SFつながり(3) 五反田の夜を遠くはなれて――ワールドコン・ダブリン報告|櫻木みわ

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初出:2019年11月22日刊行『ゲンロンβ43』

 2016年4月21日、私は五反田のゲンロンカフェに向かう電車のなかにいた。スマホでツイッターを開き、「#SF創作講座」というハッシュタグが付いたツイートを読んでいく。カフェに着いた、SFっぽい音楽がかかってる、すこし遅れます、よろしくお願いしますー。心臓が、ドキドキしていた。2019年現在盛況のうちに第4期を迎えている「ゲンロン 大森望 SF創作講座」が始動した日、第1期の初めての講義の日だった。初回講師は、主任の大森望さん、ゲンロン代表(当時)の東浩紀さん、東京創元社の小浜徹也さんだった。

 その春の夜、ゲンロンカフェでかかっていた「SFっぽい音楽」がどんなだったのかは思い出せない。けれど、日付が変わり、深夜0時半をまわり、最終電車の時間が過ぎても講評が続き、教室にものすごい熱気と緊張がみなぎっていたことは、はっきりと覚えている。

 SF創作講座の開始はニュースだったと思う。講師がそうそうたる作家陣と第一線で活躍する現役の編集者たちであることも、受講生が毎月サイトに梗概(あらすじ)や実作を公開し、作品を講評してもらう権利を競うというシステムも、最終課題で優勝した受講生はデビュー確約という文言も、すべてが画期的だった。「これからなにが始まるのか」という期待と予感と緊張が、みんなのあいだを電流みたいにビリビリ流れていた。講師の先生方も受講生も、いきいきとしていた。

 その同じ教室には、この「SFつながり」の第1回目を書いた名倉編くん(2018年メフィスト賞を受賞)、2回目を担当したアマサワトキオくん(2018年ゲンロンSF新人賞、2019年創元SF短編賞を受賞)もいた。

 第1回のテーマは日本SFの歴史についてで、SFの素養が皆無だった私にとって、初回の講義は初めて聞く単語の連続だった。なかで最も印象に残っているのは「SFファンダム」という言葉で、たしか口にしたのは東浩紀さんだった。「SFファンダムがあることが、SFがほかの分野とちがうところで、財産なのだ」という意図のことを、東さんはおっしゃったと思う。

 そのときにはわからなかった東さんのそのお話の意味が、それから3年を経て、SF新参者の私にも、すこしずつ実感として感じられるようになった。講座が修了してから(講座の最中はとてもそんな余裕はなかった!)、いくつかのSFファンダムの集いに参加した。京都で開かれる「京フェス」、島根を舞台にした「雲魂」、毎年場所を変えておこなわれる「はるこん」に、「日本SF大会」。どの集いにも歴史があり、旧くから続く交流があり、あたらしいひとたちの登場がある。書き手も読者も関係なく、膝をつきあわせて交流する場が、愛情と努力をもって維持されている。そのことが、肌で感じられた。さまざまな土地に、旅と見学を兼ねた気持ちで出かけられるのも、たのしいことだった。

 この夏、私は「世界SF大会」に参加することに決めた。The World Science Fiction Convention、略して「ワールドコン」と呼ばれ、各国のSFファンダムが一堂に会する。1939年に始まり、(第二次世界大戦中の4年間をのぞいて)毎年開かれている。77回目を迎える今年の開催地はアイルランドの首都、ダブリンだった。私は長いあいだ欧州に行っておらず、ブリテン諸島には降りたったことすらない。この機会に行かなければ、一生行くことはないかもしれないと思った。8月15日から19日という開催期間も、折よく会社の夏休みとかさなった。
 とはいえ自分ひとりだったら、参加を思いつくことすらなかっただろう。SF創作講座の講師でもある藤井太洋さんがここ数年つづけて出席なさっていること、講座生仲間の高橋文樹さんと麦原遼さんも渡航を検討していることで、自分も見学できるかもしれないと考えたのだ。藤井さんに相談すると、「ゲンロン組も来るの!」とよろこんでくださった。さっそく藤井さんが作ってくださったSlackのグループページで、みなで指南を受けた。

 宿や飛行機の手配はさておいても、公式サイトで登録手続きと支払いをしてIDを確保すること。英文で、自分のプロフィールと作品のシノプシスを用意しておくこと。パネルに登壇したい場合のアプライの方法から、好きな作品や話題作の英訳タイトルを確認しておくと雑談の際にスムースであるといったことまで、藤井さんの経験にもとづく実践的なアドバイスを伝授していただいた。(村上春樹は海外SFファンダムの間でも人気が高く、彼の作品の多くがSFとみなされているため、「ムラカミの作品のなかでどれがすき?」という質問もよくされる、というのもこのとき教えてもらい、私は英訳をしらべてアプリにメモした。“The Wind-Up Bird Chronicle”)。

 ダブリンはきれいな街だった。ひろびろとした道路には2階建てバスと路面電車のまあたらしい車両が走り、街の東西に流れるリフィー川沿いには、ケルト文化の意匠をのこした石造りの教会も、イギリス統治時代を思わせる建造物も、モダンなデザインのオフィスビルも、整然とならんでいる。そのリフィー川の河口に、世界SF大会の会場のコンベンションセンターはあった。円柱形の巨大なガラス瓶を、口を下にしてかたむけたような造形の近代的な建物で、複数の建築賞を受賞しているらしい。ガラスの円筒は、昼は空と川を映して澄んだ青色にかがやき、日が沈むととりどりの派手なライトに彩られる。眼前に停泊している船はカフェバーになっていて、ウィスキーを注いだアイリッシュ・コーヒーや、ギネスビールを出している。すぐ側に架かる橋はアイルランドの文化にとって重要な楽器、ハープの弦を象っており、国の劇作家ベケットにちなんでサミュエル・ベケット橋と名づけられている。

リフィー川対岸から臨んだコンベンションセンター・ダブリン(左)


 私たちは、この橋をわたってすぐの、アイルランド最大の劇場やフェイスブックの社屋などを擁する再開発地区の大きな家に、4人でルームシェアをして滞在した。藤井さんがAirbnbでみつけてくれた瀟洒なマンションで、宿泊先にキッチンがあると長期滞在の快適度が格段に増す、というこれも藤井さん直伝のtipsにならい、ひろびろとした最新式のキッチンが付いていた。この教えもまた正しかったのだけど、告白および懺悔をすると、毎朝、目を瞠る手際のよさで、ビーツとフムスをはさんだホットサンドやバターを落としたチーズ入りオムレツ、ボリューム満点のパスタなどを作ってふるまってくださったのはもっぱら藤井さんであり、元受講生3人は、食器を食洗機にはこぶとか、日中にスーパーで買いだしをするとかいったわずかな労力だけで、このすばらしい朝食のご相伴にあずかっていたのだった。
 まいにちあるいて川をわたり、コンベンションセンターに通った。ワールドコンでは、会期中かぞえきれない数の企画が開催されている。多種多様なテーマでさまざまな登壇者によっておこなわれるパネルディスカッションに、コーヒークラッチ(Kaffeeklastch)という著者をかこんでの座談会(日本SF大会での「小さなお茶会」に相当する)、講演会、朗読会、サイン会などのほかに、コンサートやワークショップ、各国のファンダムが主宰するパーティーも開かれる。ディーラーズルームでは展示や物品販売があり、ゲーム会場ではゲーム大会が繰りひろげられ、アルコールを飲みながらひといきつける洒落たバーコーナーも用意されている。大会のハイライトには「ヒューゴー賞」の発表と授賞式のセレモニーがありと、とにかく盛りだくさんなのだ。藤井さんは数々のパネルに登壇なさり、朗読会とサイン会、コーヒークラッチにも出演されていた。私はそのいくつかを見学し、最後は麦原遼さんが東京創元社の石亀航さんらと共に登壇した「未翻訳SF」についてのパネルを聴講した。

藤井さんをかこんでのコーヒークラッチ。参加者からは、「英訳されたことで、作品について気がついたことはありますか?」など興味深い質問も


 いろいろな国の、いろいろなひとと会った。ルーマニアのSF専門のポッドキャスト番組に招かれて、高橋文樹さんと「ゲンロンSF創作講座」や、その卒業生で続けている講座を応援するポッドキャスト「ダールグレンラジオ」について話をした。藤井さんから、韓国の若手作家YKユーンさんを紹介していただいて、アジアのSF作家たちが立ちあげ、始動しようとしている「アジア・サイエンスフィクション・アソシエーション」(ASFA)を手伝わせてもらうことにもなった。『三体』の著者、劉慈欽さんが代表をつとめ、藤井さんが日本代表を担っているこの会のために、高橋さんはさっそくこの秋、藤井さんとソウルに飛んだ。

 私は英語がじょうずでないから、自分がネイティヴのように英語を理解することができたら、と思うことが何度もあった。そうしたら、パネルの議論もヒューゴー賞のスピーチも人びとのお話も、100倍たのしみ、学ぶことができただろう。それでも、胸にのこる出会いもあった。

今年のヒューゴー賞受賞者は大半が女性だった。最優秀長編賞を受賞した“The Calculating Stars”は女性宇宙飛行士が主人公のシリーズ第1作。NASAの宇宙飛行士ジャネット・エプスさんが、プレゼンテーションに立った


 その人は、オスカーさんといった。オランダ人で、ダブリンの大会ではボランティアスタッフをしていた。年のころは50代、肩に届きそうなふわふわした金髪をひとつに縛り、笑うと深い皺が寄るやさしそうな目をしていた。みずうみのある小さな村で暮らしていた子どものころ、アシモフやトールキンの小説に出会い、夢中になった。それをみていた親友の父親が、大量のSFコレクションを譲ってくれたことから、熱心なSF読者になったそうだ。ワールドコンには、1990年のオランダ・ハーグでの大会から10回近く、ヨーロッパの国々で開催するユーロコンにも、毎年のように参加してきた。
 だが、数年前、元気だった母親が脳梗塞で倒れ、自身も肺に大病を患った。気持ちが塞いで家から出られないでいたのだが、「今年は来なさい!」というボランティア仲間の女性からの命でダブリンにやって来た。あなたの分の参加費はもう払った、と女性はいったのだそうだ。だからとにかくいらっしゃいと。来てよかった、とオスカーさんはいった。

「彼女とはずっとむかし、わかいころにワールドコンで出会って、パートナーだった時期もある。ワールドコンが終わって5日後に、彼女が自分の住んでいたスコットランドから、私のいるオランダに引っ越して来たんだ。7年一緒に暮らしてわかれたけれど、いまもいちばん大事な友だちだよ」

 カモメが飛びかうリフィー川沿いを、白鳥たちがしずかに浮かぶ運河のほとりを、ひとりで、みなで、たくさんあるいた。この日も、オスカーさんとわかれたあと、カフェにいるみなに合流するために川をみながら橋を渡った。オスカーさんのお話は、最近自分が考えていた、年をとることのさみしさに、希望に近いなにかを与えてくれるものだった。年をとることは、わかれと喪失を容赦なく経験しつづけることだけれど、それだけではない、それを経たからこそみることができるかがやき、得ることができる恩寵もまた、あるのではないか。そういうことを、私は感じたのだと思う。そしてそれは、このワールドコンのあいだ、本当にほがらかに、エネルギッシュに活動され、元受講生3人の世界をひろげようとしてくださった藤井太洋さんをみていても、講座で出会った人たちとこうしてダブリンにやって来て、あたらしいことを学んでいる時間そのものにも、宿っている。私は、ゲンロンカフェと、ゲンロンSF創作講座のことを考えた。そのふたつが自分にもたらしてくれた、いくつかの大きな出来事と、少なくない大切な出会いについて考えた。3年前の五反田のあの夜が、自分を、京都に、島根に、ダブリンに連れてきてくれたのだと思った。

ベケットらが学んだアイルランド最古の大学、トリニティ・カレッジの図書館




※ワールドコン・ダブリンについては、大澤博隆さんと藤井太洋さんの詳細なレポートが「日本SF作家クラブ通信」で読めます。また、SF創作講座の卒業生有志の同人誌、「Sci-Fire」のサイトでも報告しています。高橋文樹さんのヒューゴー賞レポートから始まるシリーズ、麦原遼さんによる知的かつ率直なジェンダー考など、各自の筆が冴えています。

「Sci-Fire」の最新刊(11月24日の文学フリマで販売予定)には、第一回ゲンロンSF新人賞を受賞した高木刑くんの待望の新作「おはよう、ラザロ」が掲載されます。私は本レポートにも出てくるワールドコンで出会った韓国の女性作家、YKユーンさんの英訳作品を日本語訳させてもらいました。生きること、老いることについて考えさせられる時間SF「三種の時間」、たいへんおもしろかった。こちらもぜひ。

写真提供、キャプション=櫻木みわ

櫻木みわ

福岡県生まれ。新聞社契約社員。大学卒業後、タイの現地出版社に勤務。日本語フリーペーパーの編集長を務める。帰国後、ゲンロン 大森望SF創作講座第1期を受講。講座提出作が編集者の目にとまり、2018年12月、提出作を改稿した作品集『うつくしい繭』(講談社)でデビュー。近作に「米と苺」(書肆侃侃房『たべるのがおそい』vol.7)「海の双翼」(早川書房『アステリズムに花束を』、麦原遼氏と共作)。 写真提供:講談社(撮影:大坪尚人、ヘア&メイク:KOMAKI)
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