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【 #ゲンロン友の声】倫理は可能ですか?

 現在、ケルゼンの純粋法学を勉強しています。法の中に法の根拠を求めようとするのは、ハイデカーが自己の内に、自己の根拠を求めようとしたのと同じだと思いました。西洋哲学というのはキリスト教なき後の倫理を必死で求めようとしているように思います。自然法が死に絶えた後、世は完全に実定法で動くようになり、滅茶苦茶の様相を呈しています。不完全な人間に自己統治は無理なので、超越は召喚されるものだと私は考えるのですが、もはや不可能なのではないかとも考えるようになりました。東さんは倫理は現代に再構築可能だと思われますか?(東京都, 30代男性, 友の会会員)

 お尋ねの問いは、それそのものが転倒していると思います。倫理は可能なのかと問うべきではなく、倫理なんて不可能に決まっているのになぜ人間はそれを求めてしまうのかと問うべきです。ご指摘のとおり、倫理の問題は超越の問題です。そしてそれは不合理の問題でもある。人間が功利主義に基づく機械でしかないならば、倫理はなくてよく、したがって法も神もなくてよいはずです。ひとはみな自分の利益だけを考えればよい。そして自分の利益になるかぎりで社会も作ればよい。経済学者はしばしば現実はそうなっているはずだ、そうなるべきだと考えます。けれども、現実はそうではない。人間は法や神を求めてしまう。本当はそんなものを求めるのは不合理で利益がないはずなのに、求めてしまう。ぼくはむしろ、人間を理解するにはこちらの現実からこそ出発するべきだと思う。つまり人間はそもそも功利主義的な機械ではない。というわけで、倫理はこれからも残るはずです。人間は倫理なしには生きていけない。しかしそれはけっしていい話でもない。それは人間が非合理な存在であることを意味しているからです。というわけで、本当に問うべきなのは、なぜ人間が倫理なしには生きていけないのか、という問いなのです。(東浩紀)
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1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』(河出書房新社)、『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)、『忘却にあらがう』(朝日新聞出版)ほか多数。

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