世界とつながる演劇の秘境 ロシア語で旅する世界(4)|上田洋子

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初出:2014年9月15日刊行『ゲンロン通信 #14』
 今年も「演劇の聖地」利賀村にて、8月25日から国際演劇祭「SCOTサマー・シーズン」(旧称「利賀フェスティバル」)が開催されます。弊社では、劇団SCOTを主宰する世界的な演出家である鈴木忠志氏に『ゲンロン』本誌に何度か登場していただくとともに、2016年には演劇ワークショップ「ゲンロン利賀セミナー」を開催しました(その記録は『ゲンロン5』に収録)。
 鈴木氏や利賀村と弊社のつながりのきっかけになったのは、代表・上田洋子のロシア語通訳としての活動でした。上田がそのきっかけから鈴木氏の演劇・演出や利賀村の魅力までをつづった2014年のコラムをここに無料公開します。ぜひお楽しみください。(編集部)
 
SCOTサマー・シーズン2023(8月25日から9月10日まで)
URL= https://www.scot-suzukicompany.com/season39/
 3年ぶりに利賀とが村に行ってきた。利賀演劇人コンクールの審査員に招かれたのだ。

 富山県南砺なんと市利賀村。富山空港からタクシーで約1時間、峠を3つ越えてやっとたどり着く、人口約600人の過疎の村だ。あるいはJR高山本線越中八尾駅から1日2本しかないバスで1時間。冬は3メートルの雪に埋もれる豪雪地帯である。この村が、じつは世界とダイレクトにつながっている。つながりを媒介するのは演劇だ。ここには世界演劇の聖地、利賀芸術公園があるのだ。演出家の鈴木忠志率いる劇団SCOT(Suzuki Compony of Toga)の拠点である。

 鈴木忠志と言えば、寺山修司、唐十郎とともに「アングラ御三家」と呼ばれた演出家だ。1966年に早稲田小劇場を設立、10年後の1976年に利賀村に拠点を移した。この村に利用されていない合掌造りの古民家があることを知り、それを劇場として使うことをもくろんだわけだ。同年8月28日の一夜限りのオープニングには、東京をはじめ日本全国から約600人の観客が集まったという。現在の村の人口と同じ数である。
 その後4年にわたって毎年夏に1日あるいは2日の公演を打ち、多くの観客を集めていた。1980年、村と劇団の契約が切れる年に、村の側が劇場施設の整備に乗り出し、鈴木忠志監修、磯崎新の設計による合掌造りの家屋を用いた劇場「利賀山房」がオープン。1982年には日本で初めての国際演劇祭「利賀フェスティバル」が開催され、1万3000人の観客を集めた。舞台奥に広大な池と山を配し、池には山の方へと向かう長い橋懸かりを設置した磯崎新の素晴らしい野外劇場は、このときに建設されたものである。上演されたのはロバート・ウィルソン、タデウシュ・カントール、メレディス・モンクら海外の超大物の作品、寺山修司の『奴婢訓』、鈴木忠志の『トロイアの女』、太田省吾の『小町風伝』といった同時代の日本の最先端、そして銕仙会てっせんかい+橋の会の能と狂言、ブータン王室の仮面舞踊、地元利賀村の獅子舞。伝統と革新がせめぎ合う伝説的なラインナップだった。

利賀芸術公園。磯崎新設計の野外劇場における『シラノ・ド・ベルジュラック』上演。 ©劇団SCOT


利賀山房。右手前がエントランスホール。奥のかやぶき屋根の部分が合掌造りの建築を使った舞台および客席空間。 撮影=上田洋子
 翌1983年から、国際演劇夏期大学と称して、鈴木忠志独自の演劇メソッド、その名も「スズキ・メソッド」のワークショップが始まり、各国から演劇人が学びにくるようになる。 鈴木はケンブリッジ大学出版部刊行の、世界の優れた演出家を扱った Directors in Perspective シリーズに、ブレヒトやメイエルホリド、ピーター・ブルックやロバート・ウィルソンらとともにラインナップされる、アジアで唯一の演出家である。鈴木が選ばれたのは、独自の俳優訓練メソッドと演出の方法論を持ち、かつ、日本人固有の身体や空間の感覚に基づきながらも普遍的な演劇理論を言語化しているからだろう。鈴木の独創的なメソッドについては、たとえば、日本人の伝統的身体と演劇・芸能史を熟考し、舞台上で「足が地に着いているようにみえる」ためには足の使い方がすべてだと解く「足の文法」[『越境する力』(パルコ出版)などに所収]を参照されたい。

 ところでわたしが鈴木忠志の演劇を知ったのは、ロシア語のおかげだった。いまではロシア演劇研究者と名乗ることもあるが、大学院に入った時点では、演劇研究をする予定はまったくなかったし、そもそも演劇のことはよくわからなかった。それがたまたま、NHKラジオ国際放送でアルバイトをしていた大学院生の頃、静岡でシアターオリンピックスというものがあるから通訳を手伝わないかと、ロシア人の方から声をかけていただいた。鈴木は当時静岡県舞台芸術センター(SPAC)の芸術総監督で、国際的な演劇人ネットワークの中で生まれた演劇フェスティバル「シアターオリンピックス」の第2回を静岡に誘致したのだった。ロシアからの上演作品は『かもめ』と『カラマーゾフの兄弟』。『かもめ』にはタルコフスキーの『鏡』や『ノスタルジア』の主人公を務めたオレグ・ヤンコフスキーが出演していたし、『カラマーゾフの兄弟』は20世紀世界演劇の巨匠ユーリー・リュビーモフの演出だった。とにかくラッキーだったとしか言いようがない。

 はじめて鈴木忠志の芝居をみたのはこのときだった。作品は『シラノ・ド・ベルジュラック』。ヒロインのロクサーヌを眼鏡の男性が演じていて、しかもみんな和服で、なんだか男性の暴力性が全開で、正直、困惑したのを覚えている。このときはロシアの作品のほうが、はるかに理解でき、かつ楽しめた。その後鈴木はロシアと演劇交流プログラムを開始し、毎年ロシアの優れた劇団を招聘し、また、鈴木もロシアで公演をするようになった。さいわいわたしはそのほとんどに関わり、鈴木の作品でロシアの女優がヒロインを演じたときには、通訳兼演出助手的なこともやらせていただいた。じつはスズキ・メソッドの身体訓練に参加したこともある。いまではすっかり鈴木作品のファンだが、繰り返し見る機会を得て、また内的な論理構造に触れる機会を得たのは、ロシア語通訳だったからこそ。見たものをロシアや欧米文化の作品と比較し、それをロシア語で説明しようと苦心しながら、日本文化の特性はなにか、考えることができた。

野外劇場客席側。池のオブジェは勅使河原宏作。 ©劇団SCOT


野外劇場の外観はギリシアの遺跡のようだ。 撮影=上田洋子
 鈴木忠志はそれぞれの演目を研ぎすまし、繰り返しの上演に堪えるものとして育てていく。そうして、新作を消費し続けるのではない、いくつかの作品が定期的に上演される、レパートリーのシステムを形成してきた。鈴木の芝居では、俳優の動きは演出で厳密に決まっており、しかもスズキ・メソッドというコードに基づいて演じなければならないという負荷がかけられている。せりふの言いかたは、そのせりふの主体がそのシチュエーションにおいて持つであろう身体感覚、たとえば人を殺そうとしているとか、騙そうとしているとか、言葉とは裏腹なことを考えているとか、そういった感覚がにじみ出るようにやらなければならない。そうした感覚が抑制の利いた動きの向こう側からぶわっと現れるとき、俳優の個性もはっきり見えてくる。同じ作品を複数回見ると、俳優が違う場合はもちろん、同じ俳優が同じ役をやっている場合でも、コンディションやちょっとした変化で、作品全体の見えかたががらっと変わったりする。

 国際プロジェクトでは、主役だけが外国人だったり、SCOTの俳優と諸外国の俳優が混ざっていたりする。その際には言語も複数になり、二ヶ国語、四ヵ国語の上演もある。もちろん字幕つきで上演するのだが、これが見ていて非常に面白い。身体演技のメソッドを共有することにより、言語が意味のレベルから、メロディや抑揚、音色や息づかいといったエネルギーのレベルに還元され、せりふとは別のコミュニケーションが成立するのだ。動きもせりふも抑制された鈴木の芝居に外国人が入ると、はじめはどうも落ち着かない場合が多い。少ない言葉で多くを想起させるとか、無言で殺気を感じさせるとか、そういったことはやはり、日本人のほうが得意らしい。それがだんだん、長いをエネルギーで満たすことができるようになってくる。劇場の暗い空間、特に合掌造りの利賀山房や新利賀山房では、鈴木がデザインする照明の名人芸もあって、エネルギーの通り道が見える気すらしてくる。2004年に鈴木がモスクワ芸術座の俳優と演出し、その後数年にわたって日本公演を行った『リア王』では、年を経るごとに、上滑りしていた言葉が肉体化していく様が感動的だった。参加した俳優は、これまでとは異なる演技の力を身につけ、何人かの若手俳優は、その後ロシアでスターになっている。

合掌造りをそのまま活かした新利賀山房。 撮影=上田洋子
 世界の演劇人が憧れる演劇の聖地が日本にある。わたしはロシア語を介してその存在を知り、ロシアとの文化交流から、その世界的な意味を知った。それが10年以上経過したいま、利賀で毎年開催されている演劇人コンクールに審査員として招待されたのは、驚きで、かつ嬉しくもあった。結果は最優秀賞も優秀賞もない不作の年だったが、平田オリザ、金森穣、石川直樹、韓国のソン・ギウン、SCOTの主演俳優蔦森皓祐ら、第一線の方々と現代日本の演劇について討議する機会を持てたのは、たいへんしあわせだった。鈴木忠志、平田オリザの稽古を見せていただいたのも、それだけで来た価値があるというものだ。コンクール出演者は、作品の出来不出来はすべておいても、どうも歴史的視座の上で活動をしている人が少ないように見えたのが残念だった。詳細はコンクールの tumblr に掲載されることになっているので、そちらを参照してほしい★1

審査会を終えた直後に撮影した記念撮影。左から、ソン・ギウン、石川直樹、上田、平田オリザ、蔦森皓祐、金森穣、マティア・セバスチャン。 撮影=利賀演劇人コンクール事務局


 毎年夏の利賀フェスティバルでは、鈴木の芝居を野外劇場で上演し、盛大に花火を上げて、800席が毎回満員になる。これは壮観で、とにかくお勧めしたい。そもそもまんが日本昔話のような峠をいくつも越えた山奥の村に、世界演劇のユートピアがあるのだ。磯崎新の劇場は、それ自体でも素晴らしいが、上演中こそその真価が発揮される。写真家の大山顕が、元フェスティバル・トーキョーディレクターの相馬千秋を迎えたゲンロンカフェのトークショーの際に、演劇の最大の特徴は場所と結びついていることではないかとツイッターで指摘していたが★2、利賀はアビニョンなど世界各地の演劇フェスティバルと同様、作品だけでなく、場所それ自体を楽しむことができる。ただし虫除けスプレーは必携。

 そういえば、いつか客席で隣になったロシア人グループは、北陸地方に住んでいて、毎年このフェスティバルを楽しみにしているということだった。きっかけはモスクワ芸術座のスターが来ていたことだという。文化のディープなものこそ、世界とつながっている。観光名所はまさにそうだ。

 


★1 http://togaconcour.tunblr.com/ [編集部注:現在はリンク切れ]
★2 相馬千秋と東浩紀の対談「ポスト311のトーキョー」に関するツイートは、まとめサイト http://togetter.com/li/657117 を参照。

上田洋子

1974年生まれ。ロシア文学者、ロシア語通訳・翻訳者。博士(文学)。ゲンロン代表。著書に『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β4-1』(調査・監修、ゲンロン)、『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』(共訳、松籟社)、『歌舞伎と革命ロシア』(共編著、森話社)、『プッシー・ライオットの革命』(監修、DU BOOKS)など。展示企画に「メイエルホリドの演劇と生涯:没後70年・復権55年」展(早稲田大学演劇博物館、2010年)など。2023年度日本ロシア文学会大賞受賞。
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