ロシア語で旅する世界(8) サッカーとアクティヴィズム|上田洋子

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初出:2018年10月31日刊行『ゲンロン9』

W杯という祝祭


 2018年は、ロシアが世界でポジティヴに語られためずらしい年かもしれない。サッカーのワールドカップのおかげだ。

 今回のサッカーW杯は、6月14日から7月15日の約1ヶ月間、気候のよい初夏に、モスクワ、サンクトペテルブルクなどの11都市で開催された。シベリアや極東地方は入らなかったとはいえ、西は飛び地のカリーニングラードから東はヨーロッパとアジアとの境界に位置するエカテリンブルクまで、また、北はフィンランド湾に面するサンクトペテルブルクから南は黒海沿岸のソチまで、ヨーロッパロシアがかなり網羅されている。なお、カリーニングラードは第二次世界大戦後、ドイツ領からソ連領になった。ドイツ名はケーニヒスベルク、カントやE・T・A・ホフマンが生まれ育った街である。

 わたし自身、これらの開催地のうち、この夏初めて訪れたヴォルゴグラードを含めても5都市にしか行ったことがない。ロシアはとにかく広すぎて、20年以上毎年、ときに1年に複数回通っていても、まだまだ未踏の土地だらけ。しかも、日本でロシア語をやっていると言えば変わり者扱いされ、「寒いんでしょう?」「危なくないの?」など、負の先入観を浴びせられるのが常だった。少なくともこれまではそうだったのだ。そんなわたしにとって、日本や世界のサポーターが、初めてのロシア旅行にもかかわらず気楽に地方都市を訪れて、楽しそうな写真をSNSに投稿しているW杯下の状況は、かなり感慨深いものがあった。
 ロシア旅行にはビザがいる。ビザを取得するにはあらかじめ旅程と宿泊先を確定して、旅行会社から書類を取得しなければならない。もしもホテルではなく友人宅に泊まりたければ、まず、観光ビザではなく招聘ビザという大変めんどくさいものが必要で(長くなるので詳細は省く)、しかも現地に着いたら急いで下宿先のひとと一緒に役所に行って、何時間も並んで滞在登録のハンコを押してもらわなければならなかった。少なくともかつてはそうだった。登録をしないままでいて警察に捕まったこともある。そんなことから、ロシア国内を移動する旅行に対しては、「たいへんだぞ」という内なる構えがなかなか消えない。実際はビザの手続きはソチ五輪のあたりからかなり緩和されているのだが、空港でパスポート・コントロールを通るときにはあいかわらずどきどきしてしまう。それが、W杯でのロシア人の歓迎ぶりを喜ぶ声や、「ロシア旅行よかった!」という評価をSNS上で見ていると、旅行者に厳しいあの状況がついに過去のことになったのかと感慨もひとしおだった。

 ロシアは今回のW杯において、ホスト国のホスピタリティ度で史上最高の評価を得たらしい。この夏に会ったロシア人の友人・知人たちにW杯の感想を尋ねてみたが、軒並み好意的だった。街に外国人が溢れ、みなが試合の結果を気にしている祝祭的な日々には、反プーチン的立場のひとすら反感を抱かないようだ。

 同じスポーツの祭典でも、今回のW杯はたとえば2014年のソチ五輪と較べても国民に圧倒的に支持されているように見える。その理由にはもちろん、サッカーという競技に固有の性質もあるだろう。五輪と違って種目がサッカーひとつなので、話題が共有されやすいということもありそうだ。試合が複数の都市で行われるため、試合に関わったり生で見たりする機会が圧倒的に多いことも国を挙げての一体感を作っているだろう。そもそも、ビザが厳しかったころのロシアには外国人は少なく、複数の地方都市に外国人が溢れて地元住民と気軽に交流をするときが来ようなど、想像もつかなかった。今回のW杯はロシアにとって国際化の大きな一歩だったようだ。

祝祭と覚醒


 さて、話は変わるが、W杯にすっかりかき消されながらも、ロシアでは政治問題を指摘し、非難する声が存在し続けていた。ウクライナの映画監督、オレグ・センツォフは、テロの容疑で2014年に逮捕され、いまも刑務所にいるが、同じく服役中のウクライナ人政治犯の釈放を求めてハンガーストライキを行っていた。W杯も終わりに近づいたころには、年金受給開始年齢を大幅に引き上げるという、多くの国民にとって喜ばしくない法案が発表された。W杯のおかげで国全体が祝祭気分、しかもちょうど夏のバカンス期とも重なっている。こんなときに頭を切り替えて現実を直視することができるのは、相当政治に意識的なひとだけではないだろうか。

 この祝祭モードに水を差し、そこに政治の話を持ち込もうとした若者たちがいる。アクティヴィストグループ、プッシー・ライオットだ。

 事件は7月15日、モスクワのルジニキ・スタジアムで起こった。クロアチア対フランスの決勝戦だ。後半が始まって間もなく、警官の服装をした3人の女性と1人の男性がとつぜん試合に乱入。フィールドを走り回って、唖然としている選手たちにハイタッチを求めるなどして愛嬌を振りまいた。プッシー・ライオットのアクティヴィストたちは数分後にはフィールドから引きずり出され、試合はなにごともなかったかのように続行された。プッシー・ライオットは拘束されて、15日間の禁錮刑となった。男性はグループの創設者のひとり、ピョートル・ヴェルジーロフだ。

 それはあまりに短いできごとであり、中継で試合を見ているひとにはなにが起こったのかほとんどわからなかったはずだ。とはいえなにかが起こったこと、試合に邪魔が入ったことはリアルタイムで伝わったのではないか。そうであれば、主催者やメディアは観客に対してなんらかの説明をせざるを得なくなるだろう。結局、この珍事は日本をはじめ世界のマスコミを賑わせることになった。プッシー・ライオット側は事件後すぐにフェイスブックで声明を出し、《警官が試合に参加 Милиционер вступает в игру》という名のこのアクションの政治的・文化的背景を説明して、センツォフら政治犯の釈放を含む6つの政治的要求を掲げた★1
 こうしてプッシー・ライオットの要求は写真とともに世界に拡散していった。たとえばロシアの大手紙『コメルサント』は、アクション同日20時台という早い時点での配信で、このアクションが、政治犯の釈放を求め、またSNSにおける情報シェアのみを理由とする逮捕(残念ながら現在のロシアではそんなこともあるのだ)などの恣意的で不条理な逮捕や、政治競争不在の状況(つまり、野党勢力への弾圧と活動制限)に対して抗議するものだったと伝えている★2。プッシー・ライオットはその後も自分たちが運営するウェブメディア「メディアゾーナ」やメンバーのSNS、それにジャーナリストネットワークを通じて、声明やら新曲やらの夾雑物を取り混ぜつつ、さらなる情報拡散に努めた★3

 そうした情報のなかでとくに効果的だったのは、アクション後、スタジアムで彼らが叱責されている動画だ★4。画面に映っているのはヴェルジーロフともう1人の参加者(ヴェロニカ・ニクリシナ)。彼らに対して、画面の外の警察官らしき人物が、手錠の存在をちらつかせたり、「いまが1937年(つまりスターリンによる大粛清の時代)でなくて残念だ」と言ってみたりする。この動画は、公開当初は「尋問」と呼ばれていたが、あらためて見返すと、年長の警官が困った若者を相手にうんざりしているだけにも思える。いずれにせよ、のちに公開された、今回のアクションの拡散用に作られたメインの動画よりも、こちらのほうがよっぽど興味深かった。メイン動画は声明を読む女性たちの映像、アクション自体の短い記録動画、そして脈絡のない猫のアニメーションが順番に繋げられているもので、いささか魅力に欠けていた。

プッシー・ライオットの顔


 さて、プッシー・ライオットがメディアで全世界的に取り上げられるのはこれが2度目なのだが、みなさんは前回のことを覚えているだろうか。

 彼女たちは2012年2月、プーチンが返り咲くことになる大統領選を前に、クレムリンにほど近い救世主ハリストス大聖堂で、匿名を保つための目出し帽にカラフルでポップなミニワンピースとカラータイツ姿で反プーチン・反キリル総主教のオリジナル・ソング「パンク祈祷」を演奏した。さらに、その映像をインターネットで流通させ、多くのひとの目に触れられるようにした。ロシア正教の教会内では、女性は肌をあらわにした服装は慎むべきだとされ、また彼女たちがやったように教会の祭壇部分に上がることは、女性には禁じられている。プーチン批判の歌詞はさておき、宗教のタブーに触れたこのアクションは賛否両論の議論を巻き起こし、約10日後にはグループの中心人物、ナジェージダ・トロコンニコワとマリヤ・アリョーヒナが逮捕される異例の事態となった。その後、2人は「宗教的憎悪に基づくフーリガン罪」で有罪判決を受け、2年の禁錮刑となっている。

 教会で反政府的な音楽パフォーマンスをしただけで逮捕され、5ヶ月にわたる拘束と裁判を経て実刑判決を受けた彼女たちに対して、世界各地で「Free Pussy Riot」運動が起こり、マドンナやオノ・ヨーコら、世界の音楽セレブリティの大御所が支持を表明した。彼女たちのほうも、裁判で顔を見せるたびに毅然とした態度で罪を否定し、政権や宗教の権威を批判し続けた。このときにはむしろ、逮捕前よりも強烈な印象を与えるようになったと言っていい。先にも触れたように、パンクバンドの形式を用いたアクションでは、彼女たちは目出し帽を被り、匿名性を貫いていた。だから余計に、顔の見える存在となって、自分の意見を忌憚なく、また理路整然と語る彼女たちにはインパクトがあった。トロコンニコワは獄中からスラヴォイ・ジジェクと往復書簡を交わしたりもしている。蛇足ながら、彼女はモスクワ大学哲学科の出身だ。

 矯正収容所に送られてからも、彼女たちは人権を無視した収容所の現状を告発するなどアクティヴィストとしてふるまい続け、存在感を高めていった。その様子は、2017年に発表されたアリョーヒナの手記に詳らかにされている。『ゲンロン9』が刊行されるころには邦訳『プッシー・ライオットの革命』(DU BOOKS)が書店に並んでいるはずだ。わたしはこの本の監修を担当し、翻訳だけでなく、ロシア語版と英語版を読むことになったのだが、ひとりで看守に逆らい、囚人仲間の権利意識を目覚めさせようとするアリョーヒナのまっすぐな姿勢には、驚嘆するばかりか、目がさめるような思いがした。そこにはアート・アクティヴィズムの力があった。

アクションの時間


 では、同じく2012年、ウクライナとポーランドの共催で開催されたサッカー欧州選手権の際に、キエフでFEMENという女性アクティヴィストグループが抗議を行ったことを覚えているひとはいるだろうか。上半身をあらわにし、裸の身体にメッセージを書いて抗議をするのがこのグループの特徴だ。しかし、スキャンダラスなイメージとして裸を使うだけで、そのアクションにはバリエーションも展開もない。宣言文を出したり、情報拡散の方法を工夫したりといった、プッシー・ライオットやピョートル・パヴレンスキーらロシアのアクティヴィストが培ってきたような、アクションを持続させるための戦略は持っていない。サッカー欧州選手権での抗議は街の中心の広場で行われ、競技場に入り込むことすらしていなかった。

 つまり、ナイーヴで直接的なだけではだめなのだ。他方、プッシー・ライオットの、とくに初期のアクションに見られる直接性や子供っぽいナイーヴさは、おそらく戦略的なものだ。そして、声明や動画、音楽や発言、手記、さらには裁判すらもが、アクションを引き延ばし、問題提起を持続させる装置として機能している。ネオンカラーの目出し帽とミニワンピースで、エレキギターを持ってぎらぎらしたロシア正教会の祭壇に上がり、シャウトする匿名の女性たちの姿は、裁判で堂々と権利を主張するトロコンニコワやアリョーヒナ、それに彼女たちのテクストと結びついて、いまも強烈なエネルギーを持ち続けている。

 



 W杯のアクションに話を戻そう。プッシー・ライオットのW杯への乱入は日本のメディアでも紹介され、SNSでは彼らの行為の賛否をめぐって議論が起こった。そこでは、彼らの政治アクションを手放しで褒めるひとたちと、自分たちの主張のためにスポーツの試合という神聖な舞台を侵したと考えるサッカーファンおよびそれに準じるひとたちという2つの陣営に意見が分かれていたように思う。わたし自身はどちらかというと後者に近かったが、のちにロシア人と意見交換したり、実際にロシアに行ったりしているうちに、手放しでは褒めないまでも、プッシー・ライオットの行為にも筋の通った理屈があり、ロシア社会の文脈では正当性があるのではないかと考えるようになった。そして、そのもっとも大きな原因はアリョーヒナの手記だったように思う。社会のなかで政治が暴力として現れている国では、彼女たちのような直截な行為、ナイーヴな言葉が力を持ち得る。
 もちろん、日本では違う戦略を立てなければならないだろう。しかし、ロシアでは目立つ存在となって、目立つ行動をし続けることは有効だ。それは、スポーツやら動物との触れあいやら、子供や若者との交流やらで、強く優しい家父長的なイメージを振りまき続けるプーチン大統領のメディア戦略を見ても明らかだろう。秋田犬「ゆめ」と戯れ、筋骨隆々の上半身をひけらかし、併合後のクリミアに新しく架けた大きな橋を自分で車を運転して渡って見せるプーチンのイメージは、日本人にすら受けがいい。こうしたポピュリスト的なイメージを振りまくやり方は、アクティヴィストたちによって剽窃アプロプリエートされていると言える。

 とはいえ、わたしはやはりプッシー・ライオットのW杯アクションが好きではないし、評価する気にもなれない。すでに触れた通り、アクションの映像も今回は荒削りで、残念ながら単体で作品として見るに耐えない。どうも、プッシー・ライオットはアーティストをやめ、純粋なアクティヴィストになったのだな、という気がしてならない。W杯のアクションにはトロコンニコワもアリョーヒナもおらず、唯一参加していた初期メンバーが、プッシー・ライオットではプロデューサーの役割に徹していたヴェルジーロフだけだからだろうか。いや、「パンク祈祷」による逮捕以前のアクションにあったような、「アート」の部分が弱いからだろう。警官の装いには彼らが尊敬している非公式詩人プリゴフ(2007年没)の作品が文脈としてあるのだが、それもほとんど機能していない。残念ながら、このアクションは視覚面でも言語面でもイメージとしては人々の記憶に残らないだろう。語り継がれるとしたら、W杯決勝戦への乱入という行為だけではないか。もしもメッセージが残り得るとしても、それはメッセージそれ自体ではなく、時代状況からの連想に過ぎないと思われる。

 思想家のオレグ・アロンソンは、「芸術の権利」という、現代美術とはなにかを考察した論考で、アクティヴィズムの芸術家たちが逮捕され、裁判の場で弁明しなければならなくなった近年のロシアの状況を論じている。アロンソンによると、裁判所では、「これは芸術だから許される」という論理が通用しないことが証明される。法の論理とは異なる彼らの論理は、まぎれもなく芸術のそれである★5。つまり、芸術だからOK、という論は通用しない。法的にOKであろうとOKではなかろうと、芸術は芸術として存在するしかない。『ゲンロン2』で紹介したパヴレンスキーは、逮捕を覚悟でロシア連邦保安庁の扉に放火し、実際に逮捕されることで芸術とテロの境界を問うた。他方、ロシアW杯のプッシー・ライオットのアクションには、政治と社会の言語はあっても、もはや芸術の言語は失われたように感じられた。

 最近、トロコンニコワはコンサート活動、アリョーヒナは執筆と演劇活動をメインにするようになり、プッシー・ライオットもバラバラになった感がある。ヴェルジーロフはW杯アクションの約2ヶ月後に原因不明の中毒症状で一時昏睡状態に陥り、暗殺未遂説が流れた。他方、映画監督センツォフの獄中ハンストは4ヶ月目に突入している★6。すべてがシリアスになっていくいま、もはやロシアにはアート・アクティヴィズムの可能性は残されていないのだろうか。スターリン時代を生きた作家のミハイル・ブルガーコフは、過酷な創作状況にあって、「手稿は燃えない」という言葉を残した。今回日本でも翻訳の出るアリョーヒナの手記は、テクストの形でアート・アクティヴィズムの可能性を繋ぐのかもしれない。「いま、ここ」を対象とするパフォーマンスから、文学への戦略の移行であるとも考えられよう。

 


★1 6つの要求は次の通り。  
 1 政治犯を全員釈放すること。  2 「いいね」のせいで投獄しないこと。  3 デモで不法な逮捕をしないこと。  4 国内における政治競争を容認すること。  5 犯罪を捏造したり、意味なくひとを拘置所にとどめおくのをやめること。  6 地上の警官を天上の警官に変身させること。
   6はドミトリー・プリゴフの詩「ミリツァネール礼賛」(1978年)に基づく。地上の警官は悪い警官、天上の警官は良い警官の意味で使われている。W杯期間中、普段は市民に不親切な警官たちが外国人向けに親切な行動をとっているという指摘がSNS上を飛び交っていた。URL=https://www.facebook.com/wearepussyriot/posts/2119334931656431 ★2 Pussy Riot заявили, что выбежали на поле во время матча Франция―Хорватия // Коммерсантъ. 15.07.2018. URL=https://www.kommersant.ru/doc/3687812 ★3 メディアゾーナの特設ページには、アクションの経過がまとめられている。 «Милиционер вступает в игру» // Медиазона. 16.07.2018 URL=https://zona.media/chronicle/pr-na-pole ★4 Опубликовано видео разговора с участниками Pussy Riot после задержания на стадионе «Лужники» // Медиазона. 15.07.2018 URL=https://zona.media/chronicle/pr-na-pole#19495 ★5 Аронсон О. Право на искусство // Силы ложного. Опыты неполитической демократии. М., Фаланстер. 2017. С. 388-415. ★6 2018年10月6日、センツォフはハンガーストライキを終了した。強制的に食事を取らされそうになったことが理由であるという。獄中のセンツォフの手書きメッセージが下記に公開されている。Олег Сенцов: «Я вынужден прекратить свою голодовку с завтрашнего дня». Заявление. Новая газета. 05.10.2018. URL=https://www.novayagazeta.ru/news/2018/10/05/145683-oleg-sentsov-ya-vynuzhden-prekratit-svoyu-golodovku-s-zavtrashnego-dnya-zayavlenie
 

上田洋子

1974年生まれ。ロシア文学者、ロシア語通訳・翻訳者。博士(文学)。ゲンロン代表。著書に『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β4-1』(調査・監修、ゲンロン)、『瞳孔の中 クルジジャノフスキイ作品集』(共訳、松籟社)、『歌舞伎と革命ロシア』(共編著、森話社)、『プッシー・ライオットの革命』(監修、DU BOOKS)など。展示企画に「メイエルホリドの演劇と生涯:没後70年・復権55年」展(早稲田大学演劇博物館、2010年)など。2023年度日本ロシア文学会大賞受賞。
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