これは今後、人工知能の発達に伴い、機械のほうからも問題になっていく問いであることでしょう。というわけで、ご質問への答えになります。ぼくたちは哺乳類を殺すのはなんとなく悪いような気がするが、虫や魚を殺すのは平気である、両者のあいだの「倫理的違い」はんなのかというご質問ですが、そんな違いはない、少なくとも論理的には簡単には打ち立てられない、だから困っているというのが倫理学の実情だと思います。それゆえ今回のような話もでてくる。最後にぼくの個人的な考えを言えば、おそらくは「主体」とか「快」とか「苦痛」とかいった概念なるものは、論理的に一貫した基礎付けを与えるのは無理だし、不可能なものなのではないかと思います。それらの概念は、具体的な現場から、ルソーの言葉でいえば「憐れみ」の発動の現場から、遡行的に見いだされるものでしかない。つまりは、「犬は苦痛の主体だから苦しめていけない」のではなく、「犬は苦しめてはいけない気がするので、ぼくたちはそこに遡行的に苦痛の主体を見いだす」というしかないものなのではないか。そこを無理して基礎づけようとすると、じゃあロブスターも主体だろうという話になってくる。まあ、そのような「無理な基礎付け」がぼくたちの共感の範囲を拡張してきた歴史もあるので、それはそれでいいのかもしれないし、件の規定を作った勢力もそこは確信犯的にやっているのかもしれません。あとは、未来の人類が、ロブスターを仲間だと見なすかどうかですね。(東浩紀)
1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』(河出書房新社)、『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)、『忘却にあらがう』(朝日新聞出版)ほか多数。