ゲンロンチェルノブイリツアーの開催概要についての動画を拝見した後に韓国映画「タクシードライバー」を見ました。東さんのロシアでのデモ、そこから考えるデモへの意識を理解しようと思うのですが、その中で、東さんが光州事件を記憶に持つ韓国で起こるデモについてどのように考えているのか知りたいと思いました。また、そのような題材がエンターテイメントに対してはどのような意見がありますでしょうか?ツイッターで映画のタイトルも上がっていたので、伺えたらと思いました。(東京都, 30代女性)
デモについての意識ですか……。デモはむろんやっていいし、それなりの効果があると思います。けれど政権を倒すとなるとやはり代償が支払われる。ぼくがその点で考えるのは(ロシアではなく)ウクライナの2013-14年の「ユーロマイダン」で、これは同時期のNYのオキュパイや香港の雨傘革命と似た展開を辿りながらも、途中で政権による介入が入り100人を超える死者が出ました。その結果腐敗政権は倒れたのですが、やはり死者は帰ってこないですし、新しい政権が腐敗していないかといえばどっちもどっちという説があります。それになにより、いまは早くも運動の記憶そのものがウクライナのナショナリズムに取り込まれつつある(これはそのうちゲンロンカフェのイベントで報告しようと思います)。デモは社会を変えるというけれど、変えるには代償が必要だし、また変えたからといってその記憶がずっと社会変革の側のものだとは限らない。そんなことを考えるので、デモ=正義と単純には思いません。光州事件も、いまは現代韓国のアイデンティティの重要な一部で、政権によって民主化運動の起点として高く評価されている。それは名誉回復といえば名誉回復だけど、むろんその背景には政治の変化やカネの動きなどがあるのであり、それをすべて犠牲者や遺族が支持しているかといえばそれはわかりません。朴槿恵を引きずり下ろした最近のデモと光州事件をどこまで直線的に結べるのかどうかも、わかりません。それはいまの韓国ではそのような記憶になっているのでしょうけど、民衆が独裁を繰り返し打破し正義を再起動するというその反復、それそのものが一種のフィクションかもしれない。つらつらとそんなことを考えます。なお、件の映画(ちなみに『タクシードライバー』は邦題では別の映画を指します。『タクシー運転手』ですね)はとてもよい映画だと思いました。むろん歴史的観点からはさまざまなツッコミどころがあるのでしょうが(とはいえぼくは韓国語は読めないので詳細は知りません)、直近の政治的な事件をあえてとりあげ、大衆に歴史の意味を考えさせる作り手の覚悟には、さまざまな点で勇気づけられました。(東浩紀)
1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』(河出書房新社)、『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)、『忘却にあらがう』(朝日新聞出版)ほか多数。