性暴力の記事が「目立たなく」なる インターネットの見えざる力 前略、塀の上より(6)|高橋ユキ

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webゲンロン 2023年10月26日配信

 色々なところで書いたり話したりしているため、すでにご存知の方も多いかと思うが、私がライターとして主に刑事裁判や事件について書かせてもらうようになったのは、そもそもブログが始まりだった。女性の裁判傍聴集団を結成してブログを立ち上げ、これが書籍になったことがきっかけである。20年ほど前のことだ。

 とはいえ当時はライターとしてはほぼ素人であり、出版社との繋がりもないため仕事はほとんどなく、ブログを続けながら、夕刊紙や週刊誌に細々と記事を書かせてもらっていた。いったん週刊誌の記者として稼働したのちにフリーのライターとして再始動したが、経験が長くなっても、紙媒体では自分の署名記事の執筆機会はなかなか得られない。ただウェブ媒体は違った。当時は紙媒体よりも原稿料が著しく低かったことから、私のような、よく分からない経緯でライターとなった者にもチャンスがあったのである。

 このように半ば物悲しい理由で、割と早くからウェブ媒体での記事の執筆を始め、いまとなっては年数もそこそこ長くなった。傍聴を続けながら、記事執筆を請け負い、業務の範囲内ではあるが、ウェブ媒体の移り変わりを見てきた。

 刑事裁判や事件というジャンルで記事を書く際に配慮したい事柄はさまざまで、またそれも多くは時代の変化とともに変わってゆく。今回テーマとして扱いたいのは、変わらないことのひとつ、性暴力事件について執筆する難しさだ。

 「難しい」といっても、何がどう難しいというのか。他の事件も同じように当事者や読者に配慮して書いているだろう、とツッコミを入れたくなるかもしれない。今回の「難しさ」のベクトルはそちらを向いているのではなく、ウェブ媒体に性暴力事件を書くこと自体が実は難しいという話である。不可解なことが起きて、記事が思うように読み手に届かないことがあるのだ。それも一度や二度ではない。

 各媒体に公開された記事は、ニュースのプラットフォームにも配信されることがあり、たとえばLINEニュースやスマートニュース、Yahoo!ニュースなどで読むことができる。こういったプラットフォームを利用してニュースをチェックする人のほうがメジャーかもしれない。だが、性暴力事件を扱った記事は、プラットフォーム側で目立たないようにするといった措置が取られるようなのだ。

 SNSを介してニュースのトレンドをチェックする人もいることだろう。ところがここでも、ニュースのURLが記された発信に、制限と思しきものがかかってしまうことがある。思しきもの、とか、取られるようだ、などとはっきりしない調子で書いているのにも理由がある。SNS運営会社やプラットフォーム側はどのようなプロセスを経て、記事のどの部分に問題があると判断したかを明確にしない。発信する側は、それを推測することしかできないが、結局のところ、性暴力の記事はインターネット上で有害な性的コンテンツだと判断されているのではないか? というのは、昔からよく聞かれる話である。

 今年執筆したもので言えば、こちらの記事。

高橋ユキ

傍聴人。フリーライター。主に週刊誌系ウェブ媒体に記事を執筆している。『つけびの村 噂が5人を殺したのか?』(晶文社)に新章を加えた『つけびの村 山口連続殺人放火事件を追う』(小学館文庫)が好評発売中。『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社新書)、『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、古くは『霞っ子クラブ 娘たちの裁判傍聴記』(新潮社)など殺人事件の取材や公判傍聴などを元にした著作多数。

2 コメント

  • nankai4go2023/10/26 21:40

    プラットフォーム側の意図で取捨選択された後のニュースだけが表示されるのはよくないのではと思う一方、子供には刺激が強いニュースを見せるのはどうかと思いますし、性暴力事件のニュースを見ることでフラッシュバックが起こってしまう被害者などもいるであろうことを考えると、どうしたものかと思ってしまいます。ネットの情報もゾーニングできたり、受け取る側が取捨選択できるようになるといいのでしょうかね。

  • Hurdanmori2023/10/29 10:37

    性犯罪を扱うネット記事が直面する、極めて重要な問題な問題が提起されている。そして、それは性犯罪を扱う記事にとどまらない問題ではないかと感じた。 我々ネット記事の読者が、顧客ではないと言う意味においてユーザーではないという、ゲンロンが常に主張している「無料とは何か」の問題にも繋がるものだ。 YouTubeを利用する際に、迷惑系などと呼ばれる配信者を、仮にYouTubeプレミアムで課金しても、視聴者側はそこにお金が回ることを排除できない。広告収入で回すビジネスモデルにおいては、課金は広告表示が少しばかりキャンセルされるだけで、バズる事と収益の関係性になんら影響を与えない。 表現の規範はプラットフォーム次第であるという問題には、何の影響もないのである。 この記事が提起している問題は極めて重大だ。我々がネット記事を読む際に、更に読む前の探す段階においても、明文化されているか否かに関わらず、プラットフォーム側が作っている規範を常に裏読みしなければならないのだから。 話を戻すと、性犯罪を扱う際に重要な問題が、使う単語や表現を「自主規制」しないとネット記事にできない、できたとしても問題の本質が捻れたり、届くべき人に届かないという事は、極めて重大な問題だと感じた。 そして、この記事がwebゲンロンだからこそここまで踏み込んだ記述ができたということも、大きな意味があるだろう。

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