言葉の力はまだ生きているか? タイ作家・編集者パブリックトーク「沈黙を語る言葉──クーデター期のタイ文学と言論空間」を終えて|福冨渉

初出:2015年08月14日刊行『ゲンロン観光通信 vol.3』

「タイ文学」というのはなかなか難儀な言葉である。一般的な認知の問題からか「タイ」と「文学」のどちらもうまく聞き取ってもらえず、あげく「台湾文学」や「タイ音楽」になったりするので、自己紹介が必要なときはできるだけ「タイという国の言葉、タイ語で書かれた小説を読んでいます」と言っている。

 とはいえ、マイナー言語で書かれた文学としての知名度の低さを特権化して同情を買う気は毛頭ない。このたぐいのエピソードが生まれるのは、別にタイ文学に限ったことではないからだ。あまり知られていないことだが、これまで日本語に翻訳されたタイ文学作品の数は長編・短編・詩を合わせると300を超える★1。この数を多いと見るか少ないと見るかは各人の自由だが、個人的には「思ったより多い」し、「思ったより少ない」。「思ったより多い」喜びをここで表現する紙幅はないが、6,500万の人口に対し6万を超える在タイ邦人数、年間65万人の訪日タイ人数(2014年)、600年の交流史、130年の外交関係、互いに輸出入相手国の上位にあるという事実と照らし合わせると、このアンバランスは確かに「思ったより少ない」。

 

 日本でタイ文学が特に集中的に翻訳されたのは1970~80年代のことだ。日本をとりまくアジア情勢の動向に対する興味関心と、戦後の「地域研究」の拡がりから、新聞社や財団が東南アジア文学の翻訳紹介に対して紙面や助成金を与えるようになった★2。その結果としてタイ文学も、文脈には関係ない一本一本の植物の名前にまで脚注が付されるような、地域研究・社会科学的分析の視点も含めて受容された。

 ただこの状況は日本からの「第三世界の隣人たち」に対するまなざしだけから生まれたものではなかった。作家が社会的・政治的なメッセージを発する公共的知識人の役割を期待されていた、タイ文学の伝統もそこに関わってくる。タイ近代文学の黎明期は1920年代であるとされるが、そこからの90年あまりで未遂も含めて20回程度のクーデターが起きた。政治的不安定の中で、作家の政治参加はある種必然となっていた部分もある。

 それでも1980年代以降の政治状況は比較的安定しており、文学も社会・政治参加型の「生きるための文学」から純文学的傾向にシフトしていった。タイ文学史において現代文学の起点を1980年代におくのはそのためである★3

 そこに再び大きな変化が起きたのは21世紀に入ってからのことだ。2001年のタクシン政権の成立と、2006年の軍事クーデターによる失脚、それを端緒に深化・激化し、多数の死傷者を出すことになった赤服=民主主義・タクシン派と黄服=保守・王党派の派閥対立(無論、現実には二つの派閥の対立という単純な構図では説明しきれない混迷した状況にある)。この時期には、タイ国の刑法112条、いわゆる「王室不敬罪」の恣意的な濫用が目立つようになった。「国王、王妃、王位継承者あるいは摂政を中傷、侮辱しあるいは敵愾心を示す者は3年から15年の禁固刑に処する」という、この極めて曖昧な条文は、保守派の人々が対立者を消し去るための言論統制の道具として、縦横無尽に用いられた。この混乱の中、タイの作家・言論人たちは、不敬罪の改正運動を組織するなど、さまざまな形で再び政治にコミットしていくようになった。冗談のような話だが、この作家たちの運動は「不敬罪の改正運動こそが不敬罪だ」という強烈な反撃にあい、縮小を余儀なくされた★4。個人主義の時代にあると評されていた現代文学においては、ひとりひとりの小さな「声」から画一化、硬直化した規範・価値観・歴史のあらゆる側面を問い直すような物語が多く見られるようになった。

 そしてその混沌の先にあったものが、2014年5月22日の軍事クーデターだった。

 

 前置きがあまりに長くなったが、その渦中にいる人々の声を実際に聴いてみようというのが、2015年7月14日(火)にゲンロンカフェで開催されたパブリックトーク「沈黙を語る言葉:クーデター期のタイ文学と言論空間」の趣旨であった。登壇者は作家のウティット・ヘーマムーンと編集者のアイダー・アルンウォン。司会・通訳は筆者、東京外国語大学大学院の福冨渉が務めた。

 作家ウティット・ヘーマムーンは1975年、タイ中部のサラブリー県に生まれた。2000年頃から短編を発表し、2009年の長編『ラップレー、ケンコーイ』がタイでもっとも著名な文学賞「東南アジア文学賞」を受賞。同年、国際交流基金の招聘を受け、日本国内4都市で講演をおこなった。その後も日本をたびたび訪れ、阿部和重をはじめとする作家やアーティストらとの交流を深めている。『ラップレー…』に始まる自伝的三部作の執筆を終えた彼は、2014年から文芸誌『WRITER(ライター)』の編集長に就任している。

 

ウティット・ヘーマムーン氏の著作『残り香を秘めた京都』。2014年に京都で行われたアーティストワークショップのために書き下ろされ、6人のアーティストたちが作品の印象をもとに映画、絵画、インスタレーションなどの創作を行った。バンコクのチュティ出版社より、タイ-英-日の三ヶ国語版を一冊にして出版された。
 

 いっぽうのアイダー・アルンウォンはタイの有名大学で英文学を学んだのち、編集者・翻訳者の仕事と、人権NGOの活動のあいだを20年ほどにわたって往来していた。そして2008年に「大多数の人を排除することのない批評文化の空気を生み出すという願いをもって」★5雑誌『Aan(アーン[読む])』の発行を開始した。『Aan』には国内外の研究者・批評家による、文化にまつわるあらゆる領域に関する論考が掲載されている。アイダーは同名出版社の編集長も務めており、批評書や詩集を発行している。また近年はアクティビストとしての活動も目立つ。

 現代のタイにおいて文芸誌や批評誌を定期的に発行するのは困難だ。「タイ人の読書量は年間7~8行」という言説がまことしやかに流布するほど、現代のタイは「本を読まない」社会であるといわれ、経済状況も相まって文学や学術関連書籍の売り上げは決して芳しくない★6。『WRITER』は現在タイで定期刊行されている唯一の文芸雑誌で、『Aan』は在野で唯一の人文系学術・批評・思想誌である。

『WRITER』の掲載内容は文学作品、論考・批評に留まらず、毎号設定されたテーマに沿った特集記事に国内外の文学ニュース、作家・編集者へのインタビューなど多岐にわたる。一方の『Aan』は前述の通り、文学・映画・歴史・芸術といった人文学のあらゆる領域に関する論考を掲載している。その上で編集長アイダーの強いリーダーシップのもと、不敬罪に怯むことなく、王室とそれをとりまくあらゆる環境への批評を積極的に続けていた。

 

 それでは2014年5月のクーデターのあと、文学・言論空間の状況はどう変化していったのか?

 ウティットは言う。

「クーデターが起きてしばらくは、国家平和秩序維持評議会(クーデター団)が、毎日毎日、布告を出していた。そのうちの一つに、雑誌や新聞といったメディアに、学者や政治的影響を及ぼす人物へのインタビューを禁止する、というものがあった★7。僕たちが表現することのできる領域がどの程度の広さ・深さなのか分からなくなった」

 そしてまさにそのとき編集を終え、印刷所に送られていた『WRITER』の最新刊26号には、オーストラリア国立大学のタイ政治研究者、Tyrell Haberkornのインタビューが掲載されていた。版の組み直しの手間と時間、倍加する経費を考えてもなお、「安全のために」ウティットはその号の印刷をストップした★8

 同様に『Aan』も明白な影響を受けていた。たとえ王室不敬罪という制限があったとしても、それまでは可能だった批評が、クーデター後には不可能になったとアイダーは言う。

「クーデターによって生まれた軍事独裁政権下で絶対に起きてはならないことは、批評だ。(中略)とても苦しかった。私たちがやるべき形の批評誌を続けられないのであれば、続ける意味はあるのか?

 無事に生き延びることのできるような方法を見つけて生き延びても、それは恥ずべきことだ。軍事独裁政権下で、批評する勇気のない批評誌は単なる飾り物だ。『ほら、ちゃんと批評誌だってあるじゃないか』と、彼らに公正さを与えてしまうことになる」

 クーデター後に発行された『Aan』最新刊の表紙には、「1984年」と「ビッグ・ブラザー」を意識した、黒塗りに白で描かれた「2014」の数字と、見開いた目のイラスト。アイダーは奥付から編集関係者の名前をすべて削除し、その責任と危険を一身に引き受けるため、自らの名前だけを掲載した。その上で彼女は、かつて王室不敬罪で投獄されながらも現代では忘れ去られてしまった作家スワット・ウォーラディロックについての評伝を執筆し、「王室を直接批評する代わりに、関係するすべてに言及した」。

 創作活動の面ではどうだろうか。もともと「政治的・社会的な事象をひらりと避けるような文体と技法」を用いていたウティットは、直接的な影響を受けていないと言う。それでもなお「政治・社会の状況が、作家たちが自ら手に入れた手法や文体の障害となるべきではないし、『これには触れてはいけない、代わりに他のことをやりなさい』というセンサーシップや禁止がなされるべきでもない」。政治へのコミットを「妻に禁止されている」と冗談めかして言いながらも、彼はタイの作家としての誠実さを覗かせる。

「権力は、持ち主の家に勝手に入って来た上で、こちらを犯罪者・泥棒として扱うことができる。(中略)政治はそれほど崇高な理想でもなければ、汚くて触れないものでもない。今僕たちが生きている日々のすべてに関係して、あらゆる職業のすべての領域に関係する。権力はこちらから関わっていかなくても、向こうから関わってくる。どこまでなら大丈夫で、どこからは駄目なのかという線は、権力者が一方的に僕たちの前に引くだけではない。もし向こうがこちらに近づきすぎた時には、こちらから線を引いて伝えなければいけない」

 アイダーもまた、「知識人や学生が社会運動の先頭に必ずいた時代は過ぎ去った」として、作家の政治へのコミットメントの必要そのものは否定する。だが彼女の編集者・批評家としての矜持は、無関心を許しはしない。

「軍事独裁下で自分の考えたことを書くことができないのに何も思わないのであれば、それは恥ずべきことだ。(中略)あらゆる事象に制限のある状況下で、表現によって自らの能力を示していかなければいけない。それは言葉を使って生計を立てる私たちの責務にならざるを得ないし、他の人々が話すことのできない状況下で、その人々の代わりに話すことができれば、それは素晴らしいことだ」

 この意味において今回のイベントのハイライトは、タイ人聴衆からの質問とそれに対するウティットとアイダーの答えであっただろう。

「黄服・保守派の人々が生み出し、赤服・民主派に対して投げかける数々の言葉、『反王室』『赤い水牛』(古くからあるタイ語の慣用表現で「水牛」は「無能・馬鹿」を意味する)『タクシンに買収されたやつら』などは、とても力を持っているように見える。なぜ民主派の作家たちは同様に力をもつ言葉を生み出せないのか?」

 

イベント中のひとコマ。右から順にアイダー・アルンウォン氏、ウティット・ヘーマムーン氏、筆者 撮影=徳山浩太郎
 

 奇妙なことだが、1970年代の民主化運動・学生運動の頃には急進派だった作家・知識人の多くが、今では保守派の急先鋒になってしまっている。アイダーは「彼らは当時の資本(言葉)をハイジャックして、再利用してしまっている。一方民主派の人々は十分な元手を持っていない」と答える。その上で彼女が提唱するのは、1970年代に戻って行くよりも、タイが絶対王政から立憲君主制に変わり、散文文学が生まれ、タイに近代意識の根付いた1932年(立憲革命の発生した年)にいま一度立ち返ることだ。

「私たちはこれまであった言葉を使うことはできない。新しい言葉を生み出して、それを新たな判断と検討の基準にしなければいけない。これがおそらく一部の作家の責務になるだろう。(立憲革命の頃のように)すべての言葉、すべての文化を変化させていく」

 ウティットは現代を「文学とすべての芸術における美学の変化の時期」だと称する。

「作家と読者の慣れが規範化された中に新しい美学が生まれようとしている。変化と自家撞着の社会において、物語の形も変わる。(中略)文学の構造の中に新しいリズムと新しい美学が生まれようとしている」

 本イベントは期せずして、「言葉」への信頼も「言葉の力」も失墜している(とされる)日本において、異なる場所に生きる同時代の人々が新しい「言葉」を探求するさまを語ってもらう形になった。この「言葉」を聴き、未来に向け新たな「言葉」を生み出そうとする人が一人でもいてくれたらいいと、切に願う。

 

イベント当日にはタイ文学の書籍も数多く展示され、来場者は言葉はわからないものの、手にとって文字や造本を興味深げに眺めていた
 

★1「邦訳されたタイ文学作品の作家別目録」宇戸優美子編、『東南アジア文学』13号(2015)、137-111頁。
★2「タイ文学は日本でどのように紹介されてきたか」宇戸清治、同書、6-15頁。
★3「タイ現代文学と知的空間の変転―『生きるため』から『創造』へ」福冨渉、綾部真雄編、『タイを知るための72章』明石書店(2014年)、307-310頁。
★4 運動の中心にいた作家集団セーン・サムヌックのセミナーのようすを以下で読むことができる。今回の登壇者ウティット・ヘーマムーンも参加している。「セミナー『文学における市民』」作家集団セーン・サムヌック/福冨渉訳、『東南アジア文学』12号(2014)、31-84頁。
★5「読むことの重責―アーン(読む)の責務」アイダー・アルンウォン/福冨渉訳、「沈黙を語る言葉:クーデター期のタイ文学と言論空間」配布資料(2015)、5頁。
★6イベント中の質疑応答において、『WRITER』と『Aan』の発行部数についての質問があった。ウティットが編集長に就任した当時の『WRITER』は月4000部の発行だったが、取次との調整の結果その部数を3500、3000と減らしている。『Aan』も同様で、発刊当初は各号4000部(年3~4回刊)だったものが3000になり、次は1500になるかもしれないとのことであった。
★7 2014年7月18日の第97号布告、第2項。「編集者、司会者、マスメディアや、印刷物とテレビ・ラジオ番組の運営者を含むあらゆる人物が、学者である個人や集団(中略、その他もろもろの人物)に、[社会の]対立を深め、[事実を]歪曲し、社会に混乱を生み出し、暴力を導きかねないようなインタビューを実施したり、そのような意見を表明させたりすることを禁止する」
★8 なお筆者はそのインタビューを実施した場所に立ち会っていたが、ひいき目があるとしても、その内容は決して過激なものでも、危険なものでもなかった。
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ふくとみ・しょう/1986年東京生まれ。タイ文学研究者、タイ語翻訳・通訳者。株式会社ゲンロン所属。著書に『タイ現代文学覚書』(風響社)、訳書にプラープダー・ユン『新しい目の旅立ち』(ゲンロン)、ウティット・ヘーマムーン『プラータナー:憑依のポートレート』(河出書房新社)がある。

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