68年5月3日 飛び魚と毒薬(3)|石田英敬

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初出:2023年9月5日刊行『ゲンロンβ83』
  1968年5月3日、その日は(パリではよくあることだが)5月とはいえ肌寒く(パリ気象台の記録によると最高気温は17.2度、最低気温9.7度)うす曇りで時おり小雨がパラつく金曜日だった。時刻は午後5時を回った頃だったろう。君はさきほどからカルチエ・ラタン、サン・ミシェル河岸に面したジベール・ジュンヌ書店の店先で★1、舗道にせり出して並べられた陳列台のうえに所狭しと並べられたディスカウント本の山の中から「モリエール」を探し出してページをめくっている。その本はおそらく、 Seuil 社から出ている L’Intégrale という叢書のなかの Molière の巻であるはず。1962年初版だから古本とはいえモリエールの肖像の表紙のカバーもしっかりついていて、全戯曲が二段組みでぎっしり印刷された680頁の分厚い八つ折り判だ★2。カバーをはずすと赤色の平織り地の装丁になっていて大ぶりな割には比較的軽い。コメディー・フランセーズの総支配人もつとめORTF(フランス放送協会)の文学顧問、高等演劇院の教授でもあった演劇人で元レジスタンス闘士のピエール゠エメ・トゥーシャール Pierre-Aimé Touchard(1903-1987) の序文も付いている。その序文にも君は目をとおしていただろう。16歳になったばかりの君がなぜその本を買おうとしていたかというと、1965年に放送された放送劇作家の巨匠マルセル・ブリュヴァル Marcel Bluwal (1925-2021)★3が監督したテレビ映画の歴史的傑作「ドン・ジュアン 石像の宴」を観てモリエールの演劇に並々ならぬ関心を寄せ、自分も絵画か演劇を志そうとしていたからだ。 

 でも、その本の中の「ドン・ジュアン」の頁を開きセリフを読みシーンを思い浮かべている時間はなかった。なぜなら、君の背後で、とつぜん大きな音を立てて催涙ガス弾が炸裂したからだ。思わず振り向くと、いつの間にかサン・ミシェル通りの方は騒然としてソルボンヌ広場の方面から駆け降りる学生群集の叫びと警官隊のサイレン音が拡がってきていたのだった。

 時刻は午後5時半を過ぎた頃だったはずだ。サン・ミシェル通りをソルボンヌ広場の方へ数百メートル上がった右側にあるジベール・ジョゼフ書店の前で撮られた写真を見て欲しい★4。もうだいぶ学生たちのスクラムと警官隊の衝突は佳境に入りつつある。なぜ、そんなことになったのか? 今なら人びとが撮ったスマホの映像などをつなぎ合わせて具体的な情景を3Dでかなり再現できる場面なのだが、ここはナレーターである私が介入して、記録を元に少し詳しくこの日の出来事の流れを復元してみよう。 

 この日、午後5時頃ベルナールがモリエールの古本を買おうとしていたジベール・ジュンヌ書店からサン・ミシェル通りを600メートルほどリュクサンブール公園の方へのぼった左側にあるパリ大学ソルボンヌ校舎の中庭では、フランス全学連(UNEF)★5の学生たちとナンテール校舎からやってきた「3月22日運動」の学生たちの集会が開かれていた。なぜそのような事になったのか。そこにいたる背景を語り始めると長い長い話になり、結局は68年の「五月革命」全体を優に本1冊分語らねばならなくなる。それはここではできないから、その日から数週間の間に起こった出来事を幾つか語り、背景的事実についてはごく手短に説明していくことにしよう。いまベルナールを取り残してきたジベール・ジュンヌ書店の店先から、つぎに彼に登場してもらうためにはまだ数日を待たねばならない。 
 

 


「ソルボンヌ」とか「ナンテール」とか、フランスやパリに詳しくないひとのために前提的に説明しておくと、パリ大学は巨大な大学で、市内から郊外にかけてたくさんの校舎があり、それぞれが強い自治性を持っている。ソルボンヌ校はパリのセーヌ左岸カルチエ・ラタン地区の中心に13世紀からあるパリ大学の中心校舎(現在はソルボンヌ大学、パリ第一パンテオン・ソルボンヌ大学、ソルボンヌ・ヌーヴェル大学という3つの大学がこの校舎を本部としている)。ナレーターをいま務めている私(石田)もそこはよく知っている。いま語っている出来事が起こっている1968年から7年後、1975年からそこで勉強した懐かしい場所だ。歴史的な美しい由緒ある建物。チャペルが見下ろすさほど広くはない石畳の中庭にはヴィクトル・ユーゴーとルイ・パストゥールの石像が座し回廊が取り囲んでいる。エントランスから扉を押して入ると両サイドに階段があり二階は図書室になっている★6。学生たちがところ狭しと机に向かい勉強している。(うーん、懐かしい、当時肘を触れあって一緒に勉強していたガールフレンドのMとか思い出すな。彼女はここ5区の生まれでいまでもこの地区に住んでいる。パリに来ると必ず彼女には会っている。あれからもうやがて50年も経つのだなあ、すごい人生の友だな、とか、つい余計なことを書いてみたくなる笑)。 

 ナンテール校は、ソルボンヌとは打って変わって、パリの西の郊外都市ナンテールに1960年代になって建設された総合キャンパス★7。このパリ西の地域は、この時代に再開発と高層ビルの建設が始まったのだが、その前は巨大なスラムが拡がっていた。戦後の復興期にアルジェリアその他のマグレブ地域からやってきた何万人もの人びとが極めて劣悪なバラック住居で暮らしていた★8。そのスラムを撤去し近代的なビジネス街や大学キャンパスを造っていったのがこの1960年代の都市計画だったのだ。 

 ソルボンヌ校からナンテール校まで行くには、いまはパリの中心部レアールからRERという高速鉄道に乗って30分ほど行き、ナンテール・ユニヴェルシテという駅で降りる。するとナンテール校の広大なキャンパスが拡がっている。戦後ベビーブームでソルボンヌが手狭になったために1964年に人文科学部が、66年には法学・経済学部が作られた。創設当時はパリの北のサンラザール駅から列車で通わなければいけなかった。 

 そこも私はよく知っている。1982年から5年間の2度目の留学でマラルメの博士論文を執筆した大学院がそこだったからね。1960年代は新しい学部だったけれど哲学者のポール・リクール、ジャン゠フランソワ・リオタールとか、社会学者のアンリ・ルフェーブルとか、ジャン・ボードリヤールとか、有名教授が多数だった。 
 

 


★1 ジベール・ジュンヌ書店は、19世紀にジョゼフ・ジベール(Joseph Gibert 1852-1915年)が1888年サン・ミシェル河岸23番地に開いた書店。ジョゼフ・ジベールは最初南仏で国語の教師をしていたが愛書家の情熱抑えがたく1886年にパリに上京。ノートルダム寺院の真ん前サン・ミシェル河岸にブキニストとして古本露天店を開いて成功。2年後に学校教科書参考書を専門とする書店をサン・ミシェル河岸23番地に構えた。フランスは第三共和政のジュール・フェリーの教育改革で学校の公教育無料義務化が進められる時期にあたり、学校教科書の需要が一挙に増大したことにより大成功を収めた。店舗は拡大して、ソルボンヌよりのサン・ミシェル通り30番地に第2の店舗を構えた。初代ジョゼフは1915年に亡くなり未亡人が継いだが、彼女の死去で相続した2人の息子のうち、長男ジョゼフがサン・ミシェル30番地の店、弟がサン・ミンシェル河岸23番地を継承し、それぞれジベール・ジョゼフ、ジベール・ジュンヌと屋号を変えた。その後も書店は発展しサン・ミシェル広場ほかにも出店したが、20世紀末になり出版不況に耐えきれず、ジベール・ジュンヌは残念ながら、一昨年2021年惜しまれながら店を畳んだ。現在はパリ市が買い取った発祥の番地サン・ミシェル河岸23番地の書店を残すのみとなった(サン・ミシェル通りのジベール・ジョゼフの方は現在も健在である)。 
★2 Molière OEuvres complètes collection L’Intégrale, Seuil, 1962 
★3 マルセル・ブリュヴァルはとくに戦後フランスのテレビ文化をつくった重要なテレビ人。とくに1960年代、ボーマルシェ、マリヴォー、ドストエフスキー、ユーゴー、そしてモリエールなどの古典作品をテレビ映画化してテレビの文学ジャンルの型を造り、クロード・モーリヤック Claud Mauriac やアンドレ・バザン André Bazin などの評論家から絶讃された。1965年の「ドン・ジュアン 石像の宴」は、現在は、 vimeo で見ることができる。 URL= https://vimeo.com/426213108, https://vimeo.com/427020778 
★4 URL= https://www.ledauphine.com/france-monde/2018/05/03/mai-68-au-jour-le-jour-le-3-mai-les-premiers-paves-fusent, https://www.leparisien.fr/paris-75/mai-68-on-a-dit-tout-ce-qu-on-avait-sur-le-coeur-a-nos-parents-a-la-societe-02-05-2018-7694874.php 
★5 フランス全国学生連合(UNEF Union nationale des étudiants de France)は1907年からある全国的学生組織。その歴史は日本の全学連のように紆余曲折と分裂の歴史だが、1968年時点では、フランス統一社会党(PSU これもひと言でいうの難しいが、フランス社会党の系譜のなかでは左派・新左翼系の傾向がつよかった小政党。ミシェル・ロカール Michel Rocard という注目すべき政治家がその頃党首だった)系のジャック・ソヴァージョ Jacques Sauvageot が当時副委員長で委員長代理だった(のち委員長)。 
★6 ソルボンヌ図書館の写真はこちら(URL= https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Salle_Saint-Jacques_(Bibliothèque_de_la_Sorbonne).jpg)で見られる。ソルボンヌ大学の中庭の様子は紹介ビデオ(URL= https://www.youtube.com/watch?v=FF5dEQah2WA)が分かりやすい。 
★7 ナンテール大学の紹介ビデオは以下(URL= https://www.parisnanterre.fr/presentation)。1960年代のナンテールの光景はこのビデオ(URL= https://www.youtube.com/watch?v=c7A5vq7M9Z0)の1分20秒あたりから数十秒を見ると分かる。 
★8 当時のナンテールの巨大スラムを取材したテレビニュースがつぎのリンクから見られる。URL= https://www.youtube.com/watch?v=3S8D-V7wyyM 
★9 日本語のウィキでも、多少不正確だが、基本的なことは書かれているから詳しくはそちらを参照していただきたい。URL= https://ja.wikipedia.org/wiki/ダニエル・コーン=ベンディット 
★10 「奇妙な戦争 la Drôle de gurre 」とは、1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻の後、1940年5月のドイツ軍のフランス侵攻までの状況を指す。ドイツとフランス・イギリスは戦争状態にあったにもかかわらず、膠着状態がおよそ8ヶ月間続き陸上戦闘が皆無に近い状態であったためにフランスではこう呼ぶ 
★11 オーデンヴァルトシューレ Odenwaldschule (田園教育塾)は、1910年パウル・ゲヘープとエディス・ゲヘープによって創設された新しい教育をめざした寄宿舎制の中等教育学校。生徒と教師が家族のように小グループで共同生活し、生徒も教師も交わりながら親しく手工芸や技術を自主自由に学習するメソッドからなる。1990年代、2000年代の性的スキャンダル事件ののち閉鎖された。URL= https://en.wikipedia.org/wiki/Odenwaldschule 
★12 かれはその後ヨーロッパ議会の緑の党グループのリーダーになっていく。テレビなどメディアによく登場するからいまでは誰でもがその人柄に接することができる。 
★13 The Information Age: Economy, Society and Culture vol. 1: The Rise of the Network Society, (Blackwell, 1996). The Information Age: Economy, Society and Culture vol. 2: The Power of Identity, (Blackwell, 1997). The Information Age: Economy, Society and Culture vol. 3: End of Millennium, (Blackwell, 1998). 
★14 オクシダン Occident は1964年創設の極右団体、アクション・フランセーズの流れを汲み、ナショナリズム、反ユダヤ、ネオ・ファシズムを主張、オデオン劇場でジャン・ジュネ作『屏風』の上演を妨害中止させたり、左翼系の書店を攻撃したり、ベトナム反戦運動に対抗して極左運動に暴力的に介入、多数の負傷者を出していた。1968年10月解散を命じられる。 
★15 ジャン・ロッシュは医学者・生化学者、コレージュ・ド・フランス教授をつとめたアカデミズムの泰斗。総長在位期間1961年−1969年。パリ大学総長(Recteur)は中世13世紀以来続いてきた大学の最高責任職。ドゴール将軍に請われて就任したが、68年の出来事でお気の毒なことに最後の総長となった。 
★16 URL= https://www.dailymotion.com/video/x6hr9yr

 

石田英敬

1953年生まれ。東京大学名誉教授。東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学、パリ第10大学大学院博士課程修了。専門は記号学、メディア論。著書に『現代思想の教科書』(ちくま学芸文庫)、『大人のためのメディア論講義』(ちくま新書)、『新記号論』(ゲンロン、東浩紀との共著)、『記号論講義』(ちくま学芸文庫)、編著書に『フーコー・コレクション』全6巻(ちくま学芸文庫)ほか多数。
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