【 #ゲンロン友の声】ベルナール・スティグレールと東浩紀の思想的「対立」について

 5/27のイベントでのスティグレールさんと東さんの対談に関する質問です。あの時「動物」に対するお二人の違いが鮮明に表れていたと感じました。「動物」の存在を一度肯定したうえで、「動物」と「人」が郵便的に弱くつながる世界を構想する東さんに対して、スティグレールさんは「動物」にならないためのメディア環境の構築を訴えていました。西欧の文化/歴史からして「動物」を肯定すること自体を(理解はされても)納得してもらうことはなかなか難しいなと思ってしまいましたが、講演後の飲み会等々でそういった点に関するお話をする機会ってありましたか?(東京都/20代男性/友の会会員)

 ご質問ありがとうございます。飲み会での会話については、國分功一郎さんが流暢なフランス語で納豆の説明をしているところしか記憶になくて……はともかく、いずれにせよ、あのセッションで浮き彫りになった「対立」については、ぼくもとても気にかかっています。ぼくはあそこで、現代社会は人間の秩序と動物の秩序で作られていると述べました。けれどもスティグレール氏は、そもそも秩序を作るのは人間だけだという前提で答えを返してくる。これでは話がすれ違うのは当然です。たまたまですが、前後してぼくは、マッケンジー・ワークという著者の『一般知性』という本(Mckenzie Wark, General Intellects, Verso)を読んでいました。同書ではぼくの仕事が柄谷やジジェクと並び紹介されているのですが、最後の結論として、東はデータベースに着目したまではいいが、そのデータベースを「だれ」が管理しているのか、その視点が欠けていいるのが問題だと批判されている。これはぼくへの批判としてよくあるものなのですが、ぼくはここにも、スティグレール氏との対立と似たものを感じます。ぼくからすれば、いまグローバルに整備されつつあるデータベース=帝国の秩序は、「動物」が作り出す新しい「自然」であり、だれか特定の(それはグーグルでもフェイスブックでもいいですが)人間的な意志に管理されているものではない。帝国の秩序は、人間が作り出したものでありながら、だれの意志をも超えている。だからこそ厄介だとぼくは問題提起したいのですが、スティグレール氏やワーク氏からすれば、帝国を動物的な新たな自然と見なすこと、それそのものが東の倒錯だということになるのでしょう。そしてぼくは最近、これはどうも、ぼくとスティグレール氏やワーク氏個別の対立ではなく、その背景にあるより大きなアジアとヨーロッパ/アメリカの「自然観」の対立を反映しているのかもしれないと思うようになりました。考えたら、ネグリの「帝国」の元ネタはスピノザで、スピノザといえば自然について考えた哲学者だったわけです。そういえば飲み会でも、スティグレール氏に、「ぼくは最近じぶんはアジアの哲学者だと感じる、ぼくのさきほどの話にもアジア的な動物観や自然観が反映していると思う」と話したところまでは覚えています。とはいえ、その返事がなんであったのかもまた、國分さんの流暢すぎるフランス語に呑まれてまったく記憶に残っていません……。(東浩紀)
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1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』(河出書房新社)、『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)ほか多数。

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