当事者から共事者へ(7) 笑いを通じた死との共事|小松理虔

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初出:2020年09月23日刊行『ゲンロンβ53』

 小松理虔さんの大好評連載「当事者から共事者へ」、9月23日配信予定の『ゲンロンβ53』より第7回を先行公開します。
「事故物件」に住むお笑い芸人の芸から、生者であるわたしたちにはけっして「当事者」になれない「死」への共事を考えます。どうぞお読みください。(編集部)
 
 死について考えたいと思っている。8月だから、というのもあるかもしれない。田舎の家に行くと、仏壇に先祖の遺影が飾られているところが多い。畳の部屋にごろ寝していると、その家のご先祖に見張られているような気持ちになることがよくある。瓦屋根の古い日本家屋、迎え火に送り火、畳、線香、蝉の鳴き声、軍服や和装の遺影。夏はやはり故人のこと、死者のことを考えてしまう。

 いや、死について考える、といっても、そこから何か宗教的な話や、哲学的な問いを立てるというわけではない。ぼくの身体に、死についてリアルに考えなければならないほど差し迫った何かがあるわけでもないし、家族や友人が亡くなったわけでもない。いつものノリで、自分が体験したものや、自分が興味や関心を抱いているものを通じて考えてみるだけである。ぬるくてゆるい。それが共事のいいところだ。
 
 
 松原タニシというお笑い芸人がいる。肩書きは「事故物件住みます芸人」。事故物件とは、不動産取引の対象となる土地や建物のうち、前の居住者が、そこで事故や事件などで死亡した経歴があるものをいう。松原タニシは、各地の事故物件に住み、そこでの体験を面白おかしく怪談仕立てにして披露するという芸人だ。松竹芸能に所属している。まだ無名だった頃、「北野誠のおまえら行くな。」というテレビ番組に出演し、事故物件で幽霊を撮影できたらギャラがもらえるという企画で事故物件に住むことになったという。それが2016年。これまでに暮らした事故物件は10軒を数える。過去の居住遍歴などをまとめた著書は3冊にのぼり、本人のツイッターによれば、3冊合計の累計発行部数は、なんと20万部を超えるという。もはや立派な作家だ。主著の『事故物件怪談 怖い間取り』は、この夏、監督・中田秀夫、主演・亀梨和也で映画化もされている。テレビのバラエティ番組にガンガン出ているわけではないのでお茶の間ではあまり知られていないかもしれないが、今、最もノリにノっている芸人の1人だ。

 では、このタニシさんの芸と「共事」との間にいかなる関わりがあるのか。冒頭でシンプルに結論を示しておくと、彼の芸は、彼自身「お笑い芸」としてやっているにもかかわらず、本人の意図していないところで、結果として、「死と向き合う」という、宗教的、福祉的な回路に接続されてしまうのだ。ぼくはそこに共事を見る。この連載で毎回考えてきたように、本人はそうとは思っていないのに、自分の好きなことや興味のあること、ともすればふまじめにも見える行為を通じて、課題解決の小さな糸口を見つけてしまったり、とてつもなく質の高いアウトプットを生み出したりしてしまう。そういうポジティブなエラーや「誤配」が生まれるような関わり方を、ぼくは「共事」と捉えてきた。タニシさんの芸もまた、「笑い」や「ふまじめさ」を通じて、死や老い、孤独死という社会課題に接続されてしまう取り組みに見える。極めて「共事性」が高い芸風なのだ。そこで今回は、いわき市内で開催され、実際にぼくも鑑賞した松原タニシによる2回のライブ、著書などを手がかりに、笑いがもたらす共事について考えてみたい。
 
 
 まず、ぼくとタニシさんの関わりについて少し触れておこう。ぼくがタニシさんと出会ったのは、この連載の2回目で紹介した、いわき市の高齢者福祉メディア『いごく』の主催するイベントに彼がゲスト出演したときのことだ。それまでぼくは「松原タニシ」という名前すら知らなかったのだが、ライブもトークも大変好評で、ぼく自身も大きなインパクトを受けた。それで、その後にもう1度、いごくが主催する「いごくフェス」というイベントにも出演いただいた。かれこれ2年近く、ゆるい関わりが続いている。タニシさんの3冊目の著書『怖い間取り2』のあとがきには、「いごく」についての記述がある。タニシさんの活動に何かしらいい影響があったのだとすれば、とてもうれしく思う。

事故物件を楽しむ


 では、2018年10月にいわき市で開催されたライブから話を始めよう。

 タニシさんがまず語り始めたのは、これまでに住んだ事故物件の遍歴だ。どの物件でもしっかり映像が撮影されており、トークはその映像と共に展開されることになるのだが、どの映像にも不気味な物体が映り込んでいる。例えば1軒目の事故物件では、「オーブ」と呼ばれる白い発光体がいくつも映像に収められていた。最初はぼんやりと白い光を放ち、浮遊しているだけのオーブだが、突如として大きな動きを見せる。どんどん数が増えて渦巻きのような形になったり、一瞬にして煙のようになったり、あるいは一反木綿のような形になってタニシさんを覆い隠したり、まるで人格を持ったかのような動きを見せるのだ。タニシさんはトークでそれにツッコミを入れ、その動きを笑いに変えていく。ただ、現実にはさらに不気味なことも起きていたようだ。そういう物体が撮影されると、決まってタニシさんは災難に見舞われるのだという。マンションの前でひき逃げにあったり、スマホから意味不明のノイズが聞こえて通話ができなくなったり、気味の悪いエピソードも続々と紹介される。

 しかしそのエピソードを語る際も、タニシさんのトークの軽妙さも手伝って悲壮感はなく、その状況を楽しもうとする雰囲気がよく伝わってくる。面白いのは、事故物件に引越しを繰り返すうちに、タニシさんが「オーブ」などの超常現象に慣れてしまうことである。恐怖心が薄れ、次第に好奇心が生まれて、虚空に向かっておしゃべりをしたり、面白おかしくその様を実況したりと悪ノリしていくのだ。普通なら怖がって逃げてしまうところだが、興味本位で、積極的に距離を狭めていくのがタニシさんのスタイルのようだ。

 そしてその末に、タニシさんは、事故物件と呼ばれるに至る「事故」の経緯や、その事件の犠牲者の人となりや暮らしぶりを調べ始める。さらには、物件や地域の歴史までにも興味が至るようになり、結果的に3冊の本には、事故物件居住遍歴だけでなく、日本各地の心霊スポットへの観光の記録も綴られている。

 タニシさんは、そうして好奇心を膨らませていくうち、自殺してしまった人の人生や、その家族の物語などにも行き当たってゆく。ともすれば、タニシさんの話は「オカルト」に属する話かもしれない。けれども、いたずらに恐怖心を煽っているわけではない。話を聞いているうちに、あるいは本を読んでいるうちに、次第に「事故物件」というレッテルが引き剥がされ、死ではなく固有の「生」の物語が立ち現れるように感じられるのだ。本人は、事故物件で起きる不気味な話を面白おかしく話しているだけなのに。
 
 ライブが終盤に差し掛かると、タニシさんのふまじめな笑いによって謎の回路が開かれたのか、ぼくは、その都度ゲラゲラと笑いながらも、別の方向へと思考を走らせていた。例えば、なぜそれらの物件は「事故物件」と呼ばれるようになったのか、「孤独死」とは一体何なのだろうとか。さっきまで漫談を聞いて笑っていたのに。完全にタニシさんのペースに引き込まれてしまったのだろう。

控えめな声のトーンや飄々とした佇まいも相まって、タニシさん本人も何となく亡霊のように見えるのが何とも面白い
 

 2011年、民間の調査機関であるニッセイ基礎研究所が、インパクトのある調査結果を発表した★1。それは全国の65歳以上の孤独死者数の推計値である(この統計では「孤立死」という言葉が使われているが、これは「孤独死」とほぼ同義だ。ここではより一般に普及している後者を用いる)。

自宅で死亡し、死後2日以上経過したケースを孤独死と定義した場合、年間で26821人もの人が孤独死しているのだという。高齢者だけでこの数字だ。調査結果は新聞などでも広く発信され、社会にも大きな衝撃を与えた。ちなみに、内閣府の調査を見ると、同じ2011年における65歳以上の死者の数は125万人とされているから、死者のうち2パーセントが孤独死という計算になる。またこんなデータもある。東京都観察医務院が公表しているデータによれば、1人暮らしの単身世帯主が自宅で亡くなることを孤独死と定義した場合、2018年の東京23区の孤独死者は5500人を数えるという★2。こちらも、様々なメディアで紹介されている。グーグルを検索すれば、そうした数字や記事にいくつも行き当たる。

 ニッセイ基礎研究所の調査結果を報じた朝日新聞の記事には、孤独死の専門家がこんなコメントを残している。「高齢者の孤独死は、生前に身の回りの衛生管理や他人との交流が欠落している場合が多く、尊厳が保たれた最期とは言えない」と★3。孤独死の背景には、社会とのつながりが切れた状態、いわゆる「関係の貧困」がある。関係する論文などをネットで探して読んでみると、関係の貧困は、経済的な貧困と紐づけられて語られることも多いようだ★4
 専門家に「尊厳が保たれた最期とは言えない」と言われてしまうと、孤独死したら、その人の人生が全面的に否定されたような気がしてしまう。これだけ1人暮らしの世帯が増え、多くの人たちが地域のコミュニティや医療と切り離されてしまっている今、地域福祉や在宅医療の充実化、コミュニティの再生はもちろん欠かせないけれども、一方で、「孤独死」という言葉の持つイメージや、そのイメージから醸し出される忌避感を解きほぐすことも必要ではないだろうか。身も蓋もない言い方だけれど、別に孤独死だっていいじゃないか。いやむしろ、誰かに看取られていようといまいと、死というのは元来孤独なものなのではないかとも思う。孤独死にネガティブなイメージを与えれば、逆に「理想の死」のイメージを膨らませてしまうことになる。だが高齢者の数が増え続ける以上、今後はますます「理想的ではない死」のほうが増えていくだろう。ぼくもあなたも、今のままでは望まぬ最期を迎える可能性が高い。重要なのは、言葉に踊らされることなく、その人なりの「死生観」を涵養する思考の機会なのではないだろうか。
 
 
 単独ライブ後には、いわき市で在宅医療に力を入れている現役医師と、地域包括ケア推進課の職員、そしてタニシさんの3人による鼎談も行われた。実はこの日のライブ、単なるお笑いライブではなく、「芸人と考える、これからの死」というタイトルがつけられていた。会場は、いわき市の保健福祉センターだ。テーマや会場の雰囲気も手伝ってか、トークでは、孤独死の現状、高齢者の孤独を防ぐための取り組みなどについて盛んに議論が交わされた。しかしタニシさんは、ほかのゲストと激論を交わすというより、自分の怪談が福祉や医療と親和性が高いことにまだ納得できていない様子で、少しポカーンとしていたように見えた。むしろ、周囲の当事者や専門家のほうが、タニシさんの悪ノリに「福祉性」のようなものを見出してしまい、それに触発されているようだった。

 イベントを企画したのは、福島県内で介護施設や薬局を運営する有限会社ネットワーク調剤という企業の代表で、薬剤師の小野寺大樹さんという方だ。小野寺さんに話を伺うと、「ネガティブに語られている事故物件という言葉を、芸人ならではの言葉でポジティブなものに変化させ、死や老いについて考えるきっかけを作りたかった」そうだ。薬剤師や介護職員にとって利用者の死は身近だ。だからこそ、できるだけその人の望んだ最期を迎えられるようサポートしようと日々業務に当たっている。しかし、望んだ最期を迎えられる人ばかりではない。地域の医療体制や司法制度にも大きな壁がある。それ以前に、自分を含む家族の死について考えること、語ることが忌避されていることにも大きな問題があるという。そこで小野寺さんは、芸人のふまじめさで語りにくさを解体し、誰もがカジュアルに死について考える場を作ろうとした。医療福祉の「当事者」が、お笑い芸人という「共事者」に場を託したのだ。

鼎談企画では、タニシさん(中)のほか、いごく編集長の猪狩僚さん(右)、医師の松田徹さん(左)が、介護や医療、看取りなどについて語った
 
 ちなみに、タニシさんのふまじめさは、医療福祉業界ではない別の業界にも福音をもたらしているようだ。タニシさんが事故物件への引越しを繰り返していくことで、事故物件が事故物件でなくなるのだ。

 どういうことか。事故物件を誰かに貸し出す場合、不動産業者は基本的に前の住人が亡くなっていることを次の住人に告げなければならない。ただ、住人がその物件で亡くなったとしても、その後1度でも誰かが入居すれば、次に住む人に対する告知義務はなくなるのだという。つまり、タニシさんが住むことによって、契約上は「事故物件」でなくなるというわけだ。いや、正しくは、それを伝えなくていいというだけで、誰かが死んだという歴史は変えられない。にもかかわらず、事故物件としてとらえられなくなるというのは、まるで「お祓い」である。

 タニシさんは著書『事故物件怪談 怖い間取り』でこう書いている。「もし僕がそこに住みたいといえば、オーナーの悩みが解消されるわけだ。これが実現すれば、まさに事故物件ロンダリングである」と。うちの事故物件に住んでもらいたい。そんな声があちこちから寄せられており、タニシさんは、もはや書くネタに困らない状態になっているのである。
 
 
 しかしタニシさんが語り続ける限り、本当の意味での「ロンダリング」にはならない。タニシさんの怪談は、そこで死を迎えざるを得なかった人の存在を漂白せず、敢えて記録する取り組みだからだ。記録があることで、ぼくたちはその人のことを考えることができる。死んだ瞬間は孤独だったかもしれないが、タニシさんが記録し続けることで、彼らは本の中に生き続けることになる。そんなふうに、想定外の効能をあちこちにもたらしていることが何より面白いのだ。
 

エロ本と慰霊


 タニシさんがライブで紹介してくれたエピソードで、興味深いことがもう一つある。前述したトークライブではなく、その後に開催された「いごくフェス」内で披露されたエピソードなのだが、これも紹介したい。
 
 
 タニシさんはある日、70手前の男性が孤独死したという部屋の掃除に向かった。その死者の娘さんも同行したという。孤独死の現場は、亡くなった父親と娘さんが長く過ごした自宅だった。両親が離婚し、母親と暮らすことになったという娘さんにとっては、およそ20年ぶりの里帰りだったそうだ。娘さんが遺品を整理するため部屋を掃除していると、大量のエロ本の切り抜きが見つかる。ほとんどが女子高生や女子中学生をモデルにしたものだった。思わぬ遺品を目にすることになったタニシさんだが、片付けを終わらせるべく清掃活動を続け、最後に寝室が残った。タニシさんは、その日の夜、父親が死んでいたまさにその寝室に泊まることにした。しかも、遺品の中にあった、かつて娘さんが着たという七五三の着物を無理やり羽織って泊まったそうだ。「もしかすると亡くなったお父さんと会話ができるんじゃないか」と考えたらしい。孤独死の現場で、あまりにもふまじめな行為にも思える。
 その夜、エロ本に囲まれた布団に座ったタニシさんは亡くなった父親の霊に声をかけた。「娘さん、かわいいですね」、「娘さんのこと大事に思ってたんですね」。そう声をかけたがなんの反応もない。しかし「娘さんにエッチな本を見られて今どんな気分ですか?」と聞くと、台所から「カンッ」と金属音がなったそうだ。そこで「お父さん、まだここにいるんですか」と聞いたが音はない。そこでまた「お父さん、エロ本・・・」とタニシさんが話しかけると、再び「カーン!」という金属音が鳴り響いたのだそうだ。「それ以上言うな」というメッセージのように聞こえたとタニシさんは述懐する。
 
 
 このエピソードに、会場は大爆笑。死人に口なしとはいえ、非業の死を遂げたかもしれない人をネタにするなんて、あまりにもふざけている。しかもライブ会場の人たちは、決してタニシファンばかりというわけではなく、ごくごく普通の一般市民のほうが多かったはずだ。ところが、タニシさんの行為に腹を立てるそぶりはなく、多くの来場者が微笑んでいたのが印象的だった。父親との「カンッ」のやりとりが、死者を冒涜しているのではなく、タニシさんが自分にしかできないアプローチでコミュニケーションを図ろうとしていることを、ともすれば、それが「供養」につながっていることを、多くの人が感じ取ったからかもしれない。

 タニシさんは、エロ本という象徴的な遺品を媒介にして、死んだ男性と向き合おうとした。そして残された娘さんもまた、タニシさんの芸を通じて父親と向き合った。タニシさんが媒介となって、結果として、死者と生者の間に橋がかかってしまったのだ。

 それだけではない。タニシさんの振る舞いによって、悲しい死を遂げたかもしれない父親に親しみやすい人格が与えられ、カンッというふざけたエピソードが挿入されることで、観客と父親の間にも橋がかかってしまうのである。観客たちは、いつの間にか、その父親はどのような最期を迎えたのだろう、どのような人生を歩んでいたのだろう、自分の父はどうだったろうかと、その孤独死した男性や、自分の家族のことを思わず考えずにいられなくなってしまう。笑いが、死者を偲ぶ回路を作り出してしまうのだ。もはや「慰霊」や「弔い」といってもいいのかもしれない。仏教の僧侶には絶対に不可能なやり方だが、タニシさんなりに、死者と向き合い、弔っているのである。
 
 
 霊なんてものは、いないといえばいない。けれど、その霊の存在を必要としている人はいる。いや、霊という存在を必要としていなくても、霊という存在を通じて「思考」が生まれる。そこにフィクションの可能性が開かれている。タニシさんは、父親の霊がそこにあるものとして振る舞う。映像に映り込んだ「オーブ」もまた、何かの意志を持った存在だとして振る舞う。その振る舞いが、半ば強引に、観客を死者について考える回路に連れていってしまうのだ。

 ぼくたちもまた、霊がそこにいるかのように振る舞うことはある。お盆の時期はそうだろう。ご先祖の霊が、その時間だけは家に戻ってくる。そう思って、故人との思い出を話したり、「この部屋に戻ってきているかもしれない」などと口にしたりしながら、死者を思うのだ。霊魂が実態としてそこに存在していると思っているわけではない。けれども、そうして共にいることを感じることで、大切な人を失った悲しみが癒されたり、故人との記憶が次の世代に伝わったりする。そういう営みを、ぼくたちはごくごく自然に行ってきた。
 もちろん、だからと言って、前述した「オーブ」や「不吉な出来事」まで信じろというわけではない。多くの人にとってタニシさんの怪談は「んな、アホな」で終わりである。けれど、アホだからこそ、ネタだからこそ虚構は立ち上がる。観客は「んなことあるかいな」と言いながら、嘘だとわかっていて、それでもなおタニシさんの虚構の空間に「共事」してしまうのである。だからこそ観客たちは、虚構に巻き込まれるうち、死について、老いについて、あるいは孤独死や独居高齢者といった社会課題について、家族について、自由に考えを広げてしまうのではないだろうか(繰り返すが、これはぼくの勝手な解釈で、おそらく、タニシさんは自分ではそうとは思っていないだろう)。

 前々回の寄稿で、柳美里さんの演劇作品『町の形見』を題材に、フィクションの力について考えた。当事者の辛さは、誰も経験できないような辛さゆえ、多くの人にとっては「他人事」になってしまう。だからこそ、現実を通じて当事するのではなく、虚構を通じて共事することが必要なのではないか、大きな悲しみが他者へと受け継がれて初めて、悲しみは他人事ではなく自分の体内にあるものとして感じられるようになるのではないか、ということを書いた。

 タニシさんの怪談もそれと似ている気がする。科学的に考えれば霊など存在しない。それは「事実」である。けれど、人間は機械ではない。どうしたって死に対して恐怖を感じたり、死者と言葉を交わしたいと思ったりしてしまう。東日本大震災の後にも、被災地で幽霊がたくさん目撃されたことがあった。死者と生者をつなぐ回路を、ぼくたちはどうしたって求めてしまうのだ。その求めの声に、「霊能者」や「宗教家」としてではなく、「芸人」として応答しているのが松原タニシなのだ。孤独死という、個人としても、社会としても最大級の課題に、ふまじめな回路を通じて接近し、お笑いという虚構を立ち上げ、故人を偲ぶ慰霊や追悼、社会課題を考えるような時間を、結果としてつくり上げてしまうのである。

 思えば芸人とは、そもそもそのような生き物ではなかったか。「河原者」と自ら差別される側に身を置くことで、生者と死者のあわいを行き来し、虚構を通じて両者の間に橋をかける。悲劇や喜劇を通じて、死者と出会う場を作るのが芸人だったはずだ。その意味で松原タニシという芸人は、まさに「生粋」の芸人だと言えるのかもしれない。松原タニシが、東日本大震災の犠牲者を、どのように「笑う」のか、ちょっと見てみたい気もする。

死を取り戻す


 ぼくたちの祖父祖母の時代、死は、今よりもぼくたちの身近なところにあった。誰もが家で最期を迎えた時代である。誰かの産声が響いた部屋はそのまま、誰かの死を嘆く悲しみの涙が流れた部屋であった。経済が発展し都市化が進むにつれ、核家族が増え、それぞれが世帯を持つようになった。死の痕跡を残す「実家」や「本家」と離れた都市での暮らしから、死は少しずつその存在感をなくしていった。と同時に、医療が急速に発展し、ぼくたちの平均寿命は大きく伸びた。ぼくたちの死に場所は、自宅から病院にすっかり変わっている。これからは、老人介護施設で最期を迎える人が増えていくのだろう。葬儀を担うのは僧侶から葬祭場のスタッフへと変わり、時代に応じたサービスが安価に受けられるようになった。おかげで葬儀は立派になった。けれど、存命中に家族の死について考える機会は減った。死は見たくないもの、縁起でもないことになり、その忌避感ゆえ「事故物件」や「孤独死」という言葉がクローズアップされるようになった。それらの言葉は、死に強いケガレのようなものを付与し、死は、死者たちは、さらに暮らしの周縁のほうに追いやられている。

 現実には、今後ますます多くの人たちが孤独死していくことになるのだろう。「おひとりさま」が増え、団塊の世代が一気に寿命を迎える「多死社会」に突入している。事故物件や孤独死は、ますます当たり前の風景になっていくはずだ。それなのに、ぼくたちは自分たちの首を絞めるような言葉を発明し、死を不可視化している。それが続けば、より多くの「望まない死」を迎えることになる。タニシさんの芸は、そんなふうに、ぼくたちと死の距離感を鋭く問うてもいる。

 タニシさんは、先ほど紹介したエロ本の父親について、こんなことを著書『事故物件怪談 怖い間取り2』に書き残している。「死してなお、娘に自分の醜態を晒すことを拒む父親は、妻からも娘からも愛されることなくこの世を去った。だが、最後まで娘を愛していたのは確かだったのだろう。そして孤独な晩年を過ごした父が、愛されたかった娘に最後引き取られたことは、唯一の救いだったのではないだろうか」。こんなふうに、「救い」という言葉を用いて死者との対話を振り返る。それをお笑い芸人がやってしまうのだからやっぱり面白い。
 
 
 コロナ禍。メディアには連日死者の数を報じる数字が踊る。世界中でその数は増え続けている。ということは、増えた数だけ、死がぼくたちの身近なところに溢れていることになる。けれども、死との距離は縮まってはいない。むしろ、大勢の人たちが、リスクをゼロにする方向に強く意識を向けてしまっているように見える。徹底して感染を忌避し、感染者を差別し、感染流行地からの人の流れを遮断している。ぼくたちは、死なないためにこそ、感染しないためにこそ、人と距離を置いたわけだ。そして、死から離れた結果、ぼくたちは人と人の距離を見失い、次第に生の実感まで失ってしまったように見える。死にたくなくて感染から距離を置いたら、生きる力も失調してしまった。そんな感じだろうか。ぼくたちが今一度取り戻すべきは、適切な「死との距離感」なのかもしれない。
 
 ぼくはこの数ケ月間、ずっと、人は理由もなく、あっけなく死んでしまうということを感じてきた。そればかりは本当にどうしようもない。その人をどれほど愛していても、その人がどんなに大きな夢を持っていようと、その人がどれほど国民から愛されていようと、人は、死ぬときはあっけなく死んでしまう。ぼくはそのことをコロナ禍で「再確認」した。人はあっけなく死んでしまう。そのことを強いリアリティを持って考えたのは震災だった。ぼくは生き延びた。けれど、犠牲になった人とぼくとの間にそれほど大きな差があったとも思えない。死んでいたのはぼくかもしれない。一方で、死者が、ぼくたちの心に生き続けていること、死んだのだけれど生き続けることがあるのだということも、震災から学んだ。

 では、ぼくは生きているのだろうか。しっかりと生きているようにも見える。けれど、常に死に晒され、死に近づいている。言葉では説明が難しいが、ぼくは、震災で1度死んだ気がするのだ。今はただその余生を生きているという感覚が強い。なんというか、確固たる「ぼくだけの生」が、たぶんあのときに終わったのだ。『新復興論』の「おわりに」に、ぼくはこんなことを書いた。いつか自分が死んであの世に行ったとき、震災で犠牲になった人たちに「皆さんの分まで生きてやりました」と胸を張って報告したい、勝手に死者を背負い、最後まで自分の人生を生き抜くんだと。ぼくの体には大勢の死者がいる。その意味で、ぼくの生は、ぼくだけのものではない。死者に、常に見張られているからだ。さっき、確固たる「ぼくだけの生」が死んだ気がすると書いたのはこの感覚のせいだ。では、ぼくだけの生よりも重要な、ぼくだけの生を超えた生はあるのだろうか。ぼくは、こう考えている。多くの犠牲に報いるためにこそ、ぼくは責任を持ってぼくの人生を全うしなければいけないと。ぼくだけの生ではないからこそ、ぼくだけの人生を歩み、全うしなければならない。わけがわからないかもしれないけれど、そういうことなのだ。

 タニシさんもまた、何万という「事故物件」や「孤独死」という膨大で匿名的な死と、そこにあった固有の死との間を行き来し、勝手に死者を引き受け、笑いの場を作り続けている。本人はそうは思っていないだろうけれど、ぼくにはそのように見えて仕方がない。

 そのうえでもう1度、トークや本の内容を振り返ってみると、数ある事故物件の死者たちの中に、なんだか自分にも似た死者を見出してしまうのだ。エロ本に囲まれて孤独に死んだ父親は、未来のぼくかもしれない。そう思うと、ゲラゲラと笑ってばかりもいられなくなる。
 
 
 老いや死は、人間にとって最大の課題だ。けれども、死に対しては誰も当事者になれない。死と当事したら死者になってしまうからだ。特別な臨死体験でもしていない限り、死を当事者として語れる人は今のところ存在しない。つまり死に対しては、共事することしかできないのだ。だから、死を考えることは、常に等しく「ふまじめ」さが付きまとう。思えば、表現に関わる人たち、作家と呼ばれる人たちもまた、死をテーマに作品を作り、世界中でそれを発表してきた。死について考える芸人というのは、実は最も共事者らしい存在なのかもしれない。

 生者は死に当事できない。死は人間にとって最大の課題であるにもかかわらず、生きている当事者はいないのだ。そんな当たり前すぎることを本稿の結論に書くのは無学を晒すようで気がひけるのだけれど、ぼくのような素人にも、専門的な知識がない人にも、ふまじめな芸人にも、死は、すべての人たちに共事の扉を開く。それはとても重要で、痛快で、しかし、とても暖かく、希望的なことだとぼくには感じられる。人は当たり前に死ぬ。そして、死にはふまじめに共事することしかできない。それが今のところぼくが考える、「死との距離感」である。

★1 ニッセイ基礎研究所「セルフ・ネグレクトと孤立死に関する実態把握と地域支援のあり方に関する調査研究報告書」。PDFが以下のサイトからダウンロードできる。 URL= https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=39199?site=nli
★2 東京都監察医務院「年齢階級(5歳階級)、性・世帯分類別異状死数(自宅死亡)、東京都特別区、平成30年」 URL= https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/kansatsu/kodokushitoukei/kodokushitoukei30.html
★3 「孤独死、推計2.7万人 つかめぬ実態『国に定義なく』」、朝日新聞デジタル、2018年9月18日。URL= https://www.asahi.com/articles/ASL5X55P8L5XTIPE026.html
★4 松宮朝「高齢者の『関係性の貧困』と『孤独死・孤立死』――愛知県愛西市の事例から」、『日本都市社会学会年報』30号、2012年を参照した。  

小松理虔

1979年いわき市小名浜生まれ。ローカルアクティビスト。いわき市小名浜でオルタナティブスペース「UDOK.」を主宰しつつ、フリーランスの立場で地域の食や医療、福祉など、さまざまな分野の企画や情報発信に携わる。2018年、『新復興論』(ゲンロン)で大佛次郎論壇賞を受賞。著書に『地方を生きる』(ちくまプリマー新書)、共著に『ただ、そこにいる人たち』(現代書館)、『常磐線中心主義 ジョーバンセントリズム』(河出書房新社)、『ローカルメディアの仕事術』(学芸出版社)など。2021年3月に『新復興論 増補版』をゲンロンより刊行。 撮影:鈴木禎司
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