【 #ゲンロン友の声|028 】ルッキズムとどう向きあえばいいでしょうか

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webゲンロン 2023年5月17日配信
どんなときでも、見た目の意識が頭をかすめ、それがきついです。 

現在社会は多様性の社会になり、人種や見た目では安易に人を判断してはいけないよという風潮が広がってきています。 

私ももちろん大賛成で、そういう世の中が広まってほしいと思います。 

しかし一方で、私は最近年を重ねて太ってきて、痩せたいと思っています。健康面は(今のところ)問題ないので、そう思う理由は、痩せてた方が太ってる今よりいいと思ってしまっているからだと思います。人の見た目に対しては多様性と思いながら許容しているのに、自分が太っていることには満足いかない心を内包している、この矛盾している自分の気持ちに嫌気が差しています。 

他人のことについてたくさん許容しているのに自分自身の姿形には許容できない自分に、本当は差別的な意識を持っているんではないかと落ち込みます。 

自分の奥底にルッキズムが沈殿しているかもしれないのですが、対処の仕方を教えて下さい。(愛知県・20代・男性・会員)

 質問ありがとう。20代なのに「最近年を重ねて太ってきて」……。いやいや、年を重ねるというのはぼくのようなことを言い、太っているというのもぼくのようなことを言うのです。ぼくの悲惨な体重を知ってますか? 質問者の方は、そもそも全然心配する必要はないと思いますよ! 

 というわけで、まずは肥満の悩みはまったく必要ないと思うのですが、質問の趣旨はもっと抽象的なことですよね。で、そちらについて答えると、はい、おっしゃることはとてもよくわかります。 

 差別は、差別反対と叫ぶだけで消えるものではありません。ぼくたちはみな差別はよくないという。実際差別しないつもりにもなっている。ところが社会に出ると差別してしまう。それは必ずしも差別意識が深いからではない。差別を内面化しないと逆に差別されてしまうから、差別しないと大人だとみなされないからでもある。これはルッキズムだけでなく、性差別にしろ人種差別にしろ年齢差別にしろ全ての差別について言えることです。ぼくたちは社会があるから差別してしまう。この意味において、厄介なことに、差別とは社会性の別の表現でもあるのです。もし孤島でひとりで住んでいたら、ぼくたちは差別なんていっさい意識せず幸せに生きていけるに違いない。デブだろうがチビだろうがチー牛だろうが、無人島ならおかまいなしです。ひきこもりこそ最強という考えかたには、この点で一理ある。 

 しかし、現実にはぼくたちは社会に出るしかない。差別だらけの世界のなかで生きていくほかない。ルッキズム反対と言われながらも、現実にはイケメンと美人が明らかに優遇されている不公平な世界で生きていくほかないわけです。それでどうするか。じつに難しい問いです。そして結局のところ、ぼくに言えるのも凡庸なことだけです。 

 つまり、イケメンや美人が優遇されている現実についてはもう諦める。恨み節を言っても現実は変わらないし、バカにされるだけなのでなにも言わない。けれどもせめて自分だけは、外見でひとを優遇しないように気をつける。外見でひとを優遇しているひとや、優遇されて調子に乗っているひとがいたら距離を取る。それでもむろん、自分もまた外見で騙されるかもしれない。イケメンだ美人だというだけで優遇してしまうかもしれない。人間はそういうもんです。でも人間は過ちを正すことができる。だから騙されたときには素直に反省する。そして次回に活かす……。(東浩紀)

東浩紀

1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。著書に『存在論的、郵便的』(第21回サントリー学芸賞)、『動物化するポストモダン』、『クォンタム・ファミリーズ』(第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』、『弱いつながり』(紀伊國屋じんぶん大賞2015)、『観光客の哲学』(第71回毎日出版文化賞)、『ゲンロン戦記』、『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』など。
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