ポスト・シネマ・クリティーク(最終回) 「07年」とポストシネマの時間性=歴史性──水崎淳平監督『ニンジャバットマン』|渡邉大輔

初出:2018年7月20日刊行『ゲンロンβ27』

「転回」の年から

 いまからおよそ2年半前、本連載の第1回の冒頭で、わたしは「ポストシネマ post cinema」という耳慣れない言葉とともに、つぎのような問いを掲げた。

 メディア環境、社会的制度、ひとびとのリアリティ……、昨今、じつにさまざまな側面で「映画が映画であること」の輪郭が、かつてとは明らかに異なったものになりつつあるように思えるが、いったいその内実はどのようなものか。あるいは、それらの作品群が生きる現在をアクチュアルに掬い取る、従来型の映画批評の枠を越えた、新たな映画のための批評言語は、いかにして可能か。

 以来、基本的には拙著『イメージの進行形──ソーシャル時代の映画と映像文化』(人文書院)や拙編著『ビジュアル・コミュニケーション──動画時代の文化批評』(限界研名義、南雲堂)から続けてきた、今日の映画を取り巻く新しい状況と、それらに影響を受けた映画の表象システムそのものの変容について思考をめぐらせてきた。もちろん、(前身の『ゲンロン観光通信』を含む)本誌『ゲンロンβ』という稀有な媒体のささえによるところが何よりも大きいが、率直にいって、これだけの長期にわたって、そのときどきの多彩な新作映画のレビューを、先端的な理論言説もふんだんに交えながら、しかもそれなりの分量を使って「定点観測」するという試みは、日本の映画批評の歴史においてもなかなか珍しいものだったのではないかと思う。

 そして、具体的には2016年の1月からはじまったわたしのこの連載は、いま振りかえると、まったくの偶然ではあったものの、上記の問いにとって絶好のタイミングであったということができる。年間をつうじて歴史的な大ヒット作や傑作がつぎからつぎへと公開され、「日本映画の当たり年」「アニメの当たり年」などとも呼ばれたこの1年は、おそらく21世紀の映画にとって、ひとつの巨大なパラダイムシフトになったからだ。事実、この連載でも、濱口竜介監督の『ハッピーアワー』(2015年)、庵野秀明総監督の『シン・ゴジラ』(2016年)、山田尚子監督の『聲の形』(2016年)、そして片渕須直監督の『この世界の片隅に』(2016年)など、現在でもなおいたるところでさかんに言及される重要作を主題的に取りあげて、レビューしてきた。本論は今回で最終回となるが、ここであらためて、まずは第1回の『ハッピーアワー』評のさいにわたしが差しだしていた問題意識に立ち戻ってみよう。

『ハッピーアワー』の時間

 5時間17分の長さをもつ濱口の『ハッピーアワー』には、ある特異な時間がたたみこまれている。映画前半で描かれる、震災後の東北の海岸で活動していたという怪しげなアーティストが主宰するワークショップのシークエンスを例に挙げながら、その回でわたしはそう指摘した。わたしはその特異な時間を、その後の連載のなかでもたびたび参照することになるミシェル・セールをひきつつ、「可塑的 plastic な時間性」と名づけておいた。それは、セールが「ミゼラブル misérable」と呼ぶような、それぞれがバラバラに孤立した棒のような人物たちが、競合的な相互干渉のプロセスによって生成させる、「リニアな時間軸を絶えず複数に分岐させてゆく冗長で潜在的な時間性」のことである。

 約2年半前にわたしがこう表現した『ハッピーアワー』の可塑的な時間性は、いみじくもこのときにわたしがその仕事を援用し、最近ほかならぬこの映画についてじつに精細に読み解いた三浦哲哉の素晴らしい新著が記す、「『ハッピーアワー』は、登場人物たちの人間関係の総体が変容していくプロセスを、「重心」の劇として造形する。均衡が維持され、ときに破れ、またそれがべつのかたちで回復する過程が微細に描かれる」[★1]という言葉とも、さほど距離をかいさずに呼応しているように思える。

 わたしの見るところ、ここには、この連載がたどってきた「ポストシネマ」なるもののもつそれまでの映画(史)とは異なる、固有の時間性=歴史性の内実がたしかにこめられているはずである。その点について、ここでは水崎淳平監督の新作アニメーション映画『ニンジャバットマン』(2018年)にも触れながら、およそ10年前の蓮實重彦のある命題から説き起こしてみよう。そして、以降の論述をつうじて、この連載の企図と今後の展望を総括しておきたい。

『ニンジャバットマン』と蓮實重彦の奇妙な主張か

 『ニンジャバットマン』は、題名の通り「DCコミックス」を代表するヒーローキャラクターを、ワーナー・ブラザースが日本人スタッフの手によってアニメーション化したスピンオフ作品である。現代の犯罪都市ゴッサム・シティで悪と戦っていたバットマン/ブルース・ウェイン(山寺宏一)は、謎の光る球体につつまれ、中世(戦国時代)の日本にタイムスリップしてしまう。そこには、キャットウーマン/セリーナ・カイル(加隈亜衣)らおなじみのスーパーヴィランたちも現代から転送されており、ポイズン・アイビー(田中敦子)、デスストローク(諏訪部順一)、ペンギン(チョー)、トゥーフェイス(森川智之)は各地の実在の領主と入れ替わり、「ヴィラン大名」として全国を支配していた。なかでも、バットマン最大の宿敵であるジョーカー(高木渉)は、ハーレイ・クイン/ハーリーン・クインゼル(釘宮理恵)を小姓に据えて、日本制覇を企んでいた。バットマンは飛騨の忍者集団「蝙蝠衆」の助けをえて、タイムスリップの装置を開発したヴィラン、ゴリラ・グロッド(子安武人)の居所を突き止め、ジョーカーらの魔の手を阻み現代に戻ることを決意する。

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渡邉大輔 著

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1982年生まれ。映画史研究者・批評家。跡見学園女子大学文学部准教授。専門は日本映画史・映像文化論・メディア論。映画評論、映像メディア論を中心に、文芸評論、ミステリ評論などの分野で活動を展開。著書に『イメージの進行形』(2012年)、『明るい映画、暗い映画』(2021年)。共著に『リメイク映画の創造力』(2017年)、『スクリーン・スタディーズ』(2019年)など多数。

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