最近、Twitterで#超算数というタグを見かけました。そこで議論になっているのは、小学生の算数で「足し算や掛け算の順番が逆でバツになる」「正方形を長方形と答えるとバツになる」教え方は適切なのか、ということのようです。私は、学生がすでに交換法則を知っているなど、知識の水準が異なるためにバツになることでくさってしまう学生がいるのであれば、教え方として良くないのではないかと思いました。一方で、算数には、数学的厳密性だけでなく、直観性や、文の意味の理解を養う側面もあるのではないかとも感じました。東さんはたびたび、理系/文系、学際性について発言されていますが、このような議論についてはどうお感じになりますか?(北海道, 30代男性, 友の会会員)
小学校低学年の記憶のひとつとして、当時自宅の前に住んでいた「お兄ちゃん」にマイナスの概念を教わり衝撃を受けたことを覚えています。2から1を引いたら1、では1から2を引いたらマイナス1だと聞いたとき、おおそんな「拡張性」がと(むろんこの言葉は知りませんでしたが)感銘をうけました。なにが言いたいかというと、要はぼくはそういうやつだったので「足し算や掛け算の順番が逆でバツになる」「正方形を長方形と答えるとバツになる」はまったく適切だと思わないということです。これは理系/文系の問題ではなく、教育のコストの問題だと思います。たぶん小学校の先生方は、そこでマルにするのがコストが大きすぎると考えている。超算数と同じく超国語や超社会もありうるでしょう。名探偵コナンではありませんが、「真実はひとつ」にしたほうが児童は管理しやすいのです。実際、ぼくは管理しにくい児童だった。いまぼくは大人になったので、そのことがよくわかります。だから逆にいまは小学校の先生方の苦労に頭が下がります。ぼくには絶対にできない。バツにしたい気持ちはよくわかる。とはいえ、教育の効率性のため知識をねじまげるのは本末転倒ですし、「みなでいっしょに教わった答えを書かないとバツになる」というのでは、学校外の機会で新しい知識を得た児童をすべて排除することになる。先生方にはそこで踏ん張ってほしいと思います。(東浩紀)
1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』(河出書房新社)、『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)、『忘却にあらがう』(朝日新聞出版)ほか多数。