【 #ゲンロン友の声】なぜ哲学ではカタカナ語が使われるのでしょうか?

 最近哲学の分野に興味を持ち始め、イベントを拝見したり、数冊本を読んだりしたのですが、一部の会話や文章の中に外国語の単語(カタカナ語)が挿入されるのは慣習的なものなのでしょうか、それとも意識的なものなのでしょうか?(10代男性, 友の会会員)

 ご質問の意図がわかりかねますが、日本語のなかにはそもそもさまざまな外来語が入っています。質問者さんの文章にある「イベント」もカタカナ語です。そこから推測するに、おそらく質問者さんが聞きたいことは、哲学書などに出てくるカタカナ語が「質問者さんにとって」理解できない言葉が多いのだけど、これはどうしてかということなのだと思います。だとすれば、その問いへの答えは簡単で、それは質問者さんが、哲学にまだあまり慣れていないからです。哲学だろうがなんだろうが、どの分野でも、新しい世界に挑戦すれば耳慣れない言葉が出てくるのはあたりまえのことです。それは漢字のこともあればカタカナ(ヨーロッパ系外国語)のこともある。和語のことすらある。そして、哲学に限らずどの分野でも、専門用語に慣れることでしか成長はありません。というわけで、「こいつらおれのわからない言葉ばっかり使いやがって」とか無意味な怒りをため込むのではなく、新しい言葉については、さくさくと意味を調べ、慣れていくのがよいかと思います。なお、この回答は、「イベント」と「カタカナ」と「ヨーロッパ」以外まったくカタカナは使わず書きましたが、さすがに漢字を使わないわけにはいきませんでした。日本語は(ほんとうは日本語以外も)もともと外国語だらけの言葉なのです。(東浩紀)
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1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』(河出書房新社)、『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)ほか多数。

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