イスラエルの日常、ときどき非日常(4) 共通体験としての兵役(3)|山森みか

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初出:2022年3月28日刊行『ゲンロンβ71』
 前回までは、現在のイスラエル国に住んでいる人々には、宗教的伝統や文化を基盤とした様々な集団(宗教的ユダヤ人、世俗的ユダヤ人、アラブ人キリスト教徒、アラブ人イスラム教徒、ベドウィン、ドゥルーズ教徒、父親や祖父母がユダヤ人でも母親がユダヤ人でないため非ユダヤ人と見なされる人々)が存在することを紹介してきた。そして、18歳から男女共に課される徴兵制が、これらの異なるグループに属する人々をイスラエル国民として結びつける役割をしばしば果たしていることを述べてきた。

 イスラエルの徴兵制度では、男女とも18歳になれば誰もが一兵卒から始めなければならない。また兵役期間が終わった後も完全除隊になるまでは、定期的あるいは緊急の予備役召集に応じる義務がある。これらの特徴が、兵役経験を持つ人々の紐帯を強化しているのかもしれない。たとえば、前回述べたとおり、2021年の東京オリンピックの男子体操競技(種目別ゆか)で金メダルを獲得したドルゴピャト選手は、ウクライナ生まれで子どもの時に移民してきた非ユダヤ人(父ユダヤ人、母非ユダヤ人)だが、兵役経験のあるヘブライ語話者である。彼は非ユダヤ人なのでイスラエル国内では宗教法上結婚できないことが大きく報道され、イスラエル国民は、その不当な事態に義憤を示した。それに対してアメリカで生まれ育ち、英語しか話さないユダヤ人を中心に構成されていた野球チームに対する視線は、かなり冷ややかだったのである。

 とはいえ、イスラエル国内に住むイスラエル国民であっても兵役を課されない人々(ユダヤ教超正統派やアラブ人)がいる。また兵役を課されてはいても、様々な理由及び方策でそれを回避する人たちもいる。私の子どもたちは、母である私がユダヤ人でないため内務省には非ユダヤ人のイスラエル国民と登録されているが、徴兵の対象である。実際に兵役に就くのは満18歳になってからだが、どの部署に配属されるかを決める過程は16歳半ばで始まる。進学や就職は兵役が終わってからになるので、兵役年齢の若者にとって、軍はある種の教育機関という側面もある。軍でどの部署に配属され、どんな仕事をしたかが、その後の人生にとって大きな意味を持つことも多いため、最初の出頭命令が来てから入隊するまでの配属決定プロセスは、受験や就職活動のような性格も帯びている。

 1988年生まれの息子に最初の出頭命令の手紙が来たのは2004年のことであった。

最初の出頭命令から入隊まで


 以下の記述はあくまで当時のことであり、また当事者ではない私の記憶で書いているので、今もこのとおりに物事が進んでいるとは限らないことをお断りしておく。私が今ここである程度のことを書いているのは、私の子どもたち2人が既に予備役のリストからも除隊済みだからである。私の意図は、イスラエルの徴兵制を正当化あるいは批判することにはなく、徴兵制とはどういうものかについて自分自身の思考を進めると同時に、日本の読者が具体的に考えられるような手掛かりを提供することにある。従って、以下は私個人が感じ、考えたことの記録として読んでいただきたい。

 



 イスラエル国防軍から手紙が届いた後、初めての出頭の時には、まず1日かけて筆記試験が行われる。イスラエルではすべての国民と永住権保持者にIDナンバーが与えられており、良くも悪くも国が個人のあらゆる情報を一括管理している。そのIDナンバーは、医療保険、銀行、税務署、学校、職場等のあらゆる場所で用いられ、特に非公開というわけでもない。私が勤務する大学でも、成績を出す時は氏名ではなくIDナンバーと点数を記すシステムである。つまり軍は、イスラエル国内の若者の非行犯罪歴はもとより、中学高校の成績なども、その気になれば把握できる。

 それでも入営前には軍独自の筆記試験が行われ、その後は個人面談や各種適性検査の過程に移行する。個人面談は長時間に及び、家族構成や家の造り(寝室は何部屋あるか)、友人関係なども詳しく尋ねられるらしい。武器を扱う場所に行くわけだから、新兵が心理的に安定しているかも見きわめなければならないだろう。自分が希望する部署に行くためには面接をうまくこなさなければならない。だが、長時間のインタビューが何度か、日をあらため、また方式を変えながら行われており、付け焼刃の受け答えでは通用しない方式が採られているようだ。

 同時に、徴兵される側からも行きたい部署の希望などを出す。しかし、試験や面接が進んでいくと、いずれかの時点で、軍のいくつかの部署が「あなた、うちに来ませんか」とピンポイントで言ってくる。なかでも最初に指名権があるのは、パイロット養成コースと情報部だとされている。だが、指名勧誘されたからといって、その部署に行けると決まったわけではなく、その後何段階もの振り分け選抜が待っている。また指名されてもその道に進まなければならないということはなく、断ることもできる。ただし断ったからといって、自分が希望する別の部署に必ずしも入れるわけではなく、不本意な部署に配属されることもある。

 うちの息子の場合は、筆記試験と最初の面談の後、まずパイロット養成コースから通知が来た。息子は高校ではロボット工学を専攻しており★1、スポーツも走り高跳びで賞をもらったりしていたので、この時はまあそういうこともあろうかという気持ちと、まさか、という気持ちの両方を自分が抱いたのを覚えている。当時16歳の本人にしてみれば、自分の能力が総合的に評価されたということなので、さほど悪い気はしなかったのではないだろうか。だがそちらの道は、小児喘息の既往症があったのですぐに閉ざされ、前線に行く戦闘部隊に進まずにすんで私としてはほっとした。軍では入隊前の身体検査の時にメディカル・プロフィールという数値が決められるのだが、エリート戦闘部隊に入るためには97という高い値が求められる。喘息の既往症があるとプロフィールは70点台に下がるのだった★2

 次に勧誘が来たのは情報部からだった。プロフィールが70点台となると、希望できる部署はある程度限られてくる。息子は、どうせ兵役で3年間を過ごすのであれば、単なる事務仕事よりは情報部の方が多少は興味深い仕事ができるのではないかという考えのもと、情報部からの勧誘に応じることにした。ちなみに高校で同じくロボット工学を専攻していた息子の同級生(男子)たちの多くは、まず軍から大学に派遣されて理系の学位を取り(学費免除)、その後数年軍に務める道を選んでいた。彼らの家庭はさほど経済的に余裕がないようには見えなかったので、やむにやまれずというより、彼らなりの人生設計だろうと思われた。

 



 他の部署の場合がどうであるかはよく分からないが、情報部に進むとなるとセキュリティ・チェックがたいへんだった。本人の資質のみならず、家族に「危険人物」がいないかどうかが確かめられるのである。まず、親族や学校の教師以外が書いた本人への推薦状が複数求められた。書き手も誰でもいいというわけではなく、それなりに社会的信用がある人の方がいいのだろうと推測された。この推薦状は、お隣に住む心理カウンセラーなどにお願いした。本人の親やきょうだい、親族が兵役忌避者かどうかも見られるという話だったが、夫の親族はたまたま皆兵役に就くタイプの人たちだった。本人の祖父母の経歴や職業も説明しなければならなかった。つまり私の両親の経歴を詳しく書いた。そのような書類の提出に始まり、それから約一年のあいだ何度も行われた面接や適性検査などの段階を経て、どうやら情報部に行くらしいということになった。

 両親あるいはどちらかの親がイスラエル国籍を取得していない外国人(非ユダヤ人)だと情報部選抜は難しいという話も聞いたが、私はイスラエルの国立大学に勤めていたためか、特に問題視はされなかったようだ。もちろん私は国家の安全を脅かすような思想も抱いていないし、そういう活動にも今まで関わって来なかったのだが、非ユダヤ人の外国人だということがまったく問題視されないとなると、それはそれで少し複雑な気持ちでもあった。

 私のこの複雑な感情の背後には、平和を愛するまともな人間ならば徴兵制などという野蛮な制度には反対して然るべきだという日本で育まれた感覚がある。すなわち特に何も言明していないのに、兵役を忌避していない人のカテゴリーに自分が知らないうちに分類されたことへの違和感である。

 だがイスラエルにおいては日本とは異なり、いわゆるリベラル派知識人や左派とされる政治家であっても、必ずしも徴兵制に反対しているわけではない。イスラエル建国の父の1人とされノーベル平和賞を受けた故シモン・ペレスは軍歴が乏しいとよく言われるが、それでも現イスラエル国防軍の前身であるハガナーで武器調達の任務に就いていた。極右ユダヤ人の凶弾に斃れた故イツハク・ラビン(ペレスと同じくノーベル平和賞受賞者)やエフード・バラック(いずれも左派の労働党首として首相職にあった)には、輝かしい軍歴がある。常に戦時体制にある国イスラエルにおいては、その拠って立つ政治信念がどうであれ、軍のことが分かっていない政治家には国を任せられないという感覚が共有されている。以前も述べたとおり、徴兵を拒否しているのはユダヤ教超正統派の人々であり、彼らは政治的には保守派、右派に分類されるのである。

 



 ところで、イスラエル政府は私の個人情報をどのくらい持っているのだろうか。勤務先の国立大学に記録されている情報には、政府も軍も自由にアクセスできるだろう。兵役前の個人面談で両親の趣味を聞かれた息子が、「うちの母親の趣味は携帯ゲーム機でファイナルファンタジーをやること」と答えた際、同年代の面接官に「いいなあ、うちの母親もそのぐらいゲームの面白さを分かってくれたらなあ」と言われたらしいが、この情報もどこかに記録されているのかもしれない。エルサレムにある国立図書館のカタログを検索していて、偶然、私の日本語の著作『乳と蜜の流れる地から──非日常の国イスラエルの日常生活』(新教出版社、2002年)が、寄贈した覚えもないのに所蔵されているのを知った時には驚いた。

 その書籍と、軍に入ろうとしている息子の母としての私が結びつけられているかと言えば、多分その可能性は低いだろう。だがなぜそれほど驚いたかと言えば、私の学部生時代に、指導教授がイスラエルに聖地旅行に行った際、ここはひとつ自分の著作を置いてこようかと思って国立図書館まで出かけたら、既に所蔵されていることが分かってびっくりしたという話を聞いていたからである(『古代イスラエルとその周辺』並木浩一、新地書房、1979年)。この国の人たちは書名に「イスラエル(isuraeru)」がついていたら、それがカタカナで表記されていようが発行された場所が日本であろうが国の予算で購入して自国に送り、それを国立図書館で永久保存するのか。

 つづけて「ユダヤ(yudaya)」でも検索をかけてみると、日本で出版されてきたユダヤ陰謀論関連書籍も所蔵されていることが分かった。これらの書が日本の図書館から駆逐される日がいつか来たとしても、イスラエル国立図書館には資料として所蔵され続けるわけである。自民族についての記録を保存することに向けられたこの固い意志はどこから来るのだろうか★3

 



 情報部に行くということは、実際に入営するまで公には伏せておかなければならないらしい。また、情報部のどの部署で具体的に何をするかは、本人は知っていても家族にすら言えないそうだ。とにもかくにも行き先が決まったようで、とりあえず一区切りついた。なかには最後まで行き先が決まらないまま入営する人もいるという。いずれにせよ、配属先の部署が実際に気に入るかどうかも、同僚や上官がどんな人なのかも分からないまま入隊を待つ若者たちは、残された高校生活を楽しむ以外、もはやすべきことはないのであった。

入隊後の生活


 軍では年に何度か新兵の入営時期がある。その日には新兵たちが集められることになっている指定の場所まで家族が送って行くのが恒例である。持ち物は事前に指定された下着類や洗面道具だが、2006年に息子が入隊した時には、携帯電話も必ず持っていくことになっていた。まだ持っていない人の場合は、軍が一括して携帯電話会社と契約する。その頃には軍の内部連絡や命令系統も、携帯電話を通じたものに移行していたのである。男性の場合は髪を丸刈りにしておかなければならない。息子は伸ばして後ろで結んでいた髪を、近所の理髪店を通して小児がんの子どもたちのためにウィッグを作って配布している団体に寄付した。女性の長い髪は結べばよいという規定であった。

 



 新兵はいったん中に入ってしまうとブートキャンプに移行するので、次はいつ出て来られるか分からない。ブートキャンプは、その後配属される部署によって期間の長さや内容が異なるようで、戦闘部隊は3か月、情報部だと1、2か月ということだった。その後は各部署での教育期間が数か月続く。情報部の場合だと、早朝から深夜まで続くたいへんな量の勉強と試験があるらしい。教材は教室の外には持ち出せないので、その場で覚えねばならず、しかも試験に通らなければ外に出られないという話を聞いたことがある。もともとそういう仕事に向いている人たちを選んでいても、教育課程のあいだに脱落する人もいるという。なお、戦闘部隊の場合は、それはそれで厳しい訓練があるのだろう。

 息子の場合は、短めのブートキャンプ、数か月の教育期間の後、イスラエル南部の基地で本来の任務に就いた。すると生活は規則的になり、2週間に1度の週末(木曜から日曜)が休みで、帰宅するというリズムになった。これは部署によって異なり、毎日自宅から通う場合もあるので、一概には言えない。

 私は日本育ちなので最初勝手が分からなかったのだが、とにかく家族の務めは兵役に就いている子どもを徹底的にサポートすることだと徐々に理解した。まず重要なのは洗濯である。基地でも洗濯物を出して戻ってくるサービスがいちおうあることになっているらしいが、実質的には機能していないようで、帰宅時に出される洗濯物は何があっても日曜朝までに洗って乾かすのが私のミッションになった。

 次に金銭的サポートである。軍から毎月支給される給与は少額で、戦闘部隊の場合は多少上乗せがあるとはいえ、間食費で消える程度であった(今は多少改善されたらしい)。2週間に1度帰宅したら、気分転換に高校時代の友だちに会って映画や食事、パブなどに行きたいのは人情であり、そういう費用も親が負担することが前提とされていた★4

 この様子を見て、なぜ入隊前の配属部署を決めるインタビューで、住んでいる家の部屋数や親の社会的経済的地位が調べられるのかが、少し腑に落ちた。同じ能力を持った若者が2人いた場合、家に余裕があって安定している方が難関とされる部署に採用されやすい。その理由は、休暇を過ごすために家に戻った時、自室がなくてよく休めなかったり、うまく気分転換できなかったりすると、極度の緊張を強いられる重要な任務の時の判断力やパフォーマンスが落ちる可能性があるからだと言うのである。私としては、それは高校生の若者にとっては自分ではどうしようもない生育環境を根拠にした差別であり、受け入れがたい。だが、いくら美しい平等原則に則っていても実戦で負けたら国が滅びるという論理が、ここでも貫かれているのだった。

 
週末前の木曜の夜の通勤列車、銃を持った兵士もラップトップを開く人も家路を急ぐ。基地を離れるにあたって、銃は絶対に盗まれたり奪われたりしてはならず、肌身離さず身に着けておかなければならない。

 
 何らかの理由で週末に帰宅できないことが続くと、家族の方から基地に会いに行く場合もある。基地の内部には入れないが、門の外には公園のようなスペースが設けられており、そこで飲食できる。

 家族が軍の基地を訪れる際は、自分の子どもの分だけでなく、同室や同僚の兵士たちにも行きわたるよう差し入れを持っていくのが鉄則である。若い兵士にはとにかく飲食物を差し入れる、という精神はイスラエルでは行きわたっている。2014年のガザ戦の時は、一般の人から基地への差し入れが多すぎて、周辺の福祉施設に配っても配り切れず、ついに処理に困った軍の広報が「お願いだからこれ以上食べ物を持って来ないでほしい」と声明を出したほどである。スーパーで軍服を来た兵士たちが食物をカートに入れてレジに並んでいたら、見ず知らずの買い物客が自分の分と一緒に支払ってくれたとか、カフェでたまたま隣のテーブルにいたビジネスマンが兵士グループの分ももってくれたとか、その日初めて乗せた兵士は無料にすることに決めているタクシードライバーなどの話は、日常でもよく耳にする。このような共同体をあげての若い兵士へのサポートは、自分もかつて兵士であった人々が、当時の苦労を思い出し、あるいは自分の子どもや孫たちが同じ道を通ることをかんがみてなされるのだろう。それはたいへんうるわしく、共同体のあるべき姿である。私も自分の子どもが見知らぬ人からサポートされたら嬉しい。だがそれはまた、その感覚を共有しない人にとっては「入っていけない世界」に見えるだろう。

 それ以外にも、子どもが兵役に就いているあいだは、両親あるいは成人しているきょうだいの誰か1人は常に国内の連絡が取れる場所にいた方がいいとか、軍服を来た2人組が沈痛な面持ちで自宅ドアの前に立っていた時は、たいへん悪い知らせだとか(兵士の死亡通知はメディアで報道される前に、軍から派遣された人が必ず対面で告げることになっている)、部外者には知るのが難しいがイスラエル社会では暗黙の了解となっている事項も分かってきた。部署で具体的にどんな仕事をしているか聞いてはいけないこと、聞いても話がそらされるその間合い、軍服につけられる階級章や帽子の色の意味、軍服には外出や儀礼出席用のA装(ポリエステル製でアイロンがけが必要)と、普段の勤務用のB装(コットン製でアイロン不要)があること等も知ることができた。

 



 息子が軍で具体的に何をしていたかの詳細は分からないが、女性兵士も多い部署なのでいわゆる「体育会」的な空気はなく、部屋には前任者が残していったプレイステーションがあって、オフの時はゲームをしたりDVDで映画を見たりして過ごしているのは分かった。時々家に遊びに来た同僚の兵士たちも似たような雰囲気だった。通常任務になってからも教育課程は続き、士官コースを目指す人はそちらの道に行くのだが、自分の部署とは直接関連しないことを学べるシステムもあった。息子はスポーツジムのインストラクター養成コースで学び、その後は基地併設のジムでその知識を生かして通常任務以外の活動もしたらしい。また当時大阪に住んでいた祖父(つまり私の父)が病気だったので、兵役期間中でも大阪まで会いに行くことを許可された。大きく言って、息子の場合はまずまず平穏に約三年の兵役期間を終えることができた。

 息子の兵役期間を通じて私が考えたのは、次のようなことである。兵役を義務とするメリットの1つは、息子のような、特に兵役に就きたいわけではないが積極的に兵役忌避をするほどの強い意志はない人々をリクルートできることだろう。多大な情熱を持って入隊してくる人は、入隊後に自分が思い描いた理想と現実が乖離していることが分かった時点で、往々にして急速にやる気を失ったり反感を抱いたりする。だがさほど情熱を持もたずに来た人は、少し距離を置いた場所から物事を見て冷静に仕事をすることができる。軍に部署の希望を出した人の場合でも、第1志望よりも、第2志望あたりにリクルートされることが多いという話も聞く。完全志願制にすると、この「距離を置いて物事を見られる層」がとりこぼされる恐れがある。

 兵役を終えるにあたって、息子に「兵役で何が一番身についた?」と聞いたら「自分が『これは違う、不当だ』と思ったら、誰に対してもそのようにはっきり言える、議論、論争する力」というのが答えだった。また「兵役期間中、『ああこの人は本当にすごい、頭がいい、自分はかなわない』と思える上官や同僚に会えた?」と聞いたら、答えは「会えた、そういう人々がいた」であった。私としては、その答えが聞けただけで十分だと感じた。

 



 今後兵役のテーマについては、娘の場合も参照しながらジェンダーについての考えを書いていく予定である。

 
野生のアネモネ。冬になって雨季が来ると、二月から三月にかけて美しく咲く。

 
撮影=山森みか   次回は2022年8月配信の『ゲンロンβ76』に掲載予定です。
 

★1 イスラエルの普通科高校では、数学、英語、歴史といった必修科目以外に、専攻科目が選べるシステムになっている。息子が通っていた高校では、ロボット学以外には建築学やコンピュータ、心理学、社会学、中東学などが開講されていた。
★2 https://en.wikipedia.org/wiki/Medical_profile この「プロフィール」の数値が持つ意味はイスラエル社会において広く共有されている。2013年にオンエアされたテレビドラマ「プロフィール64」では、種類を問わずあらゆる戦闘部隊に不適格とされるプロフィール64を持ち、情報部に務める男女兵士(基本的に文学、音楽、サブカルなどを愛する人々)のところに、プロフィール97の戦闘部隊の男性兵士が偶然配属されることになり、互いの行動原則の違いから生じるドタバタが描かれている。イスラエル軍の中にも、いわゆる「文化系」と「体育会系」の相違が明確にあることが分かる。
★3 ちなみに日本の国立国会図書館で検索すると、日本に関するヘブライ語の本は4冊見つかった。ハイファにある日本美術館のカタログと、子ども用の本が2冊、そして『日本のパワーの秘密』という書籍である。
★4 家族がイスラエル国内にいない兵士の場合は、まっとうな額の給与が支払われているという。ということは、家族がイスラエル国内にいる場合には、最初から家族のサポートを当てにしてシステムが組まれているのだった。
 

山森みか

大阪府生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。著書『古代イスラエルにおけるレビびと像』、『「乳と蜜の流れる地」から――非日常の国イスラエルにおける日常生活』、『ヘブライ語のかたち』等。テルアビブ大学東アジア学科日本語主任。
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