アンビバレント・ヒップホップ(3) 誰がためにビートは鳴る|吉田雅史

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初出:2016年06月10日刊行『ゲンロンβ3』

1. ビートの所有者を巡って


 ヒップホップのビートは誰のものか。それが特定の楽曲を指しているのであれば、その作者のものと考えるのが妥当だろう。それではサンプリングされた音源を繋ぎ合わせて制作されたビートは、一体誰のものなのか。個々の音源には、当然、著作者の権利が付随する。それでは、それらが組み合わされたときに生まれる新たなグルーブについてはどうか。

 ヒップホップにおいては、サンプリングという特異な制作方法が中心だった時代から、音源の実作者にまつわる議論が行われてきた。そして1曲の楽曲に対して、共作者という形で、複数の作者が存在することを1つの解としてきた。しかしここで同時に考えてみたいのは、そうした特殊な性質を持つヒップホップのビートやグルーブが不特定多数のリスナーに享受されるとき、それらは誰に帰属し、どのように楽しまれてきたのかという点だ。そのために、いわば「ビートの公共性」なるものに着目してみたい★1

 この議論には2つの目線を伴う。1つは楽曲の作者を巡って公共性を考える視点。もう1つはそれを楽しむオーディエンス側の視聴環境を考察する視点だ。

 まずは作者を巡る議論から始めてみたい。

 ブロックパーティから生まれたヒップホップにおいて、ブレイクビーツは誰か特定の個人のものではなかった。Incredible Bongo Bandの「アパッチ」やジェームズ・ブラウンの「Funky Drummer」のビートはDJによって何度でも反復され、オーディエンスたちは心ゆくまで踊り続け、ビートに体を預けた。ブロックパーティは不特定多数に開かれたもので、そこで楽しまれる音楽はある種の公共性を持ちえていた。

 やがて70年代末よりシュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」を初めとするラップミュージックがレコーディングされるようになるが、これらは従来のディスコミュージックの歌の代わりにラップを乗せたものに近かった。ここで留意しておきたいのは、これらの生バンドによるディスコミュージックは、「ラッパーズ・ディライト」が使用したChicの「Good Times」(1979年)のように、既存の曲を下敷きにしたものであったことだ。ゆえに権利関係を巡るやり取りが発生する。この曲の初期バージョンをディスコで耳にしたChicのナイル・ロジャースは、自身の著作権を主張し、最終的にナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズの2人が「ラッパーズ・ディライト」の共作者として名を連ねることとなる。この一連の出来事は、ヒップホップのコミュニティ内で共有されていたビートの「公共性」という価値観が、その外側の一般社会と接触し、その意味を問われた事象と言えるだろう。そしてそこには商業的な成功に伴い、最早アンダーグラウンドなものとして成立しえなくなったという理由もあった★2。その後、「ラッパーズ・ディライト」の成功もあり、数多くのアーティストにより何バージョンもの「Good Times」が変奏される。つまり「Good Times」とそのグルーブは、ある意味では公共財のような機能を果たしていたと言えよう★3

 そして1980年代後半に、サンプリングの季節が到来する。サンプラーという技術の結晶を手に入れたビートメイカーたちは、レコードの任意の部分を自由に繋げることができるようになる。ブロックパーティのDJによるブレイクビーツの2枚使いを、サンプラーが代替するようになるのだ。先人たちが残した、無限に近い音源で構成された遺跡(=中古レコード屋)を探索し、掘り起こしたフレーズとフレーズ、グルーブとグルーブを繋ぎ合わせる。そのようにして、異質なフレーズ同士が出会うことで生まれた数々のクラシックは、かつてフランスの詩人ロートレアモンが述べた通り、手術台の上で出会ったミシンと蝙蝠傘のように美しかった。ヒップホップを標榜するコミュニティの中では、これらの無限の音源=フレーズや、そこに宿るグルーブは、誰もが自由に引用可能な公共性を帯びていたのだ。つまり、ここではブランショやバルトの言った「作者の死」が公共性の根拠となっていると言ってもよいだろう。ビートメイカーも、リスナーも、そしてDJも、無意識的にそのような認識を共有していたのだ。
 サンプラーの誕生当初はハードウェアの制約によって、サンプリングできる時間は極端に短かったが、やがて数小節にわたって原曲をそのまま引用することも可能となる。それはつまり、サンプリングソースが明確になることでもある。当初はアンダーグラウンドな営みであったヒップホップも、徐々に拡大しレコードセールスも伸びるようになり、やがて1990年代以降、権利を巡る問題に突き当たる。

 有名なビズ・マーキーの「Alone Again」訴訟問題。この曲は彼のトレードマークであるユーモアを最大限に発揮したものであったが、ギルバート・オサリバンの楽曲をそのままサンプリングした、ほぼ完全な替え歌だったのだ。権利問題をクリアにしないまま発売された同曲が収録されたアルバムは店頭から回収される騒ぎとなり、ビズ・マーキー側は敗訴する。

 この騒動を経て、ブレイクビーツやサンプリングネタの公共性は問われることとなる。それらを楽曲に使用してリリースするには、権利をクリアにし、非常に高額になることもある使用料を支払うことが求められる。それゆえ、クリアランスを取得できずお蔵入りする楽曲も多くなる。ヒップホップのコミュニティ内で共有されている「作者の死」という価値観は、マネタイズを介して外部の社会と出会うこととなったが、端的にそこでは通用しない。

 しかし一部のプロデューサーたちは、自身のスキルによって、活路を見出す。その1つは、チョップやフリッピングと呼ばれるテクニックである。あるフレーズをサンプリングした上で、細かくチョップ=切り刻み、順番を変えたり、ピッチの高さを変化させることで、サンプリングソースの輪郭は見えなくなるのだ。この技法は、当初は権利問題回避が1つの目的であったこともあるが、その後クリエイティブな制作手法として確立される。

 公共性を失ったブレイクビーツ/ネタたちを変形させ匿名化することで、自身の署名を施すこと。最早サンプリングソースを特定されてしまうような直接的な使用は困難であるという制約によって、ビートの制作方法は多様化し、飛躍的な進化を遂げる。ビートメイカーたちは、上述のフリップのように、サンプリングソースを匿名化する手法を模索する一方で、ドクター・ドレイの『The Chronic』以降のGファンクに顕著なように、フレーズをサンプリングするのではなく演奏し直したり、あるいはスウィズ・ビーツやネプチューンズのように、サンプラーを捨ててドラムマシンやシンセサイザー内蔵音源中心のビート制作に注力するようになる。

 そのようにして制作されたビートたちもまた、単にビートメイカーの所有物ではないように見える。どういうことか。ヒップホップの楽曲は12インチレコードで流通した。それ以前から、シングルカットされたディスコやレゲエのレコードのBサイドを埋めるのは、歌の入っていない、いわゆるインストゥルメンタルバージョンやダブミックスが多かった。そしてヒップホップにおいても、ラップ抜きのインストバージョンが確立される。そのビートの上で、無数のMCやダンサーたちが、フリースタイルでスキルを競い合うこととなるのだ。またしばしばビートジャックと呼ばれるように、自身のライムを該当のビートの上でレコーディングし、自身の名を署名した楽曲として発表してしまうこともある。このようにしてビートを使われた側も、アンダーグラウンドな営みであれば基本的には無断の使用が咎められることはない。そのビートメイカーがプロップス(評価)を得ることにも繋がるし、何よりもグルーブとは公共財であり、ヒップホップコミュニティ全体に帰属するものだという考え方が根底にあるからだ★4

2. ブーンボックスがもたらす公共のビート


 次に、リスナーの聴取環境を巡る議論へ入りたい。この論点においても同じように、ヒップホップの黎明期のブロックパーティを考えることから始めよう。リスナーはDJがプレイする楽曲を公共的なブロックパーティで享受し、ダンスに興じた。そしてその延長のクラブで、ラジオで、DJたちが選曲しエンドレスに繋ぎ合わせるグルーブの群れに浸るのがヒップホップの楽しみ方の中心であった。であるならば、リスナーたちはDJの選択に、受動的に従う側面を持っていると言えるだろう。The World's Famous Supreme Team「Hey DJ」を始めとする多くの楽曲でDJの重要性が歌われているし、NasからDEV LARGEまで多くのMCたちのリリックや発言から、当時のラジオプログラムが絶対的存在であったことが窺える★5。1935年にマーチン・ブロックがクライド・マッコイの曲をラジオプレイして以来、DJたちは常にグルーブの新しい地平を示し、私たちを旅に連れて行ってくれるのだ★6

 さらに1970年代後半以降にはカセットテープが普及していたという背景もあり、「ミックステープ」が流通し始める。これは、様々な既存の楽曲を、文字通りDJがミックスしたテープであり、ラジオプログラムをそのまま収録したようなものから、サンプリングのネタを次々と開陳するものや、DJのターンテーブルスキルを見せつける趣旨のものまで、DJたちがそれぞれに趣向を凝らした様々なタイプのものが生まれた。特にヒップホップやレゲエに特有の文化であり、メディアである。ヘッズと呼ばれるコアなヒップホップファンたちは、自身でもミックステープを作るようになり、それらを個人的に楽しむだけでなく、仲間内で共有するようにもなる。

 そして一時期のヒップホップ特有の現象として、ブーンボックスと呼ばれる、比較的サイズの大きなラジカセの存在が挙げられる。派手なペインティングを施したラジカセを肩に担ぎ、大音量でミックステープやラジオプログラムをプレイしながら街中を闊歩する。周囲の人々はそれに合わせて踊ったり、フリースタイルをキックすることも可能であるのだから、これはブロックパーティの延長線上に位置する現象とも言えるだろう。いわば、簡易型、移動型のブロックパーティ。ここでもキーワードはやはり、公共性である。

 公共財であるグルーブをリスナーが享受するとき、そこには仲介者としてのDJが君臨していた。国家と個人の公共性を巡る議論を、NPOなどの団体が仲介するように。彼らがクラブやラジオプログラムで不特定多数のリスナーにグルーブを発信し、受け手はさらにそれをブーンボックスなどによりコミュニティ内で共有することで、グルーブの公共性は担保されていたのだ。

 しかし徐々に、状況は変わりゆく。それに伴い、グルーブの公共性も変容を迫られることとなる。

3. 聴取空間の地域性



ラップは地域によって異なるフィーリングやヴァイブを持ってるんだ。たとえば、ニューヨークの人々はあまり車を運転しないから、ラジオを持って歩き回る。でも実際のところそれは最早消滅した。もう流行りじゃないんだ。[中略]今じゃ「ウォークマン手に入れたんだけど」ってなもんさ。そんなわけで、サウンドのベースはあまり重要じゃなく、高音が中心になってる。だから、ニューヨークのラップはヘッドフォン向きになっているし、ロングアイランドやフィラデルフィアでは、もっとベース中心なんだ。(チャックDによる発言)★7


 Public EnemyのフロントマンであるチャックDが指摘しているように、ブーンボックスでラジオプログラムをプレイする光景は1990年には早くも下火になり始める。ウォークマンの普及により、人々はヘッドフォンというパーソナルな聴取空間を手に入れ、自身の頭の中こそがダンスフロアーとなり始める。かつてブーンボックスの周りに集った人々は、プレイされるグルーブの魅力を隣の人間と共有し、互いにシンクロするように体を揺らしたが、自閉的なヘッドフォンを装着し体を揺らす者がいても、人は冷めた目線を投げかけるだけだ。つまり、そこではグルーブのパーソナルな消費が志向されるのだ。

 人々は様々な場所へ赴き、コンクリートの路地裏で、夕日の沈む海岸で、あるいは満天の星空の下でそれぞれの音楽を楽しむ。ウォークマンにより、音楽は、自身の個人的な出来事のBGMとして常に帯同可能な存在となった。そこでは、個々の楽曲のグルーブが、個人の実存とミックスされる。ヘッドフォンがもたらす、公共財と個人的体験の出会い。ビートは人々に寄り添い、彼らの生活のより広い範囲に影響を与えうる。フリードリヒ・キットラーが言ったように、メディアこそが、人々のあり方を決定するのだ。

 もう1つ、チャックDが指摘しているのが、地域による聴取環境の差異と、それに伴う音像の変化である。地下鉄などの公共交通網が発達しているニューヨークでは徒歩での移動が比較的容易であるため、人々は移動中の音楽体験においてウォークマンの恩恵に預かる。一方で車がないとどこへも赴けないロングアイランド、ロサンゼルス、マイアミなどでは、人々はカーステレオで音楽を嗜む。人々は車外に漏れ出るベース音の音量を競うかのように、大口径のウーファーを積み、愛車をチューンアップする。自宅では、近隣や同居人の迷惑を考慮すると難しい大音量も、車の中でなら躊躇なく味わえる。そして車内という聴取空間もまた、パーソナルなものである。ヘッドフォンがもたらす聴取空間を単に拡大させただけで、そこは主に1人きりで音楽を楽しむ場所だからだ。

 このように、ニューヨークではウォークマン、西海岸やフロリダではカーステレオにより、ビートは公共性を失い、パーソナルなものへとその位置づけを新たにしたように思える。しかし本当にそうだろうか。

 パーソナルな聴取空間で受容されるのは、勿論単体の音楽作品である場合もあるが、前述のミックステープもプレイされ、カーステレオはラジオプログラムを流す。つまり公共性の媒介となっているDJの影響力は変わらず担保されているのだ。さらに、大音量でカーステレオを鳴らす車からの音漏れに、注意を引かれることは多いだろう。周囲の人間に自分の聴いている音楽を聴かせようとするかのように、窓を全開にして走る車もある。西海岸のヒップホップのMVで散見されるのは、快晴の空の下、オープンカーのローライダーがベースを響かせながら街を流す様子だ。ここには、ブロックパーティやブーンボックスが背負っていた公共的な機能が、確かに息づいている。

 聴取空間の変遷や地域による違いによって見え辛くなる局面はあったものの、ヒップホップの特徴である、グルーブの公共性は保たれてきた。そしてこれらの地域による聴取空間の差異により、アンビバレントなサウンドを志向するのが、ヒップホップの特異性の1つと言えるだろう。

 これまで議論してきたのは、聴取空間という構造についてであった。構造の変化は、当然のようにそこで聴取される音楽の内容にも深く影響を与える。では、そのサウンドとは一体どのようなものだったのか。中でも、その質感について着目したい。いわゆるローファイとハイファイ。対極にある両者を欲望するアンビバレンスの正体を見ていこう。

4. ローファイ/ロービットの世界観


 大音量で街を流すローライダー。その際拘るのはまず何よりもベース音だ。加えて、車の走行中はエンジン音や走行音で音楽がかき消されるため、高周波数の音域もブーストする必要がある。ローエンドとハイエンドの強調/協調。いわゆる「ドンシャリ」と呼ばれるサウンドである。

 そして車内の聴取環境に最適なドンシャリサウンドで音楽を楽しむためには、スピーカーやイコライザなど再生環境側のチューニングも重要ではあるが、そもそも音源自体が豊かなローとハイを宿している必要がある。ウーファーの最大限の性能を引き出すようなベース音、耳に刺さるようなクリアなハイサウンド。いわゆる「ハイファイ」サウンドの追求である。ハイファイ/ドンシャリサウンドの恰好の例は、ドクター・ドレイが全面プロデュースしたスヌープ・ドギー・ドッグのデビューアルバム『Doggystyle』で確認できるが、1993年にリリースされた本作は今聴いても違和感があるほどハイが強調された特殊な音作りとなっている★8

 一方で、車内という聴取空間を前提とすることのなかったニューヨークのヒップホップは、ローエンド、ハイエンドに拘泥しない代わりに、別の美学を追い求めることとなった。そこで追求されるのはビートの質感であり、テクスチャーである。ビートの肌触り。

 80年代後半以降、ニューヨークのビートはサンプリング中心に制作される。しかし当時主流となっていた機材のスペックの限界により、サンプリングしたフレーズの再生には劣化が伴った。具体的に言えば、情報量はCDの音質がサンプリング周波数44.1kHz、量子化ビット16bitなのに対して、当時ビートメイカーたちの間でよく使われていたサンプラーのE-Mu SP1200はサンプリング周波数26.040kHz、量子化ビット12bitであり、AkaiのMPC60は40kHz、12bitであった。まず、サンプリング周波数は、サンプリングの精度を表す。44.1kHzであれば、1秒間に4万4100回の精度で音をサンプリング=標本化する。よってSP1200の精度はCDの半分だ。そして量子化ビット数は、そのサンプリングした音を何回のステップでデータ化するかというキメの細かさを示している。12bitサンプラーは16bitサンプラーと比較して2の4乗分、つまり16分の1に間引くことになる。このように間引かれた分音の精度が落ち、それが「ローファイ」と呼ばれる所以である。あるいはマクルーハンなら、その低精細度のサウンドを「冷たいメディア」と関連づけたかもしれないが、サンプリングしたネタのベースラインだけを取り出すために、極度にハイをカット=精細度を落とすためのフィルターを通した「モコモコした」サウンドの利用も散見される。

 このような、今と比較すればかなり制約的なデータ量とビットレートで音楽を奏でる世界がかつて存在した。8ビットゲームシーン。当時のファミコンのカセットの容量はわずか数十~数百キロバイトで、多くても1メガバイト程度であった。これは今でいうテキストデータや小サイズの画像1枚分の容量に過ぎない。

 本来ビデオゲームは、空想の世界を現実のようにリアルに描くことを目標とした。たとえばApple 2でリリースされたコンピュータRPGの記念碑的作品である『ウィザードリィ』(1981年)や、PLATOと呼ばれるコンピュータネットワークをプラットフォームとした『ウブリエット』(1977年)や『アバター』(1979年)では、現在と比較して圧倒的にデータ容量の制約がある中、モンスターが巣食う地下ダンジョンを描くため、ワイヤーフレームという手法を取った★9
 当時のゲームファンたちが持ち合わせていたのは、ワイヤーフレームやドット絵のキャラクターやモンスターを補完する想像力であった。『アバター』の開発者のブルース・マッグスは、『ウブリエット』の最低限に抑えたグラフィックが逆に本当にダンジョンに潜った気にさせてくれたと述べている。技術的な制約により、情報量を間引く。これはゲーム音楽でも同じだった。たった3音のPSG音源とノイズ音で、クラシック音楽や室内楽を表現しようとした羽田健太郎や、ドラゴンクエストシリーズのすぎやまこういちの試み★10

 かつてシュトックハウゼンは、電子音が追求すべきサウンドについて、次のように指摘している。


明らかに、電子音楽の作曲家は、伝統的な楽器や聞き慣れた物音の音色を模倣すべきではない。例外的にその様なサウンドが必要だったとしたら、それをシンセサイズするのは無意味であろう。[中略]だからラディカルにこう結論づけるべきであろう。電子音楽は電子音楽のように響くのが最高なのだ、と。(カールハインツ・シュトックハウゼン『シュトックハウゼン音楽論集』)★11


 羽田の頭の中ではオーケストラや室内楽団の演奏が聴こえていたのかもしれない。それを同時発音数がわずか3音の電子音で表現したとき、そこに現れたのはしかし、全く異なる世界観だった。紛れもなく、電子音楽でしか表現できない音色で演奏された楽曲群。PSG音源はどんな楽器や自然音の模倣でもないのだ。

 同様に、シュトックハウゼンの指摘に反するように、ヒップホップの黎明期に活躍したリズムマシンもまた、生ドラムの音色を電子音で再現しようとした。当時のドラムマシンの1つである8bitのサンプリング音源ベースのリンドラム(当時の価格で数百万円!)や、AKAIのMPCシリーズの生みの親であるロジャー・リンは、生ドラムのサンプリング音を元にリンドラムを製作した。しかし完成したリンドラムは、生ドラムと異なる、電子音化されたローファイな音色を宿していた。そしてそのアタッキーでラフなサウンドこそが、プリンスに代表されるように、生ドラムを従えた表現とは異なる音像のファンクや、R&Bからヒップホップに至る楽曲群を生み出したのだ。

 ローファイがもたらす、ざらつき感やラフでラグドな音色がニューヨークのヒップホップにおいては好まれ、スムースなハイファイサウンドを追求する西海岸の、特にGファンクとは一線を画すこととなる。90年代後半からゼロ年代に入ると、機材の進歩や、嗜好のトレンドの変化などにより、ニューヨークのヒップホップもハイファイを志向するようになるが、ローファイへの信仰は局所的に生き続ける。

 当時は、機材の限界こそがローファイの要因となっていた。しかし「ゴールデンエイジ」と呼ばれる90年代のニューヨーク中心のヒップホップの1つの絶頂期を後から振り返るとき、ローファイであることは次第にその価値を見直される。つまり、技術が進歩してしまったがための、ローファイへの信仰。ある種の揺り戻し。戻らない過去への羨望。

5. ノスタルジック・サウンド



「しかし、生とは違って、音楽作品は反復できる。音楽作品はふたたび演奏し、あるいはふたたび聞くことができ、レコードは何回でも針の下に置き直すことができる。[中略]音楽が到来する包括的継続のなかの要因として、また音楽に内在してこれを構成する音の順序によって二重に逆行不可能な音楽は、それでも思うままに《アンコール》することができる。」(ヴラジミール・ジャンケレヴィッチ『還らぬ時と郷愁』)★12


 ヒップホップにおけるローファイサウンドは、一方でラフな攻撃性を持つ。しかし他方では、「戻らない過去への羨望」を示すような、こもってはいるが温かみのある音質をも持ち合わせる。ヒップホップがその誕生時から切っても切り離せない関係にある、DJ たちが2枚使いしたレコードの音質のように。ローファイサウンドの、アンビバレントな魅力。

 私たちはなぜ、間引かれているローファイの音像に温かみを感じるのだろう。それはたとえば、ジョルジュ・スーラによる間引かれた点描に温かみを感じるのと同じ理由からであろうか。スーラによる、極めて科学的に光を取り込もうとした点描の手法は、全体的に淡い色使いをもたらした。極めて印象的な過去の記憶が、どこか光のベールのようなフィルターの向こう側でぼやけて思い出されるような、淡い色彩。そしてそのような淡さをまとった、音の色。スーラの絵画を16bitのローファイサンプラーと見立てるならば、たとえば同じ新印象派のポール・シニャックによる点=ドットのサイズが大きい作風からは、12bitのサンプラーの音像を想起させられる。8bitゲーム機のドット絵で描かれた剣と魔法の世界然りだ。

 また、スーラが『サーカスの客寄せ』(1887~1888年)などでモチーフとしたサーカスや、『オンフルールの夕暮れ』(1886年)のような額縁が描かれた風景画に、過去の日々へのノスタルジックな匂いを感じ取ってしまうのは安易に過ぎるだろうか。しかし、敢えて点描で額縁が描かれていることで、その向こう側に鎮座する風景は、鑑賞者との距離を空間的にも時間的にも増していく。遠い記憶をどこか客観的に眺めているように。

 二度と再生できない人の過去に対して、ジャンケレヴィッチは、何度でも再生可能な、レコードに刻まれた音楽作品を対置している。彼は郷愁について、「人は何かを懐かしむのではなく、ただ懐かしがりたい」のだと指摘する。つまり私たちは、自身で経験していないものに対しても、懐かしさを感じるのだ。初めて訪れた場所にもかかわらず、得も言われぬ懐かしさを覚える。多くの人が、そんな経験をしたことがあるのではないか。であるならば、過去にレコードで音楽を聴いた経験がなくとも、そのプチプチというスクラッチノイズや温かみのある音色に漠とした郷愁を感じることがあっても不思議ではない。
 そのような郷愁の成立条件として、彼が挙げているのが、「哀惜」(=ルグレ)と「悔恨」(=ルモール)である。「哀惜」とは、二度と再生することができない過去を悔い、惜しむ感覚。そして「悔恨」は、自身が経験した過去を、決してなかったことにはできないという後悔の念である。すなわち、自身の過去を、もう一度生きたいと願うと同時に、無かったことにしたいという、相反する感情。それらが両立する交点から、郷愁が生まれるというのだ。再生と抹消。郷愁は、そのようなアンビバレンスから生まれる。

 私たちがそれぞれ持っている記憶。時の経過に従って、徐々に遠景に遠ざかっていく過去。記憶は次第にあやふやになり、その輪郭はぼやける。遠い記憶の解像度は落ちる。記憶のローファイ化。だからこそ逆に、こもった音像を耳にするだけで、私たちはノスタルジックな何かを感じてしまうのではないか。こもったローファイの音像は、半ば自動的に私たちに遠い記憶を思い起こさせるから。そしてそのような郷愁に浸るために、私たちはローファイサウンドを求めるのではないか。

 であるならば、同時にハイファイさや、クリアな音像を求めるとは、どういうことなのか。それはいわば、郷愁で囲い込もうとする過去に束縛されたくないという心情の表出ではないか。ヒップホップにおいて、価値があることを示すジャーゴンの中に「フレッシュ」がある。評価する対象が、過去の何かを参照しているだけでなく、独自の「新しさ」を持っている場合にこの語が使われる。ヒップホップにおいて1990年代のゴールデンエイジは、確かに余りある魅力を湛えて、そこにいつまでも視線を向ける人々を、その郷愁の引力で照らし返す。しかし、それに抗い、より「フレッシュ」なハイファイさを求めること。クリアでハイファイな音像は、端的に技術の進歩によってもたらされるものでもある。つまりハイファイは、過去と結びつくローファイとは対照的に、未来を志向していると言ってもよいだろう。

 ローファイとハイファイはそれぞれ過去と未来の記号でもある。前回見たアフロフューチャリズムがそうであったように、過去と未来という真逆の性質を結びつけ、双方の音像を求めるというアンビバレントな美学を持ち合わせているのも、ヒップホップの特徴の1つであった。

6. アンビバレンツのあわいに


 以上見てきたように、ニューヨークとその他の地域の聴取環境の違いが、ハイファイとローファイの両方を志向するというアンビバレントな嗜好をもたらす一因となっていた。そしてその後、ウォークマンはテープからCD、MD、MP3とそのメディアを変えてきた。しかし、ヘッドフォンを利用することで内耳から頭蓋にわたるパーソナルな聴取環境を生み出すという点は、変わらず維持されている。一方の車内での聴取空間についても、車社会が依然成立している現状がある。つまりそこでは、ウォークマン同様、カーステレオにより利用されるメディアが、時代と共に変遷しているにすぎない。

 大きな変化はやはり、ウォークマンに取って代わったスマホのコンテンツとの繋がり方だ。一方で、店頭で購入したCDというメディアに記録された音源をMP3化するという手続きは、いまだ過渡的に残っている。他方、今や主流はオンラインでのMP3データ購入か、アップル・ミュージックなどの定額配信サービスの利用である。ネットというインフラを手に入れた私たちは、検索するだけで、どの楽曲にも直ぐにアクセスできる。

 そしてこの状況の変化は、リスナーだけでなく、ビートメイカーにとっても重大なインパクトを持っている。かつて自分だけのパーソナルなサンプリングネタやブレイクビーツを求めて、世界各地のレコード屋を巡回した者たち。レアな、誰にも知られていないグルーブの発見のために。ビートメイカーたちがそれらを元に楽曲を制作するとき、そのグルーブには発見者の署名がなされることとなる。

 公共財のグルーブに「作者の死」をもってして署名を付すこと。新種の生物や植物、あるいは星に、発見者の名前が冠されるように。

 勿論今でも彼らの行っている営みは存在する。レア盤探求の世界には終わりがないからだ。しかし一度誰かが発見したグルーブについては、ネット上でアクセスできる可能性が高くなっているのも事実だ。それらはデータベース化され、サンプリングは最早レコードから直接行われるものではなく、YouTubeなどネット上のデータから行われるものになりつつある。ネットというインフラに接続されたがゆえに、両手が「真ッ黒ニナル迄」レコード箱をディグるというヒップホップの美学は忘却の淵に沈んだようにも見えるが、一方で、ある意味ビートはその公共性を増しているとも取れないか。今やビートメイカーたちは、指先が「真ッ黒ニナル迄」マウスをクリックし続ける★13

 公共性を纏ったブレイクビーツ。リスナーは、苦労して発見したレアな楽曲を自分だけの秘密にしておきたい欲望を持つと同時に、皆と共有し一緒に踊りたいと願う。ビートメイカーも、サンプルネタとしてのレアなブレイクビーツの発見者/変奏者として署名を刻み、そのグルーブを独占したいと願う一方で、自身のビートを公共財として多くの人間が引用したり、フリースタイルの背景とすることも厭わない。それぞれのアンビバレントな想いが、ビートのグルーブを根幹とするヒップホップを、ここまで大衆化させると同時に、いまだ部分的にはアンダーグラウンドな営みとして維持させている要因なのではないだろうか。

★1 本来、公共性とは国家、社会、民族内的意味を担うのが一般的だが、ここではより限定的なヒップホップを共通言語とするコミュニティ内を対象とする。また当該コミュニティ内での営みが、一般社会に向けて開かれていることを示す場合にも使用することがある。
★2 最近では、2014年のマーク・ロンソンのヒット曲「Uptown Funk」の一節が、1979年のギャップ・バンドのヒット曲「Oops Up Side Your Head」の引用であると指摘され、ギャップ・バンドのメンバーらが共作者として名を連ねることとなったケースが存在する。
★3 2016年6月10日現在、英語版Wikipediaの「Good Times」の項目には、この曲を引用した26の楽曲リストが掲載されている。
★4 2012年にはアメリカのMCであるウィズ・カリファのミックステープに、日本人ビートメイカーBugseedの楽曲が使われ、別の人物の名前がクレジットされるという出来事があった。ネット上でファンの指摘により発覚した騒動であり、その後本人同士のやり取りがあったのか顛末は不明なものの、このやり方にリスペクトがあったのかどうかが問われるだろう。
★5 Nasは「Halftime」の中で、1980年代にニューヨークで絶大な人気を誇ったラジオDJのMr. Magicへの愛情を示している。DEV LARGEらBUDDHA BRANDのメンバーも、ニューヨーク在住時のキッド・カプリなどのラジオ番組への愛をインタビューで度々語っている。
★6 1935年2月、飛行士のリンドバーグの長男誘拐事件の裁判の進展を待つラジオの聴衆のために、急遽近所で購入したクライド・マッコイのレコードをラジオでプレイしたのが、伝説のディスクジョッキーと言われるマーチン・ブロックである。
★7 Mark Dery, "Public Enemy: Confrontation", Keyboard Mgazine, September 1990, pp.81-96.(筆者による訳出)
★8 ドレイのハイファイを探求するサウンドプロダクションは、ファーストアルバムの「The Chronic」(1992年)に始まり、セカンドアルバム『2001』(1999年)で一旦完成を見ることとなる。
★9 『ウィザードリィ』のオリジナルであるApple 2版では3Dのダンジョンを線(ワイヤー)だけで表現した。その後、たとえばファミコン版移植にあたっては壁のテクスチャーが追加された。
★10 1987年の「ウィザードリィ」のファミコン版移植にあたり、作曲家でピアニストの羽田健太郎がBGMの作曲を担当した。
★11 カールハインツ・シュトックハウゼン『シュトックハウゼン音楽論集』現代思潮社、1999年、162‐63頁。
★12 ヴラジミール・ジャンケレヴィッチ『還らぬ時と郷愁』国文社、1994年、405‐06頁。
★13 「真ッ黒ニナル迄」は、KRUSH POSSEやMICROPHONE PAGERのMC/プロデューサーとして知られるMUROの1993年の作品。

吉田雅史

1975年生。批評家/ビートメイカー/MC。〈ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾〉初代総代。MA$A$HI名義で8th wonderなどのグループでも音楽活動を展開。『ゲンロンβ』『ele-king』『ユリイカ』『クライテリア』などで執筆活動展開中。主著に『ラップは何を映しているのか』(大和田俊之氏、磯部涼氏との共著、毎日新聞出版)。翻訳に『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』(ジョーダン・ファーガソン著、DU BOOKS)。ビートメイカーとしての近作は、Meiso『轆轤』(2017年)プロデュース、Fake?とのユニットによる『ForMula』(2018年)など。
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