー」の誕生

危険のパラメータがひとつ増えるとき、 この世は我々の想像を超えた世界となる。 セルゲイ・ミールヌイ、 ラジオ「自由」放送番組「障壁を越えて」におけるインタビュー、98/9/25

第48話 チェルノブイリで絶対に使われない言葉


 チェルノブイリの日常でもっとも使われなかった言葉は何か分かるだろうか……?(「スキー」、「パイナップル」など土地柄から全く縁のない言葉は除いて)。

 答えは意外や意外。

 その言葉とは──
放射能。
 でもちょっと考えてみればすぐに納得いくことだ。

 普通の生活で「空気」を話題にすることはないよね? 「呼吸する」、「爽快だ」、「寒い」(周囲の空気の温度が低い)、「風」、「スースーする」(風が吹いている)、「くさい」(空気に不快な臭いがある)とかは言うけど、「空気」自体はどこにでもある当たり前のものだから話にはまったく出てこない……

 チェルノブイリでも同じだ。「反応がある」、「浴びる」、「出てる」、「いくらだ?――2だ。――ちょっと多い。早くしろ」、「レベルが落ちた(上がった)」、「キャンプの値」、「装甲車がたんまり埃を吸った」、「車が汚染された」、「この作業にいくつ付けてもらった?」という感じだ……

 ──まったくもって滑稽な世界だ。「放射能」という言葉が空気同然なのだから……

 ある人から教わったところによると、エスキモーにとって、雪や雪と関係のあること全ては生死と同じくらい大事なことだが、彼らの語彙に「雪」は存在しないらしい。綿毛のように柔らかい雪、薄い雪のかけら、長く積もって少し解けた雪などを言い表すそれぞれの言葉はある…… だが「雪」という一般名称はない。そんな言葉など必要ないのだから。

 ──おれたちはチェルノブイリの滑稽なエスキモーとでもいったところか……

第49話 1986年夏チェルノブイリ市放射能偵察車両置き場での将来についての会話


「こんな放射能、おれたちにとっては屁でもない! 家ではみんな『放射能!』、『放射能!』って大騒ぎしているが…… ここでは全然気にしていないっていうのに…」

 もう一人は困り果てたような笑みを浮かべ、

「おれは家に帰ったらきっとボルシチを食べる前にも測るだろうよ……」

「徹底するなら、かみさんのスカートの中まで測らなきゃ……」と誰かが口を挟む。

「そこまで心配いらないさ……」最初の男が全てを知りつくしたような顔で答える。

 会話はすぐに明るい話題へと変わった……

 



 私は考えこんでしまった。

 チェルノブイリから帰った後に、放射能の上昇に直面したら私たちはどう反応するのだろう?

 だってここで起こっていることは、明らかに普通ではない……

 あとまで尾を引くのはなんだろう――放射能に対して常軌を逸した反応を見せてしまうんだろうか?

 それもどっちの意味だろう?

「放射能なんて飽きるほど経験したよ……」と言って気にもとめなくなる?

 それとも、放射能と聞いただけで身震いするくらい超過敏になってしまうんだろうか……?

★第50話 マスクもつけずに

体内に放射能核種が取り込まれる3つの経路(吸引、水や食物による摂取、 皮膜損傷部からの浸透)のうちでもっとも危険なのは汚染された空気の吸引である。 スヴィンツェフ・Yu・V著『被曝の危険性:放射線と人間』、 第2版、改訂補足版、モスクワ、AT出版、1991年、52,55-56頁。
 しまった、マスクを忘れてしまった。

 気がついたのは、PUSO(除染所)☆1〈レピョフ〉にさしかかった頃だった(チェルノブイリ市から原発方面に偵察に向かうときはいつもここでマスクを着用する)。いつものようにジャンバー、ポケットの中に手を突っ込んだ――が、ない……

 ポケットというポケットすべてひっくり返し、鞄の底まで探したが… ない。

「コーリャ、予備のマスク持ってないか?」

「おまえのはどこいったんだ?」

「もう全部ひっくり返して探したよ!ヤッケもジャンバーもあっちこっち見たし… 待てよ、ヤッケはキャンプに置いてきた。今日はやけに暑いから……」

「俺の予備のマスク〈花びら〉☆2がガラクタ入れに入っている……」

 そうか……! 私としたことが、どうして気づかなかったんだ! しっかり者のコーリャのこと……

 車の〈ガラクタ入れ〉――グローブボックスという正式名があるのだが――の中を掘り返してみる。たいていの車のグローブボックスにはとても役に立つとは思えないものがたくさん詰まっている。〈ガラクタ入れ〉と呼ばれるようになったのにもそれなりの理由がある……

「コーリャ、ここにマスクは入ってないぞ」

「もっと探してみろ」
 また中を漁る。

 あった。

 引っ張り出す……

 使用済みのやつだ。

 もう一つあった……

 これも一度着けたやつ。

 2つの使用済みマスクをじっくり見る。

 どこで誰が使ったのか見当もつかない。どの位くっついているかも分からない…… 片方には灰色の埃のシミ跡がはっきりと確認できる……

「コーリャ、ないぞ。全部古くて、使用済みだ……」

 コーリャはハンドルを握ったままこちらを振り返った。

「戻ろうか?車両置き場に予備がないか探そうか……?」

「いや、仲間はもうみんな外に出ているはずだ」ペトロが口を挟む。「チェルノブイリの町、本部に戻るのはどうだ?」

「本部中を走り回って探せとでも……?」

「さあ、どうする?」コーリャは私の反応を窺っている……

──「人間の鼻は一生の間に吸い込む空気から5キログラムの埃を取り除く」

 ごみひとつない平面に埃がきれいな円錐状に積もっていく。画面上に、小学1年生の国語の教科書に出てくるように大きく読みやすい字のテロップが現れる。
〈5キログラム〉
 8年生☆3のとき、カーテンを閉め切った薄暗い生物学の教室で、人体解剖学に関する白黒映画を見た。

 〈鼻腔〉の表面を覆う毛は、呼吸により取り込んだ空気を止めてフィルターにかけ、人間の一生の間に5キログラムの埃が肺に入り込むのを防ぐ……

 



「さて、どうしようか、隊長さん……?」

「出発。前進」と答え、唇を強くかみ締めた。

 唇にチャックしたまま、偵察ルート〈建設現場〉を進む。

 必要なときだけ、例えばどこで停車して測定するかを手短に指示するときだけ、口を開ける。

 鼻で息をする。

 



 ──偵察から戻り、車両置き場から道路をはさんだ向かいの〈農機具店〉に向かった。店の車庫のレンガの壁に水道の蛇口がついているからだ。

 暑い一日だった…… 顔を洗い、うがいをする……

 鼻穴から乾いて平べったくなった鼻くそをほじくり出す……

 埃のせいで黒っぽい。

 おかしいな、埃っぽい道路は通らなかったはずだが…

 



 こんな場合は、この5キロの埃の山(平均的人間の人生の痕跡のひとつでもある)に線量計のゾンデを近づけなければいけないだろう。線量計のこんな使い方は学校でも習ったことはないが……

★第51話 マスクもつけずに その2(放射能偵察小隊長の作業ノートから)


 






















































































86/8/3「建設現場」

(毎時ミリレントゲン、空間/土壌)


40/75 30/70 200/350 26/28
50/60 25/35 180/180 80/200
60/75 20/25 40/75 160/140
40/40 35/80 150/200 140/260
30/60 30/22 50/75 120/150
18/20 28/25 24/45 75/100
35/45 20/20 35/50
30/32 40/75 30/45
   この表から何を言いたいのかというと、〈建設現場〉の線量は他と比べて低かったということだ。そのことをあらかじめ知っていたので、マスクなしでもそこに行くと判断したのである。  でもこれが毎時数レントゲンの〈赤い森〉や原発近くならば、マスクなしで向かうような無茶は決してしていなかっただろう。  そんなことは学生向けの教育映画を見せられなくても分かるというものだ。
大きな粒子(1マイクロメートル以上(マイクロメートルとは0.001ミリメートル、ミリメートルの千分の一)は上気道によって効果的に阻止される。この場合、肺に沈着するのは吸い込んだエアロゾルの20%に満たないが、1マイクロメートル未満の粒子の場合、肺胞や気管支への沈着は90%まで増加する…… スヴィンツェフ・Yu・V著『被曝の危険性:放射線と人間』、第2版、改訂補足版、モスクワ、AT出版、1991年、52,55-56頁。

 


☆1 (訳注)チェルノブイリのゾーンから出る車両を対象とした放射能検査・除染所のこと。
☆2 (訳注)チェルノブイリの作業員に愛用された特殊布製マスク〈花びら〉(商品名)。
☆3 (訳注)日本ではほぼ中学2年生にあたる。

セルゲイ・ミールヌイ

1959年生まれ。ハリコフ大学で物理化学を学ぶ。1986年夏、放射能斥候隊長として事故処理作業に参加した。その後、ブダペストの中央ヨーロッパ大学で環境学を学び、チェルノブイリの後遺症に関して学術的な研究を開始。さらに、自分の経験を広く伝えるため、創作を始めた。代表作にドキュメンタリー小説『事故処理作業員の日記 Живая сила: Дневник ликвидатора』、小説『チェルノブイリの喜劇 Чернобыльская комедия』、中篇『放射能はまだましだ Хуже радиации』など。Sergii Mirnyi名義で英語で出版しているものもある。チェルノブイリに関する啓蒙活動の一環として、旅行会社「チェルノブイリ・ツアー(Chernobyl-TOUR)」のツアープランニングを担当している。

保坂三四郎

1979年秋田県生まれ。ゲンロンのメルマガ『福島第一原発観光地化計画通信』『ゲンロン観光地化メルマガ』『ゲンロン観光通信』にてセルゲイ(セルヒイ)・ミールヌイ『チェルノブイリの勝者』の翻訳を連載。最近の関心は、プロパガンダの進化、歴史的記憶と政治態度、ハイブリッド・情報戦争、場末(辺境)のスナック等。
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