英雄たちの戦歴と雑兵の夢 「新しい伝統をつくる──木ノ下歌舞伎の演劇と革新」を終えて|木ノ下裕一

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初出:2015年9月11日刊行『ゲンロン観光通信 #4』
 先月、8月14日に、ゲンロンカフェにてトークイベントをさせていただいた。3時間にも及ぶ長丁場であり、私にとっては大変有意義な時間であったが、お聞きになられたお客様はさぞクタクタになられたことと思う。しかしながら、ともすれば、若手演劇人の勝手気ままなおしゃべり、いわゆる独りよがりな「寝床」になりかねないこの会が、終始、集中力の途絶えることなく、その熱を持続させることができたのは、ひとえにスピーカーとして児玉竜一先生(早稲田大学文学部教授・演劇博物館副館長)が同席してくださっていたからだろう。ある時は聞き手に徹してくださり、ある時は私のとりとめのない発言をまとめてくださり、またある時は補足してくださる……古典芸能研究の第一人者であり、批評界を牽引されている児玉先生にお付き合いいただくなど畏れ多い話だが、この分不相応な〈相三味線〉あってこそ、私の下手な語りでもなんとか持ち堪えたものと、今更ながら感謝に堪えない。

 
イベント中の様子。筆者(左)と児玉竜一教授(右) 撮影=編集部

 

 トークの前半は、まず私が、挨拶がわりに「木ノ下歌舞伎とは何か?」というテーマで簡単な団体説明と活動紹介をさせていただいたあと、木ノ下と古典芸能との出逢い、その馴れ初めについての話題が主であった。上方落語に血道をあげ、サンタクロースに「米朝落語全集」をねだった小学校低学年時代、大阪の上方演芸資料館(ワッハ上方)に入り浸り警察官に補導された小学校高学年時代、夜行バスを駆使して和歌山⇔東京間を往復しながら歌舞伎座の幕見席に通った中学時代、受験勉強そっちのけで文楽にうつつをぬかしていた高校時代……などなど、けっして人に誇れない武勇伝(?)の数々を、嬉々として語ったわけだが、今考えると我ながら「いい気なものだ……」とあきれ返るしかない。
 休憩を挟んだ後半では、木ノ下歌舞伎の近作を例に取りつつ、〈伝統〉と〈現代〉の接続の仕方について、また、現代の歌舞伎界への提言や、古典の現代性とは何か? といった禅問答のような〈大きな問い〉にまで話が及んだ。といっても、私も児玉先生も関西人であるからして、隙あらば〈笑い〉を差し込みたくなる……ゆえに、内容の〈堅さ〉に反比例するように、その語り口はいよいよ演芸色を強め、くしくも児玉先生の予言通り(ゲンロンカフェウェブサイト掲載の児玉氏の文章中の)「〈裕一・竜一〉の即興漫才」の様を呈した。実に楽しい時間であった。と同時に、要所要所で、笑いに紛れ込ませながら、自分なりに「申しおくべきこと」ははっきり発言したつもりで、少なからず刺激的な内容になったのではないかと自負している。最後に質疑応答があってめでたく打ち出し(多数の興味深い質問を投げかけてくださったお客様に感謝)。この会の様子は、ゲンロンカフェの動画アーカイブとして、また視聴していただける機会もあるやもしれず、もしご興味ありましたら、ぜひ覘いていただきたい。

 

 さて、この会が終わって1ヶ月近く経とうとしているが、あの日のゲンロンカフェでの3時間は、自分にとって、得難い体験であったと改めて思うようになっている。例えるならば、度の合った眼鏡を与えられたように、ところどころぼやけていた周りの景色の、物の輪郭がはっきりと見えるようになり、今、自分が〈何処に居る〉のかがおぼろげに把握できたような、そんな心地がしている。それは、木ノ下歌舞伎という団体が、また木ノ下裕一が何をしようとしているのかを、児玉先生が批評的に隈どってくださったからに他ならない。

 以前、木ノ下歌舞伎の近作『三人吉三』の批評を児玉先生が書いてくださったことがあったが★1、その中に「現代演劇が歌舞伎と刺し違えてきた、数々の戦歴」という言葉が出てくる。私はこの言葉が非常に好きだ。当然のことながら、木ノ下歌舞伎以前にも、「歌舞伎と現代演劇の接合」を考え、古典というものが有している〈現代性〉を取り出そうとした演劇人や演劇運動は数多あった。規模の大小、観客動員数、そして社会への波及力は違えど、伝統を如何に現代演劇の血肉としていくかという命題が共通している以上、それらの〈戦歴〉と、木ノ下歌舞伎の活動とを、一度、比較し、繋げて考えてみる必要がある。いや、そうしないことには、本当のことはわからないといっていいのかもしれない。

 
木ノ下歌舞伎『三人吉三』(2014年初演、写真は2015年再演時のもの)。 撮影=鈴木竜一朗(日光堂)

 
 例えば、鬼才・武智鉄二の、伝統と現代との無謀な橋渡しを試みた演出活動。観世三兄弟(寿夫・榮夫・静夫)らが中心となって伝統の前衛性を見出そうとした冥の会。戦後の新劇が行った歌舞伎戯曲の上演。演出家・加納幸和氏による「ネオかぶき」と銘打たれた花組芝居の作品群。また十八代目中村勘三郎の指揮のもと行われた野田秀樹氏や串田和美氏らによるセンセーショナルな歌舞伎、それらと木ノ下歌舞伎とでは、その志向、テクストの扱い方、伝統との距離のとり方などにどのような差異があり、また何が共通するのか……などを考えてみることで、はじめて、木ノ下歌舞伎の特異性も、伸びしろも、また脆さも、至らなさも、明らかになるのだと思う。

 ゲンロンカフェでは、児玉先生は私の発言を受けて、それを逐一、広大な演劇年表と照らし合わせながら、批評的な分析を加えてくださった。書物や限られたアーカイブの中でしか知りえなかった先人の〈実験〉がリアルに眼前に迫ってくるような興奮と、頭の中が整理されていくような清清しさを感じつつも、同時に「批評のチカラ」の大きさを思い知らされた。元来、〈作り手〉と〈批評家〉の関係性は実に微妙かつ繊細である。それは「つくる側/見る側」という単純な図式をはるかに超越する。ある時は仇同士のように敵対し、またある時は伴侶のように親密でもある。批評家は作品に正当な批判を加え、または叱咤激励し、それが作り手の今後の創作に大きく影響することもあれば、意見が相容れず喧々諤々の論争に発展することだってある。ある時は批評家が、最愛の理解者として作り手に寄り添い、アーティストを世間に広く紹介することだってあるし、批評を通して観客をより深遠な鑑賞に誘う水先案内人としての役割を担うこともある。両者は水と油の如く異なる立場と性質を持ちながら、だからこそ、時に混ざり合うことで、相乗的に芸術活動を進化させていけるのだ。少なくとも、私は、児玉先生の発言を聞きながら、そのことを実感した。

 と、同時に、「お前は、それらの華々しい〈戦歴〉のあとに、何を残そうとしているのだい?」という批評家からの真摯な〈問い〉を突きつけられたように感じた。つまり、「今、あなたが〈何処に居る〉のか、現在地の地図は描いてあげた。で、次に〈何処へ行こう〉としているんだい。そればっかりは誰にもわからない。あなた自身が地図を描いていくしかないのだ」と言われているように感じたのだ。

 なので、この場を借りて、この問いに、現段階での、自分なりの、〈ひとまずの回答〉を述べておきたい。
 木ノ下歌舞伎の特色のひとつは、演出家が作品ごとに変わるということだろう。主宰である私が、演目と演出家を選定し企画を立て、時に外部から演出家を招いてくるという形で創作を続けている。つまり、私が演出家の知的サポート(戯曲の編集作業やドラマトゥルク的な役割)を担いながら、創作に積極的にかかわることで、現代演劇(演出家)と、古典(歌舞伎演目)の仲を取り持ち、伝統と現代の接合点を見出し、両方にとって刺激的な作品に仕上げていくことを目的としている。それらはひとえに、多くの演出家に、自国の〈古典〉に触れてもらいたいという想いからだ。いや〈触れる〉だけでは物足りない。できれば、深く対話し、共通点を見出し、分かり合えたり時に衝突したりしながら、深く〈出逢って〉いただきたい。その出逢い方が深ければ深いほど、真剣であれば真剣なほど、そこで得たこと、思考したことは、現代の演出家にとってかけがいのないものになるのではないかと、思っている。

 なぜなら、〈古典〉と向き合うということは、一種、〈歴史〉と向き合うということでもあり、〈歴史〉と向き合うということは、結局、膨大な過去の集積の果てに〈現在(いま)自分たちの居る場所=現在地〉を改めて発見することにほかならないからだ。また、日本という国の歴史的な文脈を鑑みた上での〈現在地〉を再発見したアーティストが現れれば、それは、伝統と現在との間に大きな断絶のある日本において、大きな力になるのではないだろうか。それは、「〈伝統〉に内在しているポテンシャルを現代のアーティストが引き出すことで、芸術表現が豊かになる」といった舞台芸術の領域の中だけにとどまるものではない。そこから生み出される作品たちが、災害問題やオリンピックに向けた都市開発、地方行政や国の政治、外交など様々な局面で「これまで背負ってきた歴史をどう捉えるか」ということが問われ続けている現代の日本に、大きな示唆を与えることにも繋がるだろう。そのようなことを夢想しながら、そこを目指して、私はこれからも多くのアーティストを巻き込みながら、じっくり対話しながら、作品を作っていきたい。

 演劇史に輝く、数々の英雄たち──。血しぶきをあげながら伝統に斬り込み、差し違え、獲得してきた武功の数々──。成功した革命、失敗に終わった謀反……それらの壮大な〈戦歴〉と比して、今の私などは、ほんの雑兵に過ぎないことなど言うまでもない。だが、雑兵には雑兵の戦い方があるだろうし、なにより、身の丈にあわない、絵空事のような〈夢〉を持っていることが、今の私にとっては大きな支えなのである。

★1 2015年6月18日朝日新聞夕刊 URL= http://digital.asahi.com/articles/DA3S11814421.html

木ノ下裕一

1985年7月4日、和歌山市生まれ。小学校3年生の時、上方落語を聞き衝撃を受けると同時に独学で落語を始め、その後、古典芸能への関心を広げつつ現代の舞台芸術を学ぶ。2006年に古典演目上演の補綴・監修を自らが行う木ノ下歌舞伎を旗揚げ。代表作に『黒塚』『東海道四谷怪談—通し上演—』『三人吉三』『心中天の網島』『義経千本桜—渡海屋・大物浦—』など。渋谷・コクーン歌舞伎『切られの与三』(2018)の補綴を務めるなど、古典芸能に関する執筆、講座など多岐にわたって活動中。2015年に再演した『三人吉三』にて読売演劇大賞2015年上半期作品賞にノミネート。2016年に上演した『勧進帳』の成果に対して、平成28年度文化庁芸術祭新人賞を受賞。平成29年度芸術文化特別奨励制度奨励者。
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