韓国で現代思想は生きていた(11) 朝鮮戦争は北侵か、南侵か?|安天

シェア
初出:2013年10月1日刊行『ゲンロン通信 #9+10』

1 朝鮮戦争は韓国が起こした?


 韓国のソウル新聞が6月に進学関連会社と共同で歴史に関するアンケートを実施した。対象は韓国の高校生で、その中に次のような設問があった★1

「朝鮮戦争は北侵か、南侵か?」

 あなたならどちらを選ぶだろうか。

 韓国では、その結果に驚いた人たちが多い。一部の新聞やテレビでは大きく取り上げられ、朴槿恵パク・クネ大統領までこの件について言及した。アンケート結果は「北侵」が69パーセント、「南侵」が31パーセントだった。

 新聞記事の見出しは「崩壊する青少年の歴史認識」。表に出た結果だけ見れば、韓国社会に激震が走っても無理はない。「北侵」、すなわち韓国が北朝鮮に侵攻したと答えた高校生が約7割にのぼるというとんでもない状況だからだ。この結果を受け、大統領は「絶対に教育現場で真実を歪曲したり、歴史を歪曲することが起きてはいけません」★2と原因を学校現場での偏った歴史教育に求める趣旨の発言をした。

2 「歴史」ではなく「国語」の問題


 僕はアンケート結果よりも、大げさな記事の見出しとそれを真に受けた大統領の発言のほうに驚いた。なぜなら、大統領の発言は結果を額面通り受け止めたことを意味しているからだ。最近の若者に対してある程度の理解を持っているなら、高校生の69パーセントが「北侵」と答えたという結果をそのまま受け取ることはありえない。普通ならこう思うだろう。高校生たちのほとんどは朝鮮戦争を起こしたのが北朝鮮であることを分かっている。しかし、アンケートは彼らの考えを反映するのに失敗した。なぜなら、彼らに馴染みのない言葉、すなわち「北侵」や「南侵」という言葉を使ったからだ、と。「北侵」とは「北へ侵略する」という意味で、「南侵」とは「南へ侵略する」という意味である。世界史に詳しい人なら「東方政策」や「北伐」などの言葉を思い浮かべるかもしれない。このとき、方角は行動の主体ではなく行動が向かう方向を指す。

 用語理解の問題に違いないというこの推測は、その後に行われた別のアンケートで証明されることとなる★3。そのアンケートでは「北侵」「南侵」という言葉を使わずに、「朝鮮戦争を起こしたのはどちらか?」と中高生に尋ねた。その結果、北朝鮮という回答は89パーセントで、韓国という回答は3パーセントに過ぎなかった。問題だったのは歴史の理解ではなく、やはり漢字語の理解だったのである★4

 確かに教育現場での歴史教育は変化した。僕が小学生のときは、学校で「北傀ブッケの6・25南侵」を糾弾する集会などが開かれ、小学生用の反共映画などが上映された。「北傀」とは「北朝鮮を名乗る傀儡政権」という意味であり、「6・25」は朝鮮戦争の別名である(6月25日に勃発したことからそう呼ばれる)。「南侵」という用語は、こういった糾弾の意味合いを込めた状況で多用される言葉であった。しかし、今はそこまでの「反共教育」★5は行われないし、北朝鮮を糾弾する特別な行事もなくなった。「南侵」という用語は耳慣れない言葉になったのである。

安天

1974年生まれ。韓国語翻訳者。東浩紀『一般意志2・0』『弱いつながり』、『ゲンロン0 観光客の哲学』、佐々木中『夜戦と永遠』『この熾烈なる無力を』などの韓国語版翻訳を手掛ける。東浩紀『哲学の誤配』(ゲンロン)では聞き手を務めた。
    コメントを残すにはログインしてください。

    韓国で現代思想は生きていた

    ピックアップ

    NEWS