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ゲンロン×H.I.S.チェルノブイリツアー写真レポート(1)|上田洋子

初出:2014年12月5日刊行『ゲンロン観光地化メルマガ #26』

 ゲンロン監修チェルノブイリツアー、今回は第3弾。とはいえ、今年3月に予定されていた第2弾のツアーはキエフ騒乱の関係で中止になったため、実質的には今回が2度目です。今回は「東浩紀と行くチェルノブイリ事故の記憶とキエフ騒乱の足跡をたどる7日間」というツアー名で、28年前と現在の2つの歴史上の出来事を軸として記憶の継承をたどりました。

 11月14日(金)夜に成田に集合。イスタンブール経由で翌朝キエフに到着。初日は世界遺産を見学後、チェルノブイリ博物館へ。元事故処理作業員の方のお話もうかがいました。

 16・17日はチェルノブイリゾーンへ。ゾーン内に1泊します。初日はチェルノブイリ市内およびプリピャチ見学。2日目は朝にパルィシフ村の自主帰還者サマショールを訪ねた後、秘密軍事都市チェルノブイリ2の巨大なOTHレーダーを見学。ここを訪れたのは今回が初めてです。その後原発作業員用の食堂で昼食を取り、いよいよ原発内へ。前回のツアーでは見せてもらえなかった3号機の冷却水ポンプ室も見学することができました。帰りにはゾーンのそばに暮らすアレクサンドル・シロタさんのお宅を訪問し、意見交換の時間を持ちました。

 18日はキエフ騒乱の跡地を。まずは郊外のヤヌコーヴィチ元大統領の贅沢を極めた邸宅へ。その後市内へ戻り、騒乱の舞台となった独立広場周辺を見学。夕方に大祖国戦争博物館を見て、夜はセルゲイ・ミールヌイ氏にユーロマイダンの話をうかがいました。

 最終日は自由行動後にフェアウェルパーティー。みなさんから満足の声をいただきました!

 旅の模様をフォトレポートでお届けします。見所があまりにも多く、メルマガに掲載できる量の写真ではなかなか伝えきれません。今回はチェルノブイリ事故の記憶編。次号でキエフ騒乱の跡地編をお送りします。

写真1 まずはキエフの歴史をめぐる。世界遺産の聖ソフィア大聖堂を見学後、11世紀、キエフ公国時代の遺跡、黄金の門へ。どちらもキエフの中心街にある。
 

写真2 国立チェルノブイリ博物館へ。時計は事故の起きた時間を示す。事故当時の記録写真など、貴重な資料が並ぶ。
 

写真3 リクヴィダートル(事故処理作業員)のサイト「ポスト・チェルノブイリ」を運営しているアナトリー・コリャーディンさんにお話をうかがう。元原発作業員で、事故処理作業でも中心的な役割を果たした。
 

写真4 11月16日。早朝ホテル出発。通りのあちこちにウクライナの国旗が掲げられ、ガードレールなどの公共物が黄色と青に塗られていた。
 

写真5 立入禁止区域との境界にあるディチャトキの検問所にも、ユーロマイダン運動の記念碑ができていた。もとは人々にチェルノブイリの記憶をとどめることを促す記念碑だった。
 

写真6 にがよもぎの星公園。落ち葉が美しい。
 

写真7 消防士の碑。事故で起きた火事を消し止めて殉死した仲間たちを記念するため、消防団員たちがみずから計画して作ったもの。アマチュアの作品であるが、作業員、医者、消防士ら、事故の状況が多角的に描かれており、心に残る。
 

写真8 ゾーン内のレストラン、カフェ10では、こんなお土産コーナーができていた。お土産は昨年の11月に訪れたときにも売っていたが、Tシャツ、マグネット、キーホルダーなど、クオリティも品数もアップしていた。
 


写真9 廃墟となった原発衛星都市プリピャチでは、防護服もどきを着た集団に遭遇。とあるゲーム会社の社員が世界各国から集まってきたのだという。防護服は「写真に写るとかっこいいから着ている」らしい。観光地化は着々と進んでいるようだ。
 

写真10 プリピャチ市内の音楽学校の廃墟。壁面のモザイクは当時最新の技術を導入した同時代のソ連現代美術の傑作で、ソ連の美術の教科書には必ず載っているものだったという。
 

写真11 チェルノブイリ2。アメリカのミサイルを探知するためのOTH(Over the Horizon)レーダー。名前の通り水平線のむこうを観測するもの。冷戦時代、ソ連の威信をかけて作られた建造物は圧倒的。そしてとても美しい。一般客が見学できるようになったのは今年から。
 

写真12 同じくチェルノブイリ2。かご状のものがアンテナ。
 

写真13 チェルノブイリの食堂棟のそば。建設途中で打ち捨てられたチェルノブイリ原発5号機を間近で見ることができた。
 

写真14 昼食後、原発内へ。今回も2号機制御室内を見せていただいた。事故を起こした4号機とまったく同じ作りだと言う。事故当時の状況にたいへん詳しい参加者の方がおり、どのボタンを押したために事故が起こったのかまで確認することができた。ここは現在も仕事の場であり、いわば職場にお邪魔して、特別に見せていただいている状況。事故に関する詳細な解説はここでは行われない。
 

写真15 同じく2号機制御室にて。参加者はめいめいかっこいい写真が取れるポイントを探して記念撮影をしていた。(撮影:山本大輔)
 

写真16 3号機冷却水ポンプ室。前回のツアーでは入ることができなかった。今回は特別にタンク横の階段も上がらせてもらい、間近で見学することができた。美術の文脈で語られるロシア構成主義が、工場建築にどれだけ大きな影響を与えているかがわかる。
 

写真17 建設中の新石棺。高さ108mの、世界一のアーチ状建造物。現在、西側半分の作業がほぼ終わり、東側の建設が行われている。この写真でも屋根の上で作業が行われているのがわかる。あまりに高いため、ゾーン内のあちらこちらから見ることができる。
 

写真18 ディチャトキに住むシロタさんが参加者を自宅に招いてくれた。もともとのスケジュールには入っていなかったが、プリピャチ保存運動を行っているシロタさんのお話を聞く貴重な機会が得られた。このときのインタビューの内容は、次号のメルマガに掲載予定。
 

写真19 次号ではユーロマイダンの跡地をご紹介。こちらは参加者山本大輔氏撮影。ツアーでは主に東浩紀が写真を撮影していたため、東の写真は参加者の方にご提供いただいた。
 

次号もお楽しみに!

(つづく)

撮影(写真16、20を除く):東浩紀、上田洋子

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1974年生まれ。ロシア文学者、ロシア語通訳・翻訳者。博士(文学)。ゲンロン代表。著書に『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β4-1』(調査・監修、ゲンロン)、『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』(共訳、松籟社)、『歌舞伎と革命ロシア』(共編著、森話社)、『プッシー・ライオットの革命』(監修、DU BOOKS)など。展示企画に「メイエルホリドの演劇と生涯:没後70年・復権55年」展(早稲田大学演劇博物館、2010年)など。

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