愛について──符合の現代文化論(15) 古くて新しい、疑似家族という論点について(2)|さやわか

シェア
初出:2023年6月22日刊行『ゲンロンβ82』

 前回は、海野つなみの漫画『逃げるは恥だが役に立つ』(講談社、2012年-2020年)およびそれを原作とするテレビドラマ(TBS、2016年)について記した。 

 この作品は、偽装結婚した女性主人公・みくりと男性会社員・津崎のカップルが、後に愛し合い、正式に結婚するというあらすじになっている。これは少女漫画における同居ものや疑似家族ものではありふれた筋書きだ。だが同作は、その定型を逆手に取って、結婚を就労契約の一種として捉えたのが秀逸だった。この連載の用語で言えば、このドラマは「結婚」という記号に従来と異なる意味を符合させ、多様性と少子高齢化の時代に相応しい新たな結婚像へとアップデートさせたのだ。ここには古い伝統にこだわらず近代の実情を重視して「前進すればいい」と力強く言い放った、坂口安吾の精神が感じられる。それが前回の結論だった。 

 ただ、このテレビドラマにも瑕疵は存在する。まず作中でセクシャルな話題はロマンティックにしか描かれない。少女漫画の定型をいったん受け入れる作品ゆえに、みくりたちの愛情表現は、男女が同室で寝るか否かなど、大時代的な価値観を中心に繰り広げられる。これは今の現実に即して結婚像を更新した作品にしては極端にプラトニックだと言える。 

 同様の保守性は、LGBTQの扱いのぞんざいさにも表れている。とりわけ問題なのは、津崎の会社の先輩である沼田という登場人物をめぐるエピソードだ。というのも沼田は、いかにも「物語に登場する定型的なゲイ」のような言動を繰り返すのだ。 

 たとえば原作漫画だと、みくりと津崎が偽装結婚をする直接のきっかけとなるのは、津崎が会社のエレベーター内で沼田から思わせぶりに肩を触られ、迫られるシーンだ。その際、津崎は「まさか独身だからって体を狙われることがあろうとは…!!」と独りごちている。これには、ジェンダーについての社会一般の固定観念が、二重に表れている。まずゲイの男性なら、社内で誰彼となく肉体関係を求めるだろうとの考えがある。そしてまさしく津崎の独白のとおり、「妙齢の男性が独身のままなら、彼はゲイだと推測されることがある」という固定観念もある。

 また、作中でみくりと津崎が偽装結婚だと最初に喝破するのも沼田である。これはゲイである沼田が結婚について旧来の規範意識に囚われず、だからこそ津崎らの「ごく普通」の夫婦生活が虚構であると見抜いたとも解釈できる。ところがドラマ版での説明として、津崎は沼田が「男性視点と女性視点の両方を持つからこその鋭さがあるんじゃないか」と語る。これもまたLGBTQへの理解が十分でなかった時代から存在する、ゲイについての単純化された発想だ。 

 たしかに「ゲイは男女の価値観を併せ持つ」とする俗説は今なおポピュラーである。しかし最近はトランスジェンダーやXジェンダー、アセクシャルなど、二元論では語り得ない性別や性愛も注目されるようになった。また「第三の性」という新たなカテゴリや、誰もが「男性らしさ」と「女性らしさ」の間をグラデーションのように行ったり来たりする性スペクトラム説が注目されている。 

 津崎はエレベーターでの沼田との接触を通して、自分が男性やゲイについての旧来的な記号性で捉えられることに嫌気が差した。だから新しい家族の構築を試みる、みくりとの結婚に踏み切ったのだ。それがこの作品の優れた設定を生んだ。しかし他方、性愛については作品の端々に固定観念を残しているのである。それは、作品が少女漫画の定型を逆手に取ろうとしつつも、かえってその古い範疇に囚われた結果のように見える。 

 どういうことか。『逃げるは恥だが役に立つ』の試みは、恋愛結婚という少女漫画的な記号と意味の結びつきをいったん受け入れつつ、「就職」という別の意味へとすげかえることだった。今日の視聴者に広い共感を生んだことからも、これが符合に齟齬を発生させる戦略として効果が高かったことは明らかだ。この戦略は今後も、カルチャーを通して社会の規範意識をポジティブに変えていく際に、多くの作品が採用するだろう。ただ、記号と意味の旧来的な結びつきを受け入れると、作り手はいつのまにかその価値観に馴致され、作中でそれを無批判に追認してしまうことがある。 

 振り返って考えると、みくりは自分がやっているのは恋愛や結婚ではなく就職なのだというレトリックを用いながらも、やがて津崎に恋愛感情を抱き、それゆえに本当に結婚する。もちろん前回見たように、この作品はその結婚についても独自の描き方をしている。しかし意地悪な言い方をすれば、彼女は最終的に旧来的なロマンティックラブを受け入れ、結婚に至ったようにも見えるのはたしかだ。だとすれば、否定するはずだった旧来的な価値観が、結局は追認されていることになる。

 

さやわか

1974年生まれ。ライター、物語評論家、マンガ原作者。〈ゲンロン ひらめき☆マンガ教室〉主任講師。著書に『僕たちのゲーム史』、『文学の読み方』(いずれも星海社新書)、『キャラの思考法』、『世界を物語として生きるために』(いずれも青土社)、『名探偵コナンと平成』(コア新書)、『ゲーム雑誌ガイドブック』(三才ブックス)など。編著に『マンガ家になる!』(ゲンロン、西島大介との共編)、マンガ原作に『キューティーミューティー』、『永守くんが一途すぎて困る。』(いずれもLINEコミックス、作画・ふみふみこ)がある。
    コメントを残すにはログインしてください。

    愛について──符合の現代文化論

    ピックアップ

    NEWS